2010年10月21日

「秋の土用」に入った。

旧暦九月十四日 甲辰(きのえたつ)

 さすがに朝晩冷え込むようになってきて、いつまでたっても「残暑」の日々に躊躇していた衣替えを、あわてて始めなければならなくなった。
 そりゃそうですね。中秋の名月からほぼひと月が過ぎ、昨夜はもう、十三夜だった。

 旧暦八月十五日、つまり十五夜の月が「中秋の名月」であり、翌九月十三日には「十三夜」の月を愛でる。
 前にも少しふれました(http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/archives/20091113-1.html)。
 中秋の名月は、「中秋節」の中国から伝わり、韓国でも「嘉俳(カベ)」と呼んで重要な節日となっているらしいけれど、「十三夜」は、花鳥風月の日本ならではの風習で、中国にも韓国にもないようだ。

 で、中秋の名月、すなわち十五夜の月を賞したならば、十三夜の月見を欠かすことはできない、という暗黙のルールがある。これを破って、どちらかの宵の月だけしか観ないと、「片見月」といって嫌われる。ペナルティはないようですが(笑)、何らかの意味づけで、縁起がよくない、ということなのでしょうね。
 でも、今年の十五夜は、京都ではたしかお天気がよくなくて、月はほとんど出なかったし、きのうの十三夜も曇ってしまった。結局、どちらも月を観ることができなかったので、天のはからいか、片見月にはならずにすんだ。
 いやいや、風流というのは、御しがたく、奥深いものです。

 そしてまた、昨日は、十三夜であると同時に、秋の土用の入りだった。
 「土用」は、夏の土用だけ「鰻を食べる」土用の丑で知られていて、夏のものだというようなイメージがあるが、じつは四季それぞれにある。

 近年はやりの陰陽道、何年か前に安倍晴明さん人気で、京都の晴明神社が一気にメジャーになったけれど、その陰陽道のルーツ、五行説によると、この世のすべては「木火土金水」の五気によって生成されている。で、四つの季節に、この五つの「元素」をあてはめようとすると、ごくあたりまえにひとつ余ってしまう。だもので、立春や立秋などの、それぞれの季節に入る前、それぞれ十八日を「土」に分配して、つじつまをあわせた。

 五行説では、五行配当表というのがあって、五行すなわち五気に、色や方角、季節、星、味覚、感覚、内臓(五臓)から、声といったものまで振り分けてある。
 季節でいえば、木に春、火に夏、金に秋、水に冬となって、土に土用である。
 色では、木に青、火に赤(紅、朱)、金に白、水に黒(玄)、土に黄、となっていて、これがつながって春は青春、夏は朱夏、秋は白秋、冬は玄冬と異称で呼ばれる。

 それにしても、この五色など、赤・青・黄は色の三原色、印刷物でよく言うマゼンタ、ブルー、イエローであり、黒が加わって、四色刷のカラー印刷のベースそのものだ。
 つまり、色の三原色と、それらをあわせてできる黒。そしてまた、黄を緑に置き換えれば、光の三原色となって、あわせると、白となる。これが、ちゃんとそろっている。
 微妙なところはあるけれど、はるか古代に、ちゃんと頭の中で分色、分光していたのはすごいな、と思う。

 話を土用に戻せば、かつて専業主婦から民俗学者となり、ことに陰陽五行に関して多くの著作を残した、故・吉野裕子さんは、「この土用こそ、中国思想の真髄を一年の経過の中に、具体的に示しているものとして私にはとらえられる」として、次のように説明している。

(前略)冬は唐突に春になるのではなく、春もまた直ちに夏に移るのではない。各季節の間には、そのいずれにも属さない中間の季(とき)がある。それが各季節の季(すえ)におかれた、十八日間の土用である。(中略)土気の作用の特色はその両義性にある。つまり土気は一方において万物を土に還す死滅作用と、同時に他方においては、万物を育みそだてる育成作用の二種の働きをもつ。そこで一年の推移においても、各季の中間におかれた土気は、過ぎ去るべき季節を殺し、生れるべき季節を育む。それによって一年は順当に推移する。(『陰陽五行と日本の民族』人文書院)

