2009年02月28日

55年目のビキニデー。

旧暦二月四日 甲辰(きのえたつ)

 明日、3月1日はビキニデー、といっても、知らない人のほうが多いかもしれない。
 太平洋の南の海域に、マーシャル諸島共和国という、たくさんの島で成り立っている国がある。この中のビキニ環礁という場所で、1954年、アメリカが水爆実験を行なった。
 しくみがよくわからないが、水爆というのは、原爆の親玉のような威力を持つらしい。二十世紀の後半、ずうっと、長い間にわたって、アメリカ合衆国とソビエト連邦とで、大気中に放射能を撒き散らしてきたが、その最初の時期のことだ。

 放射能なんて、危ないものだとわかっているから、自分の国ではできるだけやりたくない。この頃、マーシャル諸島はまだ独立して共和国になっていない、アメリカの信託統治領という立場である。日本がアメリカに戦争で負けるまで、じつは、日本の植民地だった。
 「環礁」と呼ぶ島は、珊瑚でできているのだそうだ。青く、広い、南太平洋に浮かぶマーシャル諸島は、真珠の首飾りと呼ばれて、今では有数の観光地になっている。写真でしか見たことがないけれど、海も空も、とてもきれいなところだ。
 こんなにきれいな海の、それも珊瑚礁で、実験のために爆弾を爆発させるという、その感性自体が理解できないが、アメリカはこのあたりで何度も核実験を行なっている。

 1954年に、ここで水素爆弾が爆発させられたとき、近くに日本のマグロ漁船がいた。米軍が想定した危険水域外だったけれど、「死の灰」と呼ばれる放射能物質を浴びた。そして、半年後に久保山愛吉さんという人が亡くなった。
 広島、長崎に続いて、規模や場面が違うとはいえ、人類史で三度目の核爆弾の犠牲者が出た。それらはすべて日本国内、あるいは公海上の日本人だった。

 ビキニ環礁の住民は、実験の前に強制移住させられ、今も戻れていないという。残留放射能の量が、短期滞在では問題ないというレベルまで下がっているといわれるが、それでいいのなら、マンハッタン島あたりでやればよかったのに。

 太平洋戦争が終わって、団塊世代の人たちがこの世に一斉に産み落とされた1947年に、アメリカによって、広島にABCCという組織がつくられた。「原爆傷害調査委員会」というのが、日本語での名称だそうだ。今は、「放射線影響研究所」と改称されているらしい。
 ABCCは、原爆症で苦しむ人たちを救うためにつくられたのではない。治療は目的ではなく、人体への影響を「調査・研究」することが目的であり、いわば、原爆の「効果」を調べるための機関だと非難を浴びてきた。
 阪神・淡路大震災の長田地区で、戦後すぐに神戸空襲の「成果」を探った調査と、そのまま通じている発想だろう(1/17の記事をご参照ください)。
 マーシャル諸島でも、似たようなことを行なっている。残留放射能で危険な島に島民を戻し、検査だけをして、データを公表していない。

 美しい海とのかかわりで思い出すと、少し飛躍するが、ジョージ・B・ダイソンというカヌーイストがいる。「バイダルカ」という、こちらは極北の美しい海を行き来していたカヤックの復元で知られるが、その父であり物理学者のフリーマン・ダイソンでさえ、第二次大戦中、敵地を空襲する際、「火災旋風」という現象を引き起こし、いかに効率よく、おおぜいの人々を殺傷できるか、という研究に携わっていた(『宇宙船とカヌー』ケネス・ブラウアー著/ちくま文庫)。

 ヨーロッパ合理主義の、いかにも「科学的」な考え方かもしれない。
 日本も、ご多分にはもれない。軍隊が中国や国内で、生体解剖などの人体実験を行っている。先に核兵器を持つようなことになっていたら、ひょっとして、もっと陰湿で露骨な実験をしたかもしれない。
 倫理を見失い、自己目的化した科学が、どこまでも残虐なものになり得るということは、歴史が証明してきている。

 振り返れば、わずか半世紀あまりの間に、世界では、悲しいメモリアルデーがいくつもつくられてきた。まだまだ、その、直接の痛みや苦しみを、心にも身体にも負った人たちが、まさに、生き残り、として同じ空を共有している。
 世界のどの国も知らない、三度の被爆を体験した日本だが、その歴史を消したがる人たちもいる。第五福竜丸も、一時は東京のゴミ捨て場、夢の島に埋め立てられかけていた。
 ビキニデーも、日本人のみならず、世界にとって忘れてはならない日だろう。

 できることなら、政治家には、外国に行って、どうせ足下をみられるような半端な話をしてくるより、平和主義のプロモーションをしてきてほしいものである。
   
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2009年02月24日

新聞をどう読むか − ジャーナリズムの足腰

旧暦一月三十日 庚子(かのえね))

 中川昭一さんが、二日酔いのようにもたもたと辞任したあと、21日の京都新聞朝刊2面に「検証・中川前財務相醜態」という記事が載った。
 京都新聞で、こういう国際スケジュールの取材ができているとも思えないから、おそらく共同通信社あたりの配信でしょうね。他府県のかたも、別の新聞でご覧になっていたら、おそらくそうです。ちなみに、京都新聞さんには、以前、問い合わせをしたときに、「あ、これは、共同から買った記事でしたか」と、何げなく言ったところ、「違います、契約しているのです」と(違いがわからないけれど)叱られたことがあった。だもので、言葉づかいには慎重に(笑)。

 この記事の文面では、中川さんは「旧知の記者ら四人(男女各二人)とともに」例の記者会見の前に飲んだ(!)とあり、「判明しただけで計五回酒を」飲んだという日時の詳細を入れて、日程表が添えられていた。
 この記事を書いた記者が、その表の説明に「2時10分・財務省局長、読売記者らと昼食」と、同行者が「読売新聞記者」であることを、さりげなく明記しておいたというのは、きっと、それまで、特定の記者ばかりが大事にされることを、こころよく思っていなかったのでしょうね。行間から、怒りとやっかみがひしひしと…。
 じつは、新聞記事を読む面白さは、こういうところにあります(笑)。

 こんな、意図的でご親切な手がかりをいただいたら、ミーハーとしては、ネットを活用しないわけにはいかない。
 早速、「読売新聞 女性記者」と検索すると、なんと80万件がヒットした。
 いきなりトップから実名入り。他の二人の記者も実名が出てくる。なるほど、三人の女性記者ですね。
 読売のほかは、日本テレビ、そしてブルームバーグというのは、どうも、金融業界のニュースやデータを配信する業界通信社? あるいは信用調査会社のようなところだろう。
 財務省の玉木林太郎国際局長の同行はわかっているから、この人を数えているのかどうか、いずれにしても、先の記事の男女各二人というのは少しおかしくて、女性記者三人をひきつれて、という感じだったことがわかる。

