2009年10月23日

人材「教育」という洗脳。

霜降(そうこう) 旧暦九月六日 辛丑(かのとうし)

 二十四節気の「霜降」。
 このころ、はじめて霜が降りて、秋が終わる、という。
 KBS京都の女性アナウンサーが、天気予報を伝えながら、「しもふり」と呼んでいた。
 わざわざ、そう呼んだのかなあ(笑)。
 まあ、しもふり、とも読めるので、間違いというわけではないかもしれないけれど、ほかの二十四節気が、みんな、夏至(げし)とか、大寒(だいかん)などなど、音読みだから、やっぱり「そうこう」が自然でしょうねえ。
 ともあれ、次にやって来るのは、もう、11月7日の「立冬」です。

 このまえの日曜日だったか、晩メシを食べながら、つけっぱなしのテレビを、チャンネルサーフィンしていたら、なになに? 人材育成がどうのこうの、みたいな話をしていた。
 むむ、と、興味をひかれたので見ていたら、「接遇」のプロ、だとかいう、オバサンが出てきて、その人物による「人材教育」の様子を取材していた。
 テレビ局としては、画期的な接客のノウハウとでもいいたいのでしょうか、少しだけ見ていたけれど、気分が悪くなって、チャンネルを変えた。

 その後、どうも後味が悪くて、あれは何の番組だったのか、新聞を引っ張り出して、テレビ欄を見てみたら、どうやら「エチカの鏡」という番組だったようで、さらに、ネットで、番組の案内を見たら、そのオバサンは、平林都さんという、「エレガントマナースクール」(という会社?)の代表取締役、となっていた。

 いやいや、もう、めっちゃ、エレガントやったね(溜)。

 わずかしか見ていないので、正確さを欠くかもしれないが、確か、経営状態がよくない病院から依頼され、そこに乗り込んで、新たな人材募集を専業主婦に絞り、病院の受付というか、待合というか、そこで、患者さんを「接遇」するスタッフとして育てた。その結果、大きく、売上げ( とは言わないかな )が伸びた、という成功譚。

 現状の病院を考えた場合、まず、来院した人たちに気持ちよく待っていてもらえるように、気配りを尽くす、というのは、まさに、そうあるべきで、笑顔で快適な環境づくりに努力する、というのは、おおいに頷ける話である。

 しかし、画面で見せていた、その「教育」の様子は、不愉快そのものだった。
 指導を受けているスタッフが、「接遇」オバサンの意図を、きちんと理解していなかったり、少しでも意欲に欠けるとでもみると、いきなり、激しい罵声を浴びせるのである。
 それも、「おまえは、なにやっとんじゃい!」みたいな言い方で、およそ知っている限りでいちばん汚い関西弁である。
 関西のヤクザ屋さんが、人を脅すときでも、もうちょっと紳士的だろうな。

 かつて、「地獄の特訓」といった「人材教育」がはやった。今でも、おそらくやっているところはあるのだろう。
 地獄の特訓、のたぐいを受けたことはないので、詳細はわからないけれど、基本パターンとしては、徹底的に肉体を酷使させたり、睡眠時間をわずかしか与えなかったり、あるいは徹底的に罵るなど人格を否定ないし破壊して、意識を混濁させながら服従へと導き、そこに、目的遂行への忠誠心と、シンプルでわかりやすい営業規範のようなものを植え付けていく。要するに洗脳である。

 軍隊がやる方法ですね。
 兵隊が、いちいち論理的に考えていたら、作戦通りに戦力は活かせない。命令した方法で、一斉に同じ方向へ向かってダッシュしてくれないと困るのである。
 「接遇」の指導にも、なんとなく、通底するものを感じたのは、うがったみかただろうか。

 番組では、来院者数は増えた、というようなことを言っていた。それは、わからなくはないのだが、何か違う、という気がする。
 まず、第一に、あんなふうに、ののしられて「教育」されて、心底から、人に向かうあたたかな心が育つわけがない。
 「接遇」オバサンは、自分の子どもも、あんなふうに、ののしり、罵声を浴びせて育てたのだろうか。

