2013年05月11日

京都にハルキがやってきた!

旧暦四月二日 丁丑(ひのとうし)

 「村上春樹が京都に来てたんやってねえ」とかみさんが珍しいことを言う。
 京都大学で講演したって、ニュースでもやってたでしょ。
 どうも、聞きに行きたかったらしい。
 へえ、関心有るの?
 これからの日本を救うのは、山中伸弥さんと村上春樹さんだと思う。
 って、どうやら何かテレビで見たか、雑誌でも読んだな。(笑)
 抽選だったけれど、はずれた人も会場のそばまで行く熱心さだったらしい、と言う。
 自分でもそうしたかったのかな。だけど、ほかの講演会なら行ってしまえば無理して入れてくれる可能性があっても、ハルキじゃ無理だろう。で、そんなに好きなの? 彼の小説、読んだことあるの?
 読んでないけど・・・
 案の定。(笑)

 そんでもって、村上春樹は、講演の前に鴨川を走っていたらしい。
 へえ、それは知らなかった。
 すごいやん。
 何が?
 いつもそうして走っているらしい。
 いや、走るやつはいっぱいいるだろう。それに、健康に気を配りながら原稿を書いている作家、って、どうなの?(笑) 

 ノーベル賞候補として、このところ毎回その名が上がり、ことに、最近の「落ちぶれた」と思われ続けてきた日本にあっては、希望の星のような扱いをされて、おそらく、本人にとっては文学の本質以外のところで知名度が高まり、小説が読まれ、評価がされるようになってきていることだろう。
 だから、国内に住まないのかもしれない。
 まあ、本人は、日本を意識しているだろうけれど、文学世界に国境などないし、ことさら日本人でありたいとは思っていないだろう。
 それでも、まわりは「日本人」として期待するのである。

 だけど、「救う」のはどうか・・・
 山中伸弥さんは、そりゃ人間的にもすごいと思うよ。近年、金ばかり儲けたがる研究者の中にあって、私を捨てて公に尽くしている印象が強い。まれにみる人ですよね。でもまあ、分野が違うこともあるけれど、村上春樹さんに、文学を以てして日本の未来に貢献しよう、なんて意識があるとは思えないし、文学者がそんなことを言いだしても逆に気持ち悪いだろう。

 社会人になってから、小説を読むことは滅多になくなったが、二十代だったかに、彼の短編集を読んだことがある。内容はもう忘れたけれど、その感覚がいいなと共感を覚えたことはなんとなく印象に残っている。
 だけど、次にまたどうしても読みたい、という渇望は無かったから、自分でもその後読んではいないのだろう。最近話題作が(というより、話題が先行した新作が)何年かごとに発表されて、書店の店頭で手にとってみたけれど、それを買って読むだけの、魅力と、気力が、持てなかった。長編だものね。
 読みたい、と思う物語は、ちょっと何ページか拾い読みすると、言葉の連なりがきゅっ、とひっかかる時があるのだ。それはなかった。なにか平凡な気がした。
 おそらく、その平凡な言葉の膨大な組み立てに、彼の独特のプロットが潜んでいるのだろう。読んでもいないのにすみません。

 じつは、それまで、あまり意識していなかった村上春樹さんという作家に、どこか、もやもやとしたものを感じたのは、フクシマの原発事故のあとのことだ。
 東北の大災害にふれた、 スペインでの講演は、ちょっと何か違和感を覚えた。
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/215040188.html
 マスメディアはみんな、ノーベル賞候補である世界的作家の話に、何かすごい意義を見出そうと一所懸命だった。
 うーん、どうなんでしょう。それまでのことをあまり知らないので、こんなことを勝手に言ってはいけないかもしれませんが、事故があってはじめて原発にふれ、まあ、下世話に言えば反対の意志を表明したようにみえた。

 すでに受賞している大江健三郎さんは、早くから、というか、根っから反対を表明してきた。沖縄の問題にも取り組んできた。告訴までされた。
 別に運動家として声高に叫んできたわけではない。だけど、その声は多くの人に届いている。
 大江さんは、ノーベル賞を受賞したけれど、確か文化勲章は辞退している。

 書き手としての文学者にとっては、「何をどう書くべきか」が最大の課題だ。そこに技術としての方法論が加わる。
 それは、生き方の問題ではないかと思う。当然ですね。だから、自己の文学に行き詰まって自殺した作家は多い。

 芸術家は作品がすべてという意見がある。もちろんそのことに異論はない。だけど、作品を産むのは、その書き手であり、書き手の生き方である。
 ほとんど関心を持ってこなかったので、村上春樹さんが、どういう人生をたどってきたのか、私人としても公人としてもよく知らないのです。すみません。
 だけど、あれほど、みずから孤高の位置を保持しようとしている人について、ウチのかみさんのように読んだこともなく、ふだん文学と縁もゆかりもない人間が、日本を救う人だなどと口走るのを耳にすると、えっ? と、立ち止まらざるを得ない。この人がどんなふうに生きてきたのか、少しくらい検証する必要があるのかな、と考えてしまうのだ。
 
タグ:村上春樹
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2012年09月19日

「本屋さん」は消えるのか

旧暦八月四日 癸未(みずのとひつじ) 秋の彼岸の入り

 読書週間はまだ先だけれど、読書週間の新聞広告企画への誘いとともに届いた、地方・小出版流通センターからの9月の通信に、こんな内容が記されていた。

 丸善の「松岡正剛の棚・松丸本舗」が9月で閉店と伝えられます。最近、独特の選書で、個性的な書店のニュースが多いのですが、たしかにどことなく魅力的ではあるものの日常的な経営を維持するのが可能なのかどうかと問われると、難しいのでは推察をせざるをえません。
 そんなとき 読売新聞の空想書店というタイトルのコーナーに 北大の中島岳志さんが「最近 個性的な本のセレクトショップが増えている。雑貨屋と融合したおしゃれな内装の店が多く 本のラインナップには店主の趣味が色濃<反映されている。<中略>客を選ぶ本屋に 私はあまり魅力を感じない。本屋は やはりみんなの空間だ。<中略>もし 可能ならば 新刊本だけでなく 古本も取り混ぜて売りたい。文庫本も 今ではあっという間に絶版になってしまう。出版社が本の命を粗末にするならばせめて本屋で大切にしたい。スピード感ばかりが求められる世の中で 本屋は時間を堰き止める役割を果たしたい」と記されていました。
 客を選ぶのではなく オープンなたたずまいでいることこそが やはり小売店の本質的役割を果たすことになるのではないでしょうか・・入り口には本日発売の雑誌が並び ベストセラーが平積みされたその奥にさりげなく本屋さんお奨めの本が並ぶ・・こんなすごく当たり前の本屋さんが なぜか懐かしい!再生して欲しい本屋さんの姿です。 (原文ママ)


 難しい問題です。中島さんという方の提言はたいへんよくわかるし、自分自身が実際に書店に行くときは、そういう本屋さんになる。で、悲しいかな、その典型は大型書店なんですね。スペースがないと、なかなかそうはできない。
 「雑貨屋と融合したおしゃれな内装の店」というのは、おしゃれかどうかは別として、ヴィレッジヴァンガードのような混在店のことを指しているのでしょうね。
 小さな書店では必定、売れ筋雑誌と話題の新刊書、ベストセラーしか置けない。それも、新刊やベストセラーは、常時売れ行きが確保できていなければ、取次店は配本してくれない。文庫や新書も新刊、近刊やロングセラーしか置けないから、当然、フルラインナップとしては揃わない。欠番だらけ。

 去年、近所の書店が廃業した。
 街の書店としては広いほうで、二階は全フロアがコミック、一階は雑誌と実用書、新刊書が目立つ位置にあり、売れ筋の文庫本や単行本を置いて、店外の路面側には週刊誌、という、よくある「街の本屋さん」だった。
 ただし、いわゆる「エロ本」が雑誌スタンドと平台の一画を占め、閉店前の二、三年は、雑誌売場の半分くらいを占めるようになっていた。店主に訊くと、「利益率がいい」とのことだった。
 隣にある「京都」の情緒をウリにしている旅館の女将などは、たいへん嫌がっていたし、こちらも、本はなるべく地元で買えれば、とは思うものの、雑誌などを買うときにも、少し離れたところにあって、一切、そういう本を置いていない書店を優先していた。
 そちらの書店のほうは、今も続けている。そこのオヤジさんは、「ウチは学校に教科書を販売しているから、ああいう本は置けない」と言っていたけれど、そういう体面だけの理由ではないだろう。ここは、さらにずっと小さなフロアで、もちろん二階もなく、廃業した近くの書店以上に、客が入っているのを見たことがない。
 高額の本を取り寄せて買うときには、ぜひここで注文したいと思う。けれど、近年の景気では、なかなかそういう機会がないんですよね。(嘆)