 読売新聞の女性記者については、読売新聞社がサイト内からその女性記者のプロフィールを削除したということも、すでに盛んに批判の対象になっていた。
 サイトから削除し、さらにキャッシュ(検索サイトなどのサーバーに保存されている、閲覧されたページの記録)まで削除していった、ということが、次々と暴露されている。
(キャッシュまで意図的に削除できる、というのも、いささか気になるところだが。)

 だから、うっかり、場当たり的な対応をしてはいけないのに。
 ネット上では、隠そうとすればするほど、好奇心に火をつけるし、探究心旺盛な人たちの闘争心(?!)をあおることになる。
 そのため、読売女性記者の実名は、これがそのまま残るかどうかは別として、ウィキペディアの項目にまで載せられてしまっていた。
 新聞社の広報能力や、危機管理能力は、自分たちのことになると、なぜか、いっそう欠陥をさらけだしてしまう。逆の立場に立って、ふだん取材する側として考えれば、もう少し対応のしかたにも工夫がありそうなものだけれど。

 記者たちの同行を、癒着とみるか、取材力ととるかは現場にいないとわからない。
 深入りしながら、情にとらわれない客観的データをしっかりと取り出していたのだとしたら、それは、すぐれたジャーナリストといえるだろうけれど、さて、どうか。
 その冷静な検証以前に、読売新聞社の条件反射的な対応は、世間が注視する記者と大臣との関係に、すっかりいかがわしい印象をつくりだしてしまった。

 それにしても、中川さんの酒グセを、担当記者たちは、当然熟知していたし、これらの同行記者たちが、ひんぱんに可愛がられていたのだとすれば、それもよく見てきていただろう。
 ことがおおやけになったところで、これみよがしに追い打ちをかけるのならば、なぜ、もっと早く、アル中財務大臣、いや、アル中農林水産大臣のときから、ちゃんと報道してこなかったのか。

 基本的には、記者クラブというシステムに代表される、横ならび意識の蔓延が、新聞ジャーナリズムの足腰を腐らせているといえる。
 かつて長野県知事をやった田中ヤスオちゃんは、物書きとしてそのあたりを見つめていたから、まず、県庁の記者クラブ廃止をぶち上げた。既得権を失うと勘違いした加盟各社の支局は猛反発した。地元マスコミを敵にまわした様子は想像できる。かくして三期目は落選した。

 新聞記者には、すぐれた人たちが、まだまだたくさんいる。だけど、新聞社という組織全体がどうも金属疲労を起こしているようにみえる。
 新聞というメディアは、今や、衰退産業である。しかし、コアになる絶対的な支持層がある。その読者たちが本来、新聞というメディアに何を求めているか、そこの理解ができているのか。ジャーナリズムの本質を見失ってしまうと、存在意義はかすむ。

 強い足腰を持ったジャーナリズムという主体性が希薄になっていくと、これまでのような新聞媒体は無くなっていくでしょうね。
 でも、新聞広告ならではの、あの定着紙面の、じっくり読ませたり、ひねりを利かせたりという面白さは、ネットでは出せない。
 やっぱり、新聞には元気でいてもらわないと、困るんですよねえ。
   
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2009年02月21日

マンション管理は、ちゃんとしたビジネスになれるか。

旧暦一月二十七日 丁酉(ひのととり)

 シャワーを浴びていたら、途中でお湯が水に変わった。
 水量をしぼると、給湯器の火が消えてしまうことがあるので、ああ、途中でいったん細くしてしまったかな、と思って、仕方なく流しっぱなしで、しばらく待った。
 屋外の給湯器まで遠いため、いったん水になると、バケツ一杯くらい無駄になる。シャワーヘッドから、ふたたびお湯が出てくるのを待つ間、頭は泡だった石鹸で、溶けかけたソフトクリーム状態。

 そのまま、いつまでたってもお湯にならない。
 よもや、と思ってドアを開け、洗面所の向こうのキッチンにあるリモートスイッチをみてみると、電源が消えている。あわててスイッチを入れ直しに行ったけれど、着いた電源が、すぐまた消える。これはやばい。壊れてる!

 あきらめるべきは、早いほうが痛手が少ない。
 恋と同じである。

 とりあえず、濡れたカラダを拭いたものの、頭はソフトクリームのまま。そのままで、とにかく服を着る。それにしても、トレーナーを着るのが難しい。
 ポットに満タンのお湯があったのがラッキーだった。
 洗面器にぬるま湯をつくり、ソフトクリームを流す。基本、頭は二杯で洗えることがわかった。三杯目できれいにゆすいで、とにかく急いで乾かす。まいった、まいった。

 慌ただしい日に限って、こういうことになる。
 ひととおりのことを済ませてから、ゆっくりと管理会社に電話をかけた。
 管理しているのは、長栄という会社である。急いで連絡しなかったのには、理由がある。以前、トイレの水洗レバーがきかなくなった時、三週間待ったあげく、しびれをきらせて自分で直した経験があるからだ。メーカーを調べて品番の見方を教わり、パーツを直接取り寄せた。
 しくみがわかっていてパーツがあれば、たいていのものは自分で直したほうが早い。ただし、プロより手間がかかるし、時間が惜しい。

 その時の担当者は、じつにひどいものだった。壊れたことを告げると、信じられないと思うが、まず、「何でそんなとこ、壊れるねん」と言った。
 その前からも、その後にも、いろいろなやりとりがあったが、彼の口にしたことを全部おおやけにすると、長栄さんと全面戦争になるので(笑)、ひかえておく。

 今の担当は、なかなかイケメンの好青年である。
 給湯器がおかしい、と電話を入れておくと、すぐに連絡があった。年数的には壊れる時期であること、だめだとは思うけれど、いったん元の電源を抜いて差し直してみると、一時的に復帰する場合があることなどを教えてくれた。
 で、そのあと、業者さんから電話が入り、翌日、早速、直しに来てくれた。
 これまでからして、二、三日、へたをすると一週間くらいは風呂に入れないかもしれないと覚悟していたから、驚くべき対応の早さであった。
 ま、これが本来、あたりまえといえば、あたりまえなんだけれど。

 あやうく風邪をひきそうになった、この出来事が、一月の終わり頃。
 業者さんから、新しくなった給湯器の使い方の説明を受けて、ほっとしたあと、長栄さんに、無事交換が終わったよ、と電話をしようかと思って、まあ、こちらからすることでもないなと考え直して、やめておいた。
 ちゃんと終わりましたか、と確認の電話が入るかな、と思ったけれど、その日は何も言ってこなかった。
 以来、三週間が経つが、きっともう、この件で連絡が来ることはないだろう。

 業者さんから、当然、完了の報告は入っているはずで、確認ができていることはわかる。担当者は、もうそれで一件落着と思ってしまう。だから、いわば、お客さんの側の確認はまったくしないままでいい、というのが、マンション管理会社の認識だということだ。
 サービス業という意識は、基本的にないのでしょうね。顧客満足などというコンセプトの入り込む余地はない。また、それ以前に、彼らにとって、お客さんというものは家主さんだけで、店子は面倒な厄介者かもしれない。だけど、彼らの企業経営の原資は、店子の家賃である。

