2011年06月01日

将来、「福島被曝集団訴訟」は起きるのか。

旧暦四月三十日 丁亥(ひのとい)

 いささか昔の話になるけれど、まだ二十代半ばの頃、すでに鬼籍にある須山節郎さんという大先輩を中心に、先輩や友人たちと「勉強会」を定期的に続けていた時期があった。たいてい、あの、京都今出川の「ほんやら洞」二階を借りてやっていた。たまに京都御苑の芝生の上でやったこともあった。
 須山さんは市井の思想家で、誠実で、ユニークで、その一方、みずからの歴史を重くひきずっている印象のある人だった。勉強会の中では親父のような存在で、京都の新興住宅地でボタン屋さんを営みながら、人と社会の将来に希望を持ち、交友関係は広かった。
 その後、自分たちだけでの勉強会では物足りなくて、自由学校のような場所を始めよう、ということになり、今度は近衛道の京大会館の一室を借りて、本格的に講師を招き、毎月の講座を持つようになった。日高六郎さん、鶴見俊輔さん、すでに亡き飯沼二郎さん……錚々たる講師陣を須山さんは引っ張ってきた。

 たしか、その頃、そのあたりの何かの集まりでだったと思う、こちらもずっと先輩ではあるが、当時まだ新進気鋭の塩沢由典さんという経済学者のかたが、「社会党も共産党も、その理想どおり社会をひっくり返したら、生活水準は十年、二十年、遡るという覚悟が必要であることを、人々にストレートに言わなければならない」と言った言葉が、それまで聞いたことのなかったわかりやすさへの、ものすごい共感とともに、強烈に印象に残っている。「そう、その覚悟が価値観というものなのだ」と、何で誰もこれまで正直にそう言えなかったのか、その頃の社会変革の主張の薄っぺらさを切実に感じたものだった。
 その後、ずいぶん経って、たまたま塩沢さんとお目にかかる機会があったとき、そのことを言ったら、ご本人は、そんなことを言ったっけ、とおっしゃっていたが、こちらは、そのひとつの科白だけで、日本で最も的確な経済学者だと今でも勝手に思っているのである。

 なぜ、そんなことを今頃、思い出したのか。
 原発ですね。
 原発の稼働を次々と止めて、脱原発に移行していったら、電力が足りない、ということがしきりと喧伝されている。それはある程度、確かなことだろう。不足するところまではいかなくても、綱渡りということにはなるかもしれない。
 だけど、それは、個々人の暮らしの問題ではない。夏場の冷房需要が、などというけれど、地面はすべて舗装し、太陽熱を家の中に溜め込むつくりの集合住宅に住まわされている庶民に、クーラーの使用を控えろ、というのは根本的に間違っている。
 大口需要はなんといっても国際資本である。街に熱をこもらせるように地面をすべてコンクリートで固めるようにしたのは自動車のためであり、ゼネコンの利益のためだった。個人所有の自家用車という交通手段を核とした生活様式を推進して、違ったライフスタイルへの圧倒的な優位を確保することで、自動車産業という「種」は、ほかの産業生態を駆逐してきた。電力を圧倒的に使っているのは自動車産業と、そこに関連する鉄鋼などの素材産業である。

 日本の国際競争力のために、などという扇動で人々の欲望を煽ることには、さすがに、販促業界も疲れてきています(笑)。
 自動車産業が日本の経済を牽引しているから、という言い分は、ヤクザの親分が地域の治安を維持しているから、というような言い方と同じである。カネを稼いできている旦那はエラい、と言っているだけのこと、結果論だ。
 エコカー、でごまかされているけれど、一人で乗って走るならあんなにでかい自家用車はいらないし、エネルギーとしては、本気になれば、列車のような大量輸送のほうが、ずっとコスト効率はいいだろう。現代社会は、公共交通の効率を落とす社会構造にシフトすること、共同体の価値観や決定権を薄めることで、バラバラの素粒子のようになった個人を都会に集めてきた。互いにつながっていない粒子は、引き合うことも反発し合うこともなく、密集させやすくて支配しやすい。

