2012年09月19日

「本屋さん」は消えるのか

旧暦八月四日 癸未(みずのとひつじ) 秋の彼岸の入り

 読書週間はまだ先だけれど、読書週間の新聞広告企画への誘いとともに届いた、地方・小出版流通センターからの9月の通信に、こんな内容が記されていた。

 丸善の「松岡正剛の棚・松丸本舗」が9月で閉店と伝えられます。最近、独特の選書で、個性的な書店のニュースが多いのですが、たしかにどことなく魅力的ではあるものの日常的な経営を維持するのが可能なのかどうかと問われると、難しいのでは推察をせざるをえません。
 そんなとき 読売新聞の空想書店というタイトルのコーナーに 北大の中島岳志さんが「最近 個性的な本のセレクトショップが増えている。雑貨屋と融合したおしゃれな内装の店が多く 本のラインナップには店主の趣味が色濃<反映されている。<中略>客を選ぶ本屋に 私はあまり魅力を感じない。本屋は やはりみんなの空間だ。<中略>もし 可能ならば 新刊本だけでなく 古本も取り混ぜて売りたい。文庫本も 今ではあっという間に絶版になってしまう。出版社が本の命を粗末にするならばせめて本屋で大切にしたい。スピード感ばかりが求められる世の中で 本屋は時間を堰き止める役割を果たしたい」と記されていました。
 客を選ぶのではなく オープンなたたずまいでいることこそが やはり小売店の本質的役割を果たすことになるのではないでしょうか・・入り口には本日発売の雑誌が並び ベストセラーが平積みされたその奥にさりげなく本屋さんお奨めの本が並ぶ・・こんなすごく当たり前の本屋さんが なぜか懐かしい!再生して欲しい本屋さんの姿です。 (原文ママ)


 難しい問題です。中島さんという方の提言はたいへんよくわかるし、自分自身が実際に書店に行くときは、そういう本屋さんになる。で、悲しいかな、その典型は大型書店なんですね。スペースがないと、なかなかそうはできない。
 「雑貨屋と融合したおしゃれな内装の店」というのは、おしゃれかどうかは別として、ヴィレッジヴァンガードのような混在店のことを指しているのでしょうね。
 小さな書店では必定、売れ筋雑誌と話題の新刊書、ベストセラーしか置けない。それも、新刊やベストセラーは、常時売れ行きが確保できていなければ、取次店は配本してくれない。文庫や新書も新刊、近刊やロングセラーしか置けないから、当然、フルラインナップとしては揃わない。欠番だらけ。

 去年、近所の書店が廃業した。
 街の書店としては広いほうで、二階は全フロアがコミック、一階は雑誌と実用書、新刊書が目立つ位置にあり、売れ筋の文庫本や単行本を置いて、店外の路面側には週刊誌、という、よくある「街の本屋さん」だった。
 ただし、いわゆる「エロ本」が雑誌スタンドと平台の一画を占め、閉店前の二、三年は、雑誌売場の半分くらいを占めるようになっていた。店主に訊くと、「利益率がいい」とのことだった。
 隣にある「京都」の情緒をウリにしている旅館の女将などは、たいへん嫌がっていたし、こちらも、本はなるべく地元で買えれば、とは思うものの、雑誌などを買うときにも、少し離れたところにあって、一切、そういう本を置いていない書店を優先していた。
 そちらの書店のほうは、今も続けている。そこのオヤジさんは、「ウチは学校に教科書を販売しているから、ああいう本は置けない」と言っていたけれど、そういう体面だけの理由ではないだろう。ここは、さらにずっと小さなフロアで、もちろん二階もなく、廃業した近くの書店以上に、客が入っているのを見たことがない。
 高額の本を取り寄せて買うときには、ぜひここで注文したいと思う。けれど、近年の景気では、なかなかそういう機会がないんですよね。(嘆)

 本屋は今、そういう傾向にあるように、これからもさらに、「みんなの空間」と、そうではない、「わたしの好きな場所」とに、分かれるだろう。
 旧来からの店舗で、同じ販売スタイルを維持している書店は、まず、ほとんど消え去るはずだ。上記の店も、何かほかのことで稼いでいるのかもしれない。
 量販店と、セレクトショップ。
 これは、ほかの業種と共通する。今や、書物が特殊な「商品」として意識される時代ではなく、その販売に携わる者に特別な延命が与えられてはいない。規模で売るか、魅力で売るかの両極に分かれざるを得ないのは、商品の内容にかかわらず、必然的な時代の流れなのだ。ウェブ販売のアマゾンなどは、現在ある、量販の究極の形態だろう。

 まだ、このあたりの予測は整理できていないが、電子書籍の普及が進めば、「書物」の量販はさらに加速し、リアルの大型店舗も、店頭の形態は変わるだろう。
 書籍を扱う小型店舗は、セレクトショップとしても、「本」を扱うというより、独特の「伝統工芸」としての魅力、質感を持つ「書物」という趣味の世界を扱う、という感覚になるだろう。

 地方・小出版流通センターからの通信には、政府の電子化推進事業についてもお知らせが載っていた。

●経済産業省「コンテンヅ緊急電子化事業」の申請条件の緩和について
1.第一次申請締切は9/14でしたが、第二次出版社申請受付け期間を10月1日(月)から11月30日(金)とし、募集します。
2.タイトル申請数の上限を廃止します。出版社の昨年の新刊発行点数の2倍までを廃止。
3.図書館への図書寄贈の緩和−3冊献本を義務としていましたが、「可能な範囲で寄贈」に改めます。
4.ePub3の申請に対応します。
5.電子化事業の制作会社の出版社指定が可能になりました。
  詳細は「JPO出版インフラセンター」のホームページをご覧ください。


 この3番目の項目、図書館への寄贈が、ちょっと気になるので、また、あらためて考えたい。
 電子本になったら、図書館はすべて「所蔵」するのかな、ということです。
 紙の本の寄贈では、じつは、国会図書館以外の図書館は、出版社から寄贈された新刊本を必ずしも蔵書しないということを、つい二、三年前に知った。ときには、寄贈された本を、そのまま、廃棄処分にすることもあるようだ。
 その実状を知った時には、驚くとともに、腹が立ったけれど、そのことは、もうちょっといろいろなことを調べて、いずれまたふれたいと思います。
   
ラベル:書店
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2012年04月17日

携帯電話が世界を変える日

旧暦三月二十七日 戊申(つちのえさる)

 このあいだ、ひょっとして、ワン切り魔になっていたかもしれない。(汗)

 携帯電話を換えた。
 というか、NTTドコモがmovaでの通信サービスを停止するため、fomaに換えるか、他社に乗り換えるかという選択をせざるを得なくなったわけだ。他社に乗り換えるというのも、ひょっとしたら何かメリットがあるのかもしれないが、そういうところで影響が出るほど使っていないし、サービスは似たり寄ったりだろうし、なにより、いちいち手続きをするのが面倒だ。
 去年から、毎月のように「お取り替えの案内」が送られてきていたが、いよいよ放っておくと4月から電話ができなくなるので、2月の終わり頃に、送られてきているカタログで機種を決めて、一応、店頭で使い勝手をみて( といっても開いたり閉じたりするだけだけれど(笑) )申し込んだら、予定よりかなり早く送られてきた。

 新しい電話機が送られてきても、切り替えるのは3月末のサービス停止まででかまわなかったのに、ちょうど忙しい時だったにもかかわらず、軽い気持ちで、つい切り替えの作業をやってしまった。

 新しい電話機には「開通手順書」という、パワーポイントあたりでつくったようなA4横サイズの案内がついていて、これを見ながら自分で初期設定ができるようになっている。
 表紙に「※掲載機種はらくらくホン7ですが他の機種でも捜査は共通です」とあって、らくらくホンを基準にしているだけに、思いきりデカ文字で書かれている。
 で、わかりやすいといえば、わかりやすいのだけれど、ほどなくつまづいた。
「お客さまが登録されている4桁の暗証番号を入力してください。」
 何番だっけ? そういえば申し込むときに番号を登録したっけ。
 3回間違えてアウト! って、野球じゃないんだからねえ…。
 結局、問い合わせ番号にかけて、設定し直すはめになった。
 まあ、初歩的なミスです。これは自分が悪い。
 とりあえずは、通信回線が開通。

 この経験から始まったものだから、本体の設定では慎重になります。
 で、また、暗証番号が出てくるんですね。
 よしよし、今度は大丈夫だよ、と。
 ところがなぜかエラーとなる。
 何度やってもダメ。
 おっかしいでしょ。
 時間をおいてやってみよ…。

 そんなことで解決するはずはないよねえ。
 一時間近く四苦八苦してたのではないでしょうか。(泣)
 薄っぺらいくせに読みづらい付属のトリセツを開いて、あちこち見ていたら、やっとわかった。
 本体の設定のための暗証番号は、最初、一律に「0000」と設定してあるのだ。
 それで初期設定をすれば、個別の暗証番号に変えられるようになる。
 なら、暗証番号を入力せよなんて言わずに、「0000」と入力してください、とか、ゼロを四つ入力せよ、とか言ってくれれば簡単な話だろ!
 こういうことは前提なんだから、いちばん最初の目立つところに、すぐわかるように書いておくべきでしょう。もう、ため息。

 まあ、それでも、なんとか使えるようになりました。
 ほっと、一息。
 だけど、データはmovaに入ったまま。これは、まあまあ覚悟していたので、電話帳代わりに、こっちも少しの間一緒に持ち歩いてもいいと思っていた。
 データ移動したいのは、「電話帳」と「フリーメモ」くらい。あとは何もない。カメラだって30万画素だったし。(笑)
 まあ、でも、ちょうどついでがあったので、翌日早速、通り道のドコモショップに寄ってみる。「電話帳」のデータ転送をやってもらう。意外と時間がかかったが、これでOK。メモのほうは転送できない。まあいい。量も少ないので、どのみち、新たに整理し直して打ち込もう。

 でもって、まあ、ひと安心はしたのだけれど、帰ってから見てみると、何か感じが違う。もちろん、ディスプレイの表示や文字のフォントも大きさも違うから当然なのだが、どこか違和感? よくみると、アイコンが全部、レトロな固定電話マークになっているのだ。
 もとの登録では、携帯マークの男女色別とおウチマーク、オフィスマーク、店文字マーク、といったふうに分けていた。それが全部固定電話マークに一斉変換されてしまっている。
 またため息。

 「グループ」から相手の番号を探すにしても、そのあとは名前をたどっていくわけだし、自宅か携帯かというのも番号を見ればわかる、と言えばそれまでなのだけれど、やはり、せっかくのアイコンが頭についていたほうが、パッと見、わかりやすい。
 しかたないので、夜、寝る前に、少しずつ直していくことにした。
 こういう手順は、mova のほうがずっとやりやすかった。なんというか、フローがシンプルだったのである。
 表示も、これは機種にもよるのかどうかわからないが、movaでは白地に黒文字だったが、fomaのほうでは、基本が黒バック。そこに白抜き文字だったり、現在操作中の部分だけ白いオビとなって、そこに黒文字で示している、といったふうで、ものすごく見にくいし、まぎらわしい。

 手順の操作数が多く、しかも読み取りにくいので、何度も間違えた。しかも、その間違いが、発信につながってしまうのだ。
 発信画面に切り替わってしまったのを見て、あわてて、オフを押す。
 間髪入れずオフを押しても、すでに一度、発信してしまっているから、ワン切りになる。というわけで、本文冒頭のように、どうもワン切りを繰り返したらしいのです。
 みなさんすみません。(涙)

 何人かの友人が、どうしたの? と返信をくれた。やっぱり。
 ごめんなさい! とにかく謝って事情説明。
 だけど、お仕事先とかは、時間も時間だし、着信があっても、どうせ間違いだろうと無視していただいたようで(汗)、ことに苦情はこなかったのですが…。
 固定はまだいいのですが、携帯の場合、長く伺っていない相手のかたには、間違ってかけてすみません、と電話するのもなんだし…、ひょっとしてもう閉めちゃってるかもしれないし…、なんてちょっと逡巡したり。
 いやはや、あせりました。(冷汗)

 で、このあたりの機能が、ものすごく使いにくい。movaでは発信記録と着信記録を別に見ることができたのだが、fomaではおなじ画面に混在。それも、似たようなアイコンがいろいろ出てきて、まぎらわしくて、やたらわかりにくい。
 メールの送信トレイと受信トレイは、さすがに別になってはいるものの、なにかしら使い勝手が悪いし、画面も文字サイズも大きくなっているのに読みづらい。

 この使い勝手の悪さは、どうも、慣れの問題だけではない気がする。
 機能は豊富になっているし、その分、項目数や手順が増えることはわかる。そのために、手数が増えることで、使い勝手が悪くなる場合もある。
 しかし、どうもそういうことではない、という印象が強い。

 はたして「進化」したのだろうか、ということである。
 前のmovaは何しろ、30万画素カメラの年代物。新しいfomaでは1310万画素で、自動合成や「小顔撮影」(笑) までできる。フルハイビジョンムービーも撮れる。ワンセグテレビが見られて、GPSがついていて、フルートゥースやワイファイに対応して、防水防塵。……もう至れり尽くせりのハイテクが凝縮されている。
 で、較べると半分近い薄さになってはいるのだが、平面積でみると、2割くらい大きくなっている。重さは減っているものの、5グラムあまりしか違わない。グリップ性は丸いmovaのほうがよく、四角いfomaはスマートに見えるけれど、手のなじみはよくない。落としそうでしかたがない。はっきり言って、形状自体は進化していない。

 そして、こまかいところかもしれないけれど、電源を入れてから使えるようになるまで、やたらに時間がかかる。パソコンみたいだ。ひとつひとつの機能も、アイコンを押してから画面が現われるまで、つんのめって待つ感じ。機能が多くなって複雑だから、反応するタイムラグが延びるんでしょうね。
 ボタンが薄くて間違って押しやすいのは、まあ、デザインによるのでしょうけれど、触感で境界がわかりにくい。
 しかも、ごていねいなことに、movaで「マナーモード」にするには「*」マークを長押しだったが、fomaでは「#」マークの長押し。fomaで「*」マークを長押しすると、「ドライバーモード」になる。この失敗をしたことで、今まで知らなかった「ドライバーモード」の存在を知った。(笑)
 同じ会社の電話機なのに、操作方法に継続性がないばかりか、正反対に設定されているという愚行。

 結局、使い勝手としてはまったく向上していない、という印象なのだ。
 ここで、健康器具や健康食品のテレビショッピングなら、「個人的な感想です」とテロップが入ります。(笑)

 日本の携帯電話がガラパゴス化している、ということは、言われ始めて久しい。
 通信規格や基本システムの問題だけでなく、井戸の中の進化では、島から外に出たとき、同種の食い合いでたちまち滅びる、という意味にもとれる。
 これは、最近、多くの日本製品に共通して感じられることのような気がする。
 基本的に、つくった側の人間が、その製品を使ってみたことがあるのかな? と疑問に感じることが多いのだ。

 携帯電話が登場して、コミニュケーションのあり方が変わった。
 考えてみれば、すごい技術である。
 印刷、電信、電話、ラジオ、テレビ、それらは世界を変えてきた。その根源には「情報伝達の革新」がある。今、ここにきて、インターネットと携帯電話が、また新たに世界を変えつつある。みんな、何をしたかといえば、時間と空間を縮めることである。

 携帯電話は、衝撃的な技術製品ではあったが、おそらく、最初に固定電話が登場したときのような劇的インパクトではない。比較できるなら、ウォークマンの登場といったところだろう。
 スマートフォンも、使い勝手の良さが一気に高まったのかもしれないが、いかに便利でも、せいぜい、持ち歩ける電話付きパソコンである。

 携帯電話が、その真価を発揮できるのは、やがて実用化されるはずの、音声同時通訳機能だと思っている。インターネット電話のほうが先かもしれない。しかし、いずれ、携帯電話で簡単に同時通訳ができるようになれば、いつでも、どこでも、イヤホンマイクをつけて対面でそのまま話すことができる。
 どこかの馬鹿な企業のように、社内で日本語禁止だとか、会議は英語だとか言わなくてもすむのだ。

 そのとき初めて、携帯電話はほんとうのブレイクスルーをもたらすだろう。文化を変えることになる。
 で、それで、である。
 ガラパゴスであったかどうかは、そのとき、まさに、ためされるだろう。
 自分たちでも使いにくいようなものなら、世界の人々が受け入れるわけはないよね。
   
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2012年03月14日

すすんで「ユダヤ人狩り」をしたがる人たち

旧暦二月二十二日 甲戌(きのえいぬ)

 昨日ニュースを聞いて、あ、今頃卒業式だったのか、最近は遅いんだな、と思っていたら、十日前の出来事だった。
 なんとも信じられない話。
 卒業式で、校長にとっては、教え子たちの卒業を祝福するより、君が代を歌わない教師を探し出すことのほうが大切だったらしい。

 ウェブのニュースはすぐに見られなくなる場合が多いので、少し長いけれど引用。

<君が代斉唱>歌っているか口の動きチェック…大阪の府立高
毎日新聞 3月13日(火)11時30分配信 (「YAHOOニュース」から「毎日jp」)

 大阪府立和泉高校(岸和田市)で2日に実施された卒業式の君が代斉唱の際、学校側が教職員の起立だけでなく、実際に歌っているかどうかを口の動きでチェックしていたことが分かった。式典終了後の事実確認で、1人が起立しただけで歌わなかったと認めたため、府教委が処分を検討している。同校の中原徹校長は橋下徹・大阪市長の友人で弁護士。同市長が府知事時代の10年4月に民間人校長として採用された。
 府教委などによると、式には教職員約60人が出席。府教委が事前に全校長に出した「起立斉唱を目視で確認」との指示を受け、教頭らが起立状況に加えて、口の動きをチェックした。全員が起立していたが、このうち3人について口が動いていないと判断し、1人が歌わなかったことを認めたという。
 府教委は1月、府立学校の全教職員に起立斉唱を求める職務命令を出し、2月にあった卒業式で起立しなかったとして今月9日、17人を戒告(懲戒処分)とした。
 中原校長は13日更新した自身のブログで、府教委から「明らかに歌っていない教職員をチェックしてくれればよいとの指示を得た」とし「府教育委員会からの職務命令・指示を順守した」と主張。歌わなかったことを認めた教職員は「次回からはちゃんと歌う」と謝罪したとしている。
 橋下大阪市長は13日、記者団に「起立斉唱の職務命令が出ているのだから、口元を見るのは当たり前で素晴らしいマネジメント」と述べた。【田中博子、茶谷亮】

 卒業式が2日だったというから、この話を最初に流したメディアは、直後から知っていたものの、震災からの一周忌を前に、連日追悼特集が続く中で、埋もれてしまうのを避けたのかもしれない。
 それにしても、一年前のあの東北での悲劇を振り返って、日本中があらためて心痛めていた中で、よくまあ、こんなにマメに、陰湿なことを思いついたものだ。