 ふつうのサービス業であれば、せっかく、きちんとした対応ができているのだから、そのあと、一本の電話で「無事に終わりましたか、ちゃんと使えていますか」と、ひと言、確認する。それだけで、信頼関係がまったく違うものになる。企業イメージも上がる。
 せっかくのイケメン好青年に、それをちゃんと教えたり、マニュアル化するのは会社である。
 この担当青年とは、以前にも、担当が変わったとき、たいへんであっても、ひととおりまわって挨拶して、一度、顔を合わせておくと、それだけで苦情の発生率は大きく下がるはずだよ、と話したことがある。紹介だってふえるだろう。
「そのとおりなんですけどねえ」
 まあ、とにかく忙しい、ということもある。

 長栄は、エリッツとか、ベルヴィとか、いくつかの社名を使い分けていて、企業イメージとしてはわかりにくい。これも、あまり戦略がうまいとは思えない。京都では、別のエイブルという管理会社の名前もよくみかけるが、どちらもあまり評判は芳しくない。底流には、もともと家主と店子は対立するものだ、という、腹の底での、悪くすれば借り手への敵意が感じられるような気もする。
 そういう感覚の経営は長続きしないし、そういう時代ではない。
 近年、長栄さんは、東南アジアへの事業展開を進めているようだけれど、ビジネスモデルがどういうものであるかに限らず、あらゆるステークホルダー(利害関係者)との、それなりの信頼関係を意識しないと、おそらくどこかで問題が発生するだろうという気がする。それが致命傷にならなければいいのだが。

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2009年02月18日

中川昭一財務大臣問題、背景への疑問と、教えられること。

旧暦一月二十四日 甲午(きのえうま) 雨水

 学生時代、アルバイト先の仲間と、たまに安酒を飲みに行った。そんなに飲めないのに、深夜の2時、3時とはしごをするから、朝、電車で一緒になる、隣の職場のパートのおばちゃんに、「あんた、まだ酒の臭いがしてるで」と言われた。でも、意外と、そういう時ほど遅刻はしなかったものだ。
 仲間と一緒に、土曜日の夜、京都から夜行列車に乗って、目的もなく能登半島あたりまで行き、真冬だったけれど「とりあえず、海、見に行こう!」てなことを言って一日うろうろして、また、日曜日の夜の夜行列車に乗って帰ってきて、そのまま出勤した。
 仲間の一人が、帰りの列車の中で酔いつぶれて、立つこともできない。乗り換える駅であやうく置き去りにしそうになったけれど、なんとか職場まで引きずっていった。
 バイト先は、大学の中にある本屋さん。泥酔している当人は、ほぼ仮死状態なので、客注という、お客さんからの注文を受け付けたり、取り置きの本を渡したりするコーナーに座らせておき、仲間の誰かがなるべく近くで仕事をしていて、お客さんが近づいてくると、さっ、と寄っていき、代わりに受け答えをする、というチームワークで、なんとかその一日を乗り切った。
 今から思えば、のどかな時代である。

 そう思うと、中川昭一さんは、代わりに受け答えしてくれる人もいなくて、かわいそうでしたね。
 などと、甘いことも言ってはいられない。

 もともと、アル中で知られた人物。国会の中でいつも酒臭いというのは有名な話だった。この人が財務大臣に任命された時には、政界について素人であっても、ドキッとしたものだった。体調が悪いのにがんばっていたとか、能力があるのに惜しいなどと、支持を表明していた政治家もいたが、そういう問題ではない。それに、プラスマイナスしてあまりあるほどの能力があったのかということも、常識的に疑問である。

 どうして、あんな状態でフォローできないのに、記者会見に出したり、ましてや、ロシアの何大臣だかと会談させたりしたのだろう。まわりには、そういうリスク管理をするべき事務方が、山ほど随行しているはずなのに、職務放棄としかいいようがない。

 あの、信じられない醜態を、最初にみたのは、15日夜のテレビニュースだっただろうか。たしか、その日の深夜だったかに、ユーチューブで「中川財務大臣」と手抜きで検索しても、案の定、すでに十近い投稿動画がヒットした。その中で、一番再生の多いものでは、もう1万7千回くらいの再生がカウントされていた。
 16日の夕方に、また見てみると、15万回くらいになり、そして17日の夜遅くには、37万回を突破していた。
 日本語の発音がわからない外国人には、あの映像の印象は、日本人ほどひどくはないかもしれない。ただ、欧米では、日本ほど、酔っぱらいに寛大ではない。

 政治家が、あのていたらくであることは、もう、いやというほど見せられてきているので、それほど驚くことでもない。まして、周知のアル中さんだったのだから、今まで大きな問題にならなかったほうが不思議なくらいだろう。
 むしろ、先にふれたように、まわりでカバーするべき組織の、リスク管理機能がまったくはたらかなかったことのほうが、ずっと大問題ではないかという気がする。
 企業でいえば、財務担当取締役が、決算発表の記者会見にのぞむようなもの。そんなとき、当然、総務部長や広報部長はピリピリしているだろう。
 最初から、もう、中川さんに愛想が尽きていて、見捨てたのか。それとも、本当に止めようがなかったのか。あるいは、いい機会だからハメたのか。

 ユーチューブで配信されている映像は、当分、どんどん再生回数が増えることだろう。そして、ほぼ永遠に世界のどこかに保存され続ける。
 ほんの一日、二日で、何十万人の人が自ら進んで再生する、という速報性と、この、いやおうなしの保存性。これは、すごいことだと思う。
 マスコミがあおっている、などと馬鹿げたことを言っている政治家などに、何も世界は見えない。メディアというのは、もともと、正しかろうが、間違っていようが、そういう、情報への欲望の拡大再生産を行なうしくみだ。

 企業にとって、他人事でないということも、すでに、いつくもの事例で示されている。こうした、恐怖にも、歓喜にもなる、ウェブというツールと、どう向き合っていくかは、ジャーナリズムに限らず、広報にしても、マーケティングにしても、メディアに接する立場にあれば、真剣に考えていかなければならない。
 アルコールを燃料にした、中川昭一さんという政治家ののエンストは、あらためて、いろいろなことを教えてくれた。
   
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2009年02月17日

ホワイトデーには、パイのお返し! ご存じでしたか?

旧暦一月二十三日 癸巳(みずのとみ)

 バレンタインデーにもらったチョコ、もう食べてしまいました?
 13日の金曜日の翌日がバレンタインデーなんて、今年は、いいシチュエーションでしたね(笑)。

 さて、いただいたら、今度はお返ししなければなりません。世の中では、三倍返し、などとほざいている女性たちがいるようですが、折り目正しい日本男児としては、そういう品のない主張は、にこやかに無視しましょう。
 いずれにしても、ひと月先には、ホワイトデーがやってきます。
 キャンデーをお返しに、とか、ホワイトチョコだとか、マシュマロだとか、いやいやグッズがいいとか、諸説飛び交っていますが、いまひとつ決定力に欠けるのは、どうやら、ホワイトデーは日本で考案されたらしい、からでしょうか。
 プロモーションとしてまとまりのないまま、ホワイトデーが定着してしまった?