 うむむ。中国共産党政府のみなさんにも振り返っていただきたい、五千年の文化の根源ですね。

 そういった、重要な期間なので、本来、いろいろと制約もあった。

 土用の期間中は、土公神(どくじん)なる神様が支配するといわれた。土公神は陰陽道で、土をつかさどる神とされた。古い暦注書には「土を犯し殺生を忌む」とある。(略)葬送があっても、この期間中は延期された。また、土を動かすこと、つまりは造作、かまどなどの修造、柱立、礎を置くこと、井戸掘り、壁塗りなどいっさいが凶とされた。
 (略)土用は春夏秋冬の四回あり、合計七三日にも及ぶ。この土用の期間中、いっさい土を動かすことができないとなれば、非常に不便である。特に「秋には土公が井戸にあり」と言われていたので、秋の土用は井戸掘りや井戸替えが厳禁されていた。これでは不便この上ないし、それを生業としている人々もあがったりだ。そこで土用にも間日(まび)というものを設けた。この日には、文殊菩薩のはからいで、土公神一族すべてが清涼山に集められるので、土を動かしても祟りがないということにした。(『現代こよみ読み解き事典』柏書房)

 この「間日」は、四季それぞれ順番に十二支の日があてられ、秋の土用では「未(ひつじ)・酉(とり)・亥(い)」の日となっていて、四日に一回やってくる。
 わざわざ難しくしておいて、また、ラクにする言い訳を考える、という思考システムは、古代思想を推し量る際のポイントのような気がするけれど、文殊菩薩さんをひっぱりだして、間日をつくったあたりは、なんとなく日本に伝わってから(笑)のような気がしますね。

 せっかくだから、秋の土用にも、夏の土用の丑のような、特異日ならぬ「特食い日」をつくったらいいと思うのだけれど。
 冬、春にもつくって、四季そろえば、また相乗効果がありそうな気がする。

 今頃であれば、鍋の日、あたりかと思ったけれど、鍋の日はちゃんとあって、11月7日だという。11・7で「いいなべ」と読むのだそうだ。ふむふむ。
 まあ、たいていの「○○の日」は、こんな、少々ムリのある語呂合わせをするだけだから、ほとんど盛り上がらない。
 土用の丑、は、なんとなく、陰陽五行的というか、意味ありげな特定の日を指定しているから、どこか乗りやすいのである。
 「節分の日」に「その年の恵方」を向いてまるかじり、といった巻寿司の販促もそうだけれど、「なぜこの日なのか」という設定に、ただの語呂合わせではない意味づけ、ストーリーが必要なのだ。どうせ語呂合わせ、と思われてしまっては、ただの役所のキャンペーンと大差ないイメージとなってしまう。
 だから、鍋であっても、何の、どんな鍋、といった細目が決まっていて、説得力のある裏づけがなければだめでしょうね。

 土用の丑に鰻、をブレイクさせたといわれる平賀源内から、ざっと二百五十年。
 みなさん、秋の土用も、冬の土用もありますよ。
   
タグ:五行 土用
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2010年10月14日

孫の日と、消えたお年寄り。

旧暦九月七日 丁酉(ひのととり)

 この週末にやってくる日曜日、17日は「孫の日」なのだそうだ。
百貨店協会が制定したらしい。
 可愛いマゴのために、じいちゃん、ばあちゃんに、いっぱい買い物をしてもらいましょう、というキャンペーン。
 迷惑でしょうね(笑)。

 10月の第三日曜日を充てるらしい。
 なぜ10月の第三日曜日かというと、9月の第三月曜日が敬老の日で、その一ヶ月後になるので、このあたりがちょうどいい、ということになったようだ。
 バレンタインデーの一ヶ月後にホワイトデー、のノリというわけですね。
 もともと「敬老の日」は9月15日だったけれど、休みはなるべくまとめて連休にして、なんとか消費に結びつけていこうという「ハッピーマンデー制度」によって、いつのまにか第三月曜日ということになった。

