2010年06月15日

「生きざま」という時代。

旧暦五月四日 丙申(ひのえさる)


 一週間ほど前だったか、確か夕刊の一面、それも左肩の一番目立つところに、「蓮如の生きざま 堂々」という、大きな見出しが踊っていた。
 このごろ、やたらにこの「生きざま」という言葉を目にする。
 隠れた流行り言葉なのかもしれない。

 見出しを立てたのは、若い記者さんでしょうか。
 いえいえ、いいのです。
 記事の内容は、本願寺中興の祖である蓮如さんの五百年遠忌の際に、記念事業として大阪の宗門寺院が企画、京都の絵師に依頼した絵伝制作を、まもなくその絵師さんが完成する、というもの。京都らしく、おめでたい、いい話題です。

 話題はいいのですが、見出しがね。
 十年もかけて絵伝を完成させようとしている絵師さんや、蓮如さんの人生を「生きざま」なんていうのは、失礼ではないか、と思うだけで…。

 じつは、「生きざま」という言葉は、ほんの少し前まで、日本語ではなかった。

 というと、ちょっと過激かな(笑)。
 えー、正しい日本語、ではなかった。

 今でも、正しくない言葉だと思っているけれど、それは「主観」になってしまった。
 それは、『広辞苑』までが、見出し語に載せてしまったからである。
 たしか、第四版から、『広辞苑』に載った
 だから、この記事の見出しを立てた記者さんだか、編集部員さんだかは、間違ってはいないのだ。

 でも、この「生きざま」という言葉は、日本語を扱う職種の者や、言葉に愛着のある者にとっては、なんとも、鍋底を金属でひっかくような、響きの悪い言葉である。

 手もとにある国語辞典には、この言葉は載っていない。おそらく、少し古い国語辞典や、最近のものでも、日本語の正確さを意識している辞典には載っていないと思う。
 つまり、「死にざま(死様)」はあっても、「生きざま」という言葉は、もともとなかったのだ。

 ふだん使っている少々古い『国語大辞典』(小学館)には、


しに−ざま【死様】@死ぬ時の有様。死にのぞんでの様子。また、死んだ様子。しによう。Aまさに死のうとする時。しにぎわ。

とある。

 ここでは淡々としているが、「ざま」という言葉には、かなり否定的な意味がある。
 同じ辞典でみると、


ざ−ま【様・態】@(「さま(様)」の変化)様子、格好をののしっていう語。ていたらく。醜態。ざまあ。『そのざまは何だ』*浄・持統天皇歌軍法−一「ざまよりも胆の太い奴」A《接尾》→さま(様) =は無い だらしなくみっともない。ざまあない。ざまくない。=を見ろ 人の失敗や不運をあざけっていう語。それ見たか。ざまあ見ろ。ざまあ見やがれ。
( ※ 一部の特殊な分類記号などデジタルにないものは代用。)

となっていて、そのまま、よくわかりますね。
 ありさま、なんかの「さま」が、濁って「ざま」になると、客観的な「様子」から、少し主観的というか、感情、評価の入った表現になる。

 この、否定的表現で、
「見てみろ、あいつの死にざまを」と、ののしられる言葉が、
「おれの死にざまを見やがれ!」という、開き直りへと転化する。
 それは、否定される相手の「世間」に対する抵抗としてもあったのだろう。
 一種の、社会に対するアンチテーゼとしての、日陰者や反体制の美学のような使われ方に変わってくるとともに、「ざま」がちょっと格好よくなってしまった。

 でも、その美学は、まさに、死に直面するところの、ぎりぎりの最後の局面での凄絶な開き直りであり、美意識には根拠があった。おそらく、生と死が、もっと厳然と拮抗して存在した時代だからこそ成り立った、それまでの人生の「死にざま」への集約だったのだろう。

 現代の日本人は、この血みどろの表現を、いとも軽やかに、自分たちの日々日常の生きかたに対して形容してしまった。
 任侠映画を見た人が、映画館から出てくるときに、背中に入れ墨と刀傷を背負ったような気分で、肩で風を切って歩き出すような錯覚も、あるのかもしれない。

 いやはや、みなさん毎日、ものすごい生き方をしているんだ。

 『広辞苑』は、そうして「現代用語辞典」になってしまったので、もう使っていないのだけれど、この「生きざま」という表現には、現代日本人の、まさに「生きかた」が結晶していると思う。
 端的に言えば、自分を格好よくみせたい、のだが、それは、見栄え、見てくれで格好をつける単純さではなくて、もう少し、無意識な巧妙さがある。それでいて、軽薄で内向きである。
「自分をほめてあげたい」
「一所懸命な私にごほうびを」
といった自己愛にも近い。
 実際には、いろんなことに見て見ぬふりをしながら、じつは結構、うしろめたいような日々を送っている自分たちへの、ある種のアリバイづくりとしての開き直りの表現が「生きざま」という言葉にあらわれているという気がする。