 日本人は今、長く貧しい時代が続いて苦しいから、稼いでくる産業であれば軍需産業でもなんでもいい、という全面肯定に立ち、理念も、原理原則も捨ててしまった。あらゆる点で、本来正しいのか正しくないのかといったような、日本人として、人としての心には、立脚していない。政治も、情けなくも経済利益の追求至上主義である。

 原発がいちばん電力コストが安いなどというのは大嘘である。
 今回の事故でわかるように、ひとたびおかしくなったら甚大な被害が生まれる。政治家と電力会社、そして学者も含めた役人たちの癒着で、いいかげんな賠償法がつくられているが、そんなものが何の意味もなさないことが、今回、はっきりとした。
 事故のリスクへのきちんとした対策や、万一への保険、それに放射性廃棄物の処理費用などを含めていけば、原子力が安価な電源コストだなどという論理が、土地の狭い地震大国、日本で成り立つわけはない。どんなふうにして、そんな詐欺のような数字を堂々とつくり出したのか。

 だけど、そんな詐欺的な数字のからくりをどこかに感じていながら、日本の国民は原子力発電がクリーンで安価だという共同幻想に相乗りした。そこには、快適な現代生活を捨てたくないという本音への言い訳、自分に対するアリバイづくりがあっただろう。
 フクシマの事故がなければ、ずっと夢見ていられたのかもしれない。
 そして、やはりここでも、共産党も社民党も、アブナイとは主張しても、現実を語ってはこなかったのだ。

 そしてまた、福島原発の、じつは早くにわかっていたはずのメルトダウンは、多くのことを白日の下にさらした。
 日本の科学技術、ことにロボットのテクノロジーは世界の最先端にあると思っていたのだけれど、所詮、実戦となるとアメリカから借りてくるしかなかったとか、あの原子炉がいかにアメリカの技術の押しつけであり、GEが設計のキモを隠しているとか、長大なアームで水を注ぐポンプ車も、中国の企業から寄付されないと自前で持っていなかったとか、排水の処理にもフランスの知恵に頼るしかなかった、とか、それまでは漠然と、日本の「すごい」科学力からすれば、たいていのことはなんとかなるだろう、とみんながイメージしていたことも、まったくの幻想に過ぎなかったことが明らかになった。
 もっとも、じつは、技術はある、と思う。なかったのではなくて、「存在する」技術も、愚かな役所仕事のおかげですべてが錆び付いたり、腐ってしまったりして、役立たなくなってしまうという事情が、少しわかってきた、ということなのだろう。

 誰も、東電も政府も信じていない。
 国民がパニックになるといけないのでデータを発表しなかった?
 ふうん。
 圧力が高まれば爆発するとか、温度があがれば溶けるはずだとか、水を入れたら溜まるか漏れるかするといったような、子供でもわかることなのに、えっ、今頃そんなことを言っているの? という話ばかりが未だに次々と出てくる。 
 ほかのことなら、馬鹿馬鹿しくて相手にしていられない、といったところだけれど、直接、被害を受けている人たちにとっては、ことさら深刻である。

 事故現場の最前線にいる作業員の人たちは、おそらく大半が下請け、孫請けということなのだろう、いかに粗末に扱われているかという実態が、これも、今頃になってまだまだ出てきている。
 最初の頃、線量計も持たせずに作業にあたらせていた、と問題になったときには、線量計の数が足りなかった、などという言い訳を、ぬけぬけと言っていた。あんなもの、ネットでもそこら中で販売していた。
 メシもろくに食べられず、床でごろ寝をしながら働く労働者に、下手をすれば一国が危うくなるほどの危機を託していることを報道で知って、日本中が怒り、同情し、指揮をする東電と政府の軽さに背筋が寒くなったものだった。

