2011年03月31日

東京電力、社員の責任。

旧暦二月二十七日 乙酉(きのととり)

 確か、一度、お詫びにうかがいたいと言って福島県知事から拒絶されたときにテレビニュースで顔を見て、それ以来ではないだろうか、姿を見せず、謝罪もしない、説明もしないと、非難をあびていた東京電力の清水正孝社長が「体調をくずして入院した」として、勝俣恒久会長が記者会見に「初登場」した。

 どうせ出てこない社長が入院しようがしまいが、その説明になんで今頃、会長が、という気がしないでもないが、いずれにしても、コーポレート・ガバナンス(企業統治)だの、CSR(企業の社会的責任)だの、環境意識だのと、立派な単語で飾っても、企業風土としてその実質的な裏づけがなければ、いざというときに、たちまちメッキが剥げるということを、東京電力という会社は、しっかりと証明してきたし、この大事故が未だ他人事のような会長会見が、さらに駄目押しをしたという気がする。

 もともと「隠蔽体質」を追及されていたようだが、ほんとうは、そういう「風評」を払拭するいい機会だったはずなのに、逆に、念押しを積み重ねることになってしまったのは、他の企業にとって、まさに他山の石だろう。

 福島の原発事故から十日も経ったころ、5、6号炉がようやく安定冷却できるようになった、と、さりげなく発表があって、えっ、と驚いたものだった。
 最初、みんな1〜3号炉に目を奪われていたし、マスコミは、4〜6号炉については「停止」して定期点検に入っていたので大丈夫のようなことを言っていたので、4号炉の「使用済み」燃料を保管しているプールがどうのこうの、と言い出したときにも、おいおい、と思ったけれど、マスコミのみなさんは不勉強でツッコまない、ツッコめない。
 情報の不確かさに対して諸外国がいらだっているということが、今になってつくづくわかってきた。情報開示に対する姿勢が、いいかげんなのか、隠しているのか。

 安全だとか、心配ないとか、やたらと言っているけれど、まったく説得力がない。
 政府も、東京電力も、テレビ番組も、どうも信用できない、といった空気がただよっている。
 なぜ説得力がないか。
 みんな本質的に、事態を沈静化させるためではなく、批判を沈静化させる方向にばかり話を向けているからだ。

 録画しておいたものの失敗して、かなり冒頭部分が欠けた「朝まで生テレビ」を、ようやく、飯を食いつつパラパラと見たら、原発事故の話をしていた。いつも、議論への賛否は別として、なんらかの勉強になるところはあるのだけれど、今回のはくだらなかった。欠けた部分に実のある議論があったのかな。関係者の記者会見や、ニュースのコメンテーターと、言い方は違っても、話しの中身はたいして変わらなかった。普通のテレビ番組だった。

 その中で、勝間和代さんは、
「放射性物質が実際よりかなり怖いと思われていることに問題があるんじゃないかと思う」
「今回の原子力事故で死者が出ましたか?」
などと言っていた。
 ふーん、それなら愛用の自転車で、原発周辺をツーリングでもしてくればいい。
 できれば、福島県警が、「遺体の放射線量が高くて危険なため、収容を断念して付近に安置した」ままになっている(京都新聞3.29.)という震災の被災者らしい男性を、背負って帰ってきてくれると感謝されるのではないか。
 あの、自己主張の塊のような違和感に満ちた「ロードバイク」姿を、全国のサイクリストたちはどう見ているのだろうね。
 もともと経営コンサルタントだそうだから、東京電力さんのコンサルタントをやるには向いているだろう。ならば、原発へ行って、現場を知ったコンサルティングをしなくては。

 原発事故では、新聞など活字媒体が、比較的冷静に実情や新たな事実を拾っているが、その流れにイメージビジュアルを加えると、テレビとは逆の方向へ向く。
 『アエラ』の表紙が「不安を煽った」とされて、「抗議」が相次ぎ、必要のない謝罪をした。
 そんなに簡単に謝るような紙面づくりをしているのだろうか。
 「根拠のない安心を撒き散らしている」ほうが、よほど抗議されるべきだろう。
 あんな表紙が「不安を煽った」とされるけれど、『日本経済新聞』の、不安を煽りそうな誤報は、逆に話題にもならなかったようだ。
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2011/03/18/entry_30021364/