 よく知られる「鳥肌が立つ」のような言葉の誤用は山ほどあるし、自らも人のことは言っていられないのだけれど(笑)、「生きざま」という言葉の登場と多用には、そういった誤用とは異なる、微妙な、現代日本の、社会的空気がある。

 言葉の持つ意味も、もちろん、時代とともに変化していく。
 だけど、その、時代とともに、言葉がどんな変化のしかたをしつつあるか、というところでは、まさに、その時代を生きる人間の、良さも悪さも体現しているという気がするのだ。
   
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2010年06月08日

竹尾のペーパーショウ「プロト」

旧暦四月二十六日 己丑(つちのとうし)

 先月の末、大阪まで、竹尾のペーパーショーを見に、とんぼ帰りしてきた。
 去年は大阪開催がなかったので、
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/115819575.html
もう、このままなくなるのかと思っていたら、復活。

 会場が変わって、これまでの、大阪商工会議所隣の「マイドーム大阪」から、ビジネスパークの「IMPホール」となった。
 京都から行くには、少しだけ、近くて便利になった。
 とはいえ、これだけ見に行って帰るのは、ちょっともったいないんだけれど。

 業界人でも、案外知らない人も多いけれど、竹尾さんは、まあ、特殊紙の卸屋さんというところである。アート紙やコート紙、書籍用紙といった大量に使われる紙でなく、書籍でも本文ではなくて装丁に用いられたり、ポスターやDM、カレンダーといったデザイン性の強い用途に使われる、質感や色彩のバリエーションが豊富な紙、いわゆるファインペーパーを中心に扱っている。自らは、専門商社と言っている。

 なので、展示会では、当然、そういった特殊紙が主役になる。
 こちらは、直接発注する立場でもないので、紙のランクがよくわからないのだが、ファインペーパーのたぐいは、どうしてもちょっと、お値段がはるものが多いのと、印刷や加工が面倒なものも多いので、ふつう、印刷屋さんは教えたがらない(笑)。
 ペーパーショウでは、そういった、手間ひまのかかる素材や、それを利用した制作物が、いろいろと見られるので、面白いのだ。

 今年のペーパーショウのテーマというか、コンセプトというのか、は、「proto−」となっていた。プロトタイプ、やなんかの「プロト」ですね。
 案内には、

「原始」「原型」などの「原」を意味する「proto−」をキーワードに、紙のあり方、そこに秘められた可能性と紙が持つ真の力を実感する、体験型のペーパーショウを展開します。

とあった。
 いや、コンセプトはいつも、それなりに関心を惹くのです。
 ただ、ね、見ていて予算の無さが露骨に…。
 と思ってしまうのは、つい、贅沢な期待があるからでしょうね。

 順路に沿っていくと、まずは企画スペース。「proto−」である。
 紙でつくったトンネルを抜けていく。
 どっちだったっけ、和紙から洋紙へ、だったかな、トンネルの両サイドと天井に貼ってある紙の質感が少しずつ変わっていく。あとから聞くと、床の感触もそれに合わせて変えてあるらしいので、もう一度通り直してみる。なるほど。ま、そう言われてみれば。

 トンネルを出ると、天井から染め物を乾かしているみたいにいろいろな紙が下がっている。これも、あとから聞くと(笑)、海苔でできていたり、えーっと、それからなんだっけ。いろいろな、意外な素材でつくられている、というので、あらためてまた、もう一度確かめに行く。最初に素材がわかっていたのは「へぎ皮」のつなぎ合わせくらいだった。

 一応、テーマ展示については、どういう意味、どういうモノなのか、具体的に説明を書いておいてくれるとわかりやすいのですが…。

 その向こうには、溶けている紙のかたまりが置いてあって、わざわざつくったという、自動紙漉き機とでもいうのか、水に溶けた紙の素材がもろもろと流れて、すくいとられて薄く紙様になっていく、実験装置のようなものがあって、「紙のできる原理」を見せている。
 自然素材、とか、エコ、も意識しているのでしょうね。

 横では、紙の「テント」の中でワークショップをやっている。
 さらに隣のスペースには、トイレットペーパーだか、ティッシュペーパーだか、山盛りに積み上げてあって…、あ、そうそう、その前に新聞用紙かなんかが積んであったな。

 うーん。
 ま、ささやかなアンデパンダン展でものぞいたみたいで、
「いつも美術展みたいですね」とお世辞を言ったら、
「よく、そう言われます」と返事が返ってきた(笑)。

 以前のように、テーマをもとに、著名デザイナーや、すぐれた企業デザイン室にアイデアを競わせたり、凝りに凝った印刷と紙の技術コラボをやったり、というのは、昨今の景気では、やはり苦しいのでしょうね。
 いかんせん、かつての威勢のいい時の展示に較べて、費用をかけていないのは、一目瞭然。