 さらにニュースになったのが、これ。

祝辞そっちのけ、不起立教員批判…維新府議 卒業式で

 大阪府守口市の府立高で8日に行われた卒業式で、来賓として出席した大阪維新の会の府議が、国歌斉唱で起立しない教職員を見て、「ルールを守れない教員がいることをおわびします」などと発言、保護者らが「お祝いの言葉もなく、式が乱された」と抗議していたことが分かった。府議は「卒業生の皆さんを一番傷つけてしまった」とブログで謝罪した。
 高校などによると、来賓として紹介された際に発言した。終了後、学校や府議に保護者らから抗議があったという。府議は「このような教育のもとで3年間生徒を過ごさせたことに対し、本当に申し訳ないという思いから述べた。おめでとうと言える心境でなかった」と話している。
(2012年3月13日 読売新聞)

 なんともねえ。
 卒業式という晴れの場で、校長や議員たちは、心から若者の旅立ちを祝うつもりなんかまったくない。獲物を狙う毒ヘビのような眼で教師たちの口元をなめ回し、その中で誰が反抗心を秘めているのかを探し出すほうが大切だったのだろう。
 ネチネチとまとわりつくような、ただひたすら、自らに逆らう者がいないかを確かめる視線には、彼らの歪んだ精神が漂うのを感じる。どうあっても人を貶めようとする、何か、おぞましい、人間の心の闇のようなものさえ感じる。

 ふと、何かに似ている、と浮かんだのは、よくある「ストーカー事件」の報道にふれたときの感覚。
 そしてまた思うのは、この人たちは、「君が代」を尊重しなければとか、「ルール」を守る大切さをとか、もっともらしいことを言っているけれど、じつはそういうことはこじつけで、気持ちの本質は、何か理由をつけて、「気に入らないやつら」を探し出して、たたきたいだけなのではないか、ということである。
 少年たちが、ホームレスを襲撃する心理にも似ているのではないか。
 じつに、嫌な時代になってきた。

 議員さんのほうは、このニュースでは氏名が出ていないけれど、他のニュースをみると、その高校の卒業生でもある西田薫さんというかたらしい。この読売報道では「ブログで謝罪した」とあるけれど、とてもそんなふうには読みとれませんでしたね。
 http://ameblo.jp/go2183west/entry7-11186641321.html

 校長の中原徹さんのほうは、採用になったとき、ここにもあるように、橋下さんの友人だとして「縁故採用か」と話題になった、あのかたなのでしょう。
 こういった感覚の人が、弁護士だというのがやりきれない。
 この人も、ブログで、当日のの出来事を語っている。
 http://ameblo.jp/nakahara-toru/day-20120313.html
 当然、間違っていたなどとは言っていない。話の持っていきかたは、橋下さんと似たすり替えがあって、うまい。
 正当性を主張する論理は、法廷闘争で有罪を無罪と主張して判決を得るための、すごい高等技術なのだろう。

 なんだか、しみじみと考えてしまう。
 それで、あなたがたは、誰に媚びようとしているのか。
 みずからの行為で、何を誇ることができるのか。
   
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2012年02月22日

光市の母子殺人事件から

旧暦二月一日 癸丑(みずのとうし)

 光市の母子殺害事件で、上告が棄却され、死刑が確定した。
 判決には、その経緯があるので、その部分においては、これが正しいとか間違っているとか軽々とはいえないけれど、結論は妥当ではないか。

 人を意図的に殺したならば、死をもって償わなければならない。
 これは、原理原則だと思う。ここでも何度か言ってきた。

 未成年、というのも、基準は難しい。
 幼い子どもが、わけもわからず銃や刃物のような殺傷能力のある道具にふれて、過って人を殺すことになった、というようなことは、意識以前の出来事になる。だけど、思春期を迎え、未熟で不安定とはいえ、善悪の区別はついていなければならない年代であれば、責任の有無をいうのはおかしいだろう。

 18歳と1カ月。犯行時としては最年少の死刑囚となるようだ。
 しかし、この年齢で、少年だからと死刑を回避するのはおかしい。比較はしにくいかもしれないけれど、かつて元服は15歳くらいだった。現代においては青少年が未熟だ、というのなら、社会のありかたのほうを考えるべきだろう。
 
 ならば、年齢がどんどん下がっていけば、ということにもなるかもしれないけれど、先にふれたように、幼い子どもが能動的に人を殺すことはない。要は、「殺意」があったかなかったかの一点である。

 被告が更生のきざしをみせているとか、真摯な反省がうかがえないとか、そういった判断も分かれているようだけれど、こういった要素は、犯した罪そのものを問う判決とは、別の問題なのではないか。
 被告の側も、原告の側も、裁判が社会性を帯びると、どこか感情に訴えてきたような観がある。
 死には死をもって報いよ! という責め苦ではない。
 死には死をもって償う。それしか責任の取り方がないのである。

 ただし、更生の道なんか閉ざしてしまえ、と言っているのではない。
 情状酌量はあってしかるべきである。
 しかし、判決に「情状酌量」などという、「どうとでも判断できる要素」を入れるからややこしくなる。
 行為に対する判決は「死刑」なのだ。
 情状酌量、のような、寛容が入りこむのは、そのあとでなければならない。
 行為に対する判定に、なんで最初から感情的判断が入りこむのか。社会関係における判定で、あるいはスポーツにおける反則へのペナルティで、情状酌量のような、人によって判断の分かれるような決定は本来あってはならない。混乱を招く結果にしかならない。

 今回、<「死亡した被害者が2人」の「少年事件」で、初の死刑が確定する意味は大きい>という論調で新聞記事は書かれていた。( 京都新聞2/21朝刊=おそらく共同通信の配信による )
 くだらない理論である。殺した相手の人間が何人だから死刑になる、ならない、などと、誰が決められるのか。殺された人は生き返らないのだ。1人だけなら死刑にはしない、などと誰が言えるのか。何人殺せば死刑、などという陳腐な基準を「暗黙の了解」としてきた「法曹」という世界の規範は、いかにも適当なものに感じられる。

 人を殺したら死刑。これは、シンプルな原則でなければならない。
 そして、その判決によって、その刑罰の執行をただちに行なうかどうかは、別の問題である。死刑判決が下されても、本人が、まさに「真摯に反省」し、「更生しうる」きざしががあれば、あらたな道が開かれてもいいと思う。
 そういう可能性をつくっていないのが現在の法律だが、死刑回避があり得るとすれば、本来はそのほうが順序ではないか。
 死刑判決と、死刑執行とを切り離して考えるしくみをつくればいいのだ。

 とかく極刑になるような犯罪についてばかり「更生の可能性」がとりざたされるが、じつは、もっと「軽い」(といっていいのかどうかは別として)犯罪で収監され、刑を受けた犯罪者の更生のほうが、はるかに問題ではないのか。
 人一人の命は重い、という理念のもとに、死刑廃止論者はみずからを美化しているようにみえるし、殺された人の多数としか、一人の犯罪者の命は引き換えられない、という主張など、おおいなる矛盾としか考えられない。もっと、更生しうる可能性の高い多くの「犯罪者」を社会復帰させることにこそ、労力を注ぐべきではないのかという気がする。「殺してしまう」という犯罪は、被害者に対する謝罪も償いも、永遠に不可能なのだ。

 その意味では、殺人を「合法的に」認めているかのような、戦争における殺人も無視することはできない。
 ここでは、「命令によって人を殺した」場合の責任が問われる。やむを得なかった、というのは嘘だ。殺人への参加そのものを拒否する意志がまず問われる。そして、それが可能であったかどうかが問われる。
 もし、命令のもとで殺人を犯す、という「戦場の論理」が、日常社会と同等におかれれば、殺人の示唆と実行の関係になるのか、共謀になるのか、そのあたりは不勉強で、現行の法律でどう規定しているのかよくわからないが、いずれにしても、兵士は「殺人犯」として罪を問われることになるだろう。そうなれば、その戦争行為への参加自体を、まず、みずからの意志で決めなければならない。日常社会で、「言われるままに人を殺しました」という言い訳では、絶対に無罪にはならない。
 死刑廃止論、というのは、もともと欧米の「ヒューマニズム」からの発想である。その裏には、身勝手な優生思想と、戦争殺人正当化の論理があるような気がしてならない。

 光市の事件は、弁護士資格を疑ってしまうような橋下某さんが、弁護団に、くだらない横やりを入れて物議をかもし、よけいにややこしくなった裁判だったが、こういった、人の命のやりとりをする裁判が「話題」になるたびに、ふらふらと政治家のようになっている、それも世間知らずで保身に汲々としている上級の裁判官たちを想像して、うんざりとしてしまうのである。
   
 
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2011年12月07日

クルマ天国は必要か

旧暦十一月十三日 丙申(ひのえさる)大雪

 今日は、二十四節気で 「大雪(たいせつ)」。
 「もう山の峰は積雪に覆われているので、大雪という。平地も北風が吹きすさんで、いよいよ冬将軍の到来が感じられる。この時節、時として日本海側では大雪になることもある。ぶりやはたはたの漁が盛んになる。熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色づく。」(『現代こよみ読み解き事典』柏書房)とある。
 うーん、1993年初版、わずか二十年ほどですが、、今年はことさら、これを読むと温暖化を感じますねえ。

 今年の、あたたかい冬。「熊が冬眠に入り」 というのは、どうだろうか。
 去年のデータがわからないけれど、一昨年は、三千頭に及ぼうという熊さんが 「殺処分」 された。
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/181541149.html
 今年はあたたかいので、山の恵みでしのいでいるだろうか。
 里に降りてくるなよ!

 熊さんにとっては山稜を分断して走る高速道路は迷惑でしょうね。自動車優先。
 このところ、ずっとTPPの問題にふれようと思ってきていながら、ちょっと予定変更。
 自動車税、のこと。
 これは、TPPに参加しようとする思想と通底するのではないか、そんな気がしたもので。

 11月28日、経団連の米倉弘昌会長は総務省政務三役と懇談会を開いて、自動車税の廃止を要望した、とニュースで流れた。
 都内の経団連会館で、というから、懇談会という名目で総務省が呼びつけられたかたちかな、と素人としては思ってしまいますが…。ふつう、出向いて行っての陳情でしょう。どっちが主役かがわかる。市民運動も、こういうかたちでやればいいのに。無理かな。(笑)

 「自動車税」 は、クルマを取得するときや保有、走行していることに対して課税される税金で、幅広くにはいろいろあるけれど、そのうち、「自動車取得税」、「自動車重量税」 のふたつを廃止せよ、と米倉さんは要請した。
 要は、クルマを安く買えて維持費が減るようにしろ、ということですね。

 TPPという協定を結んで、ほかの分野はどう犠牲になろうと、海外にもっとクルマを売りやすくして、さらに国内でもクルマの売れ行きがよくなるように、消費税は上げてもクルマの税金は減らせよ、という話である。
 米倉さんというのは住友化学の会長ですね。クルマの増産で、そんなに儲かるのだろうか。タイヤとかバンパーとかシートとか、自動車関連の製品はたしかに多いですけれどね。ちょっと、売上げに占める割合までは調べていなくてすみません。

 TPPにおいても、輸出振興に励まなければ、日本の空洞化が進むとか、競争力で負ける、などと言って、要は自動車産業が日本の大黒柱だから、これを守らなければ日本がつぶれる、みたいな危機感をあおっている。はたしてそうか。

 自動車産業は、今のような重厚長大産業としての寡占産業としては衰退するだろう。電気自動車が主流となれば、構造は簡単で、パーツも少なくてすむようになり、極端に言えば、誰でもつくれるようになる。かつてのバックヤードビルダーのクルマではないけれど、まさに 「物置で簡単にエコカーがつくれる」 時代がやってくる。既得権を守る規制さえつくられなければ、ですけれどね。
 エコカー手作りキット、なんていうのを、どこかのNPOあたりが、温暖化防止カンパ付き、なんていって売り出してもおかしくないのだ。
 今、トヨタやニッサンが、「ぶつからないクルマ」 とか、「安全な交通システム」 なんかについて必死で研究しているのは、バックヤードでは簡単にできない技術や装置をつくって、寡占状態を維持しようとしているだけである。

 ほんとうに、「運転者や歩行者の安全」 を最優先で考えているなら、今までクルマなんか売ってこなかっただろう。
 毎年1万人が交通事故で死んでいることを、みんなあたりまえのことのように受け入れている。
 原発事故の時、この数字を引き合いに出して、それに較べれば原発のリスクなんて、といった意味のことを言い放った科学者だったか研究者だったかがいたけれど、なさけなくも、一瞬言葉につまってしまうほどの犠牲の大きさであることには間違いない。

 そしてまた、自動車産業が雇用のかなめ、みたいなことを言う人がいるが、はたして、そんなに貢献しているものだろうか。
 かつて、ルポライター鎌田慧さんは 『自動車絶望工場』 を書いた。そのころから、いくばくかの労働環境が「カイゼン」されたのかもしれないが、根っこにある思想は変わっていないようにみえる。
 以前「季節労働者」といわれた人たちが「派遣労働者」と名前を変えただけである。「日本の雇用を守る」 ためのTPP、などというけれど、雇用を破壊してきた最先鋒は、自動車産業である。原点はアメリカに学んでいる。簡単解雇、即応雇用、である。

 民主党は、米倉さんの要望を、前向きに検討する、みたいなことを言っていた。
 消費税を上げようか、とまでいう財政事情の中で、高速道路の無料化、なんていう、とぼけた公約をしてきた感覚は変わっていない。
 高齢化社会の中で、まさに高速道路こそ受益者負担の必要な施設である。
 鉄道はどんどん廃線になり、フェリーも廃業し、ローカルバスの路線が消えて、公共交通という概念さえ失われようとしている。ふだん、黒塗りの公用車や社用車でのうのうと送り迎えされている連中には、「限界集落」 で、「日本の国土」 を守っているお年寄りたちの苦労は、わかるわけもないだろう。その脳ミソが、被災地支援の、あのていたらくにつながっている。

 自動車産業は、アメリカで、発展過程をたどる中で、鉄道と激しく争い、鉄道を駆逐するためのあらゆる手段を尽くしてきたという。
 自家用車の所有は、かつて富の象徴でもあり、欲望の最大の対象であった。
 玄関から目的地まで、暑さも寒さも気にせず、雨にも濡れずに横付けできるこの道具は、じつに便利である。法律も、その便利な道具を後押しするようにつくられた。さすがに、その運用のひどさに怒る人が増えてきたことで、ようやく、自動車危険運転致死傷罪ができたが、それまでは、どんなに悪質な「自動車殺人」を犯しても、業務上過失致死に問われることさえなかった。
 人を殺したことのある人間が、これほどおおぜい、世の中で心の痛みも感じないで暮らしていられるのは、戦争をやっていた時以来ではないのだろうか。

 クルマには、自分自身でもおおいに恩恵を受けている。自ら運転しないでも、人に乗せてもらうし、利用価値は充分にわかっている。
 しかし、もう、そろそろ、人の移動方法を、あらためて考えてもいい時期にきているとともに、自動車産業が永遠に基幹産業であるなどという幻想も捨て去ったほうがいいのではないか。
 それに、雇用を守るなどというまやかしは通じない。「グローバル」 企業は 「国家」 も 「国民」 も必要としていない。そこに求めているのはまさに、村上春樹さんが言ったように「効率」の良さだけである。いかに最大限の利益が上げられるのか、ということ。別に、日本にすべてを置く必要などないのである。
 大阪に本社があった企業も、大半が東京に本社機能を移したように、その経営に最適な場所を求めていくのは企業の本能である。
 米倉さんの要望は、ただの、「自分たちだけの目先の利益」 である。日本の経済人がここまで落ちたのは情けない。
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2011年11月03日

新聞広告も、まだまだ元気だ。

旧暦十月八日 壬戌(みずのえいぬ)

 この前の日曜日、朝刊をひらいて、久しぶりに記事下の広告に目が行った。
 新聞を読もうとするときには、まずひっくり返して、一番後ろのページからめくっていく習慣なのだけれど、その日でいうと最終が28面、ページものだと表4ですね、ここはテレビ番組表だけだから、夜の番組あたりに何か観るものがないかな、と一瞥したら、すぐに次へめくって三面記事から流していくところが、ふと記事下の全五段広告に気を惹かれた。

    京都からわずか30分で着く、
    インテリアのテーマパーク

 インテリアショップの宣伝ですね。
 空間を活かして、ハイライトで背景をとばした感じの切り抜きだろうか、これはシェルチェアというタイプの椅子でしょうね、朱赤のデザインチェアと、この、ヘッドライン二行の文字の色とをそろえて、視覚効果を高めている。
 新聞もカラーになって、記事面では、ただ無駄に無理やり色をつけてるだけのような紙面が多いけれど、こういうところは面白くなりましたね。
 四色刷だから、広告枠の下に、店内のカラー写真が添えてあったけれど、アイキャッチ部分のこういう、上手い色と空間の配置をみると、二色で充分たたかえる、という気がする。今では、カラー分解や印刷のコストが下がったので、往々にして、二色にするくらいなら四色でいこうよ、という話になるが、かつては特色二色の表現なんか、抜群にうまいデザイナーさんがいたものだった。
 きっと、この広告を組んだデザイナーさんも、そういうセンスを持ったかたでしょうね。

 ひとつだけ、ちょっとだけ気になったのが、二行のヘッドラインの構成。
 このコピーの、いちばんのキモは「インテリアのテーマパーク」。こちらも、まず、この言葉に目が行った。
 なので、できれば、キモのフレーズが目立つほうがいい。
 だけど、補足説明側の一行の方がわずかに長い。
 実際の組みでの(ツメたりしてあるものの)長さとはみだしかたは、ほぼ上の二行と同じような割合です。

 二行、同級の文字サイズで組んであって、この場合、「京都からわずか30分で着く」という一行を、明確にサブ扱いして、ポイントを下げて書体を変えたり、ということも考えられるけれど、この紙面で見る限り、そういう小細工は野暮ったくなる。今のバランスがいいのである。

    京都から30分で着く
    インテリアのテーマパーク

とすると、ちょっと短いかな。これも同じことですね。

    京都からわずか30分、
    インテリアのテーマパーク

 まあ、片一方の一行が短くなったら、行間の微調整なんかも必要だろうけれど、せっかくのコンセプトである「インテリアのテーマパーク」を優位に立たせたほうがいいように思う。
 上下逆にしても、そう感じる。

    インテリアのテーマパーク
    京都からわずか30分。

 「わずか30分で着く」というのは、おそらく、クルマで高速利用、ということだろうと思うけれど、たった30分でそこまで「到着できる」と強調したかったので「着く」と入れたかったのでしょうね。よくわかる。(笑)

 今やインターネットの時代、この広告でも、当然、URLも掲載され、ネット検索への誘導もされているが、そのあたりもきちんとフォローできていた。
 検索枠に店名を入れ、その横に「検索」ボタンとポイントマークを表示して、こうしてクリックしてね、という表現はよくあるのだけれど、ここでは、単に「webもチェック」と入れるだけでなく、

    \季節のキャンペーンもWEBでチェック/

と、ワンフレーズ添えてあった。
 このワンフレーズが、なんでもないようでいて、コミュニケーションツールの機能を果たすのだ。背中をひと押しする、コピーの存在意義である。
 新聞広告という、時事性を感じさせる媒体の特性が、空気として活きてきますね。

 そんなことを考えながら、いつになく「表4」をゆっくり眺めて一枚めくったら、今度は右側26面の記事下の、今度は半五段だけれど、また目についた。

    本日別腹、
    特B級解禁。

 写植でいえばゴナ平1? といった感じのぶっとい文字、それも枠の両側に、それぞれの一行が半五段スペースの五分の一ずつくらいを埋めつくす感じで、タテに一行ずつ、どーん、とおいてあり、「〜解禁。」の「。」は半分枠からはみ出すかたちで、また「別」の文字だけはひとまわり大きくした上でスミベタの丸囲みに白抜きとし、さらに傾けてある。
 これも、さりげないところに、ちゃんと芸をみせている。

 今ちょうど開催されている、京都での「国民文化祭」のイベント告知ですね。
 「京都特B級ご当地グルメフェスティバル」だそうだ。

 こちらの広告では、半五段の限られたスペースを文字で埋め尽くしているのが、ジャンクフードっぽい、ごちゃごちゃ感、を盛り上げている。
 出店メニューがたくさん並べてあって、その上に「どうぞご自由にお迷いください」とさりげなく目立つフレーズも、よかった。こういうのは大好きだな。(笑)

 ぱっ、と目にとまって、ちゃんとターゲットの心理をついている。
 広告の基本は、相手の立場に立ってみること、という、なんでもないふつうのセンスを久々に見たね、という、あれは、珍しい日曜日、でした。
 新聞広告も、まだまだ元気だ!
   