 でも、バレンタインデーを嬉しく認めたら、ホワイトデーを無視するわけにはいかない。これも、日本男児の礼儀正しさなんですねえ。
 そこで、決定的な情報をひとつ、お知らせしましょう。

 ホワイトデーのお返しは、「パイ」で決まりです!

 なぜ、パイか。
 ホワイトデーは、3月14日。
 ここでもう、カンのいい人はお気づきでしょう。
 そう、3.14は、円の面積がパイアールの二乗、とかいった、あの、円周率πの概数です。
 だから、3月14日のホワイトデーは、「π(パイ)の日」。

 なんで、こんなことに、気がつかなかったんだろう。
 じつはこれ、仕事仲間で古い友人のカップルによるアイデア。
 彼らは、ずっと前に気づいて、「ホワイトデーにパイのお返し」を始め、やがて「日本パイ協会」までつくってしまった。

 こういうのって、大好きだなあ。
 なんでもないことだけれど、人が気づかなかったところに、気がついて、そこに、シンプルなひとひねり。つまり視点と着想ですね。
 センスというのは、こういうことだと思う。

 最初、個人的なアイデアとして愉しんでいた彼らは、もともと洋菓子に詳しいこともあって、「パイの日」を商標登録し、京阪神の洋菓子店をネットして、今年はなんと50ものお店が参加してイベントを行なっている。

 ご興味のあるかたは、下記のホームページをご覧ください。アフィリエイトではありません(笑)。ここのリンクに「パイ日和」というブログもあって、美味しそうなパイやケーキが、いやというほど並んでいます(涎)。

 〈日本パイ協会〉  http://www7a.biglobe.ne.jp/~pienohi/

 「パイの日」の商標は、以前、悪徳菓子屋に狙われたことがある。彼らが、家族の病気で、しばらく対外活動ができなかった時期に、商標の不使用を理由に、奪い盗られかけた。
 彼、のほうが、独学で法律を勉強し、東京まで審判に通って一人で闘い、ついにみずからの商標を確保した。知と正義の勝利である。
 人のアイデアや実績をかすめとって儲けようという不遜なやからは、いつの時代にもいる。この、商道徳の風上にもおけないあくどい菓子屋とK氏との闘いは、できればあらためて、この、かなり名の知られた菓子屋の実名とともに紹介したいなと思っている。

 そんなわけで、「ホワイトデー=パイの日」には、ちょっと入れ込んでいるのだけれど、なにしろ、毎年、チョコをもらうのは家族からだけ、で過ごしてきたもので(泣)。
 たくさんもらったみなさん、ホワイトデーには、パイをお返ししましょう!
   
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2009年02月14日

販促は、ハートだ! バレンタインデー。

旧暦一月二十日 庚寅(かのえとら)

 二日前、メール便でチョコが届いた(嬉)。

 メール便ができて便利になったなあ。
 かつて、遠くにチョコを送ろうとしたら郵便小包しかなかったが、これは、かなり不安だった。「郵送」料もやたら高かった。ことに、仕事で郵便物を送る、ということになると、まるで信頼がなかった。一応着くことだけは、ほぼ確かとはいえ、荷物の扱いは乱暴だったし(どうせ他人の荷物、の感覚だった)、割れ物なんかよほどのことがないと危なくて送れなかった。
 「速達」も、速達にせずに送るよりは先に着きますよ、というだけで、いつ着くかは、はっきりしなかった。「書留」というのは、いわば「へたしたら着かないかもしれませんよ」という不安感との引き替えだった。
 十年あまり前になるが、全国チェーンの各店舗に送るための、時間の猶予のない印刷物を、組んでいたデザイナーさんが郵便局から速達で発送したと聞いて、あっ、と思ったけれど手遅れだった。なかなか着かずにてんやわんやになった。今なら、郵便局でも荷物の追尾ができるのかもしれないが、民営化前の郵便局では(別に民営化に賛成なわけではないが)なおさら他人事だったから。

 クロネコヤマトは、全国ネットの宅急便で物流を変えた。社会のしくみに革命をもたらした、といっても過言ではないと思っている。
 今ではコンビニが窓口の大半を占めるけれど、最初は、街角のどこにでもあった米屋さんを取次にして、やがて酒屋さんなんかに広げた。たいてい、町内に一軒はあったから、持ち込みやすかったし、何より、個人の家まで引き取りに来てくれるというサービスは、そんなことができるはずはないと思われたビジネスモデルだった。
 「宅急便」のネーミングは一般名詞になってしまった。クロネコをキャラクターにしたプロモーションも巧かったけれど、何といっても「サービスという商品」そのものの力が大きい。
 それまで誰もやらなかったこと、やれなかったこと、そんな、望まれていた潜在需要に応えるアイデアと実行力こそ、企業経営の本分だろう。

 あ、どんどん横道にそれてしまった。
 チョコの話です(謝)。
 メール便のチョコは、かつて大阪の広告代理店に勤めていた仕事仲間、Oやんからだった。
 Oやんと呼んでいるけれど、オッサンではない。れっきとしたお嬢さんである。でも、O嬢と書くと、どこかの主人公になってややこしくなるので、そのまま、Oやんでいく。
 Oやんは、会社を辞めて東京に行き、独立した。
 SOHOである。
 「一人でやってて、あんまり、クライアントとゆっくり顔会わせへんから」と年末にはコンパクトなカレンダーを送ったり、こうしてバレンタインデーにはチョコを送ったり、こまめな販促をしている。そして、クライアントではない、ただの昔なじみにまで、こうして楽しみをわけてくれる。おかげで、こちらは、いろいろと教えられる。
 メール便には、可愛らしいチョコがふたつ入っていて、文庫本サイズの、おそらくマッキントッシュでつくった、おしゃれな飾り枠つきのカードに、こんなふうに記してあった。

日頃の大きな感謝がチョコに形を変えて…
と云いたいところですが、昨今の不況により、少々小さめのチョコとなってしまいました。
しかし! チョコは小さくても気持ちはいつもの倍以上入っております。
厳選に厳選を重ねてこのチョコにしました。
お仕事の合間のティーブレイクのおともに……

今後とも*****をよろしくお願いします♪


 文字の大きさや書体をところどころ変えてあるのを、ここでも少し表現できればと思ったのですが、すみません、IT音痴で、ちょっとむずかしい。ほんとうは、もっと行間もあいて、きれいにそろえてあります。
 でも、伝わりますよね。
 ご参考になれば ハート
   
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2009年02月13日

13日の金曜日、逆手にとって販売促進?!