 今年は学ぶようなこと、刺激的なことがほとんどなかった企画コーナーではあったが、いつもおきまりの印刷物の展示のほうは、それなりに面白かった。
 カレンダー、ポスター、DM、書籍、それぞれに、コンクールで選抜された「作品」なのでしょうね。ここでは、それなりに、洗練された制作物を見ることができる。
 だけど、さすがに、ここにも景気の悪さがあらわれていた。
 全体に、さびしい。

 カレンダーなんかは、景気のいいときには、印刷に詳しくない者が見ても、カネをドブに捨てているのかと思うほど、何色も使ったり、箔を押したり、フィルムや特殊素材と組み合わせたり、といった贅沢なものがみられるのだけれど、今年は、二色であったり、小さなサイズであったり、といった、いかにも予算をしぼった中でつくっているな、と思えるものがほとんど。
 だけど、その制約の中での、精一杯の工夫には、学ぶところも多かった。
 やっぱり、「クリエイター」は、アイデアだよね。

 カレンダーやDMは、ちょっとしたギミックがあるかないかで、効果が違う。
 なぜか。
 平面なのだけれど、空間の中ではたらきかけるから、その存在感は「立体」的なのだ。
 二色刷であっても、単色刷だって、その意味で、立体感覚は出せる。
 カレンダーなんか、単色でも、いくらでも面白いものがつくれる。
 予算がなくても、いいものはできる。
 もちろん、予算があったら、もっと、いいものができる(笑)。

 まあ、そういう意味では「proto−」に帰れたというか(笑)。

 今年は、案内の中に「入場券」が入っていた。
 そのせいか、いつものように、デザイン学校の学生さんたちで、異常人気の展覧会なんかのように混雑している、ということはなかった。入場制限に傾いたのだろうか。
 それに、まあ、コストがかかっていないこともあるのか「ふれることが自由」だった。
 いつも、さわってみては注意されていましたからね(笑)。
 見るものも少なかったけれど、ゆっくり見られた。

 振り返ってみると、竹尾さんのペーパーショウには、世間の景気動向が、そのまま、あらわれている。
その変化を見るだけでも、意味があるのかもしれない。

 今年は少々さびしかったけれど、ファインペーパーの付加価値を訴え続けようとする、その心意気は買いたい。
 電子書籍、電子看板の時代になって、これから、コミュニケーション用の印刷物でファインペーパーの需要が伸びることは難しいだろう。
 和紙のように、伝統工芸品の世界に近づいていくのか。
 まだまだ、斬新なアイデアで用途や需要を切りひらくことのできる可能性は、かなりあると思うのだけれど。
   
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2010年06月04日

疲れ果てている日本。

旧暦四月二十二日 乙酉(きのととり)

 六四天安門事件から21年目。
 民主党さんの代表選挙で、報道番組のはしっこにも出ないだろうな。

 樽床さんという珍しい名前のかたは、テレビで見る限り、どうも好意のもてない表情である。森田健作さんをずる賢くしたみたいな顔にみえる。ほんとうにそうだったら、最悪だけれど(笑)。

 それに、松下政経塾出身、という人たちは、どうも、こころざしがよくわからない。何か、社会をよくしたいから政治家をめざした、というより、「ハイクラスの政治家」をめざして、ビジネス・ライセンスでも取りにいくようなイメージがある。

 会って話してもいない人を、顔だけで判断してはいけないが、話したり、考えたり、受け答えしたり、といったとき、人はどうしても、本音がふと表情に出る。
 何十年も使い込んだ表情筋は、トレーニングしている腹筋みたいなもので、日頃、反応して発達するところは発達して、使わないところは衰える。
 現代の政治家は、常に全方位からの視線にさらされているのだから、それを意識しなければならない。菅さんあたりは、ふだんから、かなり意識的に表情をつくり込んできた感じがする。イラ菅などと呼ばれながら、テレビのこちら側でそれが感じられないのは、そのあたりの本人のコントロールだろう。
 もっとも、総理大臣になったら、露出度は圧倒的に増えるし、好意的な言葉よりもはるかに多い洪水のような量の、悪意の質問にさらされる。そのときに、眠らせていた表情筋がどう出るかですね。

 まあ、国全体の雰囲気として、支持していた人も、それほど支持していなかった人も含めて、政権交代にはそれなりの期待があったのに、「誠実」で能の無い幼稚な坊ちゃんが、ちょっとヒーローになろうとして、さんざん一人相撲をとって、おかげで、みんな無力感というか、脱力感というか、みているのにくたびれてしまっているところだから、もう、ラストチャンスに近いような「政治へのかすかなのぞみ」をつないでほしいという思いがあるだろう。

