2011年08月14日

戦中戦後の母娘二代記 『落涙成珠−ある華僑の詩』

旧暦七月十五日 辛丑(かのとうし)

 明日は、敗戦記念日。
 66年、が経つのですね。
 みずから体験したわけではないけれど、まだまだ祖父母や父母の世代は知っている。

 あとの世代にも伝えなければいけない、と思ってきた。
 さまざまな出来事が、四世代くらいまでは語り伝えであり、実感を持てる教訓であり得るのではないかと思う。それを越えると、昔は、ご先祖から伝わる「口伝」であったように、今では完全に「歴史」として学ぶ領域になるでしょうね。

 そんな、微妙な、時の記憶の境界線上で、さまざまなことを考えさせられる本づくりのお手伝いを、昨年来続けてきて、6月に刊行、7月に二刷となった。大きな部数ではないけれど、これは嬉しい。

 『落涙成珠』(林珠榮著/晃洋書房)、副題は「涙流して珠と成す−ある華僑の詩」。
 副題にあるように、在日華僑のかたの、母娘二代にわたる記録である。

 著者の林珠榮さんは、幼い頃から父親がいないことを不思議に思ってきたが、母親の林木宋さんは、それがなぜなのかという、子供の問いかけにはいつも答えなかった。
 娘は、成長するにつれ、母が言葉を濁して父の死の理由を伝えないのは、ひょっとして犯罪者だったのかもしれない、などとも思うようになり、やがて、そういうものなのだと深くは気にとめないことで自らを納得させていく。

 突然、その天地がひっくり返ったのは、ある日、テレビで放映されたドキュメンタリーが、父の死を報じていたからである。
 父親は、日本が、日中戦争、さらに太平洋戦争へと突き進む中、戦局の悪化で焦燥を強めた日本の官憲、当時の外事警察(いわゆる「特高」の一組織)によって、無実の罪、まさに冤罪で突如連行され、獄中で拷問の末、殺されていたのだった。

 みずからの人生が半世紀を過ぎてから、思わぬ真実を知った珠榮さんは、まさに茫然自失。しばらくの間、我を忘れた。
 やがて、少しの時間を経て、気持ちが落ち着くとともに、そのこと、すなわち母の歴史と、そして、それにつながる、その後のみずからの経験を、記録に残しておかなければいけない、と思うようになった。
 そうして、まとめられたのが、本書である。

 きっかけとなったテレビ番組というのは、NHKが放映した『夫たちが連れていかれた〜神戸、華僑たちと日中戦争〜』。
 「初めて戦争を知った '93若者たちの旅」という、敗戦の日を前にしたシリーズの、第3回のテーマとしてだった。1993年、すでに18年前のことである。

 母、林木宋さんを、何度も根気強く説得して、番組に出演して話すことを承諾させたのは、当時、神戸華僑総会の会長でもあり、のちには名誉会長として、あらゆる面で神戸華僑のまとめ役、そして日中の橋渡しの中心人物であった、林同春さんである。
 林同春さんは、おととし2009年に亡くなった。本をまとめる作業が実質的にスタートしたのは2010年である。この一年は、大きなタイムラグだった。

 NHKがどうやって、この、埋もれていた事件を知り、番組として取り上げることとなったのか、おそらく、一番よく知る人がすでに他界。要となる人物に事情を聴くことはできない。
 で、当時番組制作をした、NHKの神戸放送局に問い合わせた。広報課だったか、電話口には、おきまりのように若い女性が出て、こちらは何を目的で電話をしたかを説明し、古い、この番組名と、その最後のテロップに流れていた制作関係者の主要なかたのお名前を伝えて、お話しを訊きたい旨、お願いした。
 そのままNHKからは一度も返信がなく、こちらから二、三度電話をしたが、まだわからない、との返事が続き、二ヶ月あまり経っていただろうか、 何度目かの電話で、今度は上司にあたるという女性が出て、もう関係者は退職していて連絡先はわからないし、わかったとしても、個人情報なので教えることはできません、という返事だった。
 正直、腹が立ちました。(笑)
 そんな回答、三日でできるだろう。

 まあ、うすうす、そんなものだろう、とも思っていた。
 電話で、内容と、なぜ必要なのかという経緯を説明しても、戦争、というキーワード自体に対して 「何? それ」 といった反応である。
 NHKの広報といっても、要は、そのあたりでファッションにでもうつつをぬかしている、ただのお姉さんなのだから、しかたないのだろうけれど、こちらにとって、ジャーナリズムの世界にいる相手と話している、という空気はまるで感じられなかった。

 少し話がそれるが、以前、PR誌で大河ドラマの写真を借りようとして、東京のNHKの広報に依頼したことがある。電話で説明してお願いし、たしかファクスかメールで申請書をちゃんと出したが、確認がなかなか来ない。催促すると、担当の若い女性が忘れてしまっていた。
 だいたいの感覚はわかる。ふつう、メジャーな名の知れた媒体ではないから、相手が誰であろうと、別段、適当な対応でいいのである。東京も神戸も、根っこは同じである。