 本屋は今、そういう傾向にあるように、これからもさらに、「みんなの空間」と、そうではない、「わたしの好きな場所」とに、分かれるだろう。
 旧来からの店舗で、同じ販売スタイルを維持している書店は、まず、ほとんど消え去るはずだ。上記の店も、何かほかのことで稼いでいるのかもしれない。
 量販店と、セレクトショップ。
 これは、ほかの業種と共通する。今や、書物が特殊な「商品」として意識される時代ではなく、その販売に携わる者に特別な延命が与えられてはいない。規模で売るか、魅力で売るかの両極に分かれざるを得ないのは、商品の内容にかかわらず、必然的な時代の流れなのだ。ウェブ販売のアマゾンなどは、現在ある、量販の究極の形態だろう。

 まだ、このあたりの予測は整理できていないが、電子書籍の普及が進めば、「書物」の量販はさらに加速し、リアルの大型店舗も、店頭の形態は変わるだろう。
 書籍を扱う小型店舗は、セレクトショップとしても、「本」を扱うというより、独特の「伝統工芸」としての魅力、質感を持つ「書物」という趣味の世界を扱う、という感覚になるだろう。

 地方・小出版流通センターからの通信には、政府の電子化推進事業についてもお知らせが載っていた。

●経済産業省「コンテンヅ緊急電子化事業」の申請条件の緩和について
1.第一次申請締切は9/14でしたが、第二次出版社申請受付け期間を10月1日(月)から11月30日(金)とし、募集します。
2.タイトル申請数の上限を廃止します。出版社の昨年の新刊発行点数の2倍までを廃止。
3.図書館への図書寄贈の緩和−3冊献本を義務としていましたが、「可能な範囲で寄贈」に改めます。
4.ePub3の申請に対応します。
5.電子化事業の制作会社の出版社指定が可能になりました。
  詳細は「JPO出版インフラセンター」のホームページをご覧ください。


 この3番目の項目、図書館への寄贈が、ちょっと気になるので、また、あらためて考えたい。
 電子本になったら、図書館はすべて「所蔵」するのかな、ということです。
 紙の本の寄贈では、じつは、国会図書館以外の図書館は、出版社から寄贈された新刊本を必ずしも蔵書しないということを、つい二、三年前に知った。ときには、寄贈された本を、そのまま、廃棄処分にすることもあるようだ。
 その実状を知った時には、驚くとともに、腹が立ったけれど、そのことは、もうちょっといろいろなことを調べて、いずれまたふれたいと思います。
   
タグ:書店
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2012年04月17日

携帯電話が世界を変える日

旧暦三月二十七日 戊申(つちのえさる)

 このあいだ、ひょっとして、ワン切り魔になっていたかもしれない。(汗)

 携帯電話を換えた。
 というか、NTTドコモがmovaでの通信サービスを停止するため、fomaに換えるか、他社に乗り換えるかという選択をせざるを得なくなったわけだ。他社に乗り換えるというのも、ひょっとしたら何かメリットがあるのかもしれないが、そういうところで影響が出るほど使っていないし、サービスは似たり寄ったりだろうし、なにより、いちいち手続きをするのが面倒だ。
 去年から、毎月のように「お取り替えの案内」が送られてきていたが、いよいよ放っておくと4月から電話ができなくなるので、2月の終わり頃に、送られてきているカタログで機種を決めて、一応、店頭で使い勝手をみて( といっても開いたり閉じたりするだけだけれど(笑) )申し込んだら、予定よりかなり早く送られてきた。

 新しい電話機が送られてきても、切り替えるのは3月末のサービス停止まででかまわなかったのに、ちょうど忙しい時だったにもかかわらず、軽い気持ちで、つい切り替えの作業をやってしまった。

 新しい電話機には「開通手順書」という、パワーポイントあたりでつくったようなA4横サイズの案内がついていて、これを見ながら自分で初期設定ができるようになっている。
 表紙に「※掲載機種はらくらくホン7ですが他の機種でも捜査は共通です」とあって、らくらくホンを基準にしているだけに、思いきりデカ文字で書かれている。
 で、わかりやすいといえば、わかりやすいのだけれど、ほどなくつまづいた。
「お客さまが登録されている4桁の暗証番号を入力してください。」
 何番だっけ? そういえば申し込むときに番号を登録したっけ。
 3回間違えてアウト! って、野球じゃないんだからねえ…。
 結局、問い合わせ番号にかけて、設定し直すはめになった。
 まあ、初歩的なミスです。これは自分が悪い。
 とりあえずは、通信回線が開通。

 この経験から始まったものだから、本体の設定では慎重になります。
 で、また、暗証番号が出てくるんですね。
 よしよし、今度は大丈夫だよ、と。
 ところがなぜかエラーとなる。
 何度やってもダメ。
 おっかしいでしょ。
 時間をおいてやってみよ…。

 そんなことで解決するはずはないよねえ。
 一時間近く四苦八苦してたのではないでしょうか。(泣)
 薄っぺらいくせに読みづらい付属のトリセツを開いて、あちこち見ていたら、やっとわかった。
 本体の設定のための暗証番号は、最初、一律に「0000」と設定してあるのだ。
 それで初期設定をすれば、個別の暗証番号に変えられるようになる。
 なら、暗証番号を入力せよなんて言わずに、「0000」と入力してください、とか、ゼロを四つ入力せよ、とか言ってくれれば簡単な話だろ!
 こういうことは前提なんだから、いちばん最初の目立つところに、すぐわかるように書いておくべきでしょう。もう、ため息。

 まあ、それでも、なんとか使えるようになりました。
 ほっと、一息。
 だけど、データはmovaに入ったまま。これは、まあまあ覚悟していたので、電話帳代わりに、こっちも少しの間一緒に持ち歩いてもいいと思っていた。
 データ移動したいのは、「電話帳」と「フリーメモ」くらい。あとは何もない。カメラだって30万画素だったし。(笑)
 まあ、でも、ちょうどついでがあったので、翌日早速、通り道のドコモショップに寄ってみる。「電話帳」のデータ転送をやってもらう。意外と時間がかかったが、これでOK。メモのほうは転送できない。まあいい。量も少ないので、どのみち、新たに整理し直して打ち込もう。

 でもって、まあ、ひと安心はしたのだけれど、帰ってから見てみると、何か感じが違う。もちろん、ディスプレイの表示や文字のフォントも大きさも違うから当然なのだが、どこか違和感? よくみると、アイコンが全部、レトロな固定電話マークになっているのだ。
 もとの登録では、携帯マークの男女色別とおウチマーク、オフィスマーク、店文字マーク、といったふうに分けていた。それが全部固定電話マークに一斉変換されてしまっている。
 またため息。

 「グループ」から相手の番号を探すにしても、そのあとは名前をたどっていくわけだし、自宅か携帯かというのも番号を見ればわかる、と言えばそれまでなのだけれど、やはり、せっかくのアイコンが頭についていたほうが、パッと見、わかりやすい。
 しかたないので、夜、寝る前に、少しずつ直していくことにした。
 こういう手順は、mova のほうがずっとやりやすかった。なんというか、フローがシンプルだったのである。
 表示も、これは機種にもよるのかどうかわからないが、movaでは白地に黒文字だったが、fomaのほうでは、基本が黒バック。そこに白抜き文字だったり、現在操作中の部分だけ白いオビとなって、そこに黒文字で示している、といったふうで、ものすごく見にくいし、まぎらわしい。

 手順の操作数が多く、しかも読み取りにくいので、何度も間違えた。しかも、その間違いが、発信につながってしまうのだ。
 発信画面に切り替わってしまったのを見て、あわてて、オフを押す。
 間髪入れずオフを押しても、すでに一度、発信してしまっているから、ワン切りになる。というわけで、本文冒頭のように、どうもワン切りを繰り返したらしいのです。
 みなさんすみません。(涙)

 何人かの友人が、どうしたの? と返信をくれた。やっぱり。
 ごめんなさい! とにかく謝って事情説明。
 だけど、お仕事先とかは、時間も時間だし、着信があっても、どうせ間違いだろうと無視していただいたようで(汗)、ことに苦情はこなかったのですが…。
 固定はまだいいのですが、携帯の場合、長く伺っていない相手のかたには、間違ってかけてすみません、と電話するのもなんだし…、ひょっとしてもう閉めちゃってるかもしれないし…、なんてちょっと逡巡したり。
 いやはや、あせりました。(冷汗)

 で、このあたりの機能が、ものすごく使いにくい。movaでは発信記録と着信記録を別に見ることができたのだが、fomaではおなじ画面に混在。それも、似たようなアイコンがいろいろ出てきて、まぎらわしくて、やたらわかりにくい。
 メールの送信トレイと受信トレイは、さすがに別になってはいるものの、なにかしら使い勝手が悪いし、画面も文字サイズも大きくなっているのに読みづらい。

 この使い勝手の悪さは、どうも、慣れの問題だけではない気がする。
 機能は豊富になっているし、その分、項目数や手順が増えることはわかる。そのために、手数が増えることで、使い勝手が悪くなる場合もある。
 しかし、どうもそういうことではない、という印象が強い。