 想定外の災害だった、ということばかり言われるが、「想定外!」という地震と津波は、じつは想定外ではなかった。
 「貞観(じょうがん)津波」という、1100年以上前に起きた(869年)巨大津波があり、何年か前の調査で、これが、それまで理解されていた以上の大規模津波であったこと、このとき、何qも内陸の奥まで到達していたことがわかっている。
 そして、この調査結果をもとに、産業技術総合研究所の活断層・地震研究センター長、岡村行信さんという人が2009年、経済産業省の総合資源エネルギー調査会、原子力安全・保安部会というところで、福島第一原発の脆弱性を指摘していたらしい。(京都新聞3.27.)
 いずれも団体名、部会名で検索すると、委員の名簿なんかは一覧できる。委員を個別に調べれば、おおよそ、その部会の性格がわかるだろう。
 新聞記事によると、このとき、東京電力が「十分な情報がない」として地震や津波の想定引き上げに難色を示した、とある。

 それはそうでしょう。2008年から社長に就任した、目下「病気療養中」の清水正孝さんは、「コストカッター」として知られるらしいから、そんな金食い虫の津波対策など、とてもやってはいられない。
 テレビで、東京電力「協力会社」の社長が語っていたところによると、福島第一原発の想定津波は5メートル。非常用ディーゼル発電機やバッテリーは地下にあったそうだ。
 それは密閉されていなかった。つまり、防水機能はなかったわけだ。
 で、こういう事態となった。

 東京電力のホームページは、最近になってコンテンツ更新を停止していると断っているが、個別のテーマで検索すると、事故前のものがまだ出てくる。
 「社会・環境分野の取り組み」→「社会との関わり」と見てみると、
「東京電力は、事業活動に関わる様々なステークホルダーに応じて、コミュニケーション活動を行っています。いただいたご意見・ご要望を活かし、よりよい事業展開をはかるとともに、みなさまからの信頼をより確かなものにしていきます。」
とある。
 「地域社会」→「産消交流活動」を見ると、
「協働を通じて築く、地域とのパートナーシップ/東京電力グループの事業活動は、地域の方々に支えられています。地域社会の一員として、地域の発展に貢献するために、地域安全、教育支援、福祉・文化など、様々な活動を地域のみなさまとともに行っています。」
とある。
 どれも、オーソドックスな表現ですね。

 今回、近隣の野菜から放射性物質が検出されたとき、「ただちに健康に害はない」などというより、すぐに、東京電力が全量を買い上げれば、あとから補償するより話は早いし、企業イメージにしても持ち直したかもしれない。
 CSRだとか、地域密着、かつて流行りかけた企業のフィランソロピーなどというのは、本来、そういうことでこそ証明される。

 「貞観津波」は、清水社長にとっては、かなり重要な意味を持っている。
 JR西日本の山崎正夫前社長が、福知山線の死亡事故で「危険性を予知できたにもかかわらず、保安装置ATSを導入しなかった」として、業務上過失致死傷罪で起訴されているが、先の津波想定のレベル引き上げを無視したのは、少なくとも日本全体の空気をみれば、確実に起訴理由になるだろう。JR同様、社長だけが人身御供として刑事告訴されるのか、山崎さんの公判の行方を「病床」から必死で見守ることになる。

 刑事責任は別としても、東京電力の賠償責任は明白である。
「原子力損害賠償法」では、無駄な税金が1200億円までは遣えるという馬鹿馬鹿しい原則で国が肩代わりするらしい。それを超えると東京電力が払うことになる。
 賠償については 国民的議論をもとに、などととぼけたことを、つい先ごろシステムダウンして給料も振り込めなかったどこかの銀行の総研エコノミストが言っていたが、地域住民を「電力の受益者」などといってすり替える発想からは、銀行エコノミストが、バブル崩壊から何も学んでいなかったことを、あらためて実感させる。

 東電の純資産は、およそ2兆5千億だという。
 「自主」避難を「強要」された人たちへの補償、慰謝料、しばらく住めない土地の復元費用、さらに企業への損害賠償は、「計画停電」についても膨大な金額になると考えられる。