旧暦一月十九日 己丑(つちのとうし)

 13日の金曜日。
 さて、ちゃんと、何か悪いこと、ありましたでしょうか(笑)。

 13日と金曜日の組み合わせは、必ず年に一度はやってくるそうです。
 順列・組み合わせ、に、なるのかな。といって、計算しろといわれても、もう、できない。授業で習った時のテストはクリアしたはずなのですが…。
 で、今年はまた、素晴らしいことに、3回もやってくるのですねえ。
 2月は28日で終わる、ぴったり7の倍数ですから、3月も同じ曜日のカレンダー。さらに、11月になってから、もう1回あります。こうなるともう、よい日だと考えてしまいましょう(苦)。

 13日の金曜日は、江戸時代の人は知らなかった
 日本で最悪の日は、仏滅の三隣亡(さんりんぼう)ですからね。
 西洋の人も、ひょっとしたら、その頃、知らなかったのかもしれない、らしい。13日の金曜日が不吉であると言い始めたのは、案外新しい時代だ、ともいわれている。
 キリストさんがはりつけになった受難の日が、13日の金曜日だったというのが根拠にされるけれど、じつのところは、日にちも曜日もはっきりしていないのだそうだ。

 13、といえば、『ゴルゴ13』ですねえ。完璧な「仕事」をする、不死身のスナイパーが主人公、『ビッグ・コミック』誌の看板劇画。
 で、ゴルゴ13といえば、麻生太郎さん。
 愛読しているといって、人気にあやかろうとしたのでしょうけれど、べつに、愛読しているからといわれてもねえ。
 そういえば、ビッグコミックの連載には、ルビがふってあったっけ。

 あるある、ところどころにルビが。だけど、
  「番号」に「ナンバー」、「債務不履行」に「デフォルト」。
 これでは麻生さんをはじめとする読者としては、漢字の勉強にはならないな。
 でも、ときどき、ふだん読まないような読み方や、難しい漢字にもふってある。
  「敵(かたき)」、「携(たずさ)わる」、「遡(さかのぼ)る」…今までに「未曾有」が出てきたかどうか、マニアのかた、調べてください(笑)。

 いまだかつてなかったこと、という意味の「未曾有」は、国語辞典をみると、古くは「みぞうう」と読んだと書いてある。ひょっとしたら、麻生さんの生まれた福岡県飯塚市あたりでは「みぞうゆう」と読んだのかもしれない。え? そんなことはない?
 漢字の読み間違いを、そんなに責めなくてもいいという気はしている。政治家として読めるべき漢字が読めなかったということより、ことばそのものを、意味がわかって使っていないのではないか、という懸念のほうが大きいからだ。
 日本語でちゃんとコミュニケーションができないのに、やたらと外交をしたがって、わけのわからない日本語で手形を切ってくるほうが怖い。

 政治家のことばについてはあらためて考えたいが、基本的には、今ふうにいえば、日本語の品格がない。
 「骨太の方針」などというのが、いい例だ。
 骨太なんていう言い方は、「おお、なかなか骨太な方針が出てきたね」などと、他人が褒めて使うものであって、みずから言うことではない。「立派なわたくし」と言っているようなものだ。
 こういうネーミングを、「これはいい表現だ」と思って得々とつくったとしたら、コピーライターだったら、おそまつ極まりない。逆に、日本語としては間違いでも、言い切ることでインパクトをもたせ、大衆に錯覚させて刷り込めばいい、と、確信犯的にやったのなら、ゲッペルス的な天才であって、危険極まりない。

 でも、ことばの持つ意味を、誰にでもわかるように悪意なしにひっくり返して、そこに洒落っ気があって、お互いハッピーな気分になれるようなことがあれば、それは、いいことだといえそうです。

 13日の金曜日、この日に何かプロモーションをやったというと、せいぜい同名のホラー映画くらいしか聞きませんが、これほどよく知られた「フェスティバルデイ」(笑)、逆手にとって、この日だけの特別セールを開催するとか、「禍(わざわい)転じて福となるキャンペーン」を行なうとか、13をひっくり返して31のつく価格でバーゲンにしてしまうとか、最初に言ったみたいな、ただ気持ちとして考えるだけではなく、ほんとうに「よい日」にしてしまうというのはどうでしょう。

 今年は、あとまだ、2回やってきます。
 凶であっても、ちょっとだけでも、吉に変えましょう。と、逆手にとる発想で、こんなご時世だからこそ、禍を転じて福と為(な)す、結構ウケるかもしれません。
   
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2009年02月11日

国民の祝日 − 今年は紀元何年?

旧暦一月十七日 丁亥(ひのとい)

 今日は、「建国記念の日」。
 建国記念の日は、1966年にいわゆる「祝日法」が修正されて「国民の祝日」となり、翌67年からお休みになった。この時をお誕生日とすると、今年が後厄、というところでしょうか。

 日本はいつ「建国」されたんだろう?

 建国記念の日というのは、もともと明治時代に政府が決めた「紀元節」という祝日を継承している。「節」は「節日(せちにち)」でしょうね、お祝いするべき記念日、といったところでしょうか。
 で、その上についている「紀元」という言葉は、「はじまり」ですね。「紀」という字には、「いとぐち(緒)」とか「もとい(基)」といった意味があるそうです。紀元、まさに、もとのもと。年号の基準日であり、国のはじまりであり、といった、いわば、時間的な、ゼロ・ポイント。

 じつは、紀元、というのは、世界のあちこちにあって、仏教国ではお釈迦さまが亡くなった年から数えたり、イスラム圏では、予言者ムハンマドさんが聖地メッカからどこかへ移住した? 年から数えたりしている。
 ふだん使っている西暦の場合は、キリストさんの生まれた年から始めている。だから、ミレニアムのどんちゃん騒ぎには、仏教界はいささか批判的だった。そりゃそうですね、よそんちの聖人さまのお誕生日であって、お釈迦さまを否定されているようなものですから。

 まあ、それはそれとして。
 で、日本も負けていられない、ということで探し出したのが、神武天皇が即位した日、ということだったらしい。紀元節を決めたのが明治5年ということですから、近代化が始まったばかりの頃。名にしおう「日出る国」としては、西暦などより古い国のはじまりを、ひとつ、がーん、と知らしめてやりたかった。

 『日本書紀』に、「辛酉年 春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」とあることから、当時の天文学や何やらの学者さんたちを動員して計算したら、西暦の紀元前660年だということになった。干支の組み合わせで表記する旧暦は、こういったときに推定しやすい。 便利なことに、660という数字は覚えやすいし、西暦に加算もしやすい。
 春正月とあるから、立春だった、とか、いろいろ議論されて、現代のこよみにあてはめると2月11日になったのだとか。
 ちゃんと「よってきたるゆえん」を説明できるように背景づくりをしたところは、プロモーションとして、よくできている。

