旧暦閏五月二十二日 庚申(かのえさる)
インターネットという世界が出現して、便利になった。
以前なら、企画書を書こうとするときに、手許にないデータを探すとか、あるいは、コピーをつくるためのきっかけを求めて、よく書店か図書館に出かけていった。
今では、まず、ネット上で検索をしてみる、という作業が、最初になる。
データ類では、公的機関のものや、PDF資料などは、基本的に、書店で探す出版物と同じ程度の信頼性があると考えていいだろう。もちろん、100%と思いこんではいけない。
さまざまな「ちょっと知りたい」情報も、ネット上で、かなり得ることができる。
え? こんなことまで! と思うくらいマイナーな知識が得られるのは、ネットならではの恩恵でしょうね。むしろ、マニアックなことほど、詳しく掲出されていたり(笑)。
ただし、ネット上で、個人や団体が提供しているデータを、全面的に信頼すると、とんでもない落とし穴にはまることがある。
ひと目でわかるような誤字脱字なんて、日常茶飯事だし、みるからにアブナイな、と思える、テキトーなネタは山ほどみかける。
基本的には、個人や、愛好会のような団体の提供している、ホームページやブログなどで得られる情報は、必ず、ウラをとらなければコワイ。
前々回、七夕の記事でご紹介した、宮中では今でも冷泉家同様に儀式が継承されている、というウェブ上の記事の間違いなども、そうである。
ちょっと強烈な一例。すみません、話が長くなります(笑)。
今、京都では、いよいよ祇園祭が佳境。もうすぐ、クライマックスの「山鉾巡行」を迎えようとしている。
以前、ちいさなPR誌で、祇園祭をとりあげる際に、月並みな話ばかりでもなんだしな、と思って、「無言参り」を、小ネタとして入れることにした。
無言参りというのは、祇園の花街に伝わる風習で、舞妓さんが、大切な願い事をかなえてもらうために、祇園祭の神輿が御旅所に鎮座されている間に、八坂神社と御旅所の間を七度往復して、お参りをするというもの。
そのとき、ほかにも何か関連することで知らないことがあったら、と、インターネットであちこちみていたら、この「七度」( 八坂神社から始まって、最後に八坂神社に参って終わるので、厳密には七度半 )という、お参りの方法が、わけがわからなくなってしまった。
今でも、「無言参り」を検索してみていただくと一目瞭然だが、検索結果の上位に出てくるサイトが、すべてといっていいほど、毎日、七日間、続けて参る、というようなことを言っている。当時よりすごい。ウィキペディアまで、そうなっている。
これだけ、みんなが同じことを表記していると、つい、それが、ほんとうかな、と思ってしまう。
最初、ええっ? と思ったものの、こういった、風習、慣習に関することで、正確なことを記録したサイトというのは、なかなか望むべくもない。
で、その時、思い出したのが、ずいぶん前に買って置いていた、もと芸妓さんの、早崎春勇さんという人による『祇園よいばなし』(京都書院)という本だった。
あとがきから察すると、神内一郎さんという人が聞き書きをしているようだ。
ここに、「無言参り」という項目があった。
あたしら小さいころから、「無言参り」というのがありましたえ。だれにも人にはいえへん願いごとがありますと、それをどうぞかなえてくれはりますようにと、最初祇園さんにお参りして、その足でお旅所に参ります。これが一回。それを七回半繰り返えすのどす。お参りの途中でだれにお目にかかっても、声をかけたり、人さんから声かけられてしゃべってしまうと、あかんのどす。
四条の寺町にお旅所がありますやろ、祇園さんのお祭りに、おみこしさんが並んでおさまらはります。巡行の日から二十四日の還幸祭まで、あそこに居つづけしやはるのどす。その一週間ほどの間に、「無言参り」をするのどす。
こまかなシチュエーションが記されていて、雰囲気もよくわかる。
「無言参り」は、たいがい夜さり遅うから始めます。(中略)
舞妓さんは、お座敷が終わったあと、屋形へ帰って着物脱いで、浴衣に着替えて、それからよさり一時、二時ごろになってから「無言参り」に行かはりました。
その途中で、芸妓さんや舞妓さん同士が顔合わしても、「ああ無言参りしてはるのやなあ」とわかりますさかい、お互いに声かけたりはしやしまへん。ところが、お客さんに出会いますと、やっかいなことになるのどす。知らん顔してだまってすれ違うわけにもいかしまへんさかい、お客さんがあっちゃから歩いて来やはりましたら、こっちが先にしゅっと隠れて、道それましたり、電信柱の陰に隠れるように立ってます。
ここでも、厳密には、ひと晩で七度参る、ということまで記してないが、決定的な一節が、あとに続く。
お客さんの方が先にみつけて、「ああ、あいつ無言参りしてよるな」わかって、知らん顔して通ってくれはることもあります。ま、中には「しゃべらしてみたろか」というて、悪いてんごしゃはることがあるのどす。一ぺんでも人さんと口きいたら、また最初からやり直さんなりまへん。五、六回目にそんな目にあいますと、またやり直しているうち、かれこれ夜が明けてしまいます。
これで、一晩で参る、ということが確実にわかりますね。
発行元の京都書院は、ずっと前になくなって、完璧な絶版書なので、ちょっと長くなりましたが、引用しておきました。
この著者の、春勇ねえさんは、お元気ならすでに百歳を越えておられるはず。
この本は、よく残しておいていただいた、と思える、いい資料です。
ついでにいえば、これも、なくなってしまった版元、駸々堂が出していた『舞妓の四季』(依田義賢/ユニコンカラー双書)という本にも、こうある。
さて、お神輿さんは、西のもと祇園というお社まで行かはって、東へ帰ってきやはって、そして、四条寺町のお旅所の屋形のうちにならんでおさまらはるのである。それから、七日、二十四日の還幸祭まで、逗留(いつづけ)しやはるわけになるのやが、祇園の無言詣(むごんもうで)といわれてるのは、この間にあるのである。
「この間にある」。とある。
具体性に欠けるけれど、毎日通うというニュアンスでないのは、前書と共通している。
「もと祇園」と出てくるのは、四条坊城にある「椰神社(なぎじんじゃ)」のことですね。
最近、また、ちょくちょく、芸妓さんや、もと芸妓さんが書いた本が出ているようだが、資料になるような記録や語りではなく、世代もかわって、妙に野心的というか、個性の強そうなものが多そうで、あまり手が伸びない。書き手のかたがたも、おそらく、舞妓さんのころに、思いをこめて無言参りをしたようなことなどは、ないのではないか。
かくして、誰もやらなくなったからこそ、一晩で七度参る「無言参り」は、いつしか、七日七晩参り続けるという話として、どんどん子引き、孫引きされていき、おそらくは、これが、そのまま後世に伝わるのでしょうねえ(嘆)。
せめて印刷物の場合、チェック機能が多少ともはたらくけれど、ネットは奔放至極。その危うさを、常に知るべきだと、つくづく思う。
どこだったか、大学の学長さんが、「原典にあたれ」とおっしゃっていたけれど、そのことには、学生の論文などにも、同様の危機があるからかもしれない。