 専業主婦をスタッフ募集の対象に選んだ、というのは、「職場環境」にウブな人が多いからだろう。
 はじめて働く、というような人であれば、権利意識も薄いし、明確な自己主張もない。兵隊を育成するには好都合である。

 「接遇」などという、造語ではないけれど、これまであまり人が言わなかった言葉をピックアップして、自分なりの「ノウハウ」の体系化をを図り、本人は、おそらく、信念を持ってやっているのでしょう。
 それは、本当の根のある信念ではなくて、何となく、心理的には、不安とコンプレックスの裏返しのような、弱点を強気でカバーする、みたいな気もするけれど、それは、まあ、さておいて、いったん声高に主張をし、誰かが、それは素晴らしい、なんていうと、もう、後戻りできなくなってしまう。
 見た目の成果もあがり、こういうスタイルには、必ず、信奉する経営者が出てきて、ライオンズクラブあたりの口コミから(笑)、信者が広がる。

 番組の中での、病院への来院者のコメントは、たいへんよくなった、というものばかりだった。
 それは、必ずしも編集によるというわけでもなく、お年寄りの本音だろう。
 ビジネスとして、お年寄りと「心を通わせる」スタイルは多い。真っ先に、かつての豊田商事事件を思い出させるが、リフォーム詐欺でも、高額布団の訪問販売なんかでも、みんな、人の良いお年寄りと「心が通った」あげくの話である。

 「人材教育」は、人材育成の核心である。
 企業にとって、人材の育成は、事業の継続、存続を確保するために、最重要の課題である。
 もちろん、人材にも、さまざまなポジショニングがあり、将来の経営トップも必要であれば、現場の指揮官も、技術者も、コーディネーターも、さまざまな才能が育たなければならない。

 しかし、テレビでみた「接遇」オバサンの「教育」は、失礼ながら、育成、というより、使い捨ての人材を、どう「作り上げる」か、というふうにしかみえなかった。
 ひょっとしたら、たまたま、そうして採用された専業主婦の中から、経営陣に参画できるような人材が現われるかもしれないが、もし、そんなことがあっても、それは、この「人材育成」によって「育てられた」というものではなくて、本人の資質が機会を得た、ということでしか、あり得ないだろう。

 社会にとっても、企業にとっても、基本的な要請は、拡大再生産することである。将来に向かって、必ずしも「売上げ」のような、量的なものだけでなくて、その質的な面においても、長期的にみて、拡大再生産を持続できていることが、重要なはずである。

 「接遇」は、マナーを教えているだけで、「人材の育成」をめざしているのではない、ということなのかもしれないが、罵って人を指導する、という方法論も、「成果」があがればあがるほど、その職場で、継承されていくだろう。それは、すぐれた「人の心」かどうか。

 そして、大きな落とし穴がある。
 成果があがっているようにみえるけれど、その「人材教育」と「人材」の確保にかけている費用は、じつはランニングコストであって、将来に利益をもたらす投資ではない、ということだ。
 本来の人材育成は、研究開発と同じ、事業の将来への投資である。しかし、今、とりあえず客が呼べる、という人材への投資は、設備投資にもならない。メンテナンス費用のようなものである。
 みんな、目先の、即効性を求めたがる。

 まあ、病院で、あんなふうな「接遇」がもてはやされるのも、これまでの医療機関の怠慢の結果であり、国民の医療環境を劣悪にして、医療制度や医療機関そのものが成り立たなくなるような時代を放置してきた、これまでの政治が悪いといえば、それまでなのかもしれない。だけど、「人材の育成」を、人まかせでまかなえる、と、経営者が思っているのなら、いつか、きっと、痛いしっぺ返しがくるにちがいない。
   
posted by Office KONDO at 01:10| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先日、パート先で接遇教育受けました。
おっしゃる通り、心が凍る、
つらーい、時間でした。

どうして、こんな指導をするのか、
経営者のレベルの低さを
感じました。

もう10年くらい来られてるらしく、何度も受けた人もいて、受けた人たちは、その時間だけ
我慢しておけばいい、
職場で使えるマナーじゃないから、
と言っていました。

私も、全然使えないとは、思いました。

心がない人だと思いました。
Posted by 接遇教育うけたものです。 at 2014年01月14日 17:02
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