 小沢さんを、検察が起訴しようとしたとき、彼を「平成の竜馬」とまで持ち上げる田原総一郎さんをはじめ、多くの知識人が擁護し、検察批判を強めた。
 それは、まさに、権力闘争だったからである。
 だから、マスコミでも、最初は、かつての自民党議員たちのときのように、検察の尻馬に乗って「小沢たたき」とはならなかった。
 小沢さんの容疑は、たしかにこじつけに近いもののようで、起訴にまで持ち込めるものではなかったけれど、検察審査会は素人の集まりだし、心情的には、微罪でもなんでも怪しいヤツはやっぱり起訴するのがあたりまえだろう、とみんな思って、不起訴不当、となった。
 検察はよろこんだのか、あわてたのか。どっちみち、法的に起訴しようがない。そこで、早めに、ふたたび不起訴、を出したのではないか。
 アマチュア機関である検察審査会が、もう一度、不起訴不当を出す可能性は高い。それが、うまくいって参院選前に出れば、今度は、強制起訴となる。たとえ検察が勝てなくて無罪になっても、裁判は長く続く。もし、告示前に、二度目の不起訴不当でも出れば、民主党には大打撃だろう。審議会は、今、どのように進んでいるのだろう。

 知識人のみなさんが、反検察の論陣を張って小沢さんを守ろうとしたのは、検察という機構が、正義の味方でもなんでもない旧勢力であり、既存の利権を守ろうとする官僚機構に手を突っ込んで本気で毀そうとする小沢さんを、潰そうとしたからである。
 権力を知る者は、権力のどこを潰せば簡単に解体できるかを知っている。まあ、関節のしくみを知る医者がバラバラ殺人をやるみたいなものですね。
 だもので、検察は、権力の裏を熟知する小沢さんを最も恐れた。だから、逆に、小沢をつぶせば、民主党なんて、たわいもなくひねりつぶせる、という常識がまかりとおってきたらしい。

 だけど、もう、そういう時代でもないのではないか。
 京都でも、昔は、小沢さんや野中さんみたいな、清濁あわせ飲む共産党議員までいて、そういう人が大物扱いされたらしいが、今や、根回しや駆け引きの効力はだんだん薄れてきている。
 有権者のモチベーションを上げることが大切なのである。

 長時間、眠らせずに尋問されてきたり、空腹のまま行軍させられてきたりした囚人のように、日本人の多くはもう、疲れ果てて、ききわけがよくなっている(笑)。
 だから、がまんせよ、といわれれば、がまんして、財政再建もしなければならない、と思うだろう。高速無料化や子ども手当なんていうバラマキをしなくても、民主党は票をとれたのである。普天間基地の問題といい、いわなくてもいいことをわざわざ言うのは、国民を馬鹿だと思っているのと、自らに自信がないからだ。

 総理大臣がころころ変わっていては、諸外国から信用されないだろう、といわれているが、先日の日経産業新聞には、IT担当大臣が10年間に14人代わった、とあった。
 中川秀直−堺屋太一−額賀福志郎−麻生太郎−竹中平蔵−細田博之−茂木敏充−棚橋泰文−松田岩夫−高市早苗−岸田文雄−野田聖子−菅直人−川端達夫。
 錚々たる名前が並んでいるけれど、実質的に何がどう進んでいるのか。

 IT戦略について、経済産業省は「IT」という表現を主張し、総務省は「ICT」を主張して「対立」して政策がまとまらなかったが、戦略名を「情報通信技術戦略」と漢字にすることで歩み寄ったのだそうだ(笑)。
 ICTは、Information and Communication Technologyの略で「情報通信技術」と訳すのだそうだ。これまでもよく使われてきたITは、Information Technology (情報技術) ですね。

 まあ、一事が万事で、こういう風通しも含めて「役人発想のムダ」を、いかになくしていけるのか。
 ムダをなくす作業は、働かないで高給をかすめとっている天下りさんの整理だけではない。時もまた金なりで、日本には、そろそろ、のんびりしている時間がなくなってきている。

 さて、94代目となるらしい次の内閣総理大臣は、今日が終わると、誰に決まっているのでしょう。
   
タグ:政治 日本
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2010年05月27日

口蹄疫を広げたのはマスコミ?

旧暦四月十四日 丁丑(ひのとうし)

 日の干支でいけば、今日は丑の日となっているけれど、牛さんたちは受難続きである。
 新しい発生は伝えられなくなったようだが、口蹄疫は、このままなんとか沈静化できるのだろうか。

 この前の、鳥インフルエンザ騒ぎは、振り返ってみると2004年となっているから6年前。初期の感染を隠蔽した、京都丹波の浅田農産で、自殺者まで出すこととなった。
 今度の口蹄疫でも、最初の感染を役人だか獣医師だかが見逃したらしいけれど、基本的に、危機管理のためのマニュアルが、何も用意されていないようにみえますね。

 こういう事態が起きた場合、感染が確定しない段階でどうするか、そして確定した段階でどうするかという、初期対応が明確に決めてあり、殺処分した場合の補償なども基準がちゃんと定まっていたら、躊躇することなく行動に移れたはずである。