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2011年10月28日

「快眠コンソーシアム」の市民講座

旧暦十月二日 丙辰(ひのえたつ)

 十日あまり前だったか、「快眠コンソーシアム」という団体が市民講座を開催、テーマは「日本人の生活の中の睡眠 −『源氏物語』の眠りから現代人の眠りまで−」というので袖を引かれた。会場も近くのホテル。
 コンソーシアム、という言葉もかなり広まってきたのだろう、昔だったら「快眠推進協会」とか、「快眠環境振興会」なんて名前をつけていたところかもしれませんね。

 コンソーシアム、という言葉自体は、ずいぶん昔になるが、日本総研の取材で若手スタッフから聞いて初めて知った。まだ走りの頃。お恥ずかしながら、青二才としては、そんなしゃれた言葉は初耳で、「すみません、コンソーシアムっていうのは…?」と訊ねたものだった。
 未だちゃんとした定義はよくわからないが、なんとなく、共同体とか共同作業をする集団組織、みたいにとらえている。響きがいい言葉ですよね。
 やっているみなさんも、おそらく適当な解釈でしょう。(笑)
 だいたい、広告業界でも、コンセプト、とか、ハウスオーガン、だとか、フライヤー、だとか、タグライン、だとか、次々と専門用語を新しくして「クライアント」を煙に巻くことばかり考えてきたけれど、産業界も同じで、要はアメリカのお尻を追いかけているだけである。
 常に「新しいことしてますよ」という姿勢をみせておくために、てっとりばやい方法なのだろう。みんな、よーく見ると、中身は古いまま。というか、ヒトのやること、そんなに変わるものではないし、別に新しがる必要もないと思うのだけれど。

 それはさておき、せっかく、おおいに関心をもった「『源氏物語』の眠り」についての話を聴けなかった。用事ができて、会場に入ったのが、ちょうどその講演とパネルディスカッションの終わったところでした。(溜息)
 でもまあ、「はんそく」通信としましては(笑)、そのあとの「企業プレゼンテーション」にはまた別に興味があったので、それはそれで参考になりました。
 参加企業のプレゼンテーションは、
    株式会社イワタ「寝床内の温・湿度と快眠」
    エスエス製薬株式会社「一時的な不眠と睡眠改善薬」
    グンゼ株式会社「パジャマと快眠」
    太陽化学株式会社「緑茶成分と快眠」
    パラマウントベッド株式会社「快眠を得るためのベッドの選び方」
    ロフテー株式会社「睡眠時の枕の役割」
    ハイアットリージェンシー京都「心身一如パッケージ」
というラインナップ。

 200人ほどの会場でパソコンからプロジェクターに映し出して、パワーポイントでしょうね、スライドショーに合わせて、各社の担当者が解説をしていくのだけれど、こうやって、次々と10分ほどの持ち時間でアピールするのを聴かせてもらうと、つくづく、「しゃべり」というのは、個人の技能によるところが大きいと感じる。
 1社だけ女性で期待したけれど、いちばん堅くて棒読みで、わかりにくくてつまらなかった。緊張していたのだろうな。
 慣れている人は、すぐわかる。余裕があるのですね。おそらく、その企業が、そういうアピールというか、啓蒙活動というか、そういうことを常にやっているのでしょう。

 もっとも、全体に、スライドは「見づらかった」。
 おそらく、実際の会場で、事前に投影して、後ろの席からどんなふうに見えるか、なんていう検証はしていないだろうし、このために新たにつくったものではなくて、ふだん、会議室かなんかの近い距離で見せる映像としてつくったか、あるいはペーパーの資料をそのまま画像に落とし込んだか、というところでしょう。
 ぜんぜん見えないデータなんかは、画面に入れないほうが、むしろいい。
 こういう「プレゼンテーション」は、まあ、どこでもよくある。

 商品の良さを説得するために、苦労して、いろいろと研究し、データを積み重ねてきているものの、わかりやすく見せられないと、そこでは、すべてが意味を失うのと同じだからもったいない。
 それは、会場の後ろの壁に沿ってしつらえられた、各社の簡単な展示スペースでも同じことだった。
 商品や構造見本のようなものを置いて、背後に説明パネルを設置して見せる、という、よくあるパターンだが、こんな小さい文字、そばに寄ってみないと読めないだろう、というものが何社もあった。
 展示会なんかでもそうだけれど、人が多いときなど、前に立ったままで詳細な内容を読む、なんていうのは、疲れるし、人の流れが滞るし、好ましいことではない。
 パッ、と見てアピールできるように、商品の「キモ」だけみせて、あとの詳しい説明は、手元でゆっくり読めるように、コピーした資料を置いておけばいいのである。

 プレゼンテーションの一番最後には、会場となったホテルが、快眠できる宿泊? 的なプランを紹介したが、「ブレックファストには、これこれこのような食事をご用意いたしまして…」なんていう説明をしても、その一例をスライドで見せることもせずにいては、誰も、そりゃいいな、なんて思うわけがないだろう。

 単色A4四頁のプログラムには、本日のお題として、先にご紹介したように「日本人の生活の中の睡眠」とあり、副題に「−『源氏物語』の眠りから現代人の眠りまで−」と記されていたが、ここで、ちゃんと『源氏物語』をひとつの著作として、「 」(かぎかっこ)ではなく、『 』(二重かぎかっこ)で記しているところが、なんでもないことなのだけれど、一応ちゃんとしてるじゃん(笑)、と思わされて好ましかった。
 こういうセオリーは、意外と粗末にされていて、近頃の印刷所はただのプリント機械みたいになっているから、素人さんの発注を受けると、奥付のない書籍や雑誌を平気でつくる。まあ、そんなことは古いスタイルで、どうでもいいことだ、と言われればそれまでなのですけれど。(笑)

 こういった、表現上のあれこれを言っていても、重箱の隅と言われるかもしれません。
 各社のプレゼンテーションでは、同時に本日のご来場プレゼント、というのが行なわれて、6社10名ずつだから、来場者の3人に1人くらいの割合で、プログラムの記述で見ると3500円〜10000円くらいの商品が当たる、というものだった。
 これを、事前に公表していなかったのは、正解ですね。大盤振舞、というほどではないかもしれないが、なんで、こんなサービスをするのか、目的がよくわからない。
 かつて大修館書店が開いた講演会で、事前に同社の辞書だかを来場者全員に贈呈する、と告知していたことがあったが、テーマに興味があっても、お土産をちらつかせられると、なんとなく、それを目当てに行くと思われそうで、ちょっと迷ったものだった。案の定、その時の講師のお一人、中西進センセイは、「今日は私の講演を聴いていただくとおみやげがでるそうで」といったような嫌味をひとくさり言われて(目当てはほかの講師だったが)、聴講者としても気分が悪かったのを覚えている。

 住宅展示場のイベント集客のような場合なら、景品をエサに人を集めるのは効果的かもしれないが、こういった、知的関心を核としてのコミュニケーションイベントを持つときには、そのあたりの来場者の心理にも配慮する必要があるだろう。
 というより、基本的には、どういう人を呼びたいのか、である。
 つまりは、その人たちに何を期待するのか、基本はどこかで販促につながらないといけないわけだから、来てほしい人を呼ぶ、というのは、まず大事なことのはずである。

 企業の利益から、なにがしかを削って、どういうことをするのか。
 社会貢献活動、というならそれでいいけれど、企業が潰れてはできないし、一部の人たちにだけ貢献しても意味がない。それがあまねく、社会に広がり、役に立つものでなければ「貢献」と言えないだろう。
 かつて、日本たばこが民営化された前後だったか、「アフィニス・クラブ」という会員組織をつくり、煙草愛好家に、それこそ大盤振舞をした時期があった。加入は無料で、年に何回か面白い小冊子が定期的に届き、小型だが分厚い別冊やノベルティもたびたび送ってきた。かつての専売公社系の宿泊施設にも格安で泊まれた。きわめつけは、年に一回だったか、各地のホテルでパーティがあり、申し込みは先着順だったかもしれないが、参加は無料で、タレントさんがきて歌や講演、料理は食べ放題、煙草は吸い放題(笑・こちらはそのころ、すでに禁煙していましたが)、帰りには立派なカレンダーやちょっとしたグッズかなにか、お土産かついている、という贅沢なものだった。そうそう、コンパニオンがおおぜい来てサービスしていましたね。

 こんなことを言うと、みずからの仕事の一部に唾するように思われるかもしれないけれど、要は、役に立つコストをかけなさい、ということですね。
 バブルの頃、湯水のように経費を垂れ流した反省が、今日に至ってただのコストカットではなんの意味もなさない。
 さまざまな現場で、社員が一所懸命、汗水垂らして稼いだお金を、どんなふうに現在と未来のためにつかうのか、という、まさに「コンセプト」がしっかりしていなければ、ただのケチになるか、お坊っちゃま商売になるか、なんの将来像も描いていないわけである。
 政府も一緒ですね。

 というわけで、「快眠コンソーシアム」は、ずっと品もあり、みなさん努力されていて、なんとなく理想に向けて一緒にやっていけば事業の未来もより開けるかもしれない、という期待で集まっておいでであることはわかるのですが、コーディネイトが強力でないということもあるのでしょうね。どうも漠然としていて、こんなに愛想ふりまくだけでいいの? と思ってしまったのでした。

 聴講申し込みに問い合わせたときも、電話で名字を言うだけでOK。個人情報に気をつかっているのでしょうか。IT各社なんか、ウェブ上で申し込みや登録というときには、徹底的に、それこそ、個人情報を訊いてくる。それも一方通行。やっていて腹が立つくらいだ。
 コンソーシアムさんは、その点、おおらか。
 だけど、相手の情報を集めなくて、どうやって、活動の効果を分析するのだろう。次の案内も出せない。必要はないのかな、と、よけいなお世話ながら思ってしまう。

 こちらの勝手ではあるけれど、遅れて行って聴けなかった、肝心の講演の内容が、ひょっとしてもう、ホームページにアップされていて、そこでも読むことができる、なんてことはないかな、と思って、みてみたら、まだ、この市民講座の告知が載っていて、「参加受付は終了しました。」とあった。
   
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2011年09月13日

「大連立」より「大乱立」を。

旧暦八月十六日 辛未(かのとひつじ)

 民主党の代表選で、しばらく騒がしかったと思ったら、新内閣が発足した途端に重要閣僚が「失言」で辞任した。
 なんだか、慣れっこになってしまったような感覚で、もう、驚きもしない。
 新任まもなく「失言」や「暴言」で退任する人たちが多いのは、「念願の」大臣になれたことが嬉しくて、つい、はしゃいでしまうのでしょうね。
 本来なら、とくにこういう時期、大臣拝命といったら、まず重圧を感じるのがほんとうなのだろうけれど。

 民主党代表選の前、京都新聞の社会面では、
  政権党「最後の機会」
  「国民不在」興ざめ
と、いつになく大きな見出しが目を引いていた。
 月並みといえば月並みだが、社会の空気はあらわしていた。
 もう、誰も国政に期待していない。
 さんざん自民党の利権政治と官僚の腐敗を見せられてきて、さすがに業を煮やした国民が民主党に首をすげ替えたら、このていたらく。

 もともと自民党出身の小沢一郎さんや鳩山由起夫さんのつくった政党だからねえ、ともいえないのが、市民運動家、とされ、社民連から民主党を経て総理大臣になった菅直人さんが、結局は、人々を支える器でなかった、という大きな失望感をもたらしたことによる情けなさである。
 いざ、というときに何も力が発揮できなかった、ということは、結局、能力がなかったということで終わる。
 過去に評価された菅さんの実績は、すべて無に帰してしまった感があるが、このことのほうが、人々の社会観、政治観にとって、ダメージが大きいのではないか。

 もとテレビキャスターで、菅政権の発足後、すべての仕事を辞めて菅内閣の広報担当となった、下村健一さんという人が、インターネット上で、菅直人という人物が、外から見るイメージに反して、説明責任を嫌う政治家だったことを明かしている。

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20110831-03-0901.html

 「情報開示」を金看板に掲げていたはずの民主党である。「情報」は、ただ垂れ流せばいいというものではない。出所を明らかにし、比較対照できる情報・資料も提示し、時には、その情報の持つ意味を、主体的判断をもって解説する必要もある。
 ならば、個人的にそれを好むか好まざるかにかかわらず、人を頼ってでも、状況と情報を「説明」する責任は明らかにあるだろう。

 企業でいえばCSRにあたる。
 企業のトップが、現在進行形の企業行動を、「説明するより手を打つ方が先だ」というのはよくある話だが、企業の場合、仮に緊急事態だとして事後承認になっても、その「事後」において、きちんとした説明責任が果たされなければ、株主をはじめ、ステークホルダーから批判を受けるのは明らかだし、広報部門では、見るも無惨なニュースリリースしか発信できない。その結果、たちまちにして、今はやりの「ブランド価値」なんて崩壊してしまう。

 民主党の代表選では、二位・三位連合が手を組んで、二番目の選手を当選させた。
 別に、一位の海江田さんがよかったなどとも、さらさら思わないけれど、スポーツであれば、予選で一着になった選手が、次もタイムを上げていたら当然一着になるだろうけれど、二着の選手が、三着や予選落ちの選手と記録を合わせて優勝できる、というのが政治の世界の「面白さ」なのだろう。
 まあ、誰がなってもいいや、どうせよくはならんだろう、と、見ているのも面倒くさくなってくるのがなさけない。

 今、こういう人たちしか出てこない、という、社会のしくみそのものを変えなければならないときではないかという気がしてくる。

 「民主主義」などというけれど、国会議員の比率は、得票率とまったく見合っていない。上位チームがプラスとなるハンディをもらい、下位チームはマイナスとなるペナルティを課せられているようなものだ。
 まさに、弱者虐待である。
 「政治の安定のために」などというインチキなご都合主義をふりかざして、選挙制度を、多くの死票を産み出す小選挙区制につくりかえたが、その結果、不安定きわまりない政治状況が続いているというのは、皮肉なものだ。

 いわゆる先進国は、未だリーマンショックの尾を引いているが、金融崩壊を、表層雪崩ではなくて底雪崩にしたのが、レバレッジという手法だったことは、記憶に新しい。
 レバレッジ=てこの原理を応用して、少ない資本で大きな取引を行なうという、みせかけで経済を動かす「金融工学」は、まさに小選挙区制と同じだ。
 二番人気と三番人気が合同することで、一番人気より配当が多いというのもなかなか微妙な力学だけれど、少ない得票でも第一党でさえあればすべての決定権を持てる、というのもコワイ話である。
 レバレッジ政治というのも、そのままいけば、やはり、いずれ大崩壊するのではないだろうか。

 大連立、などと騒いでいるが、政策が共通して一致団結するようにはとてもみえない。それぞれの思惑ばかりで、被災地も原発も、どこかに行ってしまった。
 小選挙区で、ナンバーワン政党だけがくっきりと浮かび上がり、それが全権を握る、というのは、いかにも西洋合理主義。まさに、当事者にだけ「効率」のいい話として成立するのである。
 小選挙区制などやめて、政党は得票数にみあった議員を出せばいい。
 少数政党が乱立して何が悪いのか。
 みんなで知恵を出し合って、ひとつひとつのテーマに対して一致点を見出していけばいいのだ。プロセスにこそ知恵がある。その調整ができることが、人間の知性というものだろう。

 人は知性の生きものである。知性とは何か、相手を殺して食べ物を独占するのでなく、足りなければ分け合ってしのぎ、みんなが少しでもたくさん食べられるように、知恵と力を出し合うことである。

 おそらく、日本だけの問題ではないのだろう。
 世界は今、構造そのものが行き詰まっている。

 少し前、富士通研究所が、スマートフォンが音声認識した日本語の、英語への翻訳精度を、従来の1.5〜2倍に高めたというニュースが新聞に載っていた。
 これも実用にはまだまだだろうけれど、いずれ、いつか将来には、携帯電話で自動翻訳しながら、異なる言語どうしで話せるようになるだろう。
 世界がひとつになっていけば、言葉の差は乗り越えられても、風習やしきたり、そんな「文化」の違いが思わぬ障壁になることもある。それを根気よく調整して相互扶助をはかっていくための知恵は、いやでも民族文化の大乱立の中から産み出さなければならないのだ。

 日本のしがらみ社会のような架空ワールドでちまちまと政治をやっている時代は、本来、とっくに終わっているはずだった。
 だけど、おそらく、小選挙区制を主張した人たちがいちばん古くさいことをやっているのではないだろうか。