 その後、多少改善されたかもしれないが、おそらく、電力会社の、下請け作業現場に対するイヌネコ扱いの本質は変わっていない。
 へたをすれば急激な放射線量の変化で、短時間で命にかかわる事態に遭遇するかもしれない人たちであり、すでに三ヶ月近い接近戦の中では、疲労だけでなく蓄積された被曝量も大きくなっているだろう。第一、ちゃんと計ろうという気がないのである。
 だから、各方面から、万一の大量被曝に備えて、いざというときの治療に役だてるため、作業員それぞれの造血幹細胞を採取しておくことが進言されているが、東電も政府も耳を傾けようとはしない。
 なぜか。
 実際にそういう対策をとることになれば、危険性の高さを認めることになる、という論理なのだ。
 原子力「安全」委員会も、内閣官房も、もちろん東電なんかにその気はない。人の命より体面が優先している。「必要ない」といっている人たち、それぞれに、自分の家族であればおそらく真っ先に採取を依頼するだろう。

 あれほどの被害を出し、非難を一身に浴びながら、役員報酬を40%減らすといって雲行きが悪いとみながらも、では50%にしますなどと、とぼけた反応を繰り返してきた東京電力の経営陣に、自浄能力などない。あげくのはてが副社長の社長昇格で収まると思っているのだろうか。
 これでは人員が回らないとなると、作業員の被曝限度を100ミリから250ミリに上げた東電。避難域を拡大するのはたいへんだと、子供被曝の許容量を10ミリとか1ミリとか言いながら、結局20ミリにした文部科学省。いずれも、運用しやすい数字にして、あとから理屈をあてはめているだけ。医学的根拠も倫理観も何もない。
 おそらく、こういったご都合優先のまやかしは、これからも次々と出てくるだろう。
 来年1月の終息、なんてあり得ない。

 薬害エイズの問題にしても、C型肝炎の問題にしても、被害者の側に立証責任を押しつけて抑え込もうという、法律の陰湿さが壁になった。ヒロシマやナガサキの被爆者手帳さえ、未だにちゃんと交付されない人たちがいる。
 今回の事故処理の手抜かりと、いいかげんな対策で、これから何十年か先「福島被曝集団訴訟」が起きる可能性は充分に考えられる。
 もしそうなったら、そのときの補償額は一国をゆるがすかもしれない。人数がケタ違いなのである。そのとき、「賠償国債」でも発行するのだろうか。
 まっとうなコスト計算のできていない、政府のリスク管理も、結局は東電と同レベルのものでしかないのである。

 その頃にもまだ、被害者の立証責任などという前時代的な苦労が、相変わらず求められているのだとしたら、福島だけでなく、周辺地域の人々は、今から組織的に、何十年か先の、その準備をしておいたほうがいいだろう。
 ひょっとしたら、最初「SPEEDI」のデータを隠していたのは、そこまで読んだ「国家を思う」官僚の、深謀遠慮だった?
 おそらく、今の避難への賠償金支払いの時には、また「念書」をとろうとするのでしょうね。
   
タグ:原発 被曝 電力
posted by Office KONDO at 07:43| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わたくしが反原発運動に身を投じる…と言ったらカッコ良過ぎるかw
とにかく関わるようになったのは、かれこれもう10年前後になりますが、事故前と後とでは人々の反応も敏感になってくれてうれしいやら喜んで良いやら、複雑な思いがよぎりながら活動しています。

武田と言う名古屋大学か何か中部の方で教授をやっている人が、一部で支持されていますが、わたくしは彼のような人達をナンチャッテ教授と呼んでいます^^;
何故ならば
――彼も原子力委員会の類のポストを歴任したり、設計現場の長をしていたとかで、自ら作った設計図にミスを見つけて国へ報告したが、そのままで行ってくれと政府が言うと。いや,わたくしの責任だから全責任を取って、今一度ここの部分だけ修正させてくれと武田氏が頼み込んだところ、国は一旦決まってここまで進んだら、後戻り出来ないからと言う理由で、欠陥設計図にGOサインを出したと彼は言いました。
しかしそうした嘘八百の安全で成り立つ原子力のポストに彼はその後も居続けていて、報酬を任期中までしっかり頂いておきながら、今更鬼の首でも取ったかのように、事故後になってからこうした裏話があるんだよと公言していたのである――。
ですから彼の人間性を、その動画を観た多くの人が見透かしたかは分からないが、わたくしはもう彼の本質をコレ見たり!と思い、彼の悪評は非論理的な点だけに限らないのだと理解しました。