 これは、企業のリスクマネジメントにとっても、大きな教訓でしょう。
 リスクマネジメントでは、判断の是非を問うことより、判断した結論をただちに行動に移せるかどうかという条件整備が重要になる。そのタイムラグが、その後の事業継続や生産回復に、大きく影響してくる。

 宮崎の口蹄疫は、まさにその教訓になった。
 事態が収まれば、おそらく、最初にどんなミスが続いたのか、行政や政治にいかに緊張感が欠けているのか、すでに週刊誌の見出しになり始めているけれど、そういった追求が次々と出てくるのでしょう。補償額が半端じゃないしね。予備費といっても、まあ、全部赤字国債である。

 とはいっても、こういったことの補償は、即座に全面的に行なうべきである。
 広がるのを防げなかった点では人災といえるけれど、畜産家の人たちに責任はない、いわば天災に近い被害である。
 経営をあやまって失敗した、というような場合や、乱暴な運転でけがをした、といったような場合は本人の責任も大きいが、いきなり地震がきたり、洪水で流されたり、一所懸命に働いて病気になったりするのは、当人に何の罪もない。そういったことで生活基盤を失わないようにすることが「平等」ではないかと思う。

 口蹄疫で戦々兢々としているのは各地の動物園だけれど、奈良で鹿を世話している人たちも気が気ではないらしい。それはわかる。もし、奈良の鹿に感染でもしたら、これはもう、収拾がつかなくなるだろう。野生でありながら、人との接触は家畜なみ、感染する確率が高く、広げる確率も高い。

 なんだかんだといって、感染を媒介するのは人間である。
 家畜から家畜へ、家畜自身を通じて広がる可能性はごくまれなはずで、隣といってもはるか離れた、よその牧場の牛や豚どうしがお友だちであることはない。黒ヤギさんから白ヤギさんへ、お手紙が届くこともない。

 マスコミは当然ふれないが、今回の口蹄疫を最初に広げたのは、取材におしかけたマスコミのクルーではないかという気がする。
 鳥インフルエンザの時がそうだった。
 現地を取材した友人も言っていたが、発生当初の防疫は、すこぶるずさんだった。
 テレビのニュースで見ても、それは感じられたし、やっぱりなあ、という感じだった。
 靴の底なんて、土や草と一緒に、簡単にウイルスがお供する。
 だんだんひろがってから、あわてて消毒や防疫体制を強化しても、あとのまつりなのだ。
 口蹄疫も、拡大させたのは、野次馬「ジャーナリスト」のみなさんだとみて、間違いないのではないか。
 マスコミ自身は、みずからの首を絞めるような報道はしない。

 奈良の鹿も心配だが、ちょっと気になるのが、御料牧場。
 御料牧場とは、天皇さんの食べ物を確保している、いわば、天皇家専用の食材供給センターだ。野菜もつくっている。
 もともと、成田の三里塚あたりにあったらしいが、ご存じ成田空港のために移転。成田闘争をさけたわけではないでしょうが、当然、牛の乳の出は悪くなりますからね(笑)。
 今は、栃木県の高根沢町というところにあるらしい。

この、御料牧場の中を通り抜けている道路は、一般人も入れるそうだ。
 口蹄疫が接近すれば、当然、通行止めになるだろうけれど、思うのは、もし、御料牧場が半径何キロかの処分地域に入ったらどうするのか、ということ。
 ひょっとしたら、その距離には他の牧場はないのかな。

 御料牧場では、もちろん、鶏も飼われていて、鳥インフルエンザの時には茨城県と埼玉県で600万羽が処分されたが、御料牧場は無事だったらしい。栃木県での処分はなかったのだろうか。
 『天皇の牧場を守れ 鳥インフルエンザとの攻防』という本が出ているのを見つけた。06年10月発行、定価1470円が、中古とはいえアマゾンで1円だったので、ネットでものを買ったことのない者としては、逆に躊躇してしまった(笑)のだけれど、これは、興味がある。

 高級和牛など食ったこともないし、宮崎牛が途絶えることを危惧するわけではないが、乳牛も、豚も、それでなくても苦労している日本の畜産家の人たちに、平穏な労働の日々を早く取り戻してほしいと思う。
 東国原さんの、あの、さめた自己陶酔ふうの演技も、政府のだらしない対応も、もういいかげん見たくないしね。
   
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2010年05月21日

グーグルの中国本土撤退から二ヶ月。

旧暦四月八日 辛未(かのとひつじ)小満

 本日、二十四節気の「小満(しょうまん)」。
 「立夏後の一五日目にあたり、新暦五月二十一日頃である」(『現代こよみ読み解き事典』柏書房)
 おお! ぴったり。

 ところで、よく引用させてもらっているのだけれど、今、気がついた。この本は、十の表記の統一が、わかりにくい。一五日目、というのは、おそらく数値としての扱いで数字の並列、二十一日、というのは名詞扱いで十を生かす、というものでしょう。
 編集者の間では納得するのだけれど、読者にはわかりにくいんですよね。表記統一で、最初に悩む要素のひとつです。