 はたして「進化」したのだろうか、ということである。
 前のmovaは何しろ、30万画素カメラの年代物。新しいfomaでは1310万画素で、自動合成や「小顔撮影」(笑) までできる。フルハイビジョンムービーも撮れる。ワンセグテレビが見られて、GPSがついていて、フルートゥースやワイファイに対応して、防水防塵。……もう至れり尽くせりのハイテクが凝縮されている。
 で、較べると半分近い薄さになってはいるのだが、平面積でみると、2割くらい大きくなっている。重さは減っているものの、5グラムあまりしか違わない。グリップ性は丸いmovaのほうがよく、四角いfomaはスマートに見えるけれど、手のなじみはよくない。落としそうでしかたがない。はっきり言って、形状自体は進化していない。

 そして、こまかいところかもしれないけれど、電源を入れてから使えるようになるまで、やたらに時間がかかる。パソコンみたいだ。ひとつひとつの機能も、アイコンを押してから画面が現われるまで、つんのめって待つ感じ。機能が多くなって複雑だから、反応するタイムラグが延びるんでしょうね。
 ボタンが薄くて間違って押しやすいのは、まあ、デザインによるのでしょうけれど、触感で境界がわかりにくい。
 しかも、ごていねいなことに、movaで「マナーモード」にするには「*」マークを長押しだったが、fomaでは「#」マークの長押し。fomaで「*」マークを長押しすると、「ドライバーモード」になる。この失敗をしたことで、今まで知らなかった「ドライバーモード」の存在を知った。(笑)
 同じ会社の電話機なのに、操作方法に継続性がないばかりか、正反対に設定されているという愚行。

 結局、使い勝手としてはまったく向上していない、という印象なのだ。
 ここで、健康器具や健康食品のテレビショッピングなら、「個人的な感想です」とテロップが入ります。(笑)

 日本の携帯電話がガラパゴス化している、ということは、言われ始めて久しい。
 通信規格や基本システムの問題だけでなく、井戸の中の進化では、島から外に出たとき、同種の食い合いでたちまち滅びる、という意味にもとれる。
 これは、最近、多くの日本製品に共通して感じられることのような気がする。
 基本的に、つくった側の人間が、その製品を使ってみたことがあるのかな? と疑問に感じることが多いのだ。

 携帯電話が登場して、コミニュケーションのあり方が変わった。
 考えてみれば、すごい技術である。
 印刷、電信、電話、ラジオ、テレビ、それらは世界を変えてきた。その根源には「情報伝達の革新」がある。今、ここにきて、インターネットと携帯電話が、また新たに世界を変えつつある。みんな、何をしたかといえば、時間と空間を縮めることである。

 携帯電話は、衝撃的な技術製品ではあったが、おそらく、最初に固定電話が登場したときのような劇的インパクトではない。比較できるなら、ウォークマンの登場といったところだろう。
 スマートフォンも、使い勝手の良さが一気に高まったのかもしれないが、いかに便利でも、せいぜい、持ち歩ける電話付きパソコンである。

 携帯電話が、その真価を発揮できるのは、やがて実用化されるはずの、音声同時通訳機能だと思っている。インターネット電話のほうが先かもしれない。しかし、いずれ、携帯電話で簡単に同時通訳ができるようになれば、いつでも、どこでも、イヤホンマイクをつけて対面でそのまま話すことができる。
 どこかの馬鹿な企業のように、社内で日本語禁止だとか、会議は英語だとか言わなくてもすむのだ。

 そのとき初めて、携帯電話はほんとうのブレイクスルーをもたらすだろう。文化を変えることになる。
 で、それで、である。
 ガラパゴスであったかどうかは、そのとき、まさに、ためされるだろう。
 自分たちでも使いにくいようなものなら、世界の人々が受け入れるわけはないよね。
   
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2012年03月14日

すすんで「ユダヤ人狩り」をしたがる人たち

旧暦二月二十二日 甲戌(きのえいぬ)

 昨日ニュースを聞いて、あ、今頃卒業式だったのか、最近は遅いんだな、と思っていたら、十日前の出来事だった。
 なんとも信じられない話。
 卒業式で、校長にとっては、教え子たちの卒業を祝福するより、君が代を歌わない教師を探し出すことのほうが大切だったらしい。

 ウェブのニュースはすぐに見られなくなる場合が多いので、少し長いけれど引用。

<君が代斉唱>歌っているか口の動きチェック…大阪の府立高
毎日新聞 3月13日(火)11時30分配信 (「YAHOOニュース」から「毎日jp」)

 大阪府立和泉高校(岸和田市)で2日に実施された卒業式の君が代斉唱の際、学校側が教職員の起立だけでなく、実際に歌っているかどうかを口の動きでチェックしていたことが分かった。式典終了後の事実確認で、1人が起立しただけで歌わなかったと認めたため、府教委が処分を検討している。同校の中原徹校長は橋下徹・大阪市長の友人で弁護士。同市長が府知事時代の10年4月に民間人校長として採用された。
 府教委などによると、式には教職員約60人が出席。府教委が事前に全校長に出した「起立斉唱を目視で確認」との指示を受け、教頭らが起立状況に加えて、口の動きをチェックした。全員が起立していたが、このうち3人について口が動いていないと判断し、1人が歌わなかったことを認めたという。
 府教委は1月、府立学校の全教職員に起立斉唱を求める職務命令を出し、2月にあった卒業式で起立しなかったとして今月9日、17人を戒告(懲戒処分)とした。
 中原校長は13日更新した自身のブログで、府教委から「明らかに歌っていない教職員をチェックしてくれればよいとの指示を得た」とし「府教育委員会からの職務命令・指示を順守した」と主張。歌わなかったことを認めた教職員は「次回からはちゃんと歌う」と謝罪したとしている。
 橋下大阪市長は13日、記者団に「起立斉唱の職務命令が出ているのだから、口元を見るのは当たり前で素晴らしいマネジメント」と述べた。【田中博子、茶谷亮】

 卒業式が2日だったというから、この話を最初に流したメディアは、直後から知っていたものの、震災からの一周忌を前に、連日追悼特集が続く中で、埋もれてしまうのを避けたのかもしれない。
 それにしても、一年前のあの東北での悲劇を振り返って、日本中があらためて心痛めていた中で、よくまあ、こんなにマメに、陰湿なことを思いついたものだ。

 さらにニュースになったのが、これ。

祝辞そっちのけ、不起立教員批判…維新府議 卒業式で

 大阪府守口市の府立高で8日に行われた卒業式で、来賓として出席した大阪維新の会の府議が、国歌斉唱で起立しない教職員を見て、「ルールを守れない教員がいることをおわびします」などと発言、保護者らが「お祝いの言葉もなく、式が乱された」と抗議していたことが分かった。府議は「卒業生の皆さんを一番傷つけてしまった」とブログで謝罪した。
 高校などによると、来賓として紹介された際に発言した。終了後、学校や府議に保護者らから抗議があったという。府議は「このような教育のもとで3年間生徒を過ごさせたことに対し、本当に申し訳ないという思いから述べた。おめでとうと言える心境でなかった」と話している。
(2012年3月13日 読売新聞)

 なんともねえ。
 卒業式という晴れの場で、校長や議員たちは、心から若者の旅立ちを祝うつもりなんかまったくない。獲物を狙う毒ヘビのような眼で教師たちの口元をなめ回し、その中で誰が反抗心を秘めているのかを探し出すほうが大切だったのだろう。
 ネチネチとまとわりつくような、ただひたすら、自らに逆らう者がいないかを確かめる視線には、彼らの歪んだ精神が漂うのを感じる。どうあっても人を貶めようとする、何か、おぞましい、人間の心の闇のようなものさえ感じる。

 ふと、何かに似ている、と浮かんだのは、よくある「ストーカー事件」の報道にふれたときの感覚。
 そしてまた思うのは、この人たちは、「君が代」を尊重しなければとか、「ルール」を守る大切さをとか、もっともらしいことを言っているけれど、じつはそういうことはこじつけで、気持ちの本質は、何か理由をつけて、「気に入らないやつら」を探し出して、たたきたいだけなのではないか、ということである。
 少年たちが、ホームレスを襲撃する心理にも似ているのではないか。
 じつに、嫌な時代になってきた。

 議員さんのほうは、このニュースでは氏名が出ていないけれど、他のニュースをみると、その高校の卒業生でもある西田薫さんというかたらしい。この読売報道では「ブログで謝罪した」とあるけれど、とてもそんなふうには読みとれませんでしたね。
 http://ameblo.jp/go2183west/entry7-11186641321.html

 校長の中原徹さんのほうは、採用になったとき、ここにもあるように、橋下さんの友人だとして「縁故採用か」と話題になった、あのかたなのでしょう。
 こういった感覚の人が、弁護士だというのがやりきれない。
 この人も、ブログで、当日のの出来事を語っている。
 http://ameblo.jp/nakahara-toru/day-20120313.html
 当然、間違っていたなどとは言っていない。話の持っていきかたは、橋下さんと似たすり替えがあって、うまい。
 正当性を主張する論理は、法廷闘争で有罪を無罪と主張して判決を得るための、すごい高等技術なのだろう。