 敗戦後、いったん廃止されたけれど、神社本庁や生長の家などが復活運動をすすめて、ふたたび祝日となったそうだ。
 ウィキペディアで「建国記念の日」をみると、このあたりの経緯が詳しく記されている。こういう項目だから、おそらく、かなりの手が入って正確を期されているだろう。つくづく便利な時代になったと思う。

 なにぶん「紀元節」には、もともと「皇紀○○年」と呼ばれてきたこともあって、戦前、戦時の、さまざまなイメージがついてまわった。そして、政治的、思想的に利用しようという思惑をもった人たちが少なからずいる、ということがあって、「建国記念の日」の成立時には、かなりもめている。
 先のウィキペディアによると、そのための審議会の委員の中でも、ジャーナリストの大宅壮一さんは辞任し、東大総長をやった奥田東さんは人より国土に重点をおくべきだと立春の日(?)を主張したらしい。 文学者の舟橋聖一さんは、政府の行事にしないこと、を条件としている。

 で、いち国民としては、歴史年表にはたいてい載っていない、伝説的な神武天皇さんですから、その即位が「建国」といわれて、いまだピンとこないのは、まあいいのですが、ハッピーマンデー制度では、この日は月曜日に動かしたりはしない、ということをあらためて知ったので、ちょっと思う。
 だったら、成人の日も小正月の日に固定するか、あるいは、成人の日は自治体の行事に便利なように別に設けるとして、小正月を、ちゃんとした祝日にしてほしいなあ(1/15の記事を読んでください)。
 こっちのほうも、プロモーション的には万全だと思うのですが。

 「春正月」に即位した、という神武さんに、「小正月」のほうも、ぜひ、お願いしたい。
   
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2009年02月08日

紀州みかんと、駅長たまちゃんと、日本のローカル線。

旧暦一月十四日 甲申(きのえさる)

 ♪ てんてんてんまり、てんてまり、てんてんてまりの手がそれて…
 今は、あまり聞くことのない童謡。少し前に、シニア向けのPR誌で引用しようとして、なんという題名だったのかを調べてみたら、正しくは『鞠と殿さま』だった。
 作詞は、西條八十さん。
 村田英雄さんが歌った『王将』も、この人の作詞というのは意外でしたね。

 てんてん手鞠は、手がそれて飛び跳ねて、おもての通りまでとんでいくのだけれど、そこに、紀州の殿様の行列が通りかかる、というストーリー。歌詞として大名行列をイメージする、というのは、今ではちょっと思いつきませんね。ちなみに、昭和4年、『コドモノクニ』という雑誌に発表されたようです。(岩波文庫『日本童謡集』与田準一編)
 手鞠は、駕籠の屋根にのっかって、殿さまに
 「あなたの お国のみかん山 わたしに 見させて下さいな」と頼みます。
 そして、東海道の松並木をのんびり、殿さまと一緒に旅をして、はるばる紀州までたどりつき、とうとう、山のみかんになってしまいました。
 ♪ 赤いみかんに なったげな なったげな
 えーっ。そうだったのか。

 てんてん手鞠は、紀州のどのあたりで、みかんになったのかわからないが、近頃、紀州で人気者といえば、猫の駅長、たまちゃんだ。
 もう一年以上前になるが、まだ、たまちゃんが駅長からスーパー駅長に昇進する前、取材に行った。たまちゃん人気は、当時からすでにもう、なかなかのもの。寒い冬のさなか、雨模様の天気だというのに、わざわざたまちゃんに会いに、次々と人が訪れていた。
 たまちゃんは、和歌山電鐵貴志川線の終点、貴志駅の駅長さんである。
 貴志川線は、もともと南海電鉄の支線だったが、不採算路線として廃線にされようとしたところ、地元の熱心な存続運動と自治体の支援もあって、岡山の両備グループが引き受けることになり、岡山電気軌道による子会社、和歌山電鐵の運営となった。

 たまちゃんは、もとから貴志駅で売店をあずかるお姉さんによって飼われていたのだけれど、すみかにしていた小屋が公共地だったこともあり、両備グループをひきいる両備ホールディングスの小嶋光信社長に、引き続いて飼えるように頼んだところ、駅長就任! で話がまとまったそうだ。

 「いちご電車」や「おもちゃ電車」を走らせ、猫を駅長さんにする、というアイデアは、「日本一心豊かなローカル線になりたい」というキャッチフレーズに象徴される、明確なコンセプトから生まれてきている。
 何よりも地元の熱意と協力なしには、ローカル線の振興は成り立たない、というのが、基本的な視点。そして、鉄道という貴重なインフラを、今苦しいからといって捨ててしまったら、必ず再びやってくる鉄道への需要に対して、復活するための膨大な労力がいる、その時、きっと、たいへんな後悔をすることになるから、という将来への懸念。
 だから、今われわれが、なんとか頑張ってローカル線を残す手伝いをしていかなければ、という気持ちが小嶋社長の信念にある。
 これが、広報担当のYさんからお聞きした話。

 直接、社長にインタビューしていなくても思いが伝わるのは、Yさんに同じ視点が共有されているからだ。
 大事なことは、広報担当者が、トップの思いを本気で理解して、代弁していること。この信頼関係は、意外と、ありそうでないものである。広報ほど、経営上、重要な部署はない、といっても過言ではないのだけれど、軽くみている会社組織は多い。

 たまちゃんのニュースは、ちょっと忘れかけた頃に、新しいリリースがある。ここがじつにうまい。メディアへの情報提供のツボを心得て、たまちゃんが昇進したり、称号をもらったり、駅長室ができたり、いろいろな話題を、間をおいてうまく提供している。
 それに、たまちゃん、おっとりした鷹揚な性格で、もらわれてきた子も育てるし、お向かいのワンちゃんまで仲良し。動きもゆっくりしているから、じつにテレビ向きなんだよね。

 たまちゃんの取材に行く前に、沿線のことを調べようと、地元の自治体に観光資料の送付を依頼し、あとからも電話でお話を訊いて写真の借用をお願いした。
 貴志川線に乗っていると、さすが紀州、みかん畑が多かったので、花が咲いたらどんな風景だろうと思ったけれど、残念ながら写真は無かった。
 「みかんの花はキレイですし、とてもいい香りです。来年の春にこちらでも写真を撮りに行こうと思います。」と、ていねいなメールをいただいた。問い合わせたことで、こういう主体的なリアクションが帰ってくることも、めったにないことだ。
 その季節の様子を想像して、嬉しくなった。

 沿線の観光資源は、今のところ、「いちご電車」の由来となったいちご狩りと「三社まいり」として神社が紹介されているくらいだけれど、桜のよさそうなところもあるし、みかん畑も、一面に花が咲いたら、ちょっとした癒しの風景として、ひとつの名所にできるのではないかな、と思う。どこでも、地元の人たちにあたりまえの風景やできごとが、都会人や、よそから訪れる人には、新鮮な場合がある。
 貴志川線には、今はまだ、自治体からの財政支援があるはずだが、ずっと続くわけではない。たまちゃんも百歳まで生きられるわけではないから(そうあってほしいけれど)、確実な乗客数確保のてだてを、さらに考えていかなければならないだろう。
 たいへんだとは思うけれど、全国ローカル線の希望の星として、頑張ってほしい。
 みかんの花咲く頃、また、たまちゃんに会いにいってみよう。
   