 「万物しだいに長じて天地に満ち始めるという意味から小満といわれる。麦の穂が成長し、山野の植物は花を散らして実を結び、田に苗を植える準備をなどを始め、蚕が眠りからさめて桑を食べ始め、紅花が咲きほこる季節である」(同)。
 どのあたりでしょう、いい風景だなあ。
 要するに、初夏なんですね。
 ひとつ前の節気は、立夏でした。

 小満、はあるけれど、大満、は、ない。
 小暑には大暑があり、小雪に大雪、小寒に大寒と、それぞれ続いているけれど、小満の次は芒種。ここだけ、大がやってこない。うーむ。
 このあたりが、日本の季節感の微妙な美意識(笑)。デリケートなのです。

 「旧暦四月、巳の月の中気である」(同)とある。
 中気、というのは、旧暦でのそれぞれの月の後半のこと。前半が、節、なのだそうだ。この、一ヶ月を二分して節と中気に分け、十二ヶ月分を数えるから二十四節気と呼ぶ。
 どうして、前半が節で、後半が中気なのでしょうね。それに、節はただの節なのに、中気はなぜ、ただの気でなくて「中」気なのだろう。
 「気象的には、この頃から梅雨となる年が多い」(同)。なるほど、たしかに、ちょっと雨が続くようになってきました。

 沖縄では、もう梅雨入りも近いのでしょうか。
 誰も訊いていないのに、普天間の基地問題を持ち出して、ひとりで期限を切って、こんな理不尽なことは私が解決します、と、いきなり見栄をきった鳩山さん。きっと、オバマさんの向こうを張って、平和主義のヒーローをめざしたのでしょうね。
 よく勉強したらわかった、って、今さら勉強してもらってもねえ。
 インテリ志向特有のおせっかいだったかもしれないけれど、問題が顕在化したのは、結果的によかったのかもしれない。

 当分は、各政党や、それぞれの政治家に、この問題をどうとらえるかという姿勢が問われるでしょう。なんとなくあいまいにしてごまかすことや、先に延ばすことが、もうできなくなってきている。
 社民党さんは、自衛隊合憲論以来、ふたたび存亡の分岐点を迎えるかもしれない。

 誰かが、尖閣諸島と竹島に基地をおけばいい、と言っていたけれど、いいアイデアかもしれませんね(笑)。
 狭すぎるから、フロート式の滑走路でもつくるしかない。そうなると、優秀な土木技術を持った日本のゼネコンの出番で、経済も活性化する?

 日本国内の米軍戦力配置の、仮想敵は、今では、基本的には中国なのでしょう。中国がいなければ、北朝鮮はとっくに潰されて、拉致被害者も奪還されていただろうし、インドやパキスタンの核保有もなかったかもしれない。
 闇の人口を入れると、おそらく十四億人くらいはいそうな、あの常識はずれの肥大国家を治めるのはたいへんだろうから、チベットもウイグルも台湾も香港も、みんな手放して仲良く連合すればいいと思うけれど、「資源」という宝物を、国民のため、というナショナリズムをあおって独占したくなるのは、太平洋戦争前の日本と、たいして変わらないところだ。

 だけど、いずれ、あんな人権無視の国家体制は、国民が目覚めてくれば、ときに反日感情や反米感情をあおって、目を外に向けてごまかしても、必ずもたなくなる。共産党独裁がこれから百年続くわけではない。
 「国民感情」の多くを占める、欲得の価値観が政権を支えているだけだから、みんなが豊かになれる前に経済成長が止まれば、黄巾の乱が起こるだろう。

 十月末まで、まるまる半年続く上海万博の、開幕ネタも、テレビでは影が薄くなってきた。
 次の盛り上がりは、閉幕まで、ないのかな。
 一方、グーグルが中国本土から撤退して、まもなく二ヶ月。こちらは、もうすっかり忘れられた「事件」だ。
 中国の言論統制は目に余るものがあるが、一週間ほど前のニュースでは、中国政府側がなんと、「日本の報道は偏向しているから指導監督せよ」と日本政府に繰り返し求めている、とあった。
 問題が、東シナ海のガス田問題だとはいえ、日本政府もなめられたものである。
 岡田外相が、日中外相会談で、中国に、軍事費の透明化と核兵器削減への努力を求めたら、「冒涜している」と言われたそうだが、何をかいわんや。日本の間の抜けたお人好し外交に対して、あたりかまわない恫喝外交は、北朝鮮の原点なのかもしれない。