 なんだか、しみじみと考えてしまう。
 それで、あなたがたは、誰に媚びようとしているのか。
 みずからの行為で、何を誇ることができるのか。
   
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2012年02月22日

光市の母子殺人事件から

旧暦二月一日 癸丑(みずのとうし)

 光市の母子殺害事件で、上告が棄却され、死刑が確定した。
 判決には、その経緯があるので、その部分においては、これが正しいとか間違っているとか軽々とはいえないけれど、結論は妥当ではないか。

 人を意図的に殺したならば、死をもって償わなければならない。
 これは、原理原則だと思う。ここでも何度か言ってきた。

 未成年、というのも、基準は難しい。
 幼い子どもが、わけもわからず銃や刃物のような殺傷能力のある道具にふれて、過って人を殺すことになった、というようなことは、意識以前の出来事になる。だけど、思春期を迎え、未熟で不安定とはいえ、善悪の区別はついていなければならない年代であれば、責任の有無をいうのはおかしいだろう。

 18歳と1カ月。犯行時としては最年少の死刑囚となるようだ。
 しかし、この年齢で、少年だからと死刑を回避するのはおかしい。比較はしにくいかもしれないけれど、かつて元服は15歳くらいだった。現代においては青少年が未熟だ、というのなら、社会のありかたのほうを考えるべきだろう。
 
 ならば、年齢がどんどん下がっていけば、ということにもなるかもしれないけれど、先にふれたように、幼い子どもが能動的に人を殺すことはない。要は、「殺意」があったかなかったかの一点である。

 被告が更生のきざしをみせているとか、真摯な反省がうかがえないとか、そういった判断も分かれているようだけれど、こういった要素は、犯した罪そのものを問う判決とは、別の問題なのではないか。
 被告の側も、原告の側も、裁判が社会性を帯びると、どこか感情に訴えてきたような観がある。
 死には死をもって報いよ! という責め苦ではない。
 死には死をもって償う。それしか責任の取り方がないのである。

 ただし、更生の道なんか閉ざしてしまえ、と言っているのではない。
 情状酌量はあってしかるべきである。
 しかし、判決に「情状酌量」などという、「どうとでも判断できる要素」を入れるからややこしくなる。
 行為に対する判決は「死刑」なのだ。
 情状酌量、のような、寛容が入りこむのは、そのあとでなければならない。
 行為に対する判定に、なんで最初から感情的判断が入りこむのか。社会関係における判定で、あるいはスポーツにおける反則へのペナルティで、情状酌量のような、人によって判断の分かれるような決定は本来あってはならない。混乱を招く結果にしかならない。

 今回、<「死亡した被害者が2人」の「少年事件」で、初の死刑が確定する意味は大きい>という論調で新聞記事は書かれていた。( 京都新聞2/21朝刊=おそらく共同通信の配信による )
 くだらない理論である。殺した相手の人間が何人だから死刑になる、ならない、などと、誰が決められるのか。殺された人は生き返らないのだ。1人だけなら死刑にはしない、などと誰が言えるのか。何人殺せば死刑、などという陳腐な基準を「暗黙の了解」としてきた「法曹」という世界の規範は、いかにも適当なものに感じられる。

 人を殺したら死刑。これは、シンプルな原則でなければならない。
 そして、その判決によって、その刑罰の執行をただちに行なうかどうかは、別の問題である。死刑判決が下されても、本人が、まさに「真摯に反省」し、「更生しうる」きざしががあれば、あらたな道が開かれてもいいと思う。
 そういう可能性をつくっていないのが現在の法律だが、死刑回避があり得るとすれば、本来はそのほうが順序ではないか。
 死刑判決と、死刑執行とを切り離して考えるしくみをつくればいいのだ。

 とかく極刑になるような犯罪についてばかり「更生の可能性」がとりざたされるが、じつは、もっと「軽い」(といっていいのかどうかは別として)犯罪で収監され、刑を受けた犯罪者の更生のほうが、はるかに問題ではないのか。
 人一人の命は重い、という理念のもとに、死刑廃止論者はみずからを美化しているようにみえるし、殺された人の多数としか、一人の犯罪者の命は引き換えられない、という主張など、おおいなる矛盾としか考えられない。もっと、更生しうる可能性の高い多くの「犯罪者」を社会復帰させることにこそ、労力を注ぐべきではないのかという気がする。「殺してしまう」という犯罪は、被害者に対する謝罪も償いも、永遠に不可能なのだ。

 その意味では、殺人を「合法的に」認めているかのような、戦争における殺人も無視することはできない。
 ここでは、「命令によって人を殺した」場合の責任が問われる。やむを得なかった、というのは嘘だ。殺人への参加そのものを拒否する意志がまず問われる。そして、それが可能であったかどうかが問われる。
 もし、命令のもとで殺人を犯す、という「戦場の論理」が、日常社会と同等におかれれば、殺人の示唆と実行の関係になるのか、共謀になるのか、そのあたりは不勉強で、現行の法律でどう規定しているのかよくわからないが、いずれにしても、兵士は「殺人犯」として罪を問われることになるだろう。そうなれば、その戦争行為への参加自体を、まず、みずからの意志で決めなければならない。日常社会で、「言われるままに人を殺しました」という言い訳では、絶対に無罪にはならない。
 死刑廃止論、というのは、もともと欧米の「ヒューマニズム」からの発想である。その裏には、身勝手な優生思想と、戦争殺人正当化の論理があるような気がしてならない。

 光市の事件は、弁護士資格を疑ってしまうような橋下某さんが、弁護団に、くだらない横やりを入れて物議をかもし、よけいにややこしくなった裁判だったが、こういった、人の命のやりとりをする裁判が「話題」になるたびに、ふらふらと政治家のようになっている、それも世間知らずで保身に汲々としている上級の裁判官たちを想像して、うんざりとしてしまうのである。
   
 
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2011年12月07日

クルマ天国は必要か

旧暦十一月十三日 丙申(ひのえさる)大雪

 今日は、二十四節気で 「大雪(たいせつ)」。
 「もう山の峰は積雪に覆われているので、大雪という。平地も北風が吹きすさんで、いよいよ冬将軍の到来が感じられる。この時節、時として日本海側では大雪になることもある。ぶりやはたはたの漁が盛んになる。熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色づく。」(『現代こよみ読み解き事典』柏書房)とある。
 うーん、1993年初版、わずか二十年ほどですが、、今年はことさら、これを読むと温暖化を感じますねえ。

 今年の、あたたかい冬。「熊が冬眠に入り」 というのは、どうだろうか。
 去年のデータがわからないけれど、一昨年は、三千頭に及ぼうという熊さんが 「殺処分」 された。
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/181541149.html
 今年はあたたかいので、山の恵みでしのいでいるだろうか。
 里に降りてくるなよ!

 熊さんにとっては山稜を分断して走る高速道路は迷惑でしょうね。自動車優先。
 このところ、ずっとTPPの問題にふれようと思ってきていながら、ちょっと予定変更。
 自動車税、のこと。
 これは、TPPに参加しようとする思想と通底するのではないか、そんな気がしたもので。

 11月28日、経団連の米倉弘昌会長は総務省政務三役と懇談会を開いて、自動車税の廃止を要望した、とニュースで流れた。
 都内の経団連会館で、というから、懇談会という名目で総務省が呼びつけられたかたちかな、と素人としては思ってしまいますが…。ふつう、出向いて行っての陳情でしょう。どっちが主役かがわかる。市民運動も、こういうかたちでやればいいのに。無理かな。(笑)

 「自動車税」 は、クルマを取得するときや保有、走行していることに対して課税される税金で、幅広くにはいろいろあるけれど、そのうち、「自動車取得税」、「自動車重量税」 のふたつを廃止せよ、と米倉さんは要請した。
 要は、クルマを安く買えて維持費が減るようにしろ、ということですね。

 TPPという協定を結んで、ほかの分野はどう犠牲になろうと、海外にもっとクルマを売りやすくして、さらに国内でもクルマの売れ行きがよくなるように、消費税は上げてもクルマの税金は減らせよ、という話である。
 米倉さんというのは住友化学の会長ですね。クルマの増産で、そんなに儲かるのだろうか。タイヤとかバンパーとかシートとか、自動車関連の製品はたしかに多いですけれどね。ちょっと、売上げに占める割合までは調べていなくてすみません。

 TPPにおいても、輸出振興に励まなければ、日本の空洞化が進むとか、競争力で負ける、などと言って、要は自動車産業が日本の大黒柱だから、これを守らなければ日本がつぶれる、みたいな危機感をあおっている。はたしてそうか。