 ハッピーマンデー制度以来、祝祭日はぐちゃぐちゃになってしまった。「敬老の日」が決まった期日でなくなったことには、高齢者の関連する団体から抗議が相次いだという。それで、9月15日を「老人の日」ということにして、続く一週間を「老人週間」にした。いや、知らなかったなあ(驚)。
 ウィキペディアで「敬老の日」を引くと、もともとこの日がつくられた経緯も説明されている。おそらく、おおむね正しいでしょう。

 「孫の日」はもちろん、国民休日ではない。百貨店協会がねらっている、この日のコンセプトは、「小皇帝の日」といったところでしょう。
 マーケティングとしては正論というか、いいところをついた発想で、心理的にもツボにはまっている。だけど、「母の日」や「父の日」、あるいは「敬老の日」などと較べて、商売人が最近つくったものだから、というだけでなく、なんとなく違和感を感じるのは、「孫」には、特別な日に報いられるべき、ふだんの苦労や日常の努力があるわけではなくて、祝ってあげる人のほうが、むしろ報いられるべき存在だから、だろう。

 つまり、どこかに、本末転倒?! という潜在的な抵抗意識がはたらくのだ。
 シックスポケット、といわれる、小皇帝、小皇后に、そこまでしてあげなくても、ふだんから、毎日が孫の日みたいなものじゃないの? といったシニカルな疑問が、ついかすめてしまう。

 そういえば、老人の日も、敬老の日も、老人週間も、盛り上がってはいなかった。孫の日、と言われて、そうか、そっちもあったはずだな、という印象である。
 人口は、圧倒的に「孫」より多いはずだから、本当はむしろ、ここでのマーケティングをうまくやって、その「先進的な」サービスや商品の開発を、後に続く世界の高齢化社会に輸出しなくてはね。


 以前、まだ社会人になって間もないころだっただろうか、バスに乗っていて、その車内は、そこそこ混んでいた。
 今でもときどき遭遇するけれど、京都市バスの運転は少々荒っぽいことが多くて、よく揺れた。
 すぐ向こうにおばあちゃんがいて、ぐい、とバスがハンドルを切ったときに、よろけた。 すると、よろけた先にいた、まだ高校生くらいだっただろうか、若い女の子は、おばあちゃんを支えると思いきや、すっと、よけた。
 そのまた手前にいたこっちは、あわてて倒れてきたおばあちゃんを受けとめて、おばあちゃんは、かろうじて妙な転け方をしないですんだ。
 そしておまけに、おばあちゃんをよけた女の子は、席が空いたとたん、おばあちゃんを尻目にさっさとそこに座った。

 うーん、温厚な青年としても(笑)、怒り心頭。
 幸いなことに、その時、鼻がむずむずとしてきた。
 ちょうど、立っている位置は、年寄りを目の前において座っているその女の子の席の真横。いつもと違って、口をふさいだり、うつむいてよけたりしないで、頭上から思いきりくしゃみをした。
 嫌な顔をして見上げたので、思いきりにらみつけてやった。
 悪いお兄さんですねえ(笑)。

 でも、今となってはいくらか反省もしている。
 その子ももちろんよくないけれど、常識のない子を育てた親が悪いのだと思う。年寄りをいたわったり、敬意をはらうという習慣が、身のまわりにないのだ。
 ならば、誰といわず、みんなが、ちゃんと教えてあげなければいけない。

 停留所で待っていてバスが到着したときなど、年寄りが乗ろうとしているのに、先に乗り込もうとする若者はよくいる。だけど、ちょっとひきとめて、年寄りのほうに視線をおくると、たいてい、すぐに理解して、すみません、といった照れた表情をみせるものだ。
 ふだんの暮らしで、社会における気配りの習慣が身についていないだけなのである。

 核家族の時代。きっと、その女の子も、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に暮らした経験がなかったのでしょう。孫の日など、縁遠かったのだ。
 いやー、あたまから大雨でごめんね。God bless you!(笑)