 今回の話にしても、聞いたこともない京都の編集事務所(仕事によって、広告事務所や企画事務所、取材事務所、出版社、いろいろ使い分けますが(笑))からの問い合わせなんて、どうでもよかったのだろうし、あの戦争に対しても、自分たちの先輩が制作した番組についても、まるで興味もないし、さらに、ひょっとしたら、そこにネタがひそんでいる可能性があるかもしれない、なんていう現場感覚など皆無だろう。

 ドキュメンタリーなんかでは、NHKは、いい番組もつくっているけれど、それは、ごく一部の人なのでしょうね。あるいは外注なのか。それでも、まだ、そういう部分が生きていることには希望がある。
 一応、完成した本は、神戸放送局の広報御担当様に、届けに行きました。土曜日で、みなさんお休みの日ですけれど。(笑)
 名刺も添えておきましたが、もちろん、受け取りの電話も問い合わせも、当然、礼状も来ません。

 横道にそれてしまったけれど、林同春さんという、歴史を背負った人物が存命であれば、この出版にかかわることに限らず、聴きたかったことがたくさんあったと、つくづく思う。

 ご本人も、父親のあとを追って日本に渡った福建出身の華僑であり、戦時中、まだ少年の頃に、在日中国人の移動制限区域をうっかり越えて、警察の取り調べで拷問を受けている。
 当時、日本に渡った華僑の人たちは、ふだんの暮らしで接するご近所どうしではみんな親切だったと口をそろえて言う。もちろん、それだけではなく、口に出せない苦労は多かったに違いないし、嫌な思いをさせる人間もいなくはなかったはずなのだけれど、驚くほど「親日的」なのである。

 林木宋さんの夫、陳守海さんが連行されたころ、神戸で呉服の行商をしていた仲間は二十人ほどいたが、そのうち十二人が捕まった。本来は逃げる理由などないのだけれど、危険を感じて東京まで逃げ、戦後、神戸に戻った人もいる。
 捕らえられた十二人のうち、五人は獄中で、一人は敗戦直前に瀕死の状態で出獄し、ほどなく落命している。

 当のNHKのドキュメンタリーが放映されたとき、この事件で獄中にあった人物が、ただ一人、生存していた。
 直接、事実を経験として語れる、その、たった一人の「生き残り」游振文さんを、番組は香港へと訪ねていたのだが、この人がいなかったら、おそらく番組は成り立たなかったかもしれない。すると、この本の出版も無かった。

 まだ二十代から三十代の青年だった人たちが、わけもなく突如獄中に入れられ、過酷な拷問の末、その多くが命を落とした無念さは、想像して余りある。
 それでも、この游振文さんも、林木宋さんと同様に、やはり、娘たちにその事実を話していなかった。
 二人とも理由は同じだった。
 話せば、子どもたちが日本を嫌いになるから。

 そのとき、游さんの次女は日系の会社に勤めていたが、初めて聞いたこの話は、衝撃的に見えた。もしも、小さいときに知っていたら、日本を好きになってはいなかっただろう、という、それは、あたりまえの自然な感想に聞こえた。

 母、林木宋さんは、もうすぐ満で九十五歳。なんと纏足を経験した世代である。
 三歳のときには嫁入り先にひきとられ、十七で結婚。そのときに纏足を中止することができたが、すでに縮められた足は、ほとんどそのままである。もともと、歩けなくすることが目的のひとつでもあるから、日常生活の上でいかに障害となったことか。

 夫を殺されたことで、想像を絶する苦労をしてきた。だけど、日本に対して、本人から愚痴ひとつ聞くことがないのは、庶民どうし、ご近所どうしはみな仲良くやってきたからである。
 夫を殺した警察官は、彼女にとって、ふだん一緒に手を取り合ってきた日本人とは別の人たちなのだ。国家と市民は別の存在なのである。
 尖閣問題などが話題になると、これ幸いとでもいうように、中華同文学校に石を投げにいったりする愚か者が必ずいるが、話を聴かせてやりたいものである。

 戦後、特高出身の官僚たちが、かなりの数、政治家にもなり、官公庁の要職に就いている。どこの国でも、大なり小なり、そういった欺瞞のもとに歴史が進んできたが、そんな、情けない歴史を繰り返すことは、もういいかげんに終わりにしたいものだと思う。

 うまく話すことなんかできないし、話をしても、世間の人が、本当のことだと思ってくれないかもしれない。そう心配して出演を拒む林木宋さんを説得するのに、林同春さんは、何度もこう繰り返したそうだ。
「二度と戦争を起こさんために」

 ぜひ多くの人に読んでほしい一冊である。
   
posted by Office KONDO at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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