 自動車産業は、今のような重厚長大産業としての寡占産業としては衰退するだろう。電気自動車が主流となれば、構造は簡単で、パーツも少なくてすむようになり、極端に言えば、誰でもつくれるようになる。かつてのバックヤードビルダーのクルマではないけれど、まさに 「物置で簡単にエコカーがつくれる」 時代がやってくる。既得権を守る規制さえつくられなければ、ですけれどね。
 エコカー手作りキット、なんていうのを、どこかのNPOあたりが、温暖化防止カンパ付き、なんていって売り出してもおかしくないのだ。
 今、トヨタやニッサンが、「ぶつからないクルマ」 とか、「安全な交通システム」 なんかについて必死で研究しているのは、バックヤードでは簡単にできない技術や装置をつくって、寡占状態を維持しようとしているだけである。

 ほんとうに、「運転者や歩行者の安全」 を最優先で考えているなら、今までクルマなんか売ってこなかっただろう。
 毎年1万人が交通事故で死んでいることを、みんなあたりまえのことのように受け入れている。
 原発事故の時、この数字を引き合いに出して、それに較べれば原発のリスクなんて、といった意味のことを言い放った科学者だったか研究者だったかがいたけれど、なさけなくも、一瞬言葉につまってしまうほどの犠牲の大きさであることには間違いない。

 そしてまた、自動車産業が雇用のかなめ、みたいなことを言う人がいるが、はたして、そんなに貢献しているものだろうか。
 かつて、ルポライター鎌田慧さんは 『自動車絶望工場』 を書いた。そのころから、いくばくかの労働環境が「カイゼン」されたのかもしれないが、根っこにある思想は変わっていないようにみえる。
 以前「季節労働者」といわれた人たちが「派遣労働者」と名前を変えただけである。「日本の雇用を守る」 ためのTPP、などというけれど、雇用を破壊してきた最先鋒は、自動車産業である。原点はアメリカに学んでいる。簡単解雇、即応雇用、である。

 民主党は、米倉さんの要望を、前向きに検討する、みたいなことを言っていた。
 消費税を上げようか、とまでいう財政事情の中で、高速道路の無料化、なんていう、とぼけた公約をしてきた感覚は変わっていない。
 高齢化社会の中で、まさに高速道路こそ受益者負担の必要な施設である。
 鉄道はどんどん廃線になり、フェリーも廃業し、ローカルバスの路線が消えて、公共交通という概念さえ失われようとしている。ふだん、黒塗りの公用車や社用車でのうのうと送り迎えされている連中には、「限界集落」 で、「日本の国土」 を守っているお年寄りたちの苦労は、わかるわけもないだろう。その脳ミソが、被災地支援の、あのていたらくにつながっている。

 自動車産業は、アメリカで、発展過程をたどる中で、鉄道と激しく争い、鉄道を駆逐するためのあらゆる手段を尽くしてきたという。
 自家用車の所有は、かつて富の象徴でもあり、欲望の最大の対象であった。
 玄関から目的地まで、暑さも寒さも気にせず、雨にも濡れずに横付けできるこの道具は、じつに便利である。法律も、その便利な道具を後押しするようにつくられた。さすがに、その運用のひどさに怒る人が増えてきたことで、ようやく、自動車危険運転致死傷罪ができたが、それまでは、どんなに悪質な「自動車殺人」を犯しても、業務上過失致死に問われることさえなかった。
 人を殺したことのある人間が、これほどおおぜい、世の中で心の痛みも感じないで暮らしていられるのは、戦争をやっていた時以来ではないのだろうか。

 クルマには、自分自身でもおおいに恩恵を受けている。自ら運転しないでも、人に乗せてもらうし、利用価値は充分にわかっている。
 しかし、もう、そろそろ、人の移動方法を、あらためて考えてもいい時期にきているとともに、自動車産業が永遠に基幹産業であるなどという幻想も捨て去ったほうがいいのではないか。
 それに、雇用を守るなどというまやかしは通じない。「グローバル」 企業は 「国家」 も 「国民」 も必要としていない。そこに求めているのはまさに、村上春樹さんが言ったように「効率」の良さだけである。いかに最大限の利益が上げられるのか、ということ。別に、日本にすべてを置く必要などないのである。
 大阪に本社があった企業も、大半が東京に本社機能を移したように、その経営に最適な場所を求めていくのは企業の本能である。
 米倉さんの要望は、ただの、「自分たちだけの目先の利益」 である。日本の経済人がここまで落ちたのは情けない。
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2011年11月03日

新聞広告も、まだまだ元気だ。

旧暦十月八日 壬戌(みずのえいぬ)

 この前の日曜日、朝刊をひらいて、久しぶりに記事下の広告に目が行った。
 新聞を読もうとするときには、まずひっくり返して、一番後ろのページからめくっていく習慣なのだけれど、その日でいうと最終が28面、ページものだと表4ですね、ここはテレビ番組表だけだから、夜の番組あたりに何か観るものがないかな、と一瞥したら、すぐに次へめくって三面記事から流していくところが、ふと記事下の全五段広告に気を惹かれた。

    京都からわずか30分で着く、
    インテリアのテーマパーク

 インテリアショップの宣伝ですね。
 空間を活かして、ハイライトで背景をとばした感じの切り抜きだろうか、これはシェルチェアというタイプの椅子でしょうね、朱赤のデザインチェアと、この、ヘッドライン二行の文字の色とをそろえて、視覚効果を高めている。
 新聞もカラーになって、記事面では、ただ無駄に無理やり色をつけてるだけのような紙面が多いけれど、こういうところは面白くなりましたね。
 四色刷だから、広告枠の下に、店内のカラー写真が添えてあったけれど、アイキャッチ部分のこういう、上手い色と空間の配置をみると、二色で充分たたかえる、という気がする。今では、カラー分解や印刷のコストが下がったので、往々にして、二色にするくらいなら四色でいこうよ、という話になるが、かつては特色二色の表現なんか、抜群にうまいデザイナーさんがいたものだった。
 きっと、この広告を組んだデザイナーさんも、そういうセンスを持ったかたでしょうね。

 ひとつだけ、ちょっとだけ気になったのが、二行のヘッドラインの構成。
 このコピーの、いちばんのキモは「インテリアのテーマパーク」。こちらも、まず、この言葉に目が行った。
 なので、できれば、キモのフレーズが目立つほうがいい。
 だけど、補足説明側の一行の方がわずかに長い。
 実際の組みでの(ツメたりしてあるものの)長さとはみだしかたは、ほぼ上の二行と同じような割合です。

 二行、同級の文字サイズで組んであって、この場合、「京都からわずか30分で着く」という一行を、明確にサブ扱いして、ポイントを下げて書体を変えたり、ということも考えられるけれど、この紙面で見る限り、そういう小細工は野暮ったくなる。今のバランスがいいのである。

    京都から30分で着く
    インテリアのテーマパーク

とすると、ちょっと短いかな。これも同じことですね。

    京都からわずか30分、
    インテリアのテーマパーク

 まあ、片一方の一行が短くなったら、行間の微調整なんかも必要だろうけれど、せっかくのコンセプトである「インテリアのテーマパーク」を優位に立たせたほうがいいように思う。
 上下逆にしても、そう感じる。

    インテリアのテーマパーク
    京都からわずか30分。

 「わずか30分で着く」というのは、おそらく、クルマで高速利用、ということだろうと思うけれど、たった30分でそこまで「到着できる」と強調したかったので「着く」と入れたかったのでしょうね。よくわかる。(笑)

 今やインターネットの時代、この広告でも、当然、URLも掲載され、ネット検索への誘導もされているが、そのあたりもきちんとフォローできていた。
 検索枠に店名を入れ、その横に「検索」ボタンとポイントマークを表示して、こうしてクリックしてね、という表現はよくあるのだけれど、ここでは、単に「webもチェック」と入れるだけでなく、

    \季節のキャンペーンもWEBでチェック/

と、ワンフレーズ添えてあった。
 このワンフレーズが、なんでもないようでいて、コミュニケーションツールの機能を果たすのだ。背中をひと押しする、コピーの存在意義である。
 新聞広告という、時事性を感じさせる媒体の特性が、空気として活きてきますね。

 そんなことを考えながら、いつになく「表4」をゆっくり眺めて一枚めくったら、今度は右側26面の記事下の、今度は半五段だけれど、また目についた。

    本日別腹、
    特B級解禁。

 写植でいえばゴナ平1? といった感じのぶっとい文字、それも枠の両側に、それぞれの一行が半五段スペースの五分の一ずつくらいを埋めつくす感じで、タテに一行ずつ、どーん、とおいてあり、「〜解禁。」の「。」は半分枠からはみ出すかたちで、また「別」の文字だけはひとまわり大きくした上でスミベタの丸囲みに白抜きとし、さらに傾けてある。
 これも、さりげないところに、ちゃんと芸をみせている。

 今ちょうど開催されている、京都での「国民文化祭」のイベント告知ですね。
 「京都特B級ご当地グルメフェスティバル」だそうだ。

 こちらの広告では、半五段の限られたスペースを文字で埋め尽くしているのが、ジャンクフードっぽい、ごちゃごちゃ感、を盛り上げている。
 出店メニューがたくさん並べてあって、その上に「どうぞご自由にお迷いください」とさりげなく目立つフレーズも、よかった。こういうのは大好きだな。(笑)

 ぱっ、と目にとまって、ちゃんとターゲットの心理をついている。
 広告の基本は、相手の立場に立ってみること、という、なんでもないふつうのセンスを久々に見たね、という、あれは、珍しい日曜日、でした。
 新聞広告も、まだまだ元気だ!
   