 松下政経塾、というのがおおはやりのようだ。何を教える塾なのかはよくわからないが、政界に出身者が目立ってきた。
 足が地についた政治がそこから生まれるのかどうなのか。
 「民主主義」が、「金融工学」の真似をして「政治工学」のような発想になってしまうとすれば、まさに大暴落を招くことになるだろう。
   
ラベル:大連立 民主主義
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2011年08月14日

戦中戦後の母娘二代記 『落涙成珠−ある華僑の詩』

旧暦七月十五日 辛丑(かのとうし)

 明日は、敗戦記念日。
 66年、が経つのですね。
 みずから体験したわけではないけれど、まだまだ祖父母や父母の世代は知っている。

 あとの世代にも伝えなければいけない、と思ってきた。
 さまざまな出来事が、四世代くらいまでは語り伝えであり、実感を持てる教訓であり得るのではないかと思う。それを越えると、昔は、ご先祖から伝わる「口伝」であったように、今では完全に「歴史」として学ぶ領域になるでしょうね。

 そんな、微妙な、時の記憶の境界線上で、さまざまなことを考えさせられる本づくりのお手伝いを、昨年来続けてきて、6月に刊行、7月に二刷となった。大きな部数ではないけれど、これは嬉しい。

 『落涙成珠』(林珠榮著/晃洋書房)、副題は「涙流して珠と成す−ある華僑の詩」。
 副題にあるように、在日華僑のかたの、母娘二代にわたる記録である。

 著者の林珠榮さんは、幼い頃から父親がいないことを不思議に思ってきたが、母親の林木宋さんは、それがなぜなのかという、子供の問いかけにはいつも答えなかった。
 娘は、成長するにつれ、母が言葉を濁して父の死の理由を伝えないのは、ひょっとして犯罪者だったのかもしれない、などとも思うようになり、やがて、そういうものなのだと深くは気にとめないことで自らを納得させていく。

 突然、その天地がひっくり返ったのは、ある日、テレビで放映されたドキュメンタリーが、父の死を報じていたからである。
 父親は、日本が、日中戦争、さらに太平洋戦争へと突き進む中、戦局の悪化で焦燥を強めた日本の官憲、当時の外事警察(いわゆる「特高」の一組織)によって、無実の罪、まさに冤罪で突如連行され、獄中で拷問の末、殺されていたのだった。

 みずからの人生が半世紀を過ぎてから、思わぬ真実を知った珠榮さんは、まさに茫然自失。しばらくの間、我を忘れた。
 やがて、少しの時間を経て、気持ちが落ち着くとともに、そのこと、すなわち母の歴史と、そして、それにつながる、その後のみずからの経験を、記録に残しておかなければいけない、と思うようになった。
 そうして、まとめられたのが、本書である。

 きっかけとなったテレビ番組というのは、NHKが放映した『夫たちが連れていかれた〜神戸、華僑たちと日中戦争〜』。
 「初めて戦争を知った '93若者たちの旅」という、敗戦の日を前にしたシリーズの、第3回のテーマとしてだった。1993年、すでに18年前のことである。

 母、林木宋さんを、何度も根気強く説得して、番組に出演して話すことを承諾させたのは、当時、神戸華僑総会の会長でもあり、のちには名誉会長として、あらゆる面で神戸華僑のまとめ役、そして日中の橋渡しの中心人物であった、林同春さんである。
 林同春さんは、おととし2009年に亡くなった。本をまとめる作業が実質的にスタートしたのは2010年である。この一年は、大きなタイムラグだった。

 NHKがどうやって、この、埋もれていた事件を知り、番組として取り上げることとなったのか、おそらく、一番よく知る人がすでに他界。要となる人物に事情を聴くことはできない。
 で、当時番組制作をした、NHKの神戸放送局に問い合わせた。広報課だったか、電話口には、おきまりのように若い女性が出て、こちらは何を目的で電話をしたかを説明し、古い、この番組名と、その最後のテロップに流れていた制作関係者の主要なかたのお名前を伝えて、お話しを訊きたい旨、お願いした。
 そのままNHKからは一度も返信がなく、こちらから二、三度電話をしたが、まだわからない、との返事が続き、二ヶ月あまり経っていただろうか、 何度目かの電話で、今度は上司にあたるという女性が出て、もう関係者は退職していて連絡先はわからないし、わかったとしても、個人情報なので教えることはできません、という返事だった。
 正直、腹が立ちました。(笑)
 そんな回答、三日でできるだろう。

 まあ、うすうす、そんなものだろう、とも思っていた。
 電話で、内容と、なぜ必要なのかという経緯を説明しても、戦争、というキーワード自体に対して 「何? それ」 といった反応である。
 NHKの広報といっても、要は、そのあたりでファッションにでもうつつをぬかしている、ただのお姉さんなのだから、しかたないのだろうけれど、こちらにとって、ジャーナリズムの世界にいる相手と話している、という空気はまるで感じられなかった。

 少し話がそれるが、以前、PR誌で大河ドラマの写真を借りようとして、東京のNHKの広報に依頼したことがある。電話で説明してお願いし、たしかファクスかメールで申請書をちゃんと出したが、確認がなかなか来ない。催促すると、担当の若い女性が忘れてしまっていた。
 だいたいの感覚はわかる。ふつう、メジャーな名の知れた媒体ではないから、相手が誰であろうと、別段、適当な対応でいいのである。東京も神戸も、根っこは同じである。

 今回の話にしても、聞いたこともない京都の編集事務所(仕事によって、広告事務所や企画事務所、取材事務所、出版社、いろいろ使い分けますが(笑))からの問い合わせなんて、どうでもよかったのだろうし、あの戦争に対しても、自分たちの先輩が制作した番組についても、まるで興味もないし、さらに、ひょっとしたら、そこにネタがひそんでいる可能性があるかもしれない、なんていう現場感覚など皆無だろう。

 ドキュメンタリーなんかでは、NHKは、いい番組もつくっているけれど、それは、ごく一部の人なのでしょうね。あるいは外注なのか。それでも、まだ、そういう部分が生きていることには希望がある。
 一応、完成した本は、神戸放送局の広報御担当様に、届けに行きました。土曜日で、みなさんお休みの日ですけれど。(笑)
 名刺も添えておきましたが、もちろん、受け取りの電話も問い合わせも、当然、礼状も来ません。

 横道にそれてしまったけれど、林同春さんという、歴史を背負った人物が存命であれば、この出版にかかわることに限らず、聴きたかったことがたくさんあったと、つくづく思う。

 ご本人も、父親のあとを追って日本に渡った福建出身の華僑であり、戦時中、まだ少年の頃に、在日中国人の移動制限区域をうっかり越えて、警察の取り調べで拷問を受けている。
 当時、日本に渡った華僑の人たちは、ふだんの暮らしで接するご近所どうしではみんな親切だったと口をそろえて言う。もちろん、それだけではなく、口に出せない苦労は多かったに違いないし、嫌な思いをさせる人間もいなくはなかったはずなのだけれど、驚くほど「親日的」なのである。

 林木宋さんの夫、陳守海さんが連行されたころ、神戸で呉服の行商をしていた仲間は二十人ほどいたが、そのうち十二人が捕まった。本来は逃げる理由などないのだけれど、危険を感じて東京まで逃げ、戦後、神戸に戻った人もいる。
 捕らえられた十二人のうち、五人は獄中で、一人は敗戦直前に瀕死の状態で出獄し、ほどなく落命している。

 当のNHKのドキュメンタリーが放映されたとき、この事件で獄中にあった人物が、ただ一人、生存していた。
 直接、事実を経験として語れる、その、たった一人の「生き残り」游振文さんを、番組は香港へと訪ねていたのだが、この人がいなかったら、おそらく番組は成り立たなかったかもしれない。すると、この本の出版も無かった。

 まだ二十代から三十代の青年だった人たちが、わけもなく突如獄中に入れられ、過酷な拷問の末、その多くが命を落とした無念さは、想像して余りある。
 それでも、この游振文さんも、林木宋さんと同様に、やはり、娘たちにその事実を話していなかった。
 二人とも理由は同じだった。
 話せば、子どもたちが日本を嫌いになるから。

 そのとき、游さんの次女は日系の会社に勤めていたが、初めて聞いたこの話は、衝撃的に見えた。もしも、小さいときに知っていたら、日本を好きになってはいなかっただろう、という、それは、あたりまえの自然な感想に聞こえた。

 母、林木宋さんは、もうすぐ満で九十五歳。なんと纏足を経験した世代である。
 三歳のときには嫁入り先にひきとられ、十七で結婚。そのときに纏足を中止することができたが、すでに縮められた足は、ほとんどそのままである。もともと、歩けなくすることが目的のひとつでもあるから、日常生活の上でいかに障害となったことか。

 夫を殺されたことで、想像を絶する苦労をしてきた。だけど、日本に対して、本人から愚痴ひとつ聞くことがないのは、庶民どうし、ご近所どうしはみな仲良くやってきたからである。
 夫を殺した警察官は、彼女にとって、ふだん一緒に手を取り合ってきた日本人とは別の人たちなのだ。国家と市民は別の存在なのである。
 尖閣問題などが話題になると、これ幸いとでもいうように、中華同文学校に石を投げにいったりする愚か者が必ずいるが、話を聴かせてやりたいものである。

 戦後、特高出身の官僚たちが、かなりの数、政治家にもなり、官公庁の要職に就いている。どこの国でも、大なり小なり、そういった欺瞞のもとに歴史が進んできたが、そんな、情けない歴史を繰り返すことは、もういいかげんに終わりにしたいものだと思う。

 うまく話すことなんかできないし、話をしても、世間の人が、本当のことだと思ってくれないかもしれない。そう心配して出演を拒む林木宋さんを説得するのに、林同春さんは、何度もこう繰り返したそうだ。
「二度と戦争を起こさんために」

 ぜひ多くの人に読んでほしい一冊である。
   
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2011年07月16日

村上春樹さんのカタルーニャでのスピーチ

旧暦六月十六日 壬申(みずのえさる)

 昨日はめずらしく、新暦の15日が、そのままひと月遅れの旧暦十五日と重なって、新暦でも十五夜となる満月だった。きれいなお月さんを、北の土地でも誰か見上げていただろうか。

 菅直人さんは、もう、すっかり、大津波の被災地は忘れてしまいましたね。
 顔を見たくないのなら、と三度も繰り返し言って、再生エネルギー法案を通せ、とはしゃいでいた映像からは、かつて小泉純一郎さんがブッシュジュニアの前でプレスリーの真似をして「いちびって」いたときの、ブッシュさんの困惑した顔を思い出したものでした。

 総理大臣になったときには、多くの人が期待したと思うのだけれど、所詮、団塊世代というか全共闘世代というか、あの世代が足を地につけられなかった「思想的ヒロイズム」にすぎなかったのかと、情けない気持ちになる。

 だからといって、ほかにまっとうな政治家がどれほどいるかというのも、あやしい話で、想像力の持てないみなさんには、被災地ツアーでアリバイをつくるのではなく、避難所で、連日、まわりの景色を見ながら国会を開いてもらうしか、わからせる手段はないのだろうと思ってしまう。

 原発の惨状は、報道されることが少なくなっただけで、変わってはいない。
 困難な状況を、わずかにできることだけでも、きちんと解決していこうとせず、政争の具にしようとする人たちには、あきれるしかないが、原発については、別のところで、この間ずっと、喉に刺さった小骨のように気になっていたことがある。
 村上春樹さんの、あの、スペイン、カタルーニャでのスピーチだ。

 六月九日だったか、カタルーニャ国際賞受賞に際しての「非現実的な夢想家として」と題されたこのスピーチは、すぐれた文学者らしい誠意に満ちた内容だった。

 ただ、最初に、テレビニュースで一部を聞いたものの、なんとなく気になったままでいたので、しばらくあとで、念のため、毎日新聞のニュースサイトから全文をプリントアウトしておいた。今になってふたたびサイトをひらいたら、もうすでに文面はなくなっていたので、プリントしておいた自分をほめつつ(笑)、雑多なスクラップの山からプリントを探し出した。
 四百字でなら三十枚くらいの量だろう。
 作家の文章だから、ニュースサイトでも著作権がからむのかな。

 あらためて読み直してみて、何がひっかかっていたのかがわかった。
 ひとつは、今回の原発事故を「我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害」と述べていること。

 意識的に外したのでなければ「三度目」ですね。
 言うまでもなく、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下。
 今回の、フクシマでの原発暴走事故。
 そして、この間に、千隻にも及ぶといわれる、アメリカによるビキニ環礁水爆実験での日本漁船被災がある。このときには、死者も出ている。
 ここでも「ビキニデー」には、何度かふれてきた。

http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/188133868.html
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/archives/200902-1.html

 村上さんが知らなかった、とは思えないのだけれど、今も残る「第五福竜丸」に象徴されるビキニの被災は、明らかに「大きな核の被害」である。

 もうひとつは、フクシマの事故にいたる根源的な原因について「何故そんなことになったのか? (略) 我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?」と自問して、その理由を「効率」であると言っていること。

 効率主義が社会を歪ませてきたことは明らかだし、そのことはよくわかる。
 「原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。」と村上さんが言う後半はそのとおりで、前半はおそらく村上さんの皮肉も込められていると思うが、電力会社のウソである。原子力発電ほど燃料を無駄にしている発電システムはない。使い切らないから原爆の材料になったりする。しかも、残り滓の始末には、効率どころか、方法さえも見つかっていない。

 効率主義が社会を駄目にした、という判断に反対はしない。
 チャップリンの映画は面白くて正しい。
 だけど、もっと根源、つまり、何が社会のしくみや生産のシステムに効率を求めるようにし向けたのか、を問えば、「欲望」だろう。

 「効率」が社会を歪めたと言ってしまえば、じつに効率の悪い仕事をしている文学者はなんとなく責任を逃れられるような気になれる。
 だけど、「欲望」は、すべての人間が明らかに持っている。社会の歪みは、自分自身を含めた、すべての人々の責任なのだ。だからこそ、気づいた者には、気づかない者を弾劾する権利もあるのではないか。

 かつて太平洋戦争に敗北した日本で、手のひらを返したようにそれまでの政治を全否定し、かつての戦争賛美者までもすべてが「民主主義者」になったといわれる。
 今、原発事故を境に、同じような「原子力全否定」と「脱原発主義者」が生まれている。

 九州電力のやらせメールが問題になっているが、あんなものは、当然行なわれていると誰もが思っていた。原子力発電の宣伝にかかわることは、かつての豊田商事のような詐欺商法のパンフレットをつくるようなリスクがあると、判断力のある制作者は感じていた。
 原発の危険性を今さら検証しなくても、とっくに多くの人たちがそのデータベースをつくっている。今、あらためて「見直し」や「検証」を叫んでいるのは、これまで原発を推進してきた人たちなのだ。

 「我々日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。」と、村上春樹さんはスピーチの中で反省している。
 ずっと以前に短編集を一冊読んで、好印象を持ったけれど、そのときには深い問題意識は感じなかった。才能があって、誠実な人だと思う。
 だけど、「効率」の追求を責めて、人の、みずからの内なる「欲望」を見過ごしたとすれば、それは、どこかに、文学者であることは実利社会との隔絶を意味して、現実的な罪の連帯を免れるものだ、という無意識のアリバイづくりがはたらいている、としかいえないような気がする。
 と、ここまで考えて、喉にひっかかっていた小骨かなんだったか、ようやくわかってきたのだった。
   
ラベル:村上春樹 原発
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2011年06月06日

目くそと談合して鼻くそと罵られた総理大臣。

旧暦五月五日 端午の節供 壬辰(みずのえたつ) 芒種

 今日は、旧暦では五月五日、端午の節供だ。そして二十四節気では、芒種となる。
 端午の節供については、↓ こちらを。
 http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/118645089.html

 季節の変わり目に合わせて宰相を衣替えしようとしたわけではないだろうけれど、政争の茶番劇を見ていると、国会議事堂に塩でも撒いて、節供の厄払いをしたい気分になりますね。菖蒲なんかもったいない。

 日本にジャーナリズムなんてあるのかと誰かが言っていたけれど、内閣不信任案をめぐるテレビの報道番組をみていると、確かにそう思う。
 マスコミの論調は、みんな横並びに「永田町はいいかげんにしてほしい」というけれど、何も本質的な取材をせず、上っ面を垂れ流して煽ってきたのは君たちだろう、と言いたくなる。足でかせぐこともせず、視聴者と同じレベルで政治家を馬鹿にしながら、記者会見で偉そうな質問をするだけで、本質に突っ込むほどの準備も勉強もしていない。ニュース番組でコメントするテレビ局政治部の記者なんか、友だちどうしで飲みながら世間話をしているのかと思うようなノリである。公に発言することへの責任感などゼロだろう。

 いつ辞めるか、なんかでいちい大騒ぎをするなよ、と、つくづく情けない。
 菅さんを引きずり下ろして、あと、もう少しでもましな交代要員といっても、じゃあ、誰がいるの? と、多くの人が思っている。

 今、何をするかが、いちばん大切ではないのか。

 まあ、なんだかんだといって、いちばんいいかげんだったのは鳩山由起夫さんでしょうね。
 内閣不信任案に賛成すると断言したものの「鳩山グループ」からは誰もついてこない、どうも否決の可能性が高いとなって、ヘタすると自分も民主党から切られかねないと不安になった。で、仲を取り持つと「確認書」を取り交わしたものの、菅直人さん側のほうが、やや強気で処理できたから、あいまいなものにした。
 「ウソをつくことはいけません」って、鳩山さんに言われたくはないよね。
 沖縄の基地問題では「最低でも県外」などと言い、「引退する」と言って居座り、あげくのはてに、不信任案に「賛成です」と断言して「反対」。
 「目くそ、鼻くそを笑う」とはよく言ったもので、人のことをペテン師と言えた義理ではないだろう。
 こんな人物と「談合」した菅さんも、地に落ちたものだ。
 国民を無視して、内輪の「確認書」で政権のありようを決めるなど、じつに馬鹿にした話である。

 退陣の時期を明確にしないことで、いくらかのしたたかさを示したつもりだったかもしれないが、鳩山さんがすり寄ってきた時点で情勢を読み、相手の足許を見透かして突っぱねるところまではいかなかった。
 民主党なんか、割ってしまえばよかったのである。
 鳩山さんも小沢さんも除名して、勝手に別の党をつくらせればいい。むしろ、それで、民主党は、少なくとも今と同等か、それ以上の支持率は得られていただろう。そのあたりが、保身政治家になってしまったことによる、「空気の読めない」保守化だろう。