話を元に戻しますが、その約10年前には共産党が反原発ビラを配り、それを読んで危険な原発がこんなに建ってしまった…いつの間に?!こんな原発の電気を私たちは使っているんだ!!!と愕然とし、今の今迄共産党が教えてくれなければ、後から知ったとしてもノホホンとしていたかも知れないと感謝をしています。
一方、事故後に開かれた,原子力資料情報室(http://cnic.jp/
の共同代表である,伴氏を招いての講演会での質疑応答時の話題で彼曰く、共産党は反原発まで行っていなかったと言う話でした。
その後知人にも確認すると、党執行部までは反原発まで行かず、下の人達の地道で草の根である活動でのパンフレットをあなたが見たんじゃないの?と言われました。
その後知る機会があり、党執行部では原発は今の状態では安全確認が出来ていないから、安全な管理を!と言うような主張だった印象で、二度驚いた状態でした。
ですから、今はみどりの未来に期待し緑の党の会員として躍進を切望しています。
Posted by nomoemon at 2011年12月04日 22:01
コメントありがとうございます。
原発はずっとやめたほうがいいと思っていましたが、それでも、まさか、こんなことが起きるとまでは想像してはいませんでしたね。
武田邦彦さん、でしたっけね。あの人は、地球温暖化について、それはウソだとずっと言ってきていた人で、あまり信用してはいないのですが…。
原発利権構造については、自分で内容を検証できるわけではないのですが、今年2011年の『週刊ダイヤモンド』5/21号(第9巻20号)に結構わかりやすく載っていました。おそらく、各地の中央図書館レベルなら、バックナンバーを置いているのではないでしょうか。ご覧になっていたら、失礼をご容赦ください。

共産党さんも、むかしは、アメリカの原爆は悪いけれど、ソ連の原爆は許す、みたいな感じで、原水協と原水禁がいがみあったりしていた時代もあったので、まあ、政党というのは存続のためにはご都合を言う、というのは、しかたないことでしょうね。
みどりの党についてはよく知りませんが、いろいろな党派が乱立することはいいことだと思います。要は、排除の論理をとらないことと、党派の支持が信仰にならないことだと思います。
まあ、みなさん、国会で長く暮らすと、シャバの喜怒哀楽を忘れてしまいますから、それだけは、ちゃんとチェックしていきましょう。
Posted by はんそく通信子 at 2011年12月05日 04:04
コメントをご丁寧に感謝申し上げます♪

では、ちょっと遠い図書館にて今度機会があったら、
足を運んでみたいと存じます!
夏は暑くて嫌になる場所にありますけど^^;