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2009年02月06日

農産物は、魅力を語れるか − 背景の編集力が重要になる。

旧暦一月十二日 壬午(みずのえうま)

 「ピンポ〜ン」
ん? 新聞の集金は全部終わってるし、最近何か注文したこともないし…、また、にこやかな人たちが立っていて、「あなたのおしあわせを祈ります」とかなんとか言うのかね。丁重におことわりするのも、結構めんどくさい。
 「ハンコお願いします」宅配便だった。
 荷物を開けてみると、つやつや、大きな文旦が、みんなで一斉に笑っていた。
 ニコニコマーク、って、ひょっとしたら、文旦のマゴかな。
 分厚い皮をむいたら、ニコニコマークがわっと飛び出したりして。

 所有者の家の改築で切られて無くなってしまったが、以前、近所に、みかんの木があった。詳しくないので、夏みかんか、はっさくか、ナニみかんなのかわからなかったが、年によっては、ソフトボールくらいの大きな柑橘が、鈴なりに成っていた。
 実の成っていない季節、ある時、花が咲いていることに気がついた。
 あたりまえですね。花が咲かないと、実は成らない。だけど、それがとても新鮮な印象で、おお! そうか、花が咲いて実がなるんだ(笑)。あらためて、世界が楽しくなった。
 以来、何かにつけ、どんな花からこんな実ができるんだろう、と気になる。

 文旦の箱の中に、A3を二つ折りにした、カラーのチラシが入っていた。
 産直の発送元の紹介や、文旦の良さの説明とともに、皮のむきかた、ジャムのつくりかた、そして、なかなかわかりやすかったのが、時期による味と保存期間の違い。ただ、おいしいですよ、と言って食べ頃を示すだけでなくて、味は時期ごとに変わっていくことや、保存できる時間も違っていくことが説明してある。
 受け取った側の身になって説明する、ということは、案外、できていないものである。生産者には、ふだんの食べかたがあたりまえになっているから、わざわざ説明をすることに気づかない場合もあるし、商品をアピールすることばかりに気をとられている場合もある。
 ここには「文旦の一年」も紹介してあった。おお、そうか、花が咲いたら、すぐに人工授粉するんだ。そんでもって、年末頃に収穫しておいて「追熟」させ、味をよくする。なるほど、なるほど。ここに、欲を言えば、花の写真がほしかったなー。

 果実類に限らず、顔の見える農業として、生産者の写真を添えた収穫物は多い。このチラシにも、農家の集合写真とともに、「後継者も育っています」と、ヤンキーふう、剃り込み丸坊主少年の写真が載っているのが、じつにほほえましく(ごめんね)、一所懸命逃がさないよう(笑)育てているんだなと、農業継承のたいへんさを思った。

 バブルの頃には、地域振興といってハコモノをつくったり、村おこしといってコンサルタントみたいな会社が入って、妙におしゃれな加工食品をつくったりすることが流行ったが、長続きしないことが多かった。
 特産物は、わざわざ加工しなくても、そのままで付加価値をつけて売れれば、それにこしたことはない。加工品はあくまで、収穫のない時期の生産性維持のためと考えるべきではないか。加工のための初期投資を回収できないで終わる、といったことは少なくないはずだ。

 付加価値をつけるために、みんな工夫する。
 競合する他産地との間に差をつけようと、ブランド化をはかる。
 圧倒的なブランド力があればいいけれど、みんなが夕張メロンや清水白桃ではないから、なにか、それに代わる背景を語らなければならない。低農薬、有機栽培、環境…。手づくりなんていうところがあるが、手づくりはあたりまえでしょ。
 背景を語る、その、物語の構成力、編集力が、これからは重要になる。歴史や伝説であったり、土地や気候であったり、収穫までの四季の物語であったり、「おいしさ」の後ろにある「魅力の理由」を語れるかどうかだ。
 商品そのものに力がなければ、もちろんだめで、まずいものをうまいといって売ることはできないが、仮に同じ味覚、同じコストパフォーマンスの収穫物があるとすれば、そこに魅力的な背景を編集できたほうが、当然、人を惹きつける。

 文旦は、古い友人からの、思わぬ到来物でした。
 ここでは、友人がすべての背景になるから、最高においしい(ヨイショッ)。
 ちゃんと、皮もジャムにしよっ、と。
   
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2009年02月04日

立春大吉。もう一度、新年はじめましょう。

旧暦一月十日 庚辰(かのえたつ) 立春

 立春、というと、どことなく春めく感じがしますねえ。
 今日から八十八日数えると、夏も近づく八十八夜。
 もうすぐ初夏です。(笑)

 それにしても、暖かい冬です。ほんとうなら、この時期、いちばん寒くて雪が積もることも多かったはずなのに、まさに温暖化、この冬などは一度も積もっていません。それどころか、雨の節分でした。
 雪景色の京都を見たくて訪れる人には、申し訳ありません。ここであやまることでもありませんが…。

 禅宗のお寺では「立春大吉」と書いたお札を門口に貼るそうですが、未だ見たことがない。りっしゅんだいきち! 響きがよくて、「開運招福」みたいなワクワク感がありますね。禅寺に行ってみようかな。文字を見るだけで、いいことがありそうな。

 みなさん、昨日の節分、豆まきはしましたか? イワシを食べましたか?
 お寿司屋さんの陰謀にのせられて、あ、失礼、販売促進策に刺激されて、「恵方巻」を食べましたか?

 かつて、サントリーの不易流行研究所(現在は「次世代研究所」と名称変更)が調べた、家庭での年中行事実施率では、正月が92.7 %、クリスマスが79.1%、節分はそれに次いで61.5%だった。これは、お盆の60.3%をしのいでいた。以下、ひなまつり49.1%、大みそか44.0%、母の日41.5%などと続く。
 間に夏季休暇44.4%とか、運動会43.6%といった項目が入るが、これらであるとか、別の分類で結婚記念日43.6%、子どもの誕生日60.3%といったものは、ちょっと流れが違うだろう。また、「大みそか」が、「家庭で実施する」年中行事かどうかと考えると、いささかわかりにくい。これなどは、年越しそばを食べるかどうか、といった設問のほうがよさそうな気がする。