 とはいえ、その大中華の恫喝に対して、グーグルは正面から挑んだ。
 ひとむかし前なら、いかに世界的企業といっても、一国家相手に、しかも、民主主義のない国を相手に真っ向勝負するというのは、考えられないことだった。
 グーグルは、あれで株をあげて、株価は下げたが(笑)、ナナメ人間としては、あれでグーグルが正義の味方になったと単純には思えない。
 レーニンの『帝国主義論』はちゃんと読んでいませんが(笑)、多国籍企業として、それだけのチカラを持ってきたということでしょうね。
 グーグルの覇権と大中華の覇権が激突を回避した?
 ひょっとしたら、グーグルがその気になれば、中国政府の情報操作以上のことができるかもしれない。

 うーん、だんだん、『マトリックス』の世界だな(笑)。
   
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2010年05月15日

小原喜代子さんと『源氏物語』

旧暦四月二日 乙丑(きのとうし)

 今日は、葵祭。
 昨日は、恩師、小原喜代子先生の命日だった。

 小原喜代子さんは、京都府立の洛北高等学校、嵯峨野高等学校で教え、そして退職してからは、京都女子大学と平安女学院短期大学で講座を持った。
 教鞭をとる、という言い方を嫌った。
 そして、多くの教師が使う、あの、指示棒だか指し棒だかという「教鞭」を、絶対に使わなかった。
 そこには、教え子は「鞭」などによって育てる対象ではない、という理想と、「教鞭」の美名のもと、多くの学生を戦場に送った戦時中の教育者たちに対する、戦後、教職についた者としての強い反撥、信念があったと思う。

 退職は、たしか定年より少し早かったのではなかったか。
 教頭や校長といった「管理職」に就くのを固辞し続けることが、かなりたいへんだということは、薄々察しられていた。

 国語の教師だった「オハラハン」は、葵祭が好きだった。
 葵祭は、『源氏物語』にも出てくる。古い祭りだ。
 もともと賀茂祭と呼ばれたらしい。
 ただ「まつり」とだけいえば、この祭りのことである、というくらい、王朝時代の日本を代表する祭りだった。京都三大祭とされているけれど、じつは、時代祭や祇園祭より、ずっと古く、由緒ある祭りだ。

 先生は、その前日に亡くなった。
 訃報を聞いて病院へ行き、もう、逝くのを止めることも、引き戻すこともできないのに、腕をつかんだ。
 考えてみれば、先生にふれること自体初めてだったから、比較のしようもないけれど、その腕はすっかり細くなっていた、のだと思う。

 勤めていた会社を辞め、フリーランサーとして仕事を始めて、しばらく経た頃だっただろうか。先生が、どこかの集まりで『源氏物語』を講じている、と聞いた。
 日本語にかかわる仕事をしていて、『源氏物語』は、読んでおかなければいけないだろう、と思いながら、現代語訳さえ読めずにいたので、その集まりのテキストを流用させてもらうつもりで、先生に頼み込んで、「小原きよ子さんと読む『源氏物語』」という講座を、月一回で始めてもらった。

 こちらは安易な気持ちでいたのに、先生は、ちゃんと別のテキストを準備して、毎回、翌月の分を用意してきてくれた。流用どころではない、まったく別の講座として進んでいき、100回続けてもらった。そのあと、さらに、テーマ別に10回の特別講座もひらいてもらった。これは、準備する先生もいっそうたいへんだったと思う。
 月1回で八月は夏休み、何期かに分けながら、都合110回。「小原源氏」は足かけ十年余り続いた。

 始めるとき、せっかくなのだから、ぜひ社会人の男性に学んでほしいと思って、日曜日の午後、当日自由参加で設定したが、参加者の9割以上は女性になった。
 社会的な制約もあるのだろうけれど、やっぱり、学ぶ意欲は男性より女性のほうが旺盛だということが、よくわかった。身のまわりに、社会人入学で再び大学に行った人が(中には大学の先生にまでなった人まで含めて)三人いるけれど、みな女性である。
 その十年の半ばで急逝したりした人たちも含めて、多くの人と知り合うことができた。向学心を持つ人たちと話すことは楽しく、学ぶことも多い。

 十年の講義のエッセンスは、二冊の本になった。
 その「小原源氏」二冊目の本をまとめている途中での発病。脳膿瘍、という診断だった。
 最初は、原稿の文字がなぜか一部読めない、といった妙な現実へのためらいだったらしい。認知症の始まりかと思ったそうだ。
 しばらくの入院と検査ののち、医師から治癒のないことを正確に訊き、意識が健全なうちにと、先生はみずからホスピスを選んだ。

 高校生のとき、クラブ顧問をしてもらっていたが、その頃には、ほとんど話したことはなく、ひょっとしたら卒業してからだったかもしれない、「あそびにいらっしゃい」と声をかけてもらって、あつかましく家まで訪ねて行ったような記憶がある。
 記憶が漠然としているのは、そのあと、数え切れないほど自宅に押しかけては、話し相手になってもらったからだ。
 ときに夜中の12時、1時にもなっていたと思う。今から思えば頭が下がる。嫌な顔ひとつせず、よくぞ相手をしていただいたものだった。