共産党がソ連なら許す,みたいな発言をしたのですか?
昔のそう言った事を全く存じ上げないものですから、どうして原水禁と原子協があるのかとか、
分からない事だらけです…^^
世の中では良い活動はしているけれども、同じような所へ支援活動する団体とかがあると、どうして一緒に取り組めないのだろうか?
一緒になって(合併?)したら、わたくし達がカンパする側も1か所で済むのに…とか、
色々と不便を感じます。
でもそこの長がお山の大将で、どちらも譲れないとか、
そう言った問題もあるのかも…なんて想像しています。
みんなが一つ,世界は一つ。
人類は皆きょうだい――なんて言うと、笹川教になってしまいますがww
そんな世の中はあり得ないのかなぁなんてしばしば思い知らされます。
わたくしはmixiでもネット右翼からの攻撃があり、脳内お花畑はメデタイネ!とふたこと目には言われています。
Posted by nomoto at 2011年12月05日 20:19
人類みな兄弟、そのとおりですよね。アフリカ地溝帯でアダムとイブから枝分かれしてきた。
世の中は、人を不幸に陥れてでも、自分だけが欲望を満たしたい、という人間と、そういうことに対して憤りを覚える人間と、大きくふたつに分かれると思います。欲にまみれた人たちは、どうせお互いなど信用できずに足を引っ張り合うのですが、反対側にいる、本来、お互いに助けあっていかなければいけない者どうしまでが、往々にしていがみあったりするのは悲しいことです。違いを責め合うより、共通点を見出すことが大事だと思っています。
Posted by はんそく通信子 at 2011年12月06日 02:17
近藤所長は、九条の会の方よりも平和を愛し、追求なさる方ではないでしょうか?
九条の方と一緒に戦争展をした去年の事ですが、ここでもわたくしはみなさんの考え方がこんなに平和ボケしているなんて、と思い知らされました。
それで今回からは、距離を置き、一緒に仕事をしない事にしました。
こんなに配慮のない方々と一緒に作業をしていたら、自分だけが苦しくなり、自分だけが背負っていたりするのではないかと予想されたからです。
その中の方は、肩肘張らずに楽しくやろうよと言ってはくれたのですが、
一つの例を挙げると、戦争展の当日に親しくなった方には、息子への鎮魂歌の自費出版の詩集を手渡ししました。
しかし受け取った後はスタッフルームにデスクや荷物に紛れて放置。
わたくしがスタッフのその控室に入って、こんな悲しい思いをするとは、「想定外」でしたww
平和を愛すると言う事は、何もノホホンとヒマを謳歌する事でも何でもなくて、
恐らく弛まざる努力が必要なのだと思います。
このトシになると失念する事ばかりで恐縮ですが、先日ノルウェーだったか森の中で、一人のテロリストが50人くらいを殺傷しましたね。
平和な森の中が血の海に…突如やって来た恐怖の殺人鬼。
誰も想像だにしなかったこんな狂気の罠。
いつも誰かがしっかり見守る中に、愛と笑いと平和が絶えない事って、とても難しいしそれは奇跡的と言えるのです。
でも肝心なのはいつも心の片隅でも良いから、人をお互いにねぎらう事やいつくしむこと、失礼があったら素直に謝る礼儀正しさを忘れない事だと思っています。
Posted by nomoto at 2011年12月07日 22:54
そうですね。身のまわりだけでも平和に暮らせている、ということは、まだまだ今の世界においては奇跡的なことですよね。
すべての人が、真実を見ようとし、また、他人の気持ちを思いやることができていたら、戦争なんておこらないでしょう。そういう点では、日常の片隅から人と人との関係を築いていくことは大切だと思います。
荷物と一緒にであれば、彼らが、詩集を放置したまま帰ってしまったのではないと思いますが、そういう無神経さは、たいていの人が持っているものです。差し上げる時期が、ちょっとまだ、早かったかもしれませんね。個人の思いのこもった文章や、ことに詩のように、ふだんあまりなじんでいないものは、受け取って理解できない人も多いと思いますから、もう少し先でもよかったのかもしれませんね。ゆるしてあげましょう。
Posted by はんそく通信子 at 2011年12月08日 00:38
京都脱原発訴訟原告団事務所が禿しく敗訴、処分されていた事がわかった。

市民共同法律事務所、中村和雄弁護士に懲戒処分  市長選挙2連敗
http://homepage2.nifty.com/inachan//kyoto.police.htm


京都南法律事務所の弁護士が裁判所を間違えて答弁書出し、相手方の主張通りの判決が出てしまった。
井関佳法 弁護士

弁護士 杉山潔志
城陽・久御山民商の藤村さんのレーシングカー事件は
           ・・・逆転敗訴となりました。
最高裁判所では
           ・・・惜敗しました。
城陽・久御山民商の秋元さん、伏見民商の藤本さんの事件では
          ・・・裁判所は 信用できないと切り捨てました。
八幡民商の中妻さんの事件では
           ・・裁判所は認めませんでした。
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1404579015/
Posted by at 2015年01月02日 20:35
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