 小沢一郎さんにもまいった。最大の「ウソつき」は彼なのではないか。
 不信任決議案は小沢さんが自民党に仕掛けたとも言われている。
 今さら「欠席」?
 多くの論客が、「オザワの政治力」をずっと期待してきたが、所詮、政局づくりにしか手腕は発揮できないことがはっきりとしてきた。
 震災復興についても、いくらでもいいアイデアがあるなどとというのなら、出し惜しみせずに公表すればいい。その上で、だから現政権への不信任案に与党から賛成するのだ、と主張することで、本当に正当性があれば説得力を持つだろう。じつは、いいアイデアなど持っているはずがない。彼に発想できるのは、せいぜい高速無料化やこども手当のような4K政策くらいのものである。
 もうウンザリである。冤罪でもいいからさっさと収監してくれとまで思ってしまう。いまや日本のガンかもしれない。

 菅さんが、セコいながらも一本取ったような結果になったが、たとえ時期はあきらかにしなくても辞任に言及したことで、政権は他国の信用を失い、レイムダック化するだろうと言われている。
 菅さんは、「辞める」ことを前提として言ってしまうことへの、国際社会からの見方は考えていなかったのではないか。内輪の駆け引きに勝ち、政権継続をめざすことに汲々としている視野の狭い政権にあっては、世界の中でしたたかに戦い抜くことまではとても思いがおよばないのだろう。

 自民党、公明党といった旧与党は、原発事故に対する反省をまったく口にしていない。こういう事態に陥った原因をつくった最大の責任は自民党である。リスク管理のできない原子力政策も、安全保安院や原子力安全委員会といった無能な組織を放置してきたのも、電力会社だけに限らない政官財の癒着も、そして何より、消費税を口にせざるを得ない財政破綻も、いったい、誰の責任なの? と言いたくなる。
 民主党がだめだから、じゃあ、ふたたび自民党の支持率が上がる、などという国民の能天気さが続く以上、彼らはああして「政局」を楽しみ続けるのでしょう。

 それにしても、なぜ、あんなに菅直人が嫌われるのだろう。
 なんで不信任なのか、どこに辞めさせる理由があるのか、で、辞めさせたあと、どうしようというのか、何もよくわからない。辞めろと、引きずり下ろすために群がっているだけで、展望は何もないのである。
 とにかくアイツにだけはやらせたくない、とでもまわりが思っているようにしか見えない。
 少なくとも「世間一般」では今のところ、鳩山さんや谷垣さん、まして小沢さんよりは、まだしも菅さんのほうが、ずっと「マシ」だとみられているような空気があるが、永田町では圧倒的に敵が多そうだ。

 「イラ菅」としての実際の顔まではわからないが、菅さんは、総理大臣就任以来、追い詰められるたびに開き直ってきたことで、「先祖返り」してきたのではないかという気がする。
 菅さんは市民運動出身である。もともとは、いわば「反権力」からの出自だ。
 旧い政権にとっては、邪魔でしかたない存在の人種だったはずだ。
 これまでの、印象に残る功績は、薬害エイズ問題の解決(国の謝罪)と諫早湾の開門(国の上告断念)だろう。これらの出来事は、それまでの自民党大臣ではあり得なかったことであり、あたりまえの判断をしたことで、「国民の常識」と「政治の感覚」が、少し近づいたように、多くの人が思った。

 浜岡原発の運転停止要請も、その延長線上にある。こんなことは谷垣さんや小沢さんでは、やはりあり得ない。独占事業で調子に乗っていた電力会社はみんなあわてた。まさか、いきなりくるとは考えていなかった中部電力の水野明久社長は、腹わたが煮えくりかえる思いだっただろう。
 ただし、その、浜岡原発の停止要請は、独断専行だった。
 じつは、菅さんには結構そういうことが多そうである。根回しはしない、ヒロイズムが先に立つ、まず理屈で考える、対抗勢力を排除しようとする。
 良くも悪くも、学生運動的な臭いが強く残っているのだが、なんとなくアマチュアリズムを残しながら、一方で、民主党で小沢さん相手に身につけた妙な駆け引きをするから、ややこしい。あげくに、唯一の生命線である情報公開ができなくなった。
 ちゃんと成熟できてこなかったということだろうか。

 もっとも、国民感情と永田町の感覚は大きくかけ離れているから、結果オーライで進んできているのである。
 官僚と敵対しているから、国際的な情勢が読み切れず、北方領土問題では外交用語を無視して「暴挙」と発言してしまったが、日本人の大半は、メドベージェフなんかロシアのチンピラだと思っているし、菅さんは、その感情をそのまま、国際政治にぶつけただけということにしか、一般の目には映らない。
 浜岡原発の停止も、手続き的にはいろいろあるのだろうけれど、「世論」の圧倒的な支持を背景に、一気に結論を出した。

 菅さんが時折うち出す政策は、ちゃんとした一貫性があるとも、もともと論理的に考えてきたとも思えないものが多いのだが、やっぱり結果オーライであり、世間の空気はうまくつかんできた。だけど、ときには「法的手続き」も無視しているから、かなり危険な政権でもある。そして何より「政治的手続き」を踏まないものだから、永田町にとっては許せないことになる。
 鳩山さんも、小沢さんも、もともと自民党である。
 ある意味、旧来の「自民党的なるもの」と「反自民党的なるもの」との権力闘争がはっきりしてきたのではないか。
 その明確な構図を示すことができれば、管政権は生き延びるかもしれない。どこまで成熟した先祖返りをすることができるのか。しかし、密室で確認書を交わしているようでは、もう、実は熟成することなく腐って落ちるだけだろう。
   
ラベル:菅直人
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2011年06月01日

将来、「福島被曝集団訴訟」は起きるのか。

旧暦四月三十日 丁亥(ひのとい)

 いささか昔の話になるけれど、まだ二十代半ばの頃、すでに鬼籍にある須山節郎さんという大先輩を中心に、先輩や友人たちと「勉強会」を定期的に続けていた時期があった。たいてい、あの、京都今出川の「ほんやら洞」二階を借りてやっていた。たまに京都御苑の芝生の上でやったこともあった。
 須山さんは市井の思想家で、誠実で、ユニークで、その一方、みずからの歴史を重くひきずっている印象のある人だった。勉強会の中では親父のような存在で、京都の新興住宅地でボタン屋さんを営みながら、人と社会の将来に希望を持ち、交友関係は広かった。
 その後、自分たちだけでの勉強会では物足りなくて、自由学校のような場所を始めよう、ということになり、今度は近衛道の京大会館の一室を借りて、本格的に講師を招き、毎月の講座を持つようになった。日高六郎さん、鶴見俊輔さん、すでに亡き飯沼二郎さん……錚々たる講師陣を須山さんは引っ張ってきた。

 たしか、その頃、そのあたりの何かの集まりでだったと思う、こちらもずっと先輩ではあるが、当時まだ新進気鋭の塩沢由典さんという経済学者のかたが、「社会党も共産党も、その理想どおり社会をひっくり返したら、生活水準は十年、二十年、遡るという覚悟が必要であることを、人々にストレートに言わなければならない」と言った言葉が、それまで聞いたことのなかったわかりやすさへの、ものすごい共感とともに、強烈に印象に残っている。「そう、その覚悟が価値観というものなのだ」と、何で誰もこれまで正直にそう言えなかったのか、その頃の社会変革の主張の薄っぺらさを切実に感じたものだった。
 その後、ずいぶん経って、たまたま塩沢さんとお目にかかる機会があったとき、そのことを言ったら、ご本人は、そんなことを言ったっけ、とおっしゃっていたが、こちらは、そのひとつの科白だけで、日本で最も的確な経済学者だと今でも勝手に思っているのである。

 なぜ、そんなことを今頃、思い出したのか。
 原発ですね。
 原発の稼働を次々と止めて、脱原発に移行していったら、電力が足りない、ということがしきりと喧伝されている。それはある程度、確かなことだろう。不足するところまではいかなくても、綱渡りということにはなるかもしれない。
 だけど、それは、個々人の暮らしの問題ではない。夏場の冷房需要が、などというけれど、地面はすべて舗装し、太陽熱を家の中に溜め込むつくりの集合住宅に住まわされている庶民に、クーラーの使用を控えろ、というのは根本的に間違っている。
 大口需要はなんといっても国際資本である。街に熱をこもらせるように地面をすべてコンクリートで固めるようにしたのは自動車のためであり、ゼネコンの利益のためだった。個人所有の自家用車という交通手段を核とした生活様式を推進して、違ったライフスタイルへの圧倒的な優位を確保することで、自動車産業という「種」は、ほかの産業生態を駆逐してきた。電力を圧倒的に使っているのは自動車産業と、そこに関連する鉄鋼などの素材産業である。

 日本の国際競争力のために、などという扇動で人々の欲望を煽ることには、さすがに、販促業界も疲れてきています(笑)。
 自動車産業が日本の経済を牽引しているから、という言い分は、ヤクザの親分が地域の治安を維持しているから、というような言い方と同じである。カネを稼いできている旦那はエラい、と言っているだけのこと、結果論だ。
 エコカー、でごまかされているけれど、一人で乗って走るならあんなにでかい自家用車はいらないし、エネルギーとしては、本気になれば、列車のような大量輸送のほうが、ずっとコスト効率はいいだろう。現代社会は、公共交通の効率を落とす社会構造にシフトすること、共同体の価値観や決定権を薄めることで、バラバラの素粒子のようになった個人を都会に集めてきた。互いにつながっていない粒子は、引き合うことも反発し合うこともなく、密集させやすくて支配しやすい。

 日本人は今、長く貧しい時代が続いて苦しいから、稼いでくる産業であれば軍需産業でもなんでもいい、という全面肯定に立ち、理念も、原理原則も捨ててしまった。あらゆる点で、本来正しいのか正しくないのかといったような、日本人として、人としての心には、立脚していない。政治も、情けなくも経済利益の追求至上主義である。

 原発がいちばん電力コストが安いなどというのは大嘘である。
 今回の事故でわかるように、ひとたびおかしくなったら甚大な被害が生まれる。政治家と電力会社、そして学者も含めた役人たちの癒着で、いいかげんな賠償法がつくられているが、そんなものが何の意味もなさないことが、今回、はっきりとした。
 事故のリスクへのきちんとした対策や、万一への保険、それに放射性廃棄物の処理費用などを含めていけば、原子力が安価な電源コストだなどという論理が、土地の狭い地震大国、日本で成り立つわけはない。どんなふうにして、そんな詐欺のような数字を堂々とつくり出したのか。

 だけど、そんな詐欺的な数字のからくりをどこかに感じていながら、日本の国民は原子力発電がクリーンで安価だという共同幻想に相乗りした。そこには、快適な現代生活を捨てたくないという本音への言い訳、自分に対するアリバイづくりがあっただろう。
 フクシマの事故がなければ、ずっと夢見ていられたのかもしれない。
 そして、やはりここでも、共産党も社民党も、アブナイとは主張しても、現実を語ってはこなかったのだ。

 そしてまた、福島原発の、じつは早くにわかっていたはずのメルトダウンは、多くのことを白日の下にさらした。
 日本の科学技術、ことにロボットのテクノロジーは世界の最先端にあると思っていたのだけれど、所詮、実戦となるとアメリカから借りてくるしかなかったとか、あの原子炉がいかにアメリカの技術の押しつけであり、GEが設計のキモを隠しているとか、長大なアームで水を注ぐポンプ車も、中国の企業から寄付されないと自前で持っていなかったとか、排水の処理にもフランスの知恵に頼るしかなかった、とか、それまでは漠然と、日本の「すごい」科学力からすれば、たいていのことはなんとかなるだろう、とみんながイメージしていたことも、まったくの幻想に過ぎなかったことが明らかになった。
 もっとも、じつは、技術はある、と思う。なかったのではなくて、「存在する」技術も、愚かな役所仕事のおかげですべてが錆び付いたり、腐ってしまったりして、役立たなくなってしまうという事情が、少しわかってきた、ということなのだろう。

 誰も、東電も政府も信じていない。
 国民がパニックになるといけないのでデータを発表しなかった?
 ふうん。
 圧力が高まれば爆発するとか、温度があがれば溶けるはずだとか、水を入れたら溜まるか漏れるかするといったような、子供でもわかることなのに、えっ、今頃そんなことを言っているの? という話ばかりが未だに次々と出てくる。 
 ほかのことなら、馬鹿馬鹿しくて相手にしていられない、といったところだけれど、直接、被害を受けている人たちにとっては、ことさら深刻である。

 事故現場の最前線にいる作業員の人たちは、おそらく大半が下請け、孫請けということなのだろう、いかに粗末に扱われているかという実態が、これも、今頃になってまだまだ出てきている。
 最初の頃、線量計も持たせずに作業にあたらせていた、と問題になったときには、線量計の数が足りなかった、などという言い訳を、ぬけぬけと言っていた。あんなもの、ネットでもそこら中で販売していた。
 メシもろくに食べられず、床でごろ寝をしながら働く労働者に、下手をすれば一国が危うくなるほどの危機を託していることを報道で知って、日本中が怒り、同情し、指揮をする東電と政府の軽さに背筋が寒くなったものだった。

 その後、多少改善されたかもしれないが、おそらく、電力会社の、下請け作業現場に対するイヌネコ扱いの本質は変わっていない。
 へたをすれば急激な放射線量の変化で、短時間で命にかかわる事態に遭遇するかもしれない人たちであり、すでに三ヶ月近い接近戦の中では、疲労だけでなく蓄積された被曝量も大きくなっているだろう。第一、ちゃんと計ろうという気がないのである。
 だから、各方面から、万一の大量被曝に備えて、いざというときの治療に役だてるため、作業員それぞれの造血幹細胞を採取しておくことが進言されているが、東電も政府も耳を傾けようとはしない。
 なぜか。
 実際にそういう対策をとることになれば、危険性の高さを認めることになる、という論理なのだ。
 原子力「安全」委員会も、内閣官房も、もちろん東電なんかにその気はない。人の命より体面が優先している。「必要ない」といっている人たち、それぞれに、自分の家族であればおそらく真っ先に採取を依頼するだろう。

 あれほどの被害を出し、非難を一身に浴びながら、役員報酬を40%減らすといって雲行きが悪いとみながらも、では50%にしますなどと、とぼけた反応を繰り返してきた東京電力の経営陣に、自浄能力などない。あげくのはてが副社長の社長昇格で収まると思っているのだろうか。
 これでは人員が回らないとなると、作業員の被曝限度を100ミリから250ミリに上げた東電。避難域を拡大するのはたいへんだと、子供被曝の許容量を10ミリとか1ミリとか言いながら、結局20ミリにした文部科学省。いずれも、運用しやすい数字にして、あとから理屈をあてはめているだけ。医学的根拠も倫理観も何もない。
 おそらく、こういったご都合優先のまやかしは、これからも次々と出てくるだろう。
 来年1月の終息、なんてあり得ない。

 薬害エイズの問題にしても、C型肝炎の問題にしても、被害者の側に立証責任を押しつけて抑え込もうという、法律の陰湿さが壁になった。ヒロシマやナガサキの被爆者手帳さえ、未だにちゃんと交付されない人たちがいる。
 今回の事故処理の手抜かりと、いいかげんな対策で、これから何十年か先「福島被曝集団訴訟」が起きる可能性は充分に考えられる。
 もしそうなったら、そのときの補償額は一国をゆるがすかもしれない。人数がケタ違いなのである。そのとき、「賠償国債」でも発行するのだろうか。
 まっとうなコスト計算のできていない、政府のリスク管理も、結局は東電と同レベルのものでしかないのである。

 その頃にもまだ、被害者の立証責任などという前時代的な苦労が、相変わらず求められているのだとしたら、福島だけでなく、周辺地域の人々は、今から組織的に、何十年か先の、その準備をしておいたほうがいいだろう。
 ひょっとしたら、最初「SPEEDI」のデータを隠していたのは、そこまで読んだ「国家を思う」官僚の、深謀遠慮だった?
 おそらく、今の避難への賠償金支払いの時には、また「念書」をとろうとするのでしょうね。
   
ラベル:原発 被曝 電力
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2011年03月31日

東京電力、社員の責任。

旧暦二月二十七日 乙酉(きのととり)

 確か、一度、お詫びにうかがいたいと言って福島県知事から拒絶されたときにテレビニュースで顔を見て、それ以来ではないだろうか、姿を見せず、謝罪もしない、説明もしないと、非難をあびていた東京電力の清水正孝社長が「体調をくずして入院した」として、勝俣恒久会長が記者会見に「初登場」した。

 どうせ出てこない社長が入院しようがしまいが、その説明になんで今頃、会長が、という気がしないでもないが、いずれにしても、コーポレート・ガバナンス(企業統治)だの、CSR(企業の社会的責任)だの、環境意識だのと、立派な単語で飾っても、企業風土としてその実質的な裏づけがなければ、いざというときに、たちまちメッキが剥げるということを、東京電力という会社は、しっかりと証明してきたし、この大事故が未だ他人事のような会長会見が、さらに駄目押しをしたという気がする。

 もともと「隠蔽体質」を追及されていたようだが、ほんとうは、そういう「風評」を払拭するいい機会だったはずなのに、逆に、念押しを積み重ねることになってしまったのは、他の企業にとって、まさに他山の石だろう。

 福島の原発事故から十日も経ったころ、5、6号炉がようやく安定冷却できるようになった、と、さりげなく発表があって、えっ、と驚いたものだった。
 最初、みんな1〜3号炉に目を奪われていたし、マスコミは、4〜6号炉については「停止」して定期点検に入っていたので大丈夫のようなことを言っていたので、4号炉の「使用済み」燃料を保管しているプールがどうのこうの、と言い出したときにも、おいおい、と思ったけれど、マスコミのみなさんは不勉強でツッコまない、ツッコめない。
 情報の不確かさに対して諸外国がいらだっているということが、今になってつくづくわかってきた。情報開示に対する姿勢が、いいかげんなのか、隠しているのか。

 安全だとか、心配ないとか、やたらと言っているけれど、まったく説得力がない。
 政府も、東京電力も、テレビ番組も、どうも信用できない、といった空気がただよっている。
 なぜ説得力がないか。
 みんな本質的に、事態を沈静化させるためではなく、批判を沈静化させる方向にばかり話を向けているからだ。

 録画しておいたものの失敗して、かなり冒頭部分が欠けた「朝まで生テレビ」を、ようやく、飯を食いつつパラパラと見たら、原発事故の話をしていた。いつも、議論への賛否は別として、なんらかの勉強になるところはあるのだけれど、今回のはくだらなかった。欠けた部分に実のある議論があったのかな。関係者の記者会見や、ニュースのコメンテーターと、言い方は違っても、話しの中身はたいして変わらなかった。普通のテレビ番組だった。

