2010年01月25日

すっかり消えた? 小正月。

旧暦十二月十一日 乙亥(きのとい)

 すみません、また、しばらくの空白。
 記録的な雪、のあとに、記録的な暖かさ、の大寒が過ぎて、松の内もとっくに明けてしまいました。

 それにしても、いつも、大学のセンター試験の頃になると雪が降って、受験生たちが振り回されているという気がする。インフルエンザや風邪の流行期でもあるし、無意味なハンディを生じないように、もっと早く、気候のいい時期にすませてしまうとか、柔軟に対策が考えられないものだろうか。
 ちょっとしたツキがなかったばっかりに、浪人したり、あきらめたり、という受験生が、もし、いるとしたら理不尽だ。

 だいたい、大学なんて、もう少子化で定員割れの時代なのだから、入りたい者はみんな入れて、そのかわり中学や高校と違って、勉強しなければ卒業資格をとれないようにしたほうが、理にかなっている。分数計算さえできないというような学生は、当然、進級させなくていいだろうし、少子化で実入りの減る大学は、留年して長くいる学生で授業料を稼げばいい。

 正月から、だらだらと追われているうちに、いつも出かけていく年中行事を、今年はいくつもスルーしてしまった。

 正月飾りや書き初めを焼いてもらうという左義長は、子どもの頃なんか、結構あちこちでやっていたような気がするのだけれど、今は、ほとんどみられない。
 東山七条を少し下がった(南に行った)ところにある、新熊野(いまくまの)神社では、今も、きちんと左義長行事が行なわれているので、毎年、お飾りを持っていって、獅子舞を楽しんで、甘酒のご接待をいただいて、もちろんちゃんと本殿にもお参りして、巨木の楠さんにも挨拶して帰ってくるのが恒例となっている。この寒い季節、左義長の火にあたるとほのぼのとする。

 左義長は、農村儀礼のようなものかと思っていたら、もともとは、打毬(だきゅう)という、まあ、蹴鞠(けまり)をサッカーとすれば、打毬はポロかラクロスかホッケーか…、みたいな競技が宮中なんかで行なわれていて、それに用いる毬杖(ぎっちょう)という、毬(球)を打つスティックの役割をする棒の、使い傷んだものを焼いたという行事が起源らしい。打毬というのは正月のめでたい遊戯で、毬杖も、祝儀物として贈られたのだそうだ。( 『有職故実大辞典』鈴木敬三編/吉川弘文館 )

 成人の日には、毎年、三十三間堂で「通し矢」がある。実際には、本来の通し矢をするわけではなくて、和弓の大的全国大会。
 この日には、三十三間堂が無料公開され、「楊枝(やなぎ)のお加持」が行なわれる。

 三十三間堂は、正式には蓮華王院と呼ぶ。東山七条の東側にある妙法院に属する仏堂で、ご本尊は坐像で三メートルを超える千手観音さん。その両側に、等身大で千体の千手観音が並ぶさまは壮観である。こちらはみんな立像。立ち姿。それも、今どきのように、型を使って一斉につくった、なんていうものではない。一体一体、顔立ちもつくりもちがう。
 最初、金箔が貼りたて、ピッカピカの時なんて、すごかったでしょうね。中国、始皇帝陵の兵馬俑もなかなかのものだけれど、次元が違う気がするなあ。
 堂内回廊には、千体の千手観音さんだけでなく、風神・雷神や、二十八部衆といった守護神も並び、仏像の立体辞典のようになっている。

 ガイジンさんを案内する時は、ここをみせてちょっと威圧して(笑)、少し歩いて清水寺の舞台から平安京を眺め、あの雑然とした三年坂を抜けて八坂神社へ行って、ここには地下に龍が棲む底なしの穴がある、と脅し、ご機嫌直しに花見小路の裏通りあたりのお茶屋さん風情を歩いて(花見小路そのものは、もうどこにでもあるコンビニ観光地です)、このあたりだとお高いので、木屋町あたりで安酒をふるまえば、きっと、国に帰ってジパングの偉大さを吹聴してくれるでしょう。

 楊枝のお加持は、本尊さんの前に、格の高そうな坊さんが座して、その前に参拝する善男善女の頭上に、七日間加持祈祷した香水をふりかけてくれる、という、ちょっとした法要。無病息災、特に頭痛にご利益があるそうな。

 三十三間堂の東向かいにある法住寺では、「通し矢」の日にあわせて「大根焚き」があり、こちらも賑わう。

 で、じつは、毎年、言いたくなるのが、こういった行事が本来、小正月に行なわれてきたこと。
   http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/112649329.html?1264365678
 国民休日の「成人の日」が、小正月である15日に固定されていた時には、いつも、新熊野神社の左義長で正月飾りを焼いてもらい、三十三間堂の楊枝のお加持で無病息災を願い、法住寺の大根焚きで温まって帰った。
 別段、信仰心があるわけではないけれど、それぞれの社寺で、正月行事にちなんで、由来、物語のある神さんや仏さんと一年ぶりに出会うのは、なにか、楽しいものがある。

 「小正月」の一月十五日は、旧暦では満月。十五夜ですね。なので、この日が、もともとは正月であるという説もある。この日に「餅花」や「削り花」を飾ったので「花正月」と呼んだともいう。( 『現代こよみ読み解き事典』岡田芳朗・阿久根末忠/柏書房 )
 花正月、なんて、今どき聞かないけれど、なんだか、いい言葉ですねえ。

 今年の、楊枝のお加持と通し矢は十七日だった。成人の日でもない。
 一方、左義長は、十一日にあった。こちらは「ハッピーマンデー」の成人の日。
 左義長は、やっぱり小正月だろうなあ、とは思うけれど、氏子さんたちが平日に出仕するたいへんさを思うと、宮司さんも総代さんも、無理は言えないだろう。

 今年は、結局、どの行事にも、行くことができなかった(泣)。
 全部、同じ小正月にあったとしても、どっちみち行けなかったといえば、それまでなのだけれど、いや、それと、これとは、別問題!

 新しい政府も、まあ、頼りないこと、はなはだしいが、せめて、目先主義の「ハッピーマンデー」制度を作った人たちと、文化に対する姿勢の違いを、もし多少とも持っているのなら、今さらハッピーマンデーはやめられないとしても、元旦「大正月」と同じく、「小正月」を国民休日にするか、あるいは、天皇誕生日をハッピーマンデーにはしないように、この日を、以前のように成人の日としてでもいいから、固定した休日としてくれないかな、と思う。
 まあ、安息日を正しく、なんていうわけではないけれど、国民にたくさん消費させるために休日をいじくりまわす、というのは、長い目で見て、根本的な消費促進にはならない、という気がするのだけれど。
   
posted by Office KONDO at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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