2011年03月15日

東京電力の「広報」

旧暦二月十一日 己巳(つちのとみ)

 なんともたまらない光景が、次々とテレビに映し出された。
 阪神淡路大震災のときには、直後から広がった火災のすさまじさが、大災害の強烈な実感をともなって、テレビの画面からも迫ってきた。
 今度の東日本の震災では、大火災も起きて、いまだ続いてもいるのだけれど、なによりも水の恐怖をまざまざと思い知らされた。
 この数日、何度も目にしてきた津波の映像は、音声がないことで、なにか別世界の出来事のような、ありえない恐怖のような、不思議な感覚で、気持ちが立ち尽くしてしまう。スマトラ島沖地震のとき、津波の映像はやはり何度も目にしてきたはずなのだけれど、流されていく街の風景が見慣れたものだからだろうか、よけいに、夢でもみているような錯覚、どうしても信じられない出来事に見えてしまう。

 家族や身近な人を失い、黙々として今の状況に耐えている人たちをみるたびに、胸がつまる。つい昨日には、よもやこんなことになるとは思いもせず、いつも通りに暮らしていたのだ。
 被災した人たちにとって、たいへんなのは、さらにこれからとなる。
 被害の全貌があきらかになってくるのも、まだまだこれからのような気がする。安否不明となっている膨大な数の人が、無事に確認されることを、ただ願うしかない。

 発生から四日目となって、テレビ各局は番組編成をもとにもどしつつある。さらに日が過ぎると、悲話の発掘や、悲劇の中の希望をエンタテイメントにしていくだろう。
 そういった流れにまどわされず、一人ひとりが、見失わないようにし、忘れないようにしなければならない。

 世界のメディアが、この大災害に直面した被災者、日本人の、冷静で、互いへの思いやりに満ちた対応を絶賛しているのだという。
 それが日本人の美徳と誉められることは喜ぶべきことでもあるのだろうけれど、そんな被災地の人たちを思えば、さらに胸がつまる。

 日本中が、共感と忍耐の心情にあふれている。
 そこに、つけこむと言えば言い過ぎかもしれないけれど、よく言えば甘えていることが、さすがに見え始めて、人々がいぶかり始めたのは、東京電力である。

 頻繁に繰り返されているうちの何度か、それも断片的にしか見てはいないけれど、そのかぎりにおいて、記者会見はじつにお粗末だった。原子力発電所という、一方で役には立つのかもしれないが、その反面で、一国を滅ぼしかねないほどの破壊力を持つ危険な装置を、こんな人たちにまかせておいていいものだろうか、という不安は、おおいにかきたてられた。

 質問されても、即答できず、自分たちでも顔を見合わせながら会見資料をめくり返している様子は、情報を正確に伝えるために送り出されたスタッフとは、とても思えない。
 配付資料の説明に、いちいち表題を読み上げて、いきわたっていない記者を確認しているなどというのは、小学校のホームルームで遠足の案内をしているようなものだ。資料には、頭に通し記号をふるか、ページ番号を入れておけばいい。できれば最初から通した数字にしておけば、対比しやすいし、わかりやすい。
 あらゆる面で、彼らは素人そのものだ。

 計画停電でも、だいたい、「グループA」、「グループB」などという実感のない呼び方自体、わけがわからないが、停電する区域の説明に、いちいち「ご迷惑をおかけする地域の」などと、もってまわって、これもなんだかわからない言い方は、ふだん、いかにも口先でごまかすことばかり考えているお役所的な企業体質を思わせる。「停電する地域は」とストレートに言わなければ、なんのことだかわからない、ということがわかっていない。
 広報、という水準ではない。
 まして、危機管理なんて、何も考えていなかったのではないかとさえ思える。

 計画停電、などという上手な言い方を、誰が考えたのか知らないが、根拠となる数値は示されていない。優先順位もよくわからない。実施の結果としての数値も出ない。じつは、一方の原発事故で逆風が吹くため、電力不足を今から世論にしておくための策略だ、という話さえ出ている。それほど「無計画」停電なのだ。
 停電は大きな影響がある。電気が使えないと、ビルやマンションでは水道も止まる。発熱する機器では、再開したときの不注意で火災の危険もある。医療機器などの稼働維持ができなくなると深刻な問題だ。
 それにしても、信号や医療など、安全な社会機能を維持するための電力供給は、インフラとして別系統にしておけないものかと、いつも思う。

 原子力発電所のほうは、ほんとうに専門家がいるのだろうか、と思えるほど、素人からみても幼稚な対応にみえる。もともと、危機感なんてゼロだったのではないか。
 想定を超えた地震だった、という言い訳はほんとうは通じないのだけれど、仮に、そこを許容したとしても、ならば、最初から、想定を超えた対応をしていれば、と思えてしまう。
 国もいいかげんなもので、事故発生から四日目にもなってから、情報共有をするために政府と東電で合同の対策本部を設置する、という発表には驚いて、あきれた。そんなものは、当然、最初からできていたものと、誰もが思っていただろう。

 どんな機器や装置でも、塩水に漬けてしまえば、もう使い物にならなくなってしまうことは、素人でもわかる。あとは一から再建することになる。膨大な費用がかかるし、事故によって、ひょっとしたら再建に反対されるかもしれない。だから、最初、冷却水が供給できない、といったときに、海水の注入をためらったのだろう。詳細はわからないが、おそらく、このわずかなタイムラグで、致命的な状況を防げなくなったのではないか。

 水素爆発が起こる、というのは過去の事故から学んでいるはずである。まして、弁が正常に作動しない、とか、容器の底が破損して水が抜ける、といったトラブルは、専門家でなくても可能性を想像できるリスクである。まして、当初、予備の電源が稼働しなかったとか、さらには、海水注入が止まった原因は燃料が切れていた、などという、まさか考えられないような話は、彼らを信じていれば、日本が滅亡しかねない、という実態を表面化した。

 最初は、チェルノブイリにはほど遠い、スリーマイルにはならない、などと楽観論を語っていたコメンテーターも、少し顔色が変わってきた。原発に批判的な人物は呼ばないから、当然、流れは各局同様に、おだやかな楽天性に満ちていたが、事態はおそらく、まさに「予断を許さない」ところまできているのだろう。
 チェルノブイリでは、職員や消防隊員が決死の覚悟で事故に挑み、何十人も亡くなっている。
 原発は安全だ、と言っていた東京電力の幹部や社員の人たちは、プロとしてみずからの主張を証明するためにも、水を注入したり、バルブを開けたりするために、被曝覚悟で突入を準備しておくべきだろう。天災に名を借りて、自分たちの不始末を、消防庁や自衛隊にだけまかせるべきではない。

 だらしないリスクマネジメントのおかげで、四日経ってもまだ、政府機能の大きな部分が東京電力に振り回されている。運を天にまかせて、これ以上事態が悪化しないことを願うしかない。
 菅さんも、自分に酔って記者会見で長々と演説したり、迷惑な現地視察に行きたがるのはやめて、中枢機能に集中してほしいものだ。
   
posted by Office KONDO at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。