 その中で、勝間和代さんは、
「放射性物質が実際よりかなり怖いと思われていることに問題があるんじゃないかと思う」
「今回の原子力事故で死者が出ましたか?」
などと言っていた。
 ふーん、それなら愛用の自転車で、原発周辺をツーリングでもしてくればいい。
 できれば、福島県警が、「遺体の放射線量が高くて危険なため、収容を断念して付近に安置した」ままになっている(京都新聞3.29.)という震災の被災者らしい男性を、背負って帰ってきてくれると感謝されるのではないか。
 あの、自己主張の塊のような違和感に満ちた「ロードバイク」姿を、全国のサイクリストたちはどう見ているのだろうね。
 もともと経営コンサルタントだそうだから、東京電力さんのコンサルタントをやるには向いているだろう。ならば、原発へ行って、現場を知ったコンサルティングをしなくては。

 原発事故では、新聞など活字媒体が、比較的冷静に実情や新たな事実を拾っているが、その流れにイメージビジュアルを加えると、テレビとは逆の方向へ向く。
 『アエラ』の表紙が「不安を煽った」とされて、「抗議」が相次ぎ、必要のない謝罪をした。
 そんなに簡単に謝るような紙面づくりをしているのだろうか。
 「根拠のない安心を撒き散らしている」ほうが、よほど抗議されるべきだろう。
 あんな表紙が「不安を煽った」とされるけれど、『日本経済新聞』の、不安を煽りそうな誤報は、逆に話題にもならなかったようだ。
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2011/03/18/entry_30021364/

 想定外の災害だった、ということばかり言われるが、「想定外!」という地震と津波は、じつは想定外ではなかった。
 「貞観(じょうがん)津波」という、1100年以上前に起きた(869年)巨大津波があり、何年か前の調査で、これが、それまで理解されていた以上の大規模津波であったこと、このとき、何qも内陸の奥まで到達していたことがわかっている。
 そして、この調査結果をもとに、産業技術総合研究所の活断層・地震研究センター長、岡村行信さんという人が2009年、経済産業省の総合資源エネルギー調査会、原子力安全・保安部会というところで、福島第一原発の脆弱性を指摘していたらしい。(京都新聞3.27.)
 いずれも団体名、部会名で検索すると、委員の名簿なんかは一覧できる。委員を個別に調べれば、おおよそ、その部会の性格がわかるだろう。
 新聞記事によると、このとき、東京電力が「十分な情報がない」として地震や津波の想定引き上げに難色を示した、とある。

 それはそうでしょう。2008年から社長に就任した、目下「病気療養中」の清水正孝さんは、「コストカッター」として知られるらしいから、そんな金食い虫の津波対策など、とてもやってはいられない。
 テレビで、東京電力「協力会社」の社長が語っていたところによると、福島第一原発の想定津波は5メートル。非常用ディーゼル発電機やバッテリーは地下にあったそうだ。
 それは密閉されていなかった。つまり、防水機能はなかったわけだ。
 で、こういう事態となった。

 東京電力のホームページは、最近になってコンテンツ更新を停止していると断っているが、個別のテーマで検索すると、事故前のものがまだ出てくる。
 「社会・環境分野の取り組み」→「社会との関わり」と見てみると、
「東京電力は、事業活動に関わる様々なステークホルダーに応じて、コミュニケーション活動を行っています。いただいたご意見・ご要望を活かし、よりよい事業展開をはかるとともに、みなさまからの信頼をより確かなものにしていきます。」
とある。
 「地域社会」→「産消交流活動」を見ると、
「協働を通じて築く、地域とのパートナーシップ/東京電力グループの事業活動は、地域の方々に支えられています。地域社会の一員として、地域の発展に貢献するために、地域安全、教育支援、福祉・文化など、様々な活動を地域のみなさまとともに行っています。」
とある。
 どれも、オーソドックスな表現ですね。

 今回、近隣の野菜から放射性物質が検出されたとき、「ただちに健康に害はない」などというより、すぐに、東京電力が全量を買い上げれば、あとから補償するより話は早いし、企業イメージにしても持ち直したかもしれない。
 CSRだとか、地域密着、かつて流行りかけた企業のフィランソロピーなどというのは、本来、そういうことでこそ証明される。

 「貞観津波」は、清水社長にとっては、かなり重要な意味を持っている。
 JR西日本の山崎正夫前社長が、福知山線の死亡事故で「危険性を予知できたにもかかわらず、保安装置ATSを導入しなかった」として、業務上過失致死傷罪で起訴されているが、先の津波想定のレベル引き上げを無視したのは、少なくとも日本全体の空気をみれば、確実に起訴理由になるだろう。JR同様、社長だけが人身御供として刑事告訴されるのか、山崎さんの公判の行方を「病床」から必死で見守ることになる。

 刑事責任は別としても、東京電力の賠償責任は明白である。
「原子力損害賠償法」では、無駄な税金が1200億円までは遣えるという馬鹿馬鹿しい原則で国が肩代わりするらしい。それを超えると東京電力が払うことになる。
 賠償については 国民的議論をもとに、などととぼけたことを、つい先ごろシステムダウンして給料も振り込めなかったどこかの銀行の総研エコノミストが言っていたが、地域住民を「電力の受益者」などといってすり替える発想からは、銀行エコノミストが、バブル崩壊から何も学んでいなかったことを、あらためて実感させる。

 東電の純資産は、およそ2兆5千億だという。
 「自主」避難を「強要」された人たちへの補償、慰謝料、しばらく住めない土地の復元費用、さらに企業への損害賠償は、「計画停電」についても膨大な金額になると考えられる。

 東京電力の従業員数が、新聞、おそらく共同通信の配信記事によると「5万2452人」となっていたが、少し前にホームページで38,227人となっていたから、共同通信では下請け、あるいは孫請けまで含めているのだろう。1万4千人の違いはむちゃくちゃである。
 「協力会社」という名で呼ばれる下請け、孫請け社員の処遇がどんなものかは、最近のニュースでよく知られる、一日二食、アルファ米に缶詰、現場の床で寝る、あの原発作業員の人たちが典型なのでしょう。
 で、「正社員」の人たちの処遇はというと、日経産業新聞によれば、2010年の賃金交渉の回答で、組合員平均または従業員平均が、月額403,273円。年間一時金支給額として1,680,000円となっている('10.4.13.同紙)。
 2010年の夏のボーナスについては、38.4歳平均で836,000円、前年比4.36%増('10.7.20.同紙)。2010年の冬のボーナスについては、同じく38.4歳平均で844,000円、前年比4.32%増('10.11.22.同紙)。トータルの帳尻は合っている。
 役員の報酬は、ネット上に散見できるが、正確にはわからない。いずれにしても、役員報酬と退職金は、全額、賠償に充てて当然だろう。みなさん、食うに困らないだけの資産はお持ちである。もっとも、事故原因の検証次第では、私財でとても足りない賠償責任も、あり得る。
 ざっと4万人の社員として、年俸を3割カットして賠償に充てれば、780億円くらいが積み増しできる。十年あまりかければ、なんとか1兆円くらいは社員が払えるだろう。それくらいの連帯責任はあって当然の、それこそ原発の「受益者」である。

 この、前代未聞の、原発「同時多発事故」が、これから長い時間をかけて、とりあえず収束したら、当事者や被災者以外の人たちは何事もなかったようにふるまい、「天災」がもたらした事故に果敢に立ち向かった消防隊や自衛隊をヒーローとして、テレビドラマや映画が企画されるだろう。
 あの、活躍している「特殊車両」たちについても、きっとすでに、タカラトミーさんあたりがミニチュアカーの原型か金型をつくり始めているにちがいない。
 それはそれでいい。商売人の本能である。
 だけど、要は、そんな、お気楽な時期がいつ来るか、まるで見通せない、ということなのだ。
 原発による被害はもとより、震災からの初期復旧、復興、そして日本経済の足をこれだけ引っ張っている責任は、簡単には許されないほど大きい。
   

〈最近の関連過去記事〉
3/17 福島原発200q圏内の子供と妊婦は避難を!
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/191142232.html
3/15 東京電力の「広報」
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/190719393.html
2/28 ビキニ・デーとCSR。
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/188133868.html

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2011年03月17日

福島原発200q圏内の子供と妊婦は避難を!

旧暦二月十三日 辛未(かのとひつじ)

 福島原発の事故発生から5日経った16日の夜のニュースでも、まだ、東京電力は180人体制で現場対策にあたっていると言っていた。これが全員社員なのか、下請け会社を含めているのか、あるいは、下請けについては人数に含めていないのか、おそらく大半が下請け作業員という数字だろうけれど、いずれにしても、すでに4基もの原子炉が同時に危機的な状態にあって、180人というのは1基あたり45人平均。そんなもので抑えられる状況ではないだろう。

 放射線量の数値が高いので、安全が確保できれば次の作業に、などという間の抜けた報道を何度聞いたことか。
 東京電力は全社員に非常呼集をかけて、全員決死隊として覚悟を決めるくらいのことはしなければならなかっただろう。原子力発電所を経営するということは、そういうことなのだ。なんの関係もない周辺の住民を被曝の危険にさらしておいて、何が作業の安全か。
 東京電力の従業員数は、ホームページでは38,227人とあった。少なくとも1万人くらいの男手はあるだろう。リスクの高い仕事はすべて下請けにまかせ、いざとなったら消防隊員や自衛隊員、さらには警察機動隊員の命を盾にして、自分たちは避難することばかり考えている姿勢には、いいようのない怒りを覚える。

 テレビは、ごまかしに満ちた記者会見を垂れ流すばかりで、これまで、現場から実況中継をやったメディアはひとつもなかった。
 くだらない24時間テレビなんかより、はるかに「視聴率」はかせげるだろう。よく、「報道」の歴史として、テレビ画面でたびたび見せられる、伝説の浅間山荘の現場中継などより、おそらく、ずっと歴史的な報道として残るだろう。
 まさに報道の使命。なぜできないのか。
 「安全のため30q離れたところから撮影しています」などというテロップの映像など馬鹿馬鹿しくて信用もできない。

 マスメディアでは、正確な事実も分析もまったくといっていいほど出てこなくて、人々は黙々と避難指示に従っている。パニックを煽ってはいけないが、事態はそんなに甘いものではない。
 世界が「レベル6」としていることが、現実を示している。
 奥歯にものがはさまったような「解説」ばかり聞かされる中で、ユーストリームが、ようやく、まともな現状認識を示していた。

http://www.videonews.com/interviews/001999/001761.php

 おそらく、事態は紙一重のところまできている。
 チェルノブイリの惨事に手が届きそうなところ、ひとつ間違えば超えていくという瀬戸際にあるだろう。

 今や、現場技術者の知恵と勇気を信じるしかない。
 運良く、この非常識な事故が、チェルノブイリを超えることなく落ち着いたとしたら、周辺の自治体や、あるいは企業からも損害賠償請求が始まるかもしれない。当然、住民への補償や健康管理のコストも浮上する。東京電力という企業がそれまで存続できたとして、この夏、夏期一時金でも出したとしたら、それは犯罪行為に等しいことになる。社員には、無責任な経営陣を放任してきた連帯責任がある。
   
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2011年03月15日

東京電力の「広報」

旧暦二月十一日 己巳(つちのとみ)

 なんともたまらない光景が、次々とテレビに映し出された。
 阪神淡路大震災のときには、直後から広がった火災のすさまじさが、大災害の強烈な実感をともなって、テレビの画面からも迫ってきた。
 今度の東日本の震災では、大火災も起きて、いまだ続いてもいるのだけれど、なによりも水の恐怖をまざまざと思い知らされた。
 この数日、何度も目にしてきた津波の映像は、音声がないことで、なにか別世界の出来事のような、ありえない恐怖のような、不思議な感覚で、気持ちが立ち尽くしてしまう。スマトラ島沖地震のとき、津波の映像はやはり何度も目にしてきたはずなのだけれど、流されていく街の風景が見慣れたものだからだろうか、よけいに、夢でもみているような錯覚、どうしても信じられない出来事に見えてしまう。

 家族や身近な人を失い、黙々として今の状況に耐えている人たちをみるたびに、胸がつまる。つい昨日には、よもやこんなことになるとは思いもせず、いつも通りに暮らしていたのだ。
 被災した人たちにとって、たいへんなのは、さらにこれからとなる。
 被害の全貌があきらかになってくるのも、まだまだこれからのような気がする。安否不明となっている膨大な数の人が、無事に確認されることを、ただ願うしかない。

 発生から四日目となって、テレビ各局は番組編成をもとにもどしつつある。さらに日が過ぎると、悲話の発掘や、悲劇の中の希望をエンタテイメントにしていくだろう。
 そういった流れにまどわされず、一人ひとりが、見失わないようにし、忘れないようにしなければならない。

 世界のメディアが、この大災害に直面した被災者、日本人の、冷静で、互いへの思いやりに満ちた対応を絶賛しているのだという。
 それが日本人の美徳と誉められることは喜ぶべきことでもあるのだろうけれど、そんな被災地の人たちを思えば、さらに胸がつまる。

 日本中が、共感と忍耐の心情にあふれている。
 そこに、つけこむと言えば言い過ぎかもしれないけれど、よく言えば甘えていることが、さすがに見え始めて、人々がいぶかり始めたのは、東京電力である。

 頻繁に繰り返されているうちの何度か、それも断片的にしか見てはいないけれど、そのかぎりにおいて、記者会見はじつにお粗末だった。原子力発電所という、一方で役には立つのかもしれないが、その反面で、一国を滅ぼしかねないほどの破壊力を持つ危険な装置を、こんな人たちにまかせておいていいものだろうか、という不安は、おおいにかきたてられた。

 質問されても、即答できず、自分たちでも顔を見合わせながら会見資料をめくり返している様子は、情報を正確に伝えるために送り出されたスタッフとは、とても思えない。
 配付資料の説明に、いちいち表題を読み上げて、いきわたっていない記者を確認しているなどというのは、小学校のホームルームで遠足の案内をしているようなものだ。資料には、頭に通し記号をふるか、ページ番号を入れておけばいい。できれば最初から通した数字にしておけば、対比しやすいし、わかりやすい。
 あらゆる面で、彼らは素人そのものだ。

 計画停電でも、だいたい、「グループA」、「グループB」などという実感のない呼び方自体、わけがわからないが、停電する区域の説明に、いちいち「ご迷惑をおかけする地域の」などと、もってまわって、これもなんだかわからない言い方は、ふだん、いかにも口先でごまかすことばかり考えているお役所的な企業体質を思わせる。「停電する地域は」とストレートに言わなければ、なんのことだかわからない、ということがわかっていない。
 広報、という水準ではない。
 まして、危機管理なんて、何も考えていなかったのではないかとさえ思える。

 計画停電、などという上手な言い方を、誰が考えたのか知らないが、根拠となる数値は示されていない。優先順位もよくわからない。実施の結果としての数値も出ない。じつは、一方の原発事故で逆風が吹くため、電力不足を今から世論にしておくための策略だ、という話さえ出ている。それほど「無計画」停電なのだ。
 停電は大きな影響がある。電気が使えないと、ビルやマンションでは水道も止まる。発熱する機器では、再開したときの不注意で火災の危険もある。医療機器などの稼働維持ができなくなると深刻な問題だ。
 それにしても、信号や医療など、安全な社会機能を維持するための電力供給は、インフラとして別系統にしておけないものかと、いつも思う。

 原子力発電所のほうは、ほんとうに専門家がいるのだろうか、と思えるほど、素人からみても幼稚な対応にみえる。もともと、危機感なんてゼロだったのではないか。
 想定を超えた地震だった、という言い訳はほんとうは通じないのだけれど、仮に、そこを許容したとしても、ならば、最初から、想定を超えた対応をしていれば、と思えてしまう。
 国もいいかげんなもので、事故発生から四日目にもなってから、情報共有をするために政府と東電で合同の対策本部を設置する、という発表には驚いて、あきれた。そんなものは、当然、最初からできていたものと、誰もが思っていただろう。

 どんな機器や装置でも、塩水に漬けてしまえば、もう使い物にならなくなってしまうことは、素人でもわかる。あとは一から再建することになる。膨大な費用がかかるし、事故によって、ひょっとしたら再建に反対されるかもしれない。だから、最初、冷却水が供給できない、といったときに、海水の注入をためらったのだろう。詳細はわからないが、おそらく、このわずかなタイムラグで、致命的な状況を防げなくなったのではないか。

 水素爆発が起こる、というのは過去の事故から学んでいるはずである。まして、弁が正常に作動しない、とか、容器の底が破損して水が抜ける、といったトラブルは、専門家でなくても可能性を想像できるリスクである。まして、当初、予備の電源が稼働しなかったとか、さらには、海水注入が止まった原因は燃料が切れていた、などという、まさか考えられないような話は、彼らを信じていれば、日本が滅亡しかねない、という実態を表面化した。

 最初は、チェルノブイリにはほど遠い、スリーマイルにはならない、などと楽観論を語っていたコメンテーターも、少し顔色が変わってきた。原発に批判的な人物は呼ばないから、当然、流れは各局同様に、おだやかな楽天性に満ちていたが、事態はおそらく、まさに「予断を許さない」ところまできているのだろう。
 チェルノブイリでは、職員や消防隊員が決死の覚悟で事故に挑み、何十人も亡くなっている。
 原発は安全だ、と言っていた東京電力の幹部や社員の人たちは、プロとしてみずからの主張を証明するためにも、水を注入したり、バルブを開けたりするために、被曝覚悟で突入を準備しておくべきだろう。天災に名を借りて、自分たちの不始末を、消防庁や自衛隊にだけまかせるべきではない。

 だらしないリスクマネジメントのおかげで、四日経ってもまだ、政府機能の大きな部分が東京電力に振り回されている。運を天にまかせて、これ以上事態が悪化しないことを願うしかない。
 菅さんも、自分に酔って記者会見で長々と演説したり、迷惑な現地視察に行きたがるのはやめて、中枢機能に集中してほしいものだ。
   
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2011年03月08日

カンニングも、カンパも、犯罪だ!?