 ついしばらく前、「消えたお年寄り」が話題になった。
 百歳以上の高齢者で、戸籍上生存していることになっているのに行方不明の人が、なんと23万人を超えた、という。
 これは、とんでもない数字でしょう。
 百五十歳を超える老人が「生きて」いたり、という、笑い話のような「書類上の事実」が次々と伝えられた。
 年金の不正受給のような犯罪がらみの問題もあったようだけれど、それ以前の、何か、今の世の中の、高齢者に対する扱いを象徴しているようで、愕然とした。

 いてもいなくてもいい、社会がそう言っているような悲しい気持になった。
 しばらくマスコミが競って取り上げたあと、話題にも上らなくなった。
 行政機関は、たいして事実関係を確かめもせずに、簡単に「除籍」かなんかしたみたいだけれど、中には犯罪被害だってあり得るだろう。
 ほかのことではなかなか自分たちの間違いを認めないくせに、このことについては、あっさりと「書類上のミス」を認めて戸籍を書き換えた、なんて、あきれてものも言えない。

 無責任なマスコミには続報もなく、行政機関に確かめに行ったわけでもないので、何を基準に「戸籍の書き換え」をいとも簡単にしたのか、結果がどうなっているのかがわからないけれど、もし「百歳」を基準に、それ以上の年齢で居住確認できない人を単純に抹消したのだとしたら、その百歳の基準は、どういう理由なのだろう。
 やがて面倒だからと、六十歳以上が整理されたり、極端にいえば、二十歳以上だって、簡単に削除されることが、なくはないことになる。あとから本人が生きているとわかれば、どうなるのか。

 孫の日の前日となるあさって16日は、旧暦の九月九日で、重陽の節供だ。
 長命を寿ぐ日でもある。
 長生きするということは、古来、人々の最大の願いだった。吉祥文様の多くは、不老長寿を象徴する。鶴亀や松竹梅は代表選手。重陽の節供に菊酒を飲むのも、邪気を祓って長命を願うためだ。( http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/127694780.html

 一方、子孫繁栄もまた、かつては切実な願いだった。子どもは産まれてすぐに死ぬことが多く、育つだけでもたいへんだったし、子だくさんは一族の繁栄につながった。だから、葡萄唐草が吉祥文様だったりする。
 小皇帝や孫の日なんて、とても言っていられなかった。


 子だくさん、が可能な時代になると、誰も子だくさんを目指さなくなった。
 孫にプレゼントをしたい、というのは、つくられた「孫の日」にのせられて、というよりも、可愛い孫に何かあげたくてしかたないジジババのために、お正月やお誕生日、新学期といった従来の特定日に加えて、さらに機会を与えてくれる、というポジティブな受け止め方をしなければいけないのでしょう(笑)。

 で、おそらく、この日の前後に市場調査が行なわれることだろう。
 そのとき、調査対象となる高齢者を広くとれば、こういう「記念日」に積極的・消極的、あるいは肯定・否定といった統計は、ひょっとしたら、めぐまれているお年寄りと、そうでないお年寄りの、分布や比率を知る手がかりになるかもしれない。
   
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2010年10月08日

寒露、甘露。

旧暦九月一日 辛卯(かのとう) 寒露(かんろ)

 旧暦では、ようやく九月に入りました。
 お朔日(ついたち)は、二十四節気の「寒露」にあたる。

 例によって『現代こよみ読み解き事典』(柏書房)によると、「寒露とは、晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のことをさし、秋の深まりを思わせる。」とある。国語辞典や漢和辞典でも、ほぼ同じ説明。
 まだ、衣替えにウロウロしているけれど、そろそろ秋深し、なのですね。

 「寒露」という言葉を、かつて、「甘露」とごちゃまぜにしてしまっていた。
 おお、寒露ぢゃ、甘露ぢゃ。なんて。
 なにごとも、ちゃんと辞書を引いたり、確かめないといけませんね(恥)。

 でも、そろそろ食欲の秋、寒露というと、ついつい、なんとなく「甘露」をイメージしてしまう。
 「甘露」とは、もともと「不老不死の妙薬」らしい。

@天から与えられる甘い不老不死の霊薬。中国古来の伝説では、天子が仁政を行なうめでたい前兆として天から降るという。(『国語大辞典』小学館)