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2011年10月28日

「快眠コンソーシアム」の市民講座

旧暦十月二日 丙辰(ひのえたつ)

 十日あまり前だったか、「快眠コンソーシアム」という団体が市民講座を開催、テーマは「日本人の生活の中の睡眠 −『源氏物語』の眠りから現代人の眠りまで−」というので袖を引かれた。会場も近くのホテル。
 コンソーシアム、という言葉もかなり広まってきたのだろう、昔だったら「快眠推進協会」とか、「快眠環境振興会」なんて名前をつけていたところかもしれませんね。

 コンソーシアム、という言葉自体は、ずいぶん昔になるが、日本総研の取材で若手スタッフから聞いて初めて知った。まだ走りの頃。お恥ずかしながら、青二才としては、そんなしゃれた言葉は初耳で、「すみません、コンソーシアムっていうのは…?」と訊ねたものだった。
 未だちゃんとした定義はよくわからないが、なんとなく、共同体とか共同作業をする集団組織、みたいにとらえている。響きがいい言葉ですよね。
 やっているみなさんも、おそらく適当な解釈でしょう。(笑)
 だいたい、広告業界でも、コンセプト、とか、ハウスオーガン、だとか、フライヤー、だとか、タグライン、だとか、次々と専門用語を新しくして「クライアント」を煙に巻くことばかり考えてきたけれど、産業界も同じで、要はアメリカのお尻を追いかけているだけである。
 常に「新しいことしてますよ」という姿勢をみせておくために、てっとりばやい方法なのだろう。みんな、よーく見ると、中身は古いまま。というか、ヒトのやること、そんなに変わるものではないし、別に新しがる必要もないと思うのだけれど。

 それはさておき、せっかく、おおいに関心をもった「『源氏物語』の眠り」についての話を聴けなかった。用事ができて、会場に入ったのが、ちょうどその講演とパネルディスカッションの終わったところでした。(溜息)
 でもまあ、「はんそく」通信としましては(笑)、そのあとの「企業プレゼンテーション」にはまた別に興味があったので、それはそれで参考になりました。
 参加企業のプレゼンテーションは、
    株式会社イワタ「寝床内の温・湿度と快眠」
    エスエス製薬株式会社「一時的な不眠と睡眠改善薬」
    グンゼ株式会社「パジャマと快眠」
    太陽化学株式会社「緑茶成分と快眠」
    パラマウントベッド株式会社「快眠を得るためのベッドの選び方」
    ロフテー株式会社「睡眠時の枕の役割」
    ハイアットリージェンシー京都「心身一如パッケージ」
というラインナップ。

 200人ほどの会場でパソコンからプロジェクターに映し出して、パワーポイントでしょうね、スライドショーに合わせて、各社の担当者が解説をしていくのだけれど、こうやって、次々と10分ほどの持ち時間でアピールするのを聴かせてもらうと、つくづく、「しゃべり」というのは、個人の技能によるところが大きいと感じる。
 1社だけ女性で期待したけれど、いちばん堅くて棒読みで、わかりにくくてつまらなかった。緊張していたのだろうな。
 慣れている人は、すぐわかる。余裕があるのですね。おそらく、その企業が、そういうアピールというか、啓蒙活動というか、そういうことを常にやっているのでしょう。

 もっとも、全体に、スライドは「見づらかった」。
 おそらく、実際の会場で、事前に投影して、後ろの席からどんなふうに見えるか、なんていう検証はしていないだろうし、このために新たにつくったものではなくて、ふだん、会議室かなんかの近い距離で見せる映像としてつくったか、あるいはペーパーの資料をそのまま画像に落とし込んだか、というところでしょう。
 ぜんぜん見えないデータなんかは、画面に入れないほうが、むしろいい。
 こういう「プレゼンテーション」は、まあ、どこでもよくある。

 商品の良さを説得するために、苦労して、いろいろと研究し、データを積み重ねてきているものの、わかりやすく見せられないと、そこでは、すべてが意味を失うのと同じだからもったいない。
 それは、会場の後ろの壁に沿ってしつらえられた、各社の簡単な展示スペースでも同じことだった。
 商品や構造見本のようなものを置いて、背後に説明パネルを設置して見せる、という、よくあるパターンだが、こんな小さい文字、そばに寄ってみないと読めないだろう、というものが何社もあった。
 展示会なんかでもそうだけれど、人が多いときなど、前に立ったままで詳細な内容を読む、なんていうのは、疲れるし、人の流れが滞るし、好ましいことではない。
 パッ、と見てアピールできるように、商品の「キモ」だけみせて、あとの詳しい説明は、手元でゆっくり読めるように、コピーした資料を置いておけばいいのである。

 プレゼンテーションの一番最後には、会場となったホテルが、快眠できる宿泊? 的なプランを紹介したが、「ブレックファストには、これこれこのような食事をご用意いたしまして…」なんていう説明をしても、その一例をスライドで見せることもせずにいては、誰も、そりゃいいな、なんて思うわけがないだろう。

 単色A4四頁のプログラムには、本日のお題として、先にご紹介したように「日本人の生活の中の睡眠」とあり、副題に「−『源氏物語』の眠りから現代人の眠りまで−」と記されていたが、ここで、ちゃんと『源氏物語』をひとつの著作として、「 」(かぎかっこ)ではなく、『 』(二重かぎかっこ)で記しているところが、なんでもないことなのだけれど、一応ちゃんとしてるじゃん(笑)、と思わされて好ましかった。
 こういうセオリーは、意外と粗末にされていて、近頃の印刷所はただのプリント機械みたいになっているから、素人さんの発注を受けると、奥付のない書籍や雑誌を平気でつくる。まあ、そんなことは古いスタイルで、どうでもいいことだ、と言われればそれまでなのですけれど。(笑)

 こういった、表現上のあれこれを言っていても、重箱の隅と言われるかもしれません。
 各社のプレゼンテーションでは、同時に本日のご来場プレゼント、というのが行なわれて、6社10名ずつだから、来場者の3人に1人くらいの割合で、プログラムの記述で見ると3500円〜10000円くらいの商品が当たる、というものだった。
 これを、事前に公表していなかったのは、正解ですね。大盤振舞、というほどではないかもしれないが、なんで、こんなサービスをするのか、目的がよくわからない。
 かつて大修館書店が開いた講演会で、事前に同社の辞書だかを来場者全員に贈呈する、と告知していたことがあったが、テーマに興味があっても、お土産をちらつかせられると、なんとなく、それを目当てに行くと思われそうで、ちょっと迷ったものだった。案の定、その時の講師のお一人、中西進センセイは、「今日は私の講演を聴いていただくとおみやげがでるそうで」といったような嫌味をひとくさり言われて(目当てはほかの講師だったが)、聴講者としても気分が悪かったのを覚えている。

 住宅展示場のイベント集客のような場合なら、景品をエサに人を集めるのは効果的かもしれないが、こういった、知的関心を核としてのコミュニケーションイベントを持つときには、そのあたりの来場者の心理にも配慮する必要があるだろう。
 というより、基本的には、どういう人を呼びたいのか、である。
 つまりは、その人たちに何を期待するのか、基本はどこかで販促につながらないといけないわけだから、来てほしい人を呼ぶ、というのは、まず大事なことのはずである。

 企業の利益から、なにがしかを削って、どういうことをするのか。
 社会貢献活動、というならそれでいいけれど、企業が潰れてはできないし、一部の人たちにだけ貢献しても意味がない。それがあまねく、社会に広がり、役に立つものでなければ「貢献」と言えないだろう。
 かつて、日本たばこが民営化された前後だったか、「アフィニス・クラブ」という会員組織をつくり、煙草愛好家に、それこそ大盤振舞をした時期があった。加入は無料で、年に何回か面白い小冊子が定期的に届き、小型だが分厚い別冊やノベルティもたびたび送ってきた。かつての専売公社系の宿泊施設にも格安で泊まれた。きわめつけは、年に一回だったか、各地のホテルでパーティがあり、申し込みは先着順だったかもしれないが、参加は無料で、タレントさんがきて歌や講演、料理は食べ放題、煙草は吸い放題(笑・こちらはそのころ、すでに禁煙していましたが)、帰りには立派なカレンダーやちょっとしたグッズかなにか、お土産かついている、という贅沢なものだった。そうそう、コンパニオンがおおぜい来てサービスしていましたね。