旧暦二月四日 壬戌(みずのえいぬ)

 カンニングで逮捕、という前代未聞の「事件」も、以前の尖閣ビデオ流出騒ぎのニュースのように、徐々にフェードアウトしていくのかなと思っていたら、前原誠司外相辞任、で、一気に消えてしまった。

 それにしても、焼肉屋のおばちゃんが年に五万円ずつだったっけ、カンパしていたなんて、誰がどうやってみつけたのか、あるいは「チクった」のか、と、まず呆れた。
 まあ、五万円のカンパは、こちらのようなビンボー人からみると大盤振舞ではあるけれど、「政治とカネ」というキーワードで大騒ぎするのも、ちょっと引いてしまう。小沢一郎さんの「法にのっとった」資金の動きとは根本的な性質が異なるだろう。

 他府県と較べてどうかはわからないが、京都には在日朝鮮人が多い。いちいちそうやって区別する必要も、また、しようもないほど、一体化している。
 だいたい、歴史をさかのぼったら、もともと京都をつくったのは、歴史書で渡来人と呼ばれる古代の朝鮮人だといってもいいほどである。海を渡った時期や理由は違っていても、いちばん近い隣国だから、本来、行き来はさかんであって当然なのだ。天皇さんのルーツの話じゃないけれど、おそらく、DNAをたどれば、多くの日本人がどこかで朝鮮人や中国人と混血しているだろう。

 だから、今回の「献金」問題で、「在日コリアンを外国人として扱うのは違和感を感じる」といった街角のコメントがあるのはもっともである。
 中学生くらいの頃、友だちが「在日」であることを、ふだんはいちいち意識することもなかったが、振り返れば、ケンカが強い連中は、彼らの中に多かった。番長を張っているのは、たいてい在日の同級生だったでしょうね。
 やはり、まだまだ差別が強かったから、たくましかったのだと思う。

 参政権が取り沙汰されているが、二、三十年前まで、「帰化」していない外国人には年金制度が適用されなかったり、「国民」健康保険に加入できなかったらしい。
 国益、などと言っているけれど、大阪の鶴橋なんか、コリアンタウンであればこそ「日本人グルメ」で(笑)賑わっているし、今年の春節でも、神戸の中華街、南京町なんか、ものすごい人出で通行止めになっていた。
 何かにつけ、おいしいところをいただくだけでは、フェアじゃない。

 とはいえ、法律で厳然と条文があるからには、政治家さんとしては、脇を締めておくべきだったでしょうね。
 もっとも、前原さんとしては、いいタイミングで辞めたのではないでしょうか。もともと外務大臣になりたかったという人らしいから、ことに今のポジションにはこだわりたかっただろうけれど、傷口の浅いうちに引いて潔い印象を残し、イメージを温存できたのは、菅内閣と一緒に沈没するより、結果、正解なのでしょう。本人もそれなりに計算したに違いない。

 得点を下げたのは、むしろ、追及した西田昌司さんかもしれない。
 断片的な経過をたどると、どうやら、焼肉屋に前原さんとツーショットの写真があるといった情報から、献金をしていないかと疑念を抱いたらしい。うーん、だとしたら、素晴らしい嗅覚。職業を間違えてるね。(笑)
 で、おばちゃんは「献金」をしているつもりはないから、茶飲み話を装って「そんなに応援してたら、献金した?」てなことを訊かれても、当然、そんなものしてない、といった話になる。
 で、あやしんだほうは、もし、わずかでもカンパの記録があれば、これは叩ける! と、公開されている政治資金の記録を徹底的に調べたようだ。
 おおむね、ネタ元はネットからなので、自信は持てないけれど(笑)、きっと、流れとしては間違っていないでしょう。

 前原さんの「法的責任」はもちろん免れないとしても、西田さんのほうは、この先、じりじりと、日本的心情論で、株が下がりそうな気がする。そこは、前原さんが素早く辞めた作戦勝ちになるのではないか。
 まあ、いずれにしても、国会は、こんなことで騒いでいるヒマはない、と思えるのだけれど。

 一方、同情すべきではないのかもしれないけれど、傷口の浅いうちに表に出ていれば、と可愛そうなのは携帯カンニングの受験生。

 試験中に見つかって退去させられていれば、まさか逮捕されることはなかった。
 合格したさに一所懸命トレーニングした、利き腕でないほうの手による、なんと呼ぶワザだろう、隠れ打ち? そんな名人芸が仇になった。

 こちらは、いろいろな問題が浮かび上がっている。

 まず、ヤフーだったかは、令状が出たらそれに応じると言っていたけれど、ヤフーもドコモも、さっさとIPアドレスや通信記録を警察に提供した。これは、今後に、令状なしで情報を提供する前例を開いた、といわれている。
 大学も同様で、簡単(でもないワザだろうけれど)にカンニングをできる環境をつくっておきながら、なんと、犯人探しを警察にゆだねた。

 マスコミは、一人ではできるはずがない、絶対協力者がいる、と騒ぎ、産経新聞では実際に複数犯と誤報して、あとから訂正と謝罪をしたらしい。新聞が誤報のあと訂正するのもめずらしいようだ。
 カメラ機能やOCR機能を使ったとか、略号で変換するとか、ポケットの中で打つ、外で中継する、……テレビも新聞も、考え得るあらゆる手口を想像して、おお、ケータイでそこまでできるのか、と驚かせてくれたが、フタを開けてみれば、彼はたった一人で、それも原始的なテクニックの熟練で、いともたやすく、最先端の(!)カンニングをやってのけていたのだ。

 だもので、この出来事に対するリアクションは、おおむね、二手に分かれる。
 おおざっぱにいえば、許せん! というものと、ちょっと可愛そうじゃん? というもの。前者は年齢層が高いほうに寄り、ITが苦手。後者は、最近よくいわれるケータイネイティブ世代が中心。
 これは自然ななりゆきでしょうね。

 カンニングまでは別としても、携帯電話に限らず、新しい機器が登場するたびに、いろいろな問題が生じる。ウォークマンのシャカシャカ音だってそうだった。
 だけど、若者は、ちゃんとルールを決めてあげれば、大人よりはるかにそれを守る。いまどき、電車の中で、大きな声で携帯で話しているのは、たいていおばさんかおじさんだ。

 大学の先生方によると、近頃の教室はめっきり私語が減って、静かなものだそうだ。かつてのような、ざわざわ、どころか、がやがやわいわい、そんなことは全くないという。で、なぜかというと、そういう学生は、みんな、ペコペコヒコヒコ、メールを打っている。(笑)
 まあ、勉強している学生や、授業の邪魔にならなければいい、と、先生方は黙認している。
 で、授業をろくに聴いていない学生たちは、論文を書く段になると、またITを駆使してネット上からコピペしまくり、大学の側は、それを見抜くソフトの導入に走る。

 カンニングを防ごうとしていかにも監視を強めると、受験生への心理的圧迫になる、とか、それでいて、万全を尽くしている、とか、矛盾だらけのことを言っているけれど、なら、カンニングごときで警察を頼るなよ、と思ってしまう。
 心理的圧迫なんて人によって違うのだから、必要なときは、ちゃんと監視すればいい。

 それよりも、もっといいのは、試験場で電波が通じなくすること。簡単なのだ。
 教室でも、コンサートホールでも、劇場でも、電車の中でも、「電源をお切りください」「通話はご遠慮ください」なんていわなくても、使えないようにしてしまえば、話は早い。
 営業マンで、電車の中に仕事先から電話がかかってきて、出ないというのもかなり勇気がいるだろうから、つながらないほうがよほどいい。道交法違反というなら、クルマの中もそうしてしまえばいいのだ。
 「ご遠慮ください」というのは「遠慮しながらやってね」と言っているのと一緒である。(笑)
 電波法あたりで問題があるのなら、さっさと法律を変えればいい。

 カンニングで逮捕された未成年、という事例が、この先ふたたび出ることは、なかなかないだろうという気がするけれど、この、最先端の? 方法論を外に向かって試みたことで、彼は目立ち、失敗した。
 だけど、あるいは、マスコミのいうように優秀な協力者がいて、閉じられたやりとりで同じようなテクニックを持っていたら、誰か、気づかれずに成功しているかもしれないのである。
 今、いちばん、はらはらしているのは、ひょっとすると、まったく知られざる方法でカンニングを成功させた受験生? だったりして。
   
ラベル:在日 受験 大学
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2011年02月28日

ビキニ・デーとCSR。

旧暦一月二十六日 甲寅(きのえとら)

 嗚呼、もう2月が終わる!
 二月は逃げる、とは、ほんとによく言ったもので、一月の去ぬる、三月の去る、と較べても、ずっとスピード感がある(笑)。
 大の月に較べると三日少ないのは大きい。えらいことです。

 明日、3月1日は、以前にもふれたことがあるけれど、「ビキニ・デー」。
 http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/archives/200902-1.html
 かつて、太平洋の美しい珊瑚礁の島々で、アメリカが核実験を続けたが、その爆発で撒き散らされた汚染物質「死の灰」をかぶったマグロ漁船「第五福龍丸」が帰還後、わずか半年で、久保山愛吉さんという乗組員が亡くなっている。1954年のこと。
 ビキニ・デー、としては知らなくても、そういうことがあった、ということはなんとなく知っている人も多いのではないだろうか。

 ほんとうは、日本のすべての人が知っておかなくてはならないはずの出来事である。
 ヒロシマ、ナガサキ、に続く、第三の被爆。
 日本は、核爆弾による被爆を身をもって経験している、唯一といっていい国である。

 少し前に、山下正寿さんというかたの「ビキニ・デー」を追ったドキュメンタリーを観て、お話しを聴く機会があった。高知県で長く高校の社会科教員をつとめ、退職。プロフィールでは、現在、高知県太平洋核実験被災支援センター事務局長、となっていた。
 山下さんは、現役教師だったとき、地域の現代史を調査する高校生たちの課外学習で、原爆の「ヒバクシャ」をたずねるうちに、偶然、ビキニの水爆実験で被災した漁船員のことを知ることになる。
 第五福龍丸の母港は、静岡県の焼津である。遠く離れた高知県の港に同じ爆発実験で被災した船がいたとは、思いもしなかったはずである。

 高校生たちとともに聞き取りを続けたが、この高校生たちの地元である幡多という地域の、14の漁村すべてに被災した船員がいることがわかった。
 この活動がきっかけとなって、ビキニ・デーの悲劇が第五福龍丸だけではなくて、じつは1000隻にもおよぶ船が被災していたことが、あらためて明らかになる。
 ひとつひとつ事実を探し出して並べていく、その淡々とした執念には敬服させられる。

 この経緯が、2004年に、南海放送ローカルで『わしも死の海におった〜証言・被災漁船50年目の真実〜』として放送され、「地方の時代映像祭」でグランプリを受賞している。その後も取材を重ねながら番組制作をして、いわば新訂版のように、たびたび放映してきたようだ。
 観たのは、2010年版の番組で踏み切った、というDVD化された映像だった。
 できることなら、DVDの制作費が回収できてからでいいから、ユーチューブあたりで、誰もが簡単に観られるようにしてほしいものだと思う。講演の映像も撮っていたようだから、大学の講義みたいに、どんどんネットで流せばいいのだ。

 日米政府や、関係者が、まるで、バットマンのゴッサムシティの悪人たちや、バイオハザードのアンブレラ社みたいに、いかに露骨で単純な悪人ぶりを発揮したかには、あきれるばかりだが、皮肉なことに、ビキニで舞い上げられた死の灰は、1000隻の日本漁船だけでなく、偏西風に乗って、アメリカ本土にもたっぷりと降り注いでいる。
 アメリカによる調査は、ヒロシマ、ナガサキのときのABCCと同じように、医学的救済のためではなく、これ幸いの人体実験として被災者をモルモット扱いしている。

 被曝して帰港した船乗りさんたちは、日本の厚生省職員だかによってガイガーカウンターをあてられたが、それはむしろ、ついでや冗談半分のようなもので、数値が記録されてもいない。本人たちの記憶で、驚くべき放射線量が明らかになっているが、調べる対象は人ではなく「魚」だったのである。
 魚は健康被害をもたらすものが市場に出まわると、「一般国民」の口に入るので騒ぎが広がることになる。けれど、人は、本人が健康被害に遭うだけである。

 日米政府は、秘密裏に談合して、早期決着へと持ち込んだ。
 鈴木善幸さんや中曽根康弘さんがかかわっていたようだ。
 まとめて慰謝料を受け取り、のちのち責任を問うことはありません、という、アメリカにとって好都合の示談でまとまった。

 見逃せないのは、このとき、水産会社がかなりの役割を果たしたとみられること。
 考えてみると当然なのだけれど、このことには想像力がおよんでいなかった。
 山下さんの「資料」には「大手水産会社」としてあったが、話の中では「ニチロ」や「マルハ」といった名前が出ていた。どっちみち、おおよそ察しのつく社名ではある。
 水産会社は、マグロ漁船から魚を買い取る。しかし、放射能に汚染されている魚は廃棄処分である。やがて放射能レベルが下がって「安全」になったとしても、人々の不安があると売れない。
 まさに1000隻もの漁船員の被曝がおおやけになり、騒ぎが大きくなると、いっそう魚が売れなくなると考えたのである。

 いずれ、あらためて、「大手水産会社」社史の、この時代の記述を調べてみたいと思っている。
 おそらく、反省はおろか、ひとこともふれられていないのではないだろうか。
 それは、これまでにいくばくかの社史編集に携わった経験からも理解できる。
 負の遺産、負の歴史は、できることなら記載したくないものである。かつて自分自身でも、作業をしていて、そういった心情への暗黙の配慮はどこかにあったと思う。制作スタッフとして、知っていて排除するようなことはなかったが、あえて、そういったことがなかったかを、深く訊くことはしなかった。

 しかし、こういった事例にふれてみると、あらためて、これからの時代には、むしろ、そういったところの掘り起こしこそ重要ではないかと思う。
 どんな過ちにせよ、振り返って再確認することができない企業は、ふたたび同じ過ちを繰り返す。当然、リスク管理もきちんとできない。みずからの歴史を検証して、反省し、「しくみ」として同じ過ちを繰り返さないための手だてを講じることが、ほんとうの意味でのCSRやコンプライアンスにつながる。

 もうひとつ、これは救いようがないけれど、久保山愛吉さんの主治医が、国立機関でのしかるべき地位と引き換えに、ビキニ被曝と死亡の因果関係の立証を抑えた、という話があったこと。もう少し詳しく知りたい。

 あれもこれも、人間の愚かさを嘆きたくなることばかりではある。
 そうして、1000隻もの漁船の乗組員の被曝が地下に埋もれ、アメリカとイギリスは、南太平洋の美しい海で、16年間に122回の核実験を続けた。
   
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2011年02月13日

メディアと情報。

旧暦一月十一日 己亥(つちのとい)

 チュニジアが起爆剤となって、北アフリカが揺れている。
 エジプトへの旅行が意外とアブナイ、ということくらいで、ここまで煮詰まっていた情勢なんて、まったく知らなかった。
 世界の現在について、いかに不勉強であったか、とともに、日本のマスコミが、いかに何も伝えていないか、ということを思い知った。

 各国での政権崩壊には、インターネットが一役買った。
 考えるべきことはいっぱいあるのだけれど、今、余裕がないので、とりあえず重箱の隅からちょっとだけ。(笑)

 先月のことになるけれど、新聞をみていたら、「採農ボランティアに活路」という見出しで、果樹園の栽培、収穫を支援するボランティアの話が載っていた。
 この「採農」という言葉は初めて目にしたものだったので、また、わざわざ新しい言葉を考え出した言語芸人がいるのか、と思って、どういう意味で使われているのか読んでみたけれど、よくわからない。
 記事の冒頭の導入文、リードのところに「ミカンの収穫などを手伝う援農ボランティアが注目されている」とあったので、援農の間違いなのかな、と思ったけれど、80級に長体をかけたくらいの(写植でいうところが古いなあ)大きな見出しの、それもアタマにきている文字だから、まさか、そんなことはない、と思って調べてみた。しかし、手もとの資料くらいでは、農業関係の新語となると手に負えないし、ウェブで検索してみたけれども出てこない。

 しばらく、そのまま放っておいたけれど、どうもむずむずするので、思い切って、京都新聞の「読者応答室」に訊いてみた。
 応対してくれたかたも、「そうですなあ、新しい言葉かどうか、私も…」
 で、調べて、またご返事します、ということになった。

 翌日、留守中に、留守番電話に録音が入っていた。
 単純に、誤植だった。
 「まことに申し訳ありません。担当部局の責任者すべてにわたって厳しく指導しておきましたので、今後ともよろしくお願いします」
 丁重な伝言をいただきました。

 電話で訊ねた時点で、じつは、うすうす、そうではないかと思ってはいたのですけれどね(笑)。
 ニュース編集部、というところが担当部署らしい。耳新しい部署名。報道部や社会部とはまた別なのでしょうね。週刊誌でいえば、話題班、みたいなところになるのかもしれない。
 京都新聞さんの名誉のためにいえば、この記事には署名が入っていないし、神奈川県や山梨県といった関東域の話なので、おそらく共同通信からの配信記事なのだろう。
 でも、共同から誤字で配信ということも考えにくいし、万一そういうことがあったら、ただちに訂正が送られてくるだろう。
 そのあたりのしくみには、あまり関心を持ったことがなかったけれど、見出しは各社でつけ直しているのかな。
 かつて所属していたことのある事務所では、十紙近い地方紙やブロック紙をスクラップしていたので、そういった各紙で同じ内容の記事を探して比較すれば、よくわかって面白いだろうけれど、今、ウチではそこまでやっていません(笑)。

 べつに、個人にお詫びをいただく問題でもないし、あらためて、もう一度こちらから電話をするようなことでもないので、そういったことについては訊きそびれてしまったけれど、ただ、気になるのは、この記事が載って、およそ二週間してからの問い合わせだったのにもかかわらず、どうやら、その時点ではじめて、誤植だったと気づいたらしい、ということ。

 みんな、自社の紙面を読んでいないのだろうか。
 ひとむかし前だったら、いかに夕刊の2面といえど、大見出しで誤植、なんてあれば、編集長の大カミナリが落ちて、社内中に知れ渡り、知らない者はいなかったのではないか。
 新聞社の編集部というのは、そういう職場だと思っていたし、また、そうでなければならないと、今も思っている。

 京都新聞の記者さんにはすぐれた人も多いし、こんなことは、本来的な問題ではないのだけれど、ここ数年、どこの紙面に限らず、全国紙も専門紙も、本文の誤植や、あきらかな間違いと思える文面が、少なからず目につくようになった。
 人員は大幅に減っていると聞く。ただ、人が減って手がまわらない、チェックが行き届かない、といった量的な戦力不足、というより、モチベーションの低下が大きいのではないか、そんな気がする。

 もっとも、先の誤植のような話は、記事を書く取材現場の記者や、配信記事を編集する担当者だけの責任ではなくて、新聞社には校閲部があるはずで、たいてい、どこにでも「校正の神様」のような人が必ず一人くらいいて、絶対に見落とさない、という矜持を持っていたものだ。そういった影が消えてしまったのか。

 ジャーナリズムの現場全体の、基礎的な劣化は否めない、というのが現実ではある。
 マスコミ全体にいえることだろう。
 テレビにいたっては、間違いの垂れ流しのようなところさえある。間違ったことを放送してはいけない、とは、誰も考えていないようにさえみえる。

 誤植そのものは、責めることではない、と思う。
 だいたい、人のことはいえたものではなくて、こちらも、かつて活字になってしまった仕事の中に、いくつも苦い記録が残っている。
 ただ、二週間、誰も気がつかないでいた、というのはねえ。