 東京電力の従業員数が、新聞、おそらく共同通信の配信記事によると「5万2452人」となっていたが、少し前にホームページで38,227人となっていたから、共同通信では下請け、あるいは孫請けまで含めているのだろう。1万4千人の違いはむちゃくちゃである。
 「協力会社」という名で呼ばれる下請け、孫請け社員の処遇がどんなものかは、最近のニュースでよく知られる、一日二食、アルファ米に缶詰、現場の床で寝る、あの原発作業員の人たちが典型なのでしょう。
 で、「正社員」の人たちの処遇はというと、日経産業新聞によれば、2010年の賃金交渉の回答で、組合員平均または従業員平均が、月額403,273円。年間一時金支給額として1,680,000円となっている('10.4.13.同紙)。
 2010年の夏のボーナスについては、38.4歳平均で836,000円、前年比4.36%増('10.7.20.同紙)。2010年の冬のボーナスについては、同じく38.4歳平均で844,000円、前年比4.32%増('10.11.22.同紙)。トータルの帳尻は合っている。
 役員の報酬は、ネット上に散見できるが、正確にはわからない。いずれにしても、役員報酬と退職金は、全額、賠償に充てて当然だろう。みなさん、食うに困らないだけの資産はお持ちである。もっとも、事故原因の検証次第では、私財でとても足りない賠償責任も、あり得る。
 ざっと4万人の社員として、年俸を3割カットして賠償に充てれば、780億円くらいが積み増しできる。十年あまりかければ、なんとか1兆円くらいは社員が払えるだろう。それくらいの連帯責任はあって当然の、それこそ原発の「受益者」である。

 この、前代未聞の、原発「同時多発事故」が、これから長い時間をかけて、とりあえず収束したら、当事者や被災者以外の人たちは何事もなかったようにふるまい、「天災」がもたらした事故に果敢に立ち向かった消防隊や自衛隊をヒーローとして、テレビドラマや映画が企画されるだろう。
 あの、活躍している「特殊車両」たちについても、きっとすでに、タカラトミーさんあたりがミニチュアカーの原型か金型をつくり始めているにちがいない。
 それはそれでいい。商売人の本能である。
 だけど、要は、そんな、お気楽な時期がいつ来るか、まるで見通せない、ということなのだ。
 原発による被害はもとより、震災からの初期復旧、復興、そして日本経済の足をこれだけ引っ張っている責任は、簡単には許されないほど大きい。
   

〈最近の関連過去記事〉
3/17 福島原発200q圏内の子供と妊婦は避難を!
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/191142232.html
3/15 東京電力の「広報」
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/190719393.html
2/28 ビキニ・デーとCSR。
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/188133868.html

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2011年03月17日

福島原発200q圏内の子供と妊婦は避難を!

旧暦二月十三日 辛未(かのとひつじ)

 福島原発の事故発生から5日経った16日の夜のニュースでも、まだ、東京電力は180人体制で現場対策にあたっていると言っていた。これが全員社員なのか、下請け会社を含めているのか、あるいは、下請けについては人数に含めていないのか、おそらく大半が下請け作業員という数字だろうけれど、いずれにしても、すでに4基もの原子炉が同時に危機的な状態にあって、180人というのは1基あたり45人平均。そんなもので抑えられる状況ではないだろう。

 放射線量の数値が高いので、安全が確保できれば次の作業に、などという間の抜けた報道を何度聞いたことか。
 東京電力は全社員に非常呼集をかけて、全員決死隊として覚悟を決めるくらいのことはしなければならなかっただろう。原子力発電所を経営するということは、そういうことなのだ。なんの関係もない周辺の住民を被曝の危険にさらしておいて、何が作業の安全か。
 東京電力の従業員数は、ホームページでは38,227人とあった。少なくとも1万人くらいの男手はあるだろう。リスクの高い仕事はすべて下請けにまかせ、いざとなったら消防隊員や自衛隊員、さらには警察機動隊員の命を盾にして、自分たちは避難することばかり考えている姿勢には、いいようのない怒りを覚える。

 テレビは、ごまかしに満ちた記者会見を垂れ流すばかりで、これまで、現場から実況中継をやったメディアはひとつもなかった。
 くだらない24時間テレビなんかより、はるかに「視聴率」はかせげるだろう。よく、「報道」の歴史として、テレビ画面でたびたび見せられる、伝説の浅間山荘の現場中継などより、おそらく、ずっと歴史的な報道として残るだろう。
 まさに報道の使命。なぜできないのか。
 「安全のため30q離れたところから撮影しています」などというテロップの映像など馬鹿馬鹿しくて信用もできない。