@甘い(おいしい)つゆ。天子が善政を敷き、天下が太平になると、天が降らせるという。〔老子、三十二〕(『大漢語林』大修館書店)

 おお、さすが古代中国の発想ですね。
 まあ、でも、今の中国にも、日本にも、甘露が降ってはきそうにないけれど。

「甘露」には、ほかにも、おいしい、美味であるとか、いろいろ派生的と思われる語意があるけれど、源流としての意味がもうひとつある。

A(梵amrtaの訳語。阿蜜■〔口へんに栗〕多と音訳。不死、神酒などとも訳す)インドで天の神々が不死を得るための飲料をいう。転じて、仏の教え、仏の悟りなどにたとえる。(『国語大辞典』小学館)

A(仏)梵語amrtaの訳語。不死・天酒とも訳す。トウ利天の甘い霊液で、よく苦悩をいやし、長寿を保たせ、死者をも復活させるという。仏法にたとえる。「甘露法雨」(『大漢語林』大修館書店)

※ amrtaの r は、文字の下に .がつきます。「トウ利天」のトウは、りっしんべんに刀。
どちらもデジタルフォントでは出ません。


 おそらく、漢語のほうが先にあって、伝来した仏典の訳語を合わせ易かったのでしょうね。
 こういう寿福を語る前向きな言葉は、何かと転用がしやすい(笑)。
 だもので、日本の、食欲の秋には、いっぱい「甘露」の形容が広がった。
 甘露酒、甘露醤油、甘露水、甘露漬、甘露煮、甘露梅……。 これらは、『大漢語林』にはない言葉。
 いやいや、食べものに美学を求める日本人の習性がしみじみわかります(笑)。

 で、国語辞典に無くて、漢語辞典に有った、甘露の派生語は、「甘露門」。
 「(仏)涅槃に至る門戸。如来の教え。(智度論)」とある。本義の流れですね。
 あまり出てこないところをみると、、中国では、食い物に、安易に不老不死の形容を与えてはいないようだ。

 でも、こうしてみると、「寒露」も、もう少し応用できそうな気がする。
 世界が魅力を感じている「和」の時代です。
 原典は中国だけれど、いいのだ(笑)。
 秋深まって野草に宿る、清冽な露は、ピュアなイメージ、ひいてはエコなイメージまでネーミングとしてつなぐことができそうです。
 あと一週間ばかりすれば、旧暦の九月九日、重陽の節供だけれど、前夜から菊に「着せ綿」をして含ませる露も、この時期だから、やはり「寒露」の一種でしょう。
 そして、これも長寿をもたらすのだから「甘露」に通じる。

 「甘露醤油」というのは知らなかった。
 「塩水の代わりに濃口醤油を使って仕込んだ濃厚な味の醤油」とあるから、刺身醤油のようなイメージなのだろうか。

 醤油あるいはそれに類する調味料は、地域の文化の象徴のように思えますね。
 出雲で始めてそばを食べたときには、あきらかに醤油の違いを感じたし(飯塚そばが店を閉めたらしいのは、じつに残念!)、時間とお金があれば、各地の醤油をなめ歩きたいと思ったものだった。

 かつてサルトルやヘッセの著作集を出していた、京都の人文書院という出版社の、たしか元編集長だと思うのだけれど、松本章男さんというかたが、『京都で食べる京都に生きる』(新潮社)という本の中で、京都の食に関する原稿を書いた時に、東京の編集者が、何度「淡口(うすくち)醤油」と書いても、「薄口醤油」と直してきた、と嘆いておられた。
 京都に関する東京モン(笑)エディターの間違いだらけについては、いずれ特集を組みたい(笑)けれど、「薄口」の醤油は典型的な例である。

 まあ、でも、東京の、コロッケまでのっけてしまう、なんでもありの、「東京」醤油で真っ黒なそばも、それはそれで懐かしい。
 うーん、神田のやぶそばで天たねが食いたい!
 久しぶりに、東京の仕事、こないかな(笑)。
   
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