 ともあれ、節分が、家庭ではお盆よりも実施率が高かった、というのは意外だったし、クリスマスがほぼ8割というのも、あらためて、なるほど、と思わされた。
 じつは、この出典は少し古く、先の研究所のレポートとは別に、1993年12月に刊行された『現代家庭の年中行事』(講談社現代新書)としてまとめられている(京都のCDIというシンクタンクが協力している)。
 恐縮ながら不勉強で、その後の変化したデータというものを探していないが、おそらく、伝統的、古典的な行事であるほど実施率が下がってはいても、人々の「意識」としての家庭での実施率は、そんなに極端には変化していないのではないか、と思う。
 もっとも、バレンタインデーが当時37.6%だったり、ホワイトデーが7.3%だったりという数字は、その後の、流通業界による販促での力の入れようを振り返ると、ずっと大きくなっているだろう。

 年中行事は、時代の鏡のひとつでもある。
 「年中行事」という表記は、宮中で成立したらしいが、伝えられてきた行事の数々には、農耕儀礼をはじめ、民間での伝承も多い。また、いずれにしても、つい、そういった伝統行事だけをイメージしがちだけれど、考えてみたら、区民運動会だって、町内の慰労会だって、決まった時期に年に一回行なわれる、年中行事である。

 やっぱり「背景」でしょうね。なぜ、それがあるのか、なぜ、続けてきたのか、納得できる理由、うなずける物語。そして、それにともなう「行為」。
 「歴史」も、あくまで背景のひとつ。十年前から始めた祭りと、千年続いている祭りとでは、当然、重みが違う。バレンタインデーでも、クリスマスでも、西洋ではあるけれど、歴史がちゃんと裏側にくっついている。

 そこをうまく「背景」づくりしたのが「恵方巻」でしょうね。
 その年の「恵方」を向いて食べる、という意味づけは、時節によって方角の吉凶が変わるというふうな、古来の世界観をなんとなく聞きかじっていて、占い好きの、日本人を納得させる。そして、食べる、という嬉しい「行為」をともなう。
 そして「無言で食べ終える」というルールをつけ加えたのが、ちょっとしたキモ。十三まいりで、橋を渡りきるまで振り返ってはいけない、とか、祇園祭の頃の舞妓さんの無言まいり、といったものと、なんとなく通じるものがある。そこに、ずっと昔からある厳格な「しきたり」の存在を匂わせる。
 何百年前から続いています、と言っても信じられてしまうような物語を、ちゃんとくっつけた発案者は、現代の平賀源内ですね。効かない健康食品を売るのとは違って、人々を心地よい納得でその気にさせた。

 こんなに、たいへんな社会環境だから、できればここまでの自分をリセットしたい人はなおさら多い。だから、元旦や、旧正月や、立春などなど、新しい年の始まりがいろいろあるのは、今の時代のニーズに合っているかもしれない。
 さあ、節分に厄払いがすんだら、今日は立春です! もう一度「新年」はじめましょう。
   
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2009年02月03日

京都の節分と、節分限定から毎日販売になった金つば。

旧暦一月九日 己卯(つちのとう) 節分

 節分はもともと年に四回あった、と言われても、なかなかピンとこない。
 読んで字の如く「節を分ける」つまり春夏秋冬それぞれに、季節と季節が引継式をするのが、この日なんですね。明日は立春ですから、今日は、冬と春の季節の分かれ目。
 なので、四回あった、ではなくて、四回あるわけですが、なぜか、いつのまにか立春前の節分だけが、こよみに載るようになったそうです。

 なんとなく、節分は二十四節気のうちのひとつのように思っていたら、そうではなくて、「雑節」と呼ばれている。「八十八夜」とか、「入梅」とか、「土用」なんかも、この雑節にあたります。お彼岸もそう。
 雑な節? なんだか軽く扱われているみたいだけれど、節分は重要な歳時の日。京都では当然、多くの社寺で儀式、行事がとり行なわれ、中でも賑わうのが吉田神社と壬生寺。この二社寺の周辺で交通規制されることからも、その人出の多さがわかります。

 吉田神社では、「追儺式(ついなしき)」が、すでに二日の夜、行われていますが、これは、四つ目の仮面を被り、神の役割を代行する、方相氏(ほうそうし)という異形の呪術師? が鬼を追い払うというもの。「陰陽師」も出てきて祭文を読み上げるので、今どき人気がありそうです。
 もともと中国から伝わった「大儺(たいな)」という疫鬼(えっき)を追い払う儀式が、宮中に伝わり、元旦前日の大晦日に行なっていた、これが、追儺と呼び換えられるようになり、立春の前日に行なわれるようになった。というのが大筋の由来だそうで、宮中のしきたりが、やがて御所を出て下々に広まった、というところは、雛遊びと似ていますね。

 現代京都の名所旧跡についての底本ともいえる、故竹村俊則さんの『昭和京都名所圖會・洛東−下』(駸々堂)には、節分に、「京都では『四方参り』といって、東北方の吉田神社、東南方の稲荷退社、西南方の壬生寺、西北方の北野天満宮に参詣する風習がある」と記されているけれど、今、ほとんど、そういったことを聞かない。
 宮中には、元旦に、天皇自ら天地四方を拝して年災をはらう「四方拝」という儀式があって、これは今も伝承されているそうだから、それを真似たものかもしれない。

 吉田神社とならぶ、もう一方の節分の雄が、壬生寺。「ガンデンデン」のお囃子で知られる壬生狂言が楽しい。炮烙(ほうらく)割りは見ていても快感ですね。

 この壬生寺のそばに、幸福堂という饅頭屋さんがある。
 以前、節分の時、たしか三日間だけ「金つば」を売っていた。白あんだったかの「銀つば」も、その頃からあったかもしれない。記憶がそんなふうにあいまいなのは、今では毎日売っていて、「芋きんつば」まであるからだ。

 京都には、和菓子屋さん、お饅頭屋さんが多いこともあって、季節限定はもとより、販売日限定の和菓子がたくさんある。それはそれで、ひとつの魅力だ。
 毎日買えるものなら、いつでもいいや、ということになる。
 「え? 今日と明日だけ。もう来年までないの? なら、買っておこうかな」
 百貨店の物産フェアと、ちょっと似ている。
 節分の三日間だけ、のように、この縁日の日だけに手に入る、となると、希少価値が生まれて購買意欲がわく。

 壬生寺の節分会の間、幸福堂の金つばには、今も長い行列ができている。今年もきっとそうだろうな。この行列に並ぶ人たちが、昔のように、金つばが、この時にしかつくられていないと思いこんでいて並んでいるのか、それとも、たいへん美味しくて、せっかく来たのでぜひ買って帰りたいと並んでいるのか、あるいは、人が並んでいるので、群衆心理で自分も列の後ろについたのか。

 京都千二百年を生きるお店の販促は難しい。
 ふだんは、人通りもそれほどなく、毎日売られるようになった金つばを買う人がどれほどいるのかはよく知らない。
 限定をはずしたことが吉と出るかどうかは、二、三十年しないとわからないのかもしれない。まあ、美味しくて、それを目当てに遠くからわざわざ買いにくる人がどんどん増えれば、そんなこと、まったく関係なくなるのでしょうけれどね。
   
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