 マスメディアでは、正確な事実も分析もまったくといっていいほど出てこなくて、人々は黙々と避難指示に従っている。パニックを煽ってはいけないが、事態はそんなに甘いものではない。
 世界が「レベル6」としていることが、現実を示している。
 奥歯にものがはさまったような「解説」ばかり聞かされる中で、ユーストリームが、ようやく、まともな現状認識を示していた。

http://www.videonews.com/interviews/001999/001761.php

 おそらく、事態は紙一重のところまできている。
 チェルノブイリの惨事に手が届きそうなところ、ひとつ間違えば超えていくという瀬戸際にあるだろう。

 今や、現場技術者の知恵と勇気を信じるしかない。
 運良く、この非常識な事故が、チェルノブイリを超えることなく落ち着いたとしたら、周辺の自治体や、あるいは企業からも損害賠償請求が始まるかもしれない。当然、住民への補償や健康管理のコストも浮上する。東京電力という企業がそれまで存続できたとして、この夏、夏期一時金でも出したとしたら、それは犯罪行為に等しいことになる。社員には、無責任な経営陣を放任してきた連帯責任がある。
   
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2011年03月15日

東京電力の「広報」

旧暦二月十一日 己巳(つちのとみ)

 なんともたまらない光景が、次々とテレビに映し出された。
 阪神淡路大震災のときには、直後から広がった火災のすさまじさが、大災害の強烈な実感をともなって、テレビの画面からも迫ってきた。
 今度の東日本の震災では、大火災も起きて、いまだ続いてもいるのだけれど、なによりも水の恐怖をまざまざと思い知らされた。
 この数日、何度も目にしてきた津波の映像は、音声がないことで、なにか別世界の出来事のような、ありえない恐怖のような、不思議な感覚で、気持ちが立ち尽くしてしまう。スマトラ島沖地震のとき、津波の映像はやはり何度も目にしてきたはずなのだけれど、流されていく街の風景が見慣れたものだからだろうか、よけいに、夢でもみているような錯覚、どうしても信じられない出来事に見えてしまう。

 家族や身近な人を失い、黙々として今の状況に耐えている人たちをみるたびに、胸がつまる。つい昨日には、よもやこんなことになるとは思いもせず、いつも通りに暮らしていたのだ。
 被災した人たちにとって、たいへんなのは、さらにこれからとなる。
 被害の全貌があきらかになってくるのも、まだまだこれからのような気がする。安否不明となっている膨大な数の人が、無事に確認されることを、ただ願うしかない。

 発生から四日目となって、テレビ各局は番組編成をもとにもどしつつある。さらに日が過ぎると、悲話の発掘や、悲劇の中の希望をエンタテイメントにしていくだろう。
 そういった流れにまどわされず、一人ひとりが、見失わないようにし、忘れないようにしなければならない。

 世界のメディアが、この大災害に直面した被災者、日本人の、冷静で、互いへの思いやりに満ちた対応を絶賛しているのだという。
 それが日本人の美徳と誉められることは喜ぶべきことでもあるのだろうけれど、そんな被災地の人たちを思えば、さらに胸がつまる。

 日本中が、共感と忍耐の心情にあふれている。
 そこに、つけこむと言えば言い過ぎかもしれないけれど、よく言えば甘えていることが、さすがに見え始めて、人々がいぶかり始めたのは、東京電力である。

 頻繁に繰り返されているうちの何度か、それも断片的にしか見てはいないけれど、そのかぎりにおいて、記者会見はじつにお粗末だった。原子力発電所という、一方で役には立つのかもしれないが、その反面で、一国を滅ぼしかねないほどの破壊力を持つ危険な装置を、こんな人たちにまかせておいていいものだろうか、という不安は、おおいにかきたてられた。

 質問されても、即答できず、自分たちでも顔を見合わせながら会見資料をめくり返している様子は、情報を正確に伝えるために送り出されたスタッフとは、とても思えない。
 配付資料の説明に、いちいち表題を読み上げて、いきわたっていない記者を確認しているなどというのは、小学校のホームルームで遠足の案内をしているようなものだ。資料には、頭に通し記号をふるか、ページ番号を入れておけばいい。できれば最初から通した数字にしておけば、対比しやすいし、わかりやすい。
 あらゆる面で、彼らは素人そのものだ。