 こういった、発信に対する責任感の希薄化、というのは、じつは、インターネットの普及が大きく影響している、と思っている。

 インターネットの情報は、大半がフリーペーパーみたいなものである。
 ご自由にお持ち帰りくください、というスタイル。

 現実社会のフリーペーパーは、なんらかのかたちで、有料での情報発信経験の実務経験者がかかわっている場合が多いから、これまでに形成されてきたルールや、一定のセオリーが生かされている。無料であっても、読者のかわりに、スポンサーへの責任が、最低限のクオリティへのボーダーラインを引いている。
 たまに、まったくの未経験者が見よう見まねで始めた雑誌なんかで、有料でも、発行日も号数もなかったりするようなものがあるけれど、ああいうのは、すぐに消えてしまう例外のようです(笑)。

 だけど、ネット上のフリー情報は、意識して残さない限り、どんどん更新されることもあり、少々まちがっていようが、おかしな内容であろうが、よほどの専門的なコンテンツ制作者、つまりプロの編集者や書き手以外は気にもとめない。

 初期の百円ショップみたいなものである。
 ダイソーさんなんて、最初は、商品の注意書きに堂々と、百円という低価格で売るものだから、商品が多少粗悪でもがまんしてください、といったようなことを記していた。
 さすがに今ではそんなことは言えない。

 ネットの世界も似たようなものだ。
 情報も、ネットだから簡単に、費用もかからず手に入る、だから、安かろう悪かろう、という暗黙の了解は少なからずある。おかしなものをつかんでも、それはたまたま運が悪かっただけのことですよ、発展途上だからしかたないでしょう、責任はあなた自身にありますよ、という暗黙の「ネット世論」の了解のようなものがある。
 だからなのか、ネットで公開されているホームページには、大企業でさえ電話番号がなかったり、ネットベンチャーの会社案内では「住所」がURLだけになっていたりする。
 電話がかかってくる、というような、過去の遺物「モルタル」のリアル社会との接点によるリスク、つまり社会的責任を極力回避しようとしているのだ。

 従来のマスコミが、ネット上の情報発信との競合に引き込まれ、安売り競争にさらされる中で品質を落としてしまうのは、一時期における必然だと思う。

 発展途上のネット情報は、いずれ、もっと「洗練」されていくだろう。

 マスコミの出発点は「口コミ」ではないか。
 人の噂や急ぎの口伝えは、日々の生活の防衛本能のようなものである。「人の口に戸は立てられない」そこに最初のビジネスモデルをつくったのが、「かわら版」だろう。

 かわら版の二次的整理をして、その正論を求めようとしたのがジャーナリズムの始まりといえるのではないか。
 現代のマスコミの発信は、基本的に二次的な整理、加工がされている。当然、加工した人物の主観や配慮といったワンクッションが置かれる。それが、いい場合も、よくない場合もある。

 北アフリカの政変で役割を果たしたインターネットの機能は、二次情報ではなく、一次情報だった。
 「集まれ」「こうする」「気をつけろ」そんな「伝達」だったはずだ。
 いわば、「のろし」を焚いて戦闘態勢を報せるような、シンプルな伝達機能が、世界を動かすほどの役割を果たし、逆に、自らはずっと、そういった機能を持とうとしてきたはずの、世界のマスコミ的ジャーナリズムが、じつは現状維持に手を貸しているだけだった、という皮肉なパラドックスが、そこにはあったのではないか。

 もっとも、インターネット・ジャーナリズム?! が、これから成熟して「洗練」され、二次情報で埋め尽くされていけば、同じ道をたどることになる。
 ネットの最大の利点は、コストをかけずに発信ができる、というシステムがつくられたこと。そこに、紙や電波といった旧来の「媒体」とまったく違う可能性が生まれたのだけれど、一方で、旧世代媒体をはるかに超える膨大な「ゴミ」の山も含むことになった。

 一次情報にはふれやすい。だから、強権国家、独裁国家では、検閲を強化して、人の口に戸を立てようとする。
 一方、「民主的な国家」でも、まだまだネットの利点は、粗雑であっても一次情報にあり、価値のある二次情報は、なかなか探しにくい。

 まあ、いずれにしても、最終的には、自分自身のあり方がためされる、ということでもあるし、これは、今までの媒体でも同じことだけれど、原点に帰って、無条件に信用してはいけない、ということでしょうね。
 誤植かな? という疑いの目を信じましょう。(笑)
   
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2011年01月20日

お山の熊は、夢見ているか。

旧暦十二月十七日 乙亥(きのとい)大寒

 今日は二十四節気の「大寒」。
 「ますます極寒の辛苦にさいなまれ、寒さの絶頂期である」と『現代こよみ読み解き事典』にある。いやー、そういわれると、よけいに寒い。

 今年の冬は雪が多い。
 近江の山のオーソリティ、山本武人さんからいただいたお便りには、元旦を伊吹山頂で迎える予定で出かけたものの、雪と霧が深くて山が寄せつけてくれず、やむをえず山麓で宿泊して戻った、とあった。
 あんな大ベテラン岳人のかたでさえ想定外の、年末の雪でした。

 その後も続く、たびたびの寒波で、奥山は雪にすっかり埋もれているのだろうけれど、クマさんたちは、いい場所をみつけて、ぐっすり冬眠できているだろうか。
 もっとも、「冬眠」と「冬ごもり」は違っているそうで、熊さんのほうは、どうやら「冬ごもり」のほうになるらしい。

 去年、クマさんは受難の年だった。
 京都新聞に載っていた環境省の統計では、4月から10月までの間に430頭のヒグマと2590頭のツキノワグマが捕獲されたというから、あわせて三千頭を超える。そのうち2688頭というから、ほとんどが殺処分されたことになる。これは悲しい。

 京都は古都としての旧市街の狭い範囲、せいぜい足を伸ばして嵐山や高雄、八瀬大原、といった郊外までが観光のエリアとして知られているが、その背後には、鴨川や桂川の原流域から福井県との県境にかけて、かなり広大な山地が広がっている。
 どこからどこまでと定義されているわけではないけれど、この、京都北部を中心とする山々は「北山」と親しみをこめて呼ばれてきた。かつて一世を風靡した京都大学の山岳部のみなさんも、ここを根城として、世界の尾根、ヒマラヤへと挑戦している。
 北山の最深部、芦生(あしゅう)というところには、京都大学が保持している広大な「演習林」もある。以前はたいして気にせず自由に入れたが、今は自然保護もあって、かなり厳格に許可が必要だと聞く。

 「北山」は、北山杉で知られるように、山々には人工林も多く、いまどき言われる里山とはちょっと違うのかもしれないけれど、人とつながりの深い、やっぱり、いうなれば里山の範疇だろう。よほど奥にいかなければ、山をひとつ越すと、たいてい、人里か、そうでなくても廃村がある。

 人の気配の濃い地域でも美しい風景が多いけれど、やっぱり、芦生あたりまで行くと山深く、新緑も紅葉も素晴らしい。長く行かないけれど、今でもそうでしょう。
 ふつう山で道に迷ったら、絶対に沢を下ってはいけない、というのがセオリーだ。渓谷を下ると、大きな落差があって危険だし、突如滝の上部に出たりすると身動きがとれなくなるからだ。
 だけど、北山では、道に迷ったら沢を下れ、といわれてきた。沢筋がおだやかで、比較的安全なため、そのまま人里に出られるから、というわけである。
 それでも、芦生の原生林一帯になると、それは通用しないと教えられた。山深く急峻なところもあり、人里も遠い。
 それだけに、圧倒的な自然の豊かさがある。

 自然が豊かな山奥には、当然、山のオヤジが住んでいる。
 「本土」では、ツキノワグマ。
 ツキノワグマは、元来、温厚な性格だという。
 ヒグマは、クマよけの鈴なんかで音がしていても、興味津々、寄ってくるのだそうで、これは、ちょっと怖い。
 だけど、ツキノワグマは臆病で、ふつう、人の気配を感じたら、顔を合わせる前にさっさと逃げて行く。山中でまれに襲われるのは、向こうも気づかず、たまたま、突然の出会いがしら、となったときなのだ。
 だから、そんなときは別として、山中でクマを見かけたら、まずカメラを出せ、というのが、京都北山では通説だった。
 ここにはヒグマはいないから、ツキノワグマなら、ちょっとはなれていたら、向こうが逃げていく、その前に写真を撮らなくては、というわけだ。

 幸いかどうか、山中でクマさんに出会ったことはないので、カメラを構えることもなかったけれど、クマさんに出くわすことの危険はあまり意識しなかった。むしろ、夏場であれば、マムシのほうが怖かった。
 短パンだとか、山スカート? で歩く今どきの「山ガール」さんたちだと、足もとを笹藪が覆う細い道の多い北山では、噛みついてください、といわんばかりでしょう。
 マムシさんには、一度だけ川原で出会ったことがあって、みんなでひたすら逃げました。こっちに向かってくるし、足が速いもんね。いい若いモンが、30センチほどの細いヒモに蹴散らされているのも、なさけない姿だっただろうな(笑)。

 クマさんは、むかしから人に身近だったのだろう。さまざまなお話しに登場してくる。
 世界で知られるウイニー・ザ・プーの物語や、テディ・ベアといったキャラクターはもとより、たくさんの童話や絵本、民話、説話に、クマさんがあらわれる。
 物語に登場するクマさんは擬人化されているけれど、人と共存はできても、一緒に暮らせるわけではない。
 以前、黒姫までC.W.ニコルさんの取材に行ったとき、庭の片隅に大きな檻があり、確か大人のクマが入っていた。ずいぶん前のことで、正確に覚えていないが、人を襲ったか人家を荒らしたクマで、もう簡単に山には戻せない、と、ニコルさんが悲しそうな顔だったのがよみがえる。たしか、地元で捕らえられたのを、ニコルさんが引き取ったのではなかったか。

 1996年に、星野道夫さんが、カムチャツカでヒグマに襲われてなくなったけれど、あのときは衝撃的だった。
 アラスカに長年暮らしながら野生動物を撮り続け、ホッキョクグマもヒグマも生態を知り尽くしていたはずの熟練写真家が、まさかクマに襲われてなくなるとは、誰も想像できなかったはずだ。
 おそらく、クマのほうが、人のいるところで食糧にありつけることを知りすぎていたのだろう。自然界のバランスがくずれてしまっていること、人が無責任に対応していることに、怒りを感じたものだった。

 去年はトラ年だった。
 トラは、今、世界に3500頭とか3200頭といわれている。
 仕事机の引き出しに、「…the last 5000」と記されて、虎の足跡をかたどったスタンプがある。かなり前のもので、その頃、世界で5000頭といわれ、なんとか護ろう、と認知を広げるキャンペーンでつくられたものを買った。
 だけど、それもむなしく、すでにLAST3200となって、5000ではスタンプできない。

 今年はウサギ年。そういえば、今、日本に野生のウサギはどれくらいいるのだろう。
 トリ年はずっと先になるけれど、すでによく知られる「Today Birds,Tomorrow Men」という言葉がある。
 明日は、人間の番ですよ、という意味。

 冬眠は、今、医学的な注目を集めている。
 人間だったら凍死してしまうような低温状態で、何ヶ月も生命を温存したのちに復活するというしくみは驚異的なものなのだ。
 もしも、このしくみがヒトにも適用できたら、はるかな宇宙旅行や、あるいは、いつかくる氷河期を生き延びるために、画期的な手段となる。
 冬ごもり、と、冬眠、のしくみの違いも含めて、これまでの人智を超えた、すばらしい世界が自然界にはそなわっている。
 こんな、現在の科学からみると超越した能力は、自然の中ではごくあたりまえのことなのだろうけれど、人間は今頃になって、ようやく、そのすごさに気がつきはじめた。

 ヒトが、自分たちが生かされている世界の意味を理解もできないまま、すべてを滅ぼしてしまうのが先か、あるいは、瀬戸際で、その神秘に学んできた原初の生命力を取り戻せるのか。
 クマさんたちは、今、冬ごもりの眠りの中で、何を夢見ているのだろうか。
   
ラベル:冬ごもり
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2011年01月15日

小正月、そしてセンター試験。

旧暦十二月十二日 庚午(かのえうま)

 1月15日。新暦での小正月。
 今日は小豆粥ですね。

 「小正月」という呼び方が生まれたのは、いつ頃からなのだろう。
 簡単な古語辞典をみると、「正月(しゃうぐわつ)」はあるが、「小正月」はない。
『平安時代の儀礼と歳事』(山中裕・鈴木一雄編集/至文堂)といったテキストをみても、小正月にあたるような年中行事がない。「源氏物語」に描かれた宮中にも、出てこなかったのではないか。

 じつは小正月のほうが元旦よりも重要で、むしろ元旦が「小正月」で、小正月のほうが「大正月」だった、とは、よくいわれる。
 このあたりを言い始めると、まあ、「元旦」すなわち「一年の始まり」は、もともと民族によって違った、ということもあり、冬至であったり、収穫の秋だったり、家畜出産の春だったりと、きりがないのだけれど、旧暦でいえば小正月の十五日は、月齢では十五夜。満月のこの日が重視されたのはよくわかる。

 一月十五日を年中行事にあてることは、中国から伝わってきた。
 これは古い。だから、古語辞典でも「小正月」はなくても、「上元(じゃうげん)」は「陰暦正月十五日の称」(『岩波古語辞典増補版』)として載っている。
 中国では、この日が「元宵節(げんしょうせつ)」「上元節(じょうげんせつ)」となる。

 春節(旧正月)の最後を祝う華やかな行事。唐代から始まる。この夜を<元宵>と言い、数日間にわたって、家々の門や道路に美しい灯籠、走馬灯を飾り、竜や獅子、花などを形どった灯籠(行灯)を持って町を行進する。南方の<竜灯>(蛇踊り)、北方の<氷灯>も有名。<灯節><観灯会>とも言う。唐代以前には<祈蚕>の行事が行われていた。(『大漢語林』鎌田正・米山寅太郎/大修館書店)

 中元が七月十五日、下元が十月十五日ですね。
 ここに出てくる「祈蚕」という行事が何なのか、興味を惹かれるものの、今、ゆっくり調べている時間がありません(苦)。

 日本の年中行事で圧倒的に維持されているのが「正月」と「盆」だが、それに対比されるのが、中国でいえば「上元」と「中秋」だそうである。

 上元と中秋において、一致していることの一つは、この日、女性が外出することである。
 たとえば、江蘇省蘇州では、元夕、つまり正月十五日の夜、婦女相引き連れて市街を遊行し、橋三つを超えて帰る。こうすると、一年中病気に罹らないそうである。これを走三橋という。(『正月の来た道』大林太良/小学館)
 
小正月が「女正月」と呼ばれていろいろな風習が残っていたりするのも、このあたりから日本流にアレンジされてきたのかもしれない。

 上元は、当然だが、朝鮮にも伝わっている。
 『東国歳時記』には「上元」の項があり、

 薬飯 炊いた糯(もち)米に棗(なつめ)、栗、胡麻油、蜂蜜、醤油などを混ぜ合わせ、松の実(五葉松の実)を入れて再び蒸す。これを名づけて薬飯(または薬食)という。上元(正月十五日)のときの佳い時食であるばかりでなく、祭祀にも供え物として用いる。けだしこれは、新羅時代からの旧俗である。(『朝鮮歳時記』東洋文庫/平凡社)
 また、
 赤豆粥 正月十五日の前日、赤い小豆の粥をつくって食べる。かんがうるに、『荊楚歳時記』に、「州里の風俗に、門を祭るに先んじて、柳の枝を門に挿し、豆粥に箸を挿してこれを祭る」と書いており、今の風俗に赤豆粥を食するのはこれに似ている。」
とある。(同上)

 うーっ、薬飯、食ってみたい。韓国料理店なんかで出していないかな。

 「小正月」が、かつては「成人の日」として祝日に指定されていたため、かろうじて年中行事が保たれていたものの、ハッピーマンデー制度という、まやかしの「余暇」づくりのおかげで、すっかり影が薄くなってしまったことには、何度かふれた。

小正月が消えていく?
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/112649329.html?1264365678
すっかり消えた小正月
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/139279445.html

 今も、余暇の有効利用などといって、休日分散化のためにゴールデンウイークを地域ごとにずらす、などと馬鹿な検討をあきらめてはいないようで、いまだに労力をさいているらしいけれど、愚かとしかいいようがない。
 「国民祝日」のひとつひとつの成立には賛否両論あるかもしれないけれど、一応の背景を持ち、文化的に利用されていた祝日を、ただ連休をつくるためだけにあっちに寄せ集め、こっちに寄せ集めるのなら、最初から、「国民春休み」でも「秋の休日週間」でも、なんだってつくればいい。
 へんに歴史や時間に小細工して、愚行にむりやり「裏づけ」をくっつけようとするのは、政治家が小役人と変わらないことを示す、アリバイづくりの発想である。

 休日をいじくることで簡単に「余暇」をまとめて消費させることが可能なのは、せいぜい大企業と公務員くらいのものだ。根本的な労働制度のしくみで保証されないかぎり、実質的な「余暇」など増えるわけがない。
 休日制度を柔軟に、として、地域ごとに、などというなら、都道府県別に、その府県の三大祭の日でも、まさに県の「祭日」にして、学校も企業も休みにすればいい。地域振興の最たるものだ。
 だいたい「観光」というのは、その土地の「光を観る」ことだ。地域それぞれの歴史や伝統を地元の人たちが大切にできていてこそ、観光に訪れる客にとって大きな価値となる。

 もともとの休日を、ごちゃごちゃ動かそう、なんていうところで「柔軟な発想」の押しつけをしているより、もっとやることはある。

 今年はこの「小正月」に「大学入試センター試験」が重なった。センター試験と小正月は関係ないけれど、試験はいつも、だいたいこの時期。
 かわいそうでしょう!
 こんなにリスクの大きい季節に、なんでわざわざ、一生を左右するような試験を実施するのか。せめて12月の前半とか、まあ、観光シーズンをはずせばいいのではないか。
 早く進路が決まると、あとは勉強しなくなるからというのだろうか。
 合格しても、失敗しても、年が明けてから、時間の余裕をもって先の進路をみつめ直せるほうがいいのではないか。

 必ずといっていいほど雪が降って交通が乱れ、風邪やインフルエンザが流行し、それでなくてもコンディションの管理が難しい、最も障害の生じやすい季節に、わかっていて、人生のサイコロを振らせるのは、ほとんど虐めとしかみえない。
 まさに、「戦前感覚?!」の根性主義。
 教育関係者は、なぜ、こんなことを、ずっと認めているのだろう。

 企業も大学も同じである。
 じつは相手のことを考えない。
 学生も消費者も、ただの無機的マーケットとしかみていないのである。
 だから、大学は、無反省に、ただ学生が勉強しないとだけ嘆き、日本の企業は世界に出遅れてあわてた。
 日本企業にマーケットインが欠けていた、と近頃よく言われる。
 要は、相手の立場に立つ、そのあたりまえの姿勢がなかっただけのことだ。
   
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