 こんなことを言うと、みずからの仕事の一部に唾するように思われるかもしれないけれど、要は、役に立つコストをかけなさい、ということですね。
 バブルの頃、湯水のように経費を垂れ流した反省が、今日に至ってただのコストカットではなんの意味もなさない。
 さまざまな現場で、社員が一所懸命、汗水垂らして稼いだお金を、どんなふうに現在と未来のためにつかうのか、という、まさに「コンセプト」がしっかりしていなければ、ただのケチになるか、お坊っちゃま商売になるか、なんの将来像も描いていないわけである。
 政府も一緒ですね。

 というわけで、「快眠コンソーシアム」は、ずっと品もあり、みなさん努力されていて、なんとなく理想に向けて一緒にやっていけば事業の未来もより開けるかもしれない、という期待で集まっておいでであることはわかるのですが、コーディネイトが強力でないということもあるのでしょうね。どうも漠然としていて、こんなに愛想ふりまくだけでいいの? と思ってしまったのでした。

 聴講申し込みに問い合わせたときも、電話で名字を言うだけでOK。個人情報に気をつかっているのでしょうか。IT各社なんか、ウェブ上で申し込みや登録というときには、徹底的に、それこそ、個人情報を訊いてくる。それも一方通行。やっていて腹が立つくらいだ。
 コンソーシアムさんは、その点、おおらか。
 だけど、相手の情報を集めなくて、どうやって、活動の効果を分析するのだろう。次の案内も出せない。必要はないのかな、と、よけいなお世話ながら思ってしまう。

 こちらの勝手ではあるけれど、遅れて行って聴けなかった、肝心の講演の内容が、ひょっとしてもう、ホームページにアップされていて、そこでも読むことができる、なんてことはないかな、と思って、みてみたら、まだ、この市民講座の告知が載っていて、「参加受付は終了しました。」とあった。
   
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2011年09月13日

「大連立」より「大乱立」を。

旧暦八月十六日 辛未(かのとひつじ)

 民主党の代表選で、しばらく騒がしかったと思ったら、新内閣が発足した途端に重要閣僚が「失言」で辞任した。
 なんだか、慣れっこになってしまったような感覚で、もう、驚きもしない。
 新任まもなく「失言」や「暴言」で退任する人たちが多いのは、「念願の」大臣になれたことが嬉しくて、つい、はしゃいでしまうのでしょうね。
 本来なら、とくにこういう時期、大臣拝命といったら、まず重圧を感じるのがほんとうなのだろうけれど。

 民主党代表選の前、京都新聞の社会面では、
  政権党「最後の機会」
  「国民不在」興ざめ
と、いつになく大きな見出しが目を引いていた。
 月並みといえば月並みだが、社会の空気はあらわしていた。
 もう、誰も国政に期待していない。
 さんざん自民党の利権政治と官僚の腐敗を見せられてきて、さすがに業を煮やした国民が民主党に首をすげ替えたら、このていたらく。

 もともと自民党出身の小沢一郎さんや鳩山由起夫さんのつくった政党だからねえ、ともいえないのが、市民運動家、とされ、社民連から民主党を経て総理大臣になった菅直人さんが、結局は、人々を支える器でなかった、という大きな失望感をもたらしたことによる情けなさである。
 いざ、というときに何も力が発揮できなかった、ということは、結局、能力がなかったということで終わる。
 過去に評価された菅さんの実績は、すべて無に帰してしまった感があるが、このことのほうが、人々の社会観、政治観にとって、ダメージが大きいのではないか。

 もとテレビキャスターで、菅政権の発足後、すべての仕事を辞めて菅内閣の広報担当となった、下村健一さんという人が、インターネット上で、菅直人という人物が、外から見るイメージに反して、説明責任を嫌う政治家だったことを明かしている。

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20110831-03-0901.html

 「情報開示」を金看板に掲げていたはずの民主党である。「情報」は、ただ垂れ流せばいいというものではない。出所を明らかにし、比較対照できる情報・資料も提示し、時には、その情報の持つ意味を、主体的判断をもって解説する必要もある。
 ならば、個人的にそれを好むか好まざるかにかかわらず、人を頼ってでも、状況と情報を「説明」する責任は明らかにあるだろう。

 企業でいえばCSRにあたる。
 企業のトップが、現在進行形の企業行動を、「説明するより手を打つ方が先だ」というのはよくある話だが、企業の場合、仮に緊急事態だとして事後承認になっても、その「事後」において、きちんとした説明責任が果たされなければ、株主をはじめ、ステークホルダーから批判を受けるのは明らかだし、広報部門では、見るも無惨なニュースリリースしか発信できない。その結果、たちまちにして、今はやりの「ブランド価値」なんて崩壊してしまう。

 民主党の代表選では、二位・三位連合が手を組んで、二番目の選手を当選させた。
 別に、一位の海江田さんがよかったなどとも、さらさら思わないけれど、スポーツであれば、予選で一着になった選手が、次もタイムを上げていたら当然一着になるだろうけれど、二着の選手が、三着や予選落ちの選手と記録を合わせて優勝できる、というのが政治の世界の「面白さ」なのだろう。
 まあ、誰がなってもいいや、どうせよくはならんだろう、と、見ているのも面倒くさくなってくるのがなさけない。

 今、こういう人たちしか出てこない、という、社会のしくみそのものを変えなければならないときではないかという気がしてくる。

 「民主主義」などというけれど、国会議員の比率は、得票率とまったく見合っていない。上位チームがプラスとなるハンディをもらい、下位チームはマイナスとなるペナルティを課せられているようなものだ。
 まさに、弱者虐待である。
 「政治の安定のために」などというインチキなご都合主義をふりかざして、選挙制度を、多くの死票を産み出す小選挙区制につくりかえたが、その結果、不安定きわまりない政治状況が続いているというのは、皮肉なものだ。

 いわゆる先進国は、未だリーマンショックの尾を引いているが、金融崩壊を、表層雪崩ではなくて底雪崩にしたのが、レバレッジという手法だったことは、記憶に新しい。
 レバレッジ=てこの原理を応用して、少ない資本で大きな取引を行なうという、みせかけで経済を動かす「金融工学」は、まさに小選挙区制と同じだ。
 二番人気と三番人気が合同することで、一番人気より配当が多いというのもなかなか微妙な力学だけれど、少ない得票でも第一党でさえあればすべての決定権を持てる、というのもコワイ話である。
 レバレッジ政治というのも、そのままいけば、やはり、いずれ大崩壊するのではないだろうか。

 大連立、などと騒いでいるが、政策が共通して一致団結するようにはとてもみえない。それぞれの思惑ばかりで、被災地も原発も、どこかに行ってしまった。
 小選挙区で、ナンバーワン政党だけがくっきりと浮かび上がり、それが全権を握る、というのは、いかにも西洋合理主義。まさに、当事者にだけ「効率」のいい話として成立するのである。
 小選挙区制などやめて、政党は得票数にみあった議員を出せばいい。
 少数政党が乱立して何が悪いのか。
 みんなで知恵を出し合って、ひとつひとつのテーマに対して一致点を見出していけばいいのだ。プロセスにこそ知恵がある。その調整ができることが、人間の知性というものだろう。

 人は知性の生きものである。知性とは何か、相手を殺して食べ物を独占するのでなく、足りなければ分け合ってしのぎ、みんなが少しでもたくさん食べられるように、知恵と力を出し合うことである。

 おそらく、日本だけの問題ではないのだろう。
 世界は今、構造そのものが行き詰まっている。

 少し前、富士通研究所が、スマートフォンが音声認識した日本語の、英語への翻訳精度を、従来の1.5〜2倍に高めたというニュースが新聞に載っていた。
 これも実用にはまだまだだろうけれど、いずれ、いつか将来には、携帯電話で自動翻訳しながら、異なる言語どうしで話せるようになるだろう。
 世界がひとつになっていけば、言葉の差は乗り越えられても、風習やしきたり、そんな「文化」の違いが思わぬ障壁になることもある。それを根気よく調整して相互扶助をはかっていくための知恵は、いやでも民族文化の大乱立の中から産み出さなければならないのだ。

 日本のしがらみ社会のような架空ワールドでちまちまと政治をやっている時代は、本来、とっくに終わっているはずだった。
 だけど、おそらく、小選挙区制を主張した人たちがいちばん古くさいことをやっているのではないだろうか。

 松下政経塾、というのがおおはやりのようだ。何を教える塾なのかはよくわからないが、政界に出身者が目立ってきた。
 足が地についた政治がそこから生まれるのかどうなのか。
 「民主主義」が、「金融工学」の真似をして「政治工学」のような発想になってしまうとすれば、まさに大暴落を招くことになるだろう。
   
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2011年08月14日

戦中戦後の母娘二代記 『落涙成珠−ある華僑の詩』

旧暦七月十五日 辛丑(かのとうし)

 明日は、敗戦記念日。
 66年、が経つのですね。
 みずから体験したわけではないけれど、まだまだ祖父母や父母の世代は知っている。

 あとの世代にも伝えなければいけない、と思ってきた。
 さまざまな出来事が、四世代くらいまでは語り伝えであり、実感を持てる教訓であり得るのではないかと思う。それを越えると、昔は、ご先祖から伝わる「口伝」であったように、今では完全に「歴史」として学ぶ領域になるでしょうね。