 計画停電でも、だいたい、「グループA」、「グループB」などという実感のない呼び方自体、わけがわからないが、停電する区域の説明に、いちいち「ご迷惑をおかけする地域の」などと、もってまわって、これもなんだかわからない言い方は、ふだん、いかにも口先でごまかすことばかり考えているお役所的な企業体質を思わせる。「停電する地域は」とストレートに言わなければ、なんのことだかわからない、ということがわかっていない。
 広報、という水準ではない。
 まして、危機管理なんて、何も考えていなかったのではないかとさえ思える。

 計画停電、などという上手な言い方を、誰が考えたのか知らないが、根拠となる数値は示されていない。優先順位もよくわからない。実施の結果としての数値も出ない。じつは、一方の原発事故で逆風が吹くため、電力不足を今から世論にしておくための策略だ、という話さえ出ている。それほど「無計画」停電なのだ。
 停電は大きな影響がある。電気が使えないと、ビルやマンションでは水道も止まる。発熱する機器では、再開したときの不注意で火災の危険もある。医療機器などの稼働維持ができなくなると深刻な問題だ。
 それにしても、信号や医療など、安全な社会機能を維持するための電力供給は、インフラとして別系統にしておけないものかと、いつも思う。

 原子力発電所のほうは、ほんとうに専門家がいるのだろうか、と思えるほど、素人からみても幼稚な対応にみえる。もともと、危機感なんてゼロだったのではないか。
 想定を超えた地震だった、という言い訳はほんとうは通じないのだけれど、仮に、そこを許容したとしても、ならば、最初から、想定を超えた対応をしていれば、と思えてしまう。
 国もいいかげんなもので、事故発生から四日目にもなってから、情報共有をするために政府と東電で合同の対策本部を設置する、という発表には驚いて、あきれた。そんなものは、当然、最初からできていたものと、誰もが思っていただろう。

 どんな機器や装置でも、塩水に漬けてしまえば、もう使い物にならなくなってしまうことは、素人でもわかる。あとは一から再建することになる。膨大な費用がかかるし、事故によって、ひょっとしたら再建に反対されるかもしれない。だから、最初、冷却水が供給できない、といったときに、海水の注入をためらったのだろう。詳細はわからないが、おそらく、このわずかなタイムラグで、致命的な状況を防げなくなったのではないか。

 水素爆発が起こる、というのは過去の事故から学んでいるはずである。まして、弁が正常に作動しない、とか、容器の底が破損して水が抜ける、といったトラブルは、専門家でなくても可能性を想像できるリスクである。まして、当初、予備の電源が稼働しなかったとか、さらには、海水注入が止まった原因は燃料が切れていた、などという、まさか考えられないような話は、彼らを信じていれば、日本が滅亡しかねない、という実態を表面化した。

 最初は、チェルノブイリにはほど遠い、スリーマイルにはならない、などと楽観論を語っていたコメンテーターも、少し顔色が変わってきた。原発に批判的な人物は呼ばないから、当然、流れは各局同様に、おだやかな楽天性に満ちていたが、事態はおそらく、まさに「予断を許さない」ところまできているのだろう。
 チェルノブイリでは、職員や消防隊員が決死の覚悟で事故に挑み、何十人も亡くなっている。
 原発は安全だ、と言っていた東京電力の幹部や社員の人たちは、プロとしてみずからの主張を証明するためにも、水を注入したり、バルブを開けたりするために、被曝覚悟で突入を準備しておくべきだろう。天災に名を借りて、自分たちの不始末を、消防庁や自衛隊にだけまかせるべきではない。

 だらしないリスクマネジメントのおかげで、四日経ってもまだ、政府機能の大きな部分が東京電力に振り回されている。運を天にまかせて、これ以上事態が悪化しないことを願うしかない。
 菅さんも、自分に酔って記者会見で長々と演説したり、迷惑な現地視察に行きたがるのはやめて、中枢機能に集中してほしいものだ。
   
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2011年03月08日

カンニングも、カンパも、犯罪だ!?

旧暦二月四日 壬戌(みずのえいぬ)

 カンニングで逮捕、という前代未聞の「事件」も、以前の尖閣ビデオ流出騒ぎのニュースのように、徐々にフェードアウトしていくのかなと思っていたら、前原誠司外相辞任、で、一気に消えてしまった。

 それにしても、焼肉屋のおばちゃんが年に五万円ずつだったっけ、カンパしていたなんて、誰がどうやってみつけたのか、あるいは「チクった」のか、と、まず呆れた。
 まあ、五万円のカンパは、こちらのようなビンボー人からみると大盤振舞ではあるけれど、「政治とカネ」というキーワードで大騒ぎするのも、ちょっと引いてしまう。小沢一郎さんの「法にのっとった」資金の動きとは根本的な性質が異なるだろう。

 他府県と較べてどうかはわからないが、京都には在日朝鮮人が多い。いちいちそうやって区別する必要も、また、しようもないほど、一体化している。
 だいたい、歴史をさかのぼったら、もともと京都をつくったのは、歴史書で渡来人と呼ばれる古代の朝鮮人だといってもいいほどである。海を渡った時期や理由は違っていても、いちばん近い隣国だから、本来、行き来はさかんであって当然なのだ。天皇さんのルーツの話じゃないけれど、おそらく、DNAをたどれば、多くの日本人がどこかで朝鮮人や中国人と混血しているだろう。

 だから、今回の「献金」問題で、「在日コリアンを外国人として扱うのは違和感を感じる」といった街角のコメントがあるのはもっともである。
 中学生くらいの頃、友だちが「在日」であることを、ふだんはいちいち意識することもなかったが、振り返れば、ケンカが強い連中は、彼らの中に多かった。番長を張っているのは、たいてい在日の同級生だったでしょうね。
 やはり、まだまだ差別が強かったから、たくましかったのだと思う。

 参政権が取り沙汰されているが、二、三十年前まで、「帰化」していない外国人には年金制度が適用されなかったり、「国民」健康保険に加入できなかったらしい。
 国益、などと言っているけれど、大阪の鶴橋なんか、コリアンタウンであればこそ「日本人グルメ」で(笑)賑わっているし、今年の春節でも、神戸の中華街、南京町なんか、ものすごい人出で通行止めになっていた。
 何かにつけ、おいしいところをいただくだけでは、フェアじゃない。

 とはいえ、法律で厳然と条文があるからには、政治家さんとしては、脇を締めておくべきだったでしょうね。
 もっとも、前原さんとしては、いいタイミングで辞めたのではないでしょうか。もともと外務大臣になりたかったという人らしいから、ことに今のポジションにはこだわりたかっただろうけれど、傷口の浅いうちに引いて潔い印象を残し、イメージを温存できたのは、菅内閣と一緒に沈没するより、結果、正解なのでしょう。本人もそれなりに計算したに違いない。

 得点を下げたのは、むしろ、追及した西田昌司さんかもしれない。
 断片的な経過をたどると、どうやら、焼肉屋に前原さんとツーショットの写真があるといった情報から、献金をしていないかと疑念を抱いたらしい。うーん、だとしたら、素晴らしい嗅覚。職業を間違えてるね。(笑)
 で、おばちゃんは「献金」をしているつもりはないから、茶飲み話を装って「そんなに応援してたら、献金した?」てなことを訊かれても、当然、そんなものしてない、といった話になる。
 で、あやしんだほうは、もし、わずかでもカンパの記録があれば、これは叩ける! と、公開されている政治資金の記録を徹底的に調べたようだ。
 おおむね、ネタ元はネットからなので、自信は持てないけれど(笑)、きっと、流れとしては間違っていないでしょう。

 前原さんの「法的責任」はもちろん免れないとしても、西田さんのほうは、この先、じりじりと、日本的心情論で、株が下がりそうな気がする。そこは、前原さんが素早く辞めた作戦勝ちになるのではないか。
 まあ、いずれにしても、国会は、こんなことで騒いでいるヒマはない、と思えるのだけれど。

 一方、同情すべきではないのかもしれないけれど、傷口の浅いうちに表に出ていれば、と可愛そうなのは携帯カンニングの受験生。

 試験中に見つかって退去させられていれば、まさか逮捕されることはなかった。
 合格したさに一所懸命トレーニングした、利き腕でないほうの手による、なんと呼ぶワザだろう、隠れ打ち? そんな名人芸が仇になった。