 そんな、微妙な、時の記憶の境界線上で、さまざまなことを考えさせられる本づくりのお手伝いを、昨年来続けてきて、6月に刊行、7月に二刷となった。大きな部数ではないけれど、これは嬉しい。

 『落涙成珠』(林珠榮著/晃洋書房)、副題は「涙流して珠と成す−ある華僑の詩」。
 副題にあるように、在日華僑のかたの、母娘二代にわたる記録である。

 著者の林珠榮さんは、幼い頃から父親がいないことを不思議に思ってきたが、母親の林木宋さんは、それがなぜなのかという、子供の問いかけにはいつも答えなかった。
 娘は、成長するにつれ、母が言葉を濁して父の死の理由を伝えないのは、ひょっとして犯罪者だったのかもしれない、などとも思うようになり、やがて、そういうものなのだと深くは気にとめないことで自らを納得させていく。

 突然、その天地がひっくり返ったのは、ある日、テレビで放映されたドキュメンタリーが、父の死を報じていたからである。
 父親は、日本が、日中戦争、さらに太平洋戦争へと突き進む中、戦局の悪化で焦燥を強めた日本の官憲、当時の外事警察(いわゆる「特高」の一組織)によって、無実の罪、まさに冤罪で突如連行され、獄中で拷問の末、殺されていたのだった。

 みずからの人生が半世紀を過ぎてから、思わぬ真実を知った珠榮さんは、まさに茫然自失。しばらくの間、我を忘れた。
 やがて、少しの時間を経て、気持ちが落ち着くとともに、そのこと、すなわち母の歴史と、そして、それにつながる、その後のみずからの経験を、記録に残しておかなければいけない、と思うようになった。
 そうして、まとめられたのが、本書である。

 きっかけとなったテレビ番組というのは、NHKが放映した『夫たちが連れていかれた〜神戸、華僑たちと日中戦争〜』。
 「初めて戦争を知った '93若者たちの旅」という、敗戦の日を前にしたシリーズの、第3回のテーマとしてだった。1993年、すでに18年前のことである。

 母、林木宋さんを、何度も根気強く説得して、番組に出演して話すことを承諾させたのは、当時、神戸華僑総会の会長でもあり、のちには名誉会長として、あらゆる面で神戸華僑のまとめ役、そして日中の橋渡しの中心人物であった、林同春さんである。
 林同春さんは、おととし2009年に亡くなった。本をまとめる作業が実質的にスタートしたのは2010年である。この一年は、大きなタイムラグだった。

 NHKがどうやって、この、埋もれていた事件を知り、番組として取り上げることとなったのか、おそらく、一番よく知る人がすでに他界。要となる人物に事情を聴くことはできない。
 で、当時番組制作をした、NHKの神戸放送局に問い合わせた。広報課だったか、電話口には、おきまりのように若い女性が出て、こちらは何を目的で電話をしたかを説明し、古い、この番組名と、その最後のテロップに流れていた制作関係者の主要なかたのお名前を伝えて、お話しを訊きたい旨、お願いした。
 そのままNHKからは一度も返信がなく、こちらから二、三度電話をしたが、まだわからない、との返事が続き、二ヶ月あまり経っていただろうか、 何度目かの電話で、今度は上司にあたるという女性が出て、もう関係者は退職していて連絡先はわからないし、わかったとしても、個人情報なので教えることはできません、という返事だった。
 正直、腹が立ちました。(笑)
 そんな回答、三日でできるだろう。

 まあ、うすうす、そんなものだろう、とも思っていた。
 電話で、内容と、なぜ必要なのかという経緯を説明しても、戦争、というキーワード自体に対して 「何? それ」 といった反応である。
 NHKの広報といっても、要は、そのあたりでファッションにでもうつつをぬかしている、ただのお姉さんなのだから、しかたないのだろうけれど、こちらにとって、ジャーナリズムの世界にいる相手と話している、という空気はまるで感じられなかった。

 少し話がそれるが、以前、PR誌で大河ドラマの写真を借りようとして、東京のNHKの広報に依頼したことがある。電話で説明してお願いし、たしかファクスかメールで申請書をちゃんと出したが、確認がなかなか来ない。催促すると、担当の若い女性が忘れてしまっていた。
 だいたいの感覚はわかる。ふつう、メジャーな名の知れた媒体ではないから、相手が誰であろうと、別段、適当な対応でいいのである。東京も神戸も、根っこは同じである。

 今回の話にしても、聞いたこともない京都の編集事務所(仕事によって、広告事務所や企画事務所、取材事務所、出版社、いろいろ使い分けますが(笑))からの問い合わせなんて、どうでもよかったのだろうし、あの戦争に対しても、自分たちの先輩が制作した番組についても、まるで興味もないし、さらに、ひょっとしたら、そこにネタがひそんでいる可能性があるかもしれない、なんていう現場感覚など皆無だろう。

 ドキュメンタリーなんかでは、NHKは、いい番組もつくっているけれど、それは、ごく一部の人なのでしょうね。あるいは外注なのか。それでも、まだ、そういう部分が生きていることには希望がある。
 一応、完成した本は、神戸放送局の広報御担当様に、届けに行きました。土曜日で、みなさんお休みの日ですけれど。(笑)
 名刺も添えておきましたが、もちろん、受け取りの電話も問い合わせも、当然、礼状も来ません。

 横道にそれてしまったけれど、林同春さんという、歴史を背負った人物が存命であれば、この出版にかかわることに限らず、聴きたかったことがたくさんあったと、つくづく思う。

 ご本人も、父親のあとを追って日本に渡った福建出身の華僑であり、戦時中、まだ少年の頃に、在日中国人の移動制限区域をうっかり越えて、警察の取り調べで拷問を受けている。
 当時、日本に渡った華僑の人たちは、ふだんの暮らしで接するご近所どうしではみんな親切だったと口をそろえて言う。もちろん、それだけではなく、口に出せない苦労は多かったに違いないし、嫌な思いをさせる人間もいなくはなかったはずなのだけれど、驚くほど「親日的」なのである。

 林木宋さんの夫、陳守海さんが連行されたころ、神戸で呉服の行商をしていた仲間は二十人ほどいたが、そのうち十二人が捕まった。本来は逃げる理由などないのだけれど、危険を感じて東京まで逃げ、戦後、神戸に戻った人もいる。
 捕らえられた十二人のうち、五人は獄中で、一人は敗戦直前に瀕死の状態で出獄し、ほどなく落命している。

 当のNHKのドキュメンタリーが放映されたとき、この事件で獄中にあった人物が、ただ一人、生存していた。
 直接、事実を経験として語れる、その、たった一人の「生き残り」游振文さんを、番組は香港へと訪ねていたのだが、この人がいなかったら、おそらく番組は成り立たなかったかもしれない。すると、この本の出版も無かった。

 まだ二十代から三十代の青年だった人たちが、わけもなく突如獄中に入れられ、過酷な拷問の末、その多くが命を落とした無念さは、想像して余りある。
 それでも、この游振文さんも、林木宋さんと同様に、やはり、娘たちにその事実を話していなかった。
 二人とも理由は同じだった。
 話せば、子どもたちが日本を嫌いになるから。

 そのとき、游さんの次女は日系の会社に勤めていたが、初めて聞いたこの話は、衝撃的に見えた。もしも、小さいときに知っていたら、日本を好きになってはいなかっただろう、という、それは、あたりまえの自然な感想に聞こえた。

 母、林木宋さんは、もうすぐ満で九十五歳。なんと纏足を経験した世代である。
 三歳のときには嫁入り先にひきとられ、十七で結婚。そのときに纏足を中止することができたが、すでに縮められた足は、ほとんどそのままである。もともと、歩けなくすることが目的のひとつでもあるから、日常生活の上でいかに障害となったことか。

 夫を殺されたことで、想像を絶する苦労をしてきた。だけど、日本に対して、本人から愚痴ひとつ聞くことがないのは、庶民どうし、ご近所どうしはみな仲良くやってきたからである。
 夫を殺した警察官は、彼女にとって、ふだん一緒に手を取り合ってきた日本人とは別の人たちなのだ。国家と市民は別の存在なのである。
 尖閣問題などが話題になると、これ幸いとでもいうように、中華同文学校に石を投げにいったりする愚か者が必ずいるが、話を聴かせてやりたいものである。

 戦後、特高出身の官僚たちが、かなりの数、政治家にもなり、官公庁の要職に就いている。どこの国でも、大なり小なり、そういった欺瞞のもとに歴史が進んできたが、そんな、情けない歴史を繰り返すことは、もういいかげんに終わりにしたいものだと思う。

 うまく話すことなんかできないし、話をしても、世間の人が、本当のことだと思ってくれないかもしれない。そう心配して出演を拒む林木宋さんを説得するのに、林同春さんは、何度もこう繰り返したそうだ。
「二度と戦争を起こさんために」

 ぜひ多くの人に読んでほしい一冊である。
   
posted by Office KONDO at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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