 こちらは、いろいろな問題が浮かび上がっている。

 まず、ヤフーだったかは、令状が出たらそれに応じると言っていたけれど、ヤフーもドコモも、さっさとIPアドレスや通信記録を警察に提供した。これは、今後に、令状なしで情報を提供する前例を開いた、といわれている。
 大学も同様で、簡単(でもないワザだろうけれど)にカンニングをできる環境をつくっておきながら、なんと、犯人探しを警察にゆだねた。

 マスコミは、一人ではできるはずがない、絶対協力者がいる、と騒ぎ、産経新聞では実際に複数犯と誤報して、あとから訂正と謝罪をしたらしい。新聞が誤報のあと訂正するのもめずらしいようだ。
 カメラ機能やOCR機能を使ったとか、略号で変換するとか、ポケットの中で打つ、外で中継する、……テレビも新聞も、考え得るあらゆる手口を想像して、おお、ケータイでそこまでできるのか、と驚かせてくれたが、フタを開けてみれば、彼はたった一人で、それも原始的なテクニックの熟練で、いともたやすく、最先端の(!)カンニングをやってのけていたのだ。

 だもので、この出来事に対するリアクションは、おおむね、二手に分かれる。
 おおざっぱにいえば、許せん! というものと、ちょっと可愛そうじゃん? というもの。前者は年齢層が高いほうに寄り、ITが苦手。後者は、最近よくいわれるケータイネイティブ世代が中心。
 これは自然ななりゆきでしょうね。

 カンニングまでは別としても、携帯電話に限らず、新しい機器が登場するたびに、いろいろな問題が生じる。ウォークマンのシャカシャカ音だってそうだった。
 だけど、若者は、ちゃんとルールを決めてあげれば、大人よりはるかにそれを守る。いまどき、電車の中で、大きな声で携帯で話しているのは、たいていおばさんかおじさんだ。

 大学の先生方によると、近頃の教室はめっきり私語が減って、静かなものだそうだ。かつてのような、ざわざわ、どころか、がやがやわいわい、そんなことは全くないという。で、なぜかというと、そういう学生は、みんな、ペコペコヒコヒコ、メールを打っている。(笑)
 まあ、勉強している学生や、授業の邪魔にならなければいい、と、先生方は黙認している。
 で、授業をろくに聴いていない学生たちは、論文を書く段になると、またITを駆使してネット上からコピペしまくり、大学の側は、それを見抜くソフトの導入に走る。

 カンニングを防ごうとしていかにも監視を強めると、受験生への心理的圧迫になる、とか、それでいて、万全を尽くしている、とか、矛盾だらけのことを言っているけれど、なら、カンニングごときで警察を頼るなよ、と思ってしまう。
 心理的圧迫なんて人によって違うのだから、必要なときは、ちゃんと監視すればいい。

 それよりも、もっといいのは、試験場で電波が通じなくすること。簡単なのだ。
 教室でも、コンサートホールでも、劇場でも、電車の中でも、「電源をお切りください」「通話はご遠慮ください」なんていわなくても、使えないようにしてしまえば、話は早い。
 営業マンで、電車の中に仕事先から電話がかかってきて、出ないというのもかなり勇気がいるだろうから、つながらないほうがよほどいい。道交法違反というなら、クルマの中もそうしてしまえばいいのだ。
 「ご遠慮ください」というのは「遠慮しながらやってね」と言っているのと一緒である。(笑)
 電波法あたりで問題があるのなら、さっさと法律を変えればいい。

 カンニングで逮捕された未成年、という事例が、この先ふたたび出ることは、なかなかないだろうという気がするけれど、この、最先端の? 方法論を外に向かって試みたことで、彼は目立ち、失敗した。
 だけど、あるいは、マスコミのいうように優秀な協力者がいて、閉じられたやりとりで同じようなテクニックを持っていたら、誰か、気づかれずに成功しているかもしれないのである。
 今、いちばん、はらはらしているのは、ひょっとすると、まったく知られざる方法でカンニングを成功させた受験生? だったりして。
   
ラベル:在日 受験 大学
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