「学校というところは、何かを教えてくれるところではなくて、何がわからないのかを学ぶところです」

 もう、あんな先生は出てこないのかもしれない。
 亡くなって十年。
 不肖の教え子は、未だ、自分自身が、何がわかっていないのかさえ、わからずにいる。

       小原喜代子著作
        『源氏物語をもっと愉しむために』(かもがわ出版)
        『源氏物語はこんなに面白い』(かもがわ出版)
        『小原きよ子詩集』(草莽社)
        『女子学徒たちの敗戦 東京女高師文科生の記録』(共著/草莽社)
        『大空へはばたけ「しらけ時代」に挑戦する教育』(共著/草莽社)
   
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2010年04月20日

タネヲマク

旧暦三月七日 庚子(かのえね) 穀雨

 真冬なみ、なんていう気候がしばらく続いたけれど、かなり暖かくなった。
 今日は「穀雨」だった。二十四節気で、春の季節の最後の節目にあたる。

 こよみのとおり、前夜から雨模様になった。
 穀雨とは「百穀を潤す春雨」をいうそうだ(『現代こよみ読み解き事典』柏書房)。「春雨のけむるがごとく降る日が多くなり、田畑を潤して穀物などの種子の成長を助けるので、種まきの好期をもたらす。」とある。

 種をまく、の「まく」は、かの、くだらない「常用漢字」では、漢字を使わないことになっていて、公用ではひらかなになるのだけれど、本来は「播く」。近いところで「撒く」、あるいは「蒔く」もある。
 たね、ということばの語源はどこにあるのだろう。

 「種」という漢字は、「禾(のぎ)」ヘンに、ツクリが「重」い。禾は、だいたい、とげのついた稲や小麦のような穀物を基本とするけれど、ここでは稲。その実った穂の「重」くなって垂れているところが、すなわち「種」、という成り立ちだそうだ。
 漢字は、もともと借りてきたものだから、日本語はそれ以前にあったことになる。
 「た」と「ね」で意味を組み立てた? それは「田」の「根」かな。
 「た」も、今は発声が「TA」だけれど、「TWA」だったり「TIA」だったりしたかもしれない。「ね」もそうだ。「NUE」や「NUWE」あるいは「NIE」だったか。
 文字もなかったいにしえのことは、なかなかわからない。

 ことばといえば、同時代の日本語をあやつる天才は、井上ひさしさんと中島みゆきさんだと思っていたが、井上ひさしさんが亡くなった。
 先週だったかのニュースステーションで、今年に入って亡くなった三人、を振り返るという小特集のようなコーナーがあり、最初に浅川マキさんが紹介されたので、ほお、やるやん、と思って見ていたら、次に、読売ジャイアンツのもと寮長? なんて月並みなワイドショー好みになって、井上ひさしさんは登場しなかった。
 最初に、マニアックなディレクターだなと、思ったけれど、単に、浅川マキさんを素人扱いしていただけなのか。(笑)

 井上ひさしさんが亡くなった途端、本当かどうかわからないが、長女と三女が遺産争い、などと週刊誌に書かれているのも悲しい話だ。
 かつて西館好子さんへの暴力も言われたりした。天才作家というのは、たたき上げで会社を急成長させたワンマン社長のようなもので、後に人を残すわけではない。人を残せないのにカネを残したら、ややこしくなる。それでなくとも、著作権なんていう、当人の手を離れて死後長くカネを産む「知的財産」まであるのに。
 だけど、井上さん本人は確実に、日本中に、文学のタネを播いた。

 一方、文学者と手を組む、という試みは悪くなかったものの、未だに、ろくなタネも播けずにいる、というのが、鳩山由起夫さん。
 最初の、所信表明だか、施政方針だかのときには、「いのちを守りたい」というフレーズを繰り返して、じつに抽象的で観念的な演説だった。しかしまあ、観念的な人間としては、案外好感が持てた(笑)ものだった。

 あれが、平田オリザさんのテキストだったとは知らなかったけれど、あとからみると、文学的良心、が織り込まれた内容でしたね。
 で、文学的良心が現実にぶち当たると無力だ、ということを、あらためて感じさせられている、という印象がある。
 文学的良心が、完全に無力、であっては困るのだが、政治家は調子よく言葉だけを弄ぶから、結局、小泉純一郎さんや麻生太郎さんと変わらない言葉の軽さ、になってしまう。

 普天間米軍基地の問題では、いずれ辞めざるを得なくなるのでしょうね。
 なんだか、既成概念の狭い判断材料の中で、うろうろしている。
 米軍基地が有事の際に重要で、台湾海峡がどうのというなら、基地は台湾において、まともに中国と向かい合えばいいし、韓国の基地で不足なら、新潟や北海道のほうが補完できるでしょう。
 だいたい、日本に米軍基地をおいてメリットがあるという現実的な証明はない。事業仕分けをするなら、次は「思いやり予算」だな。

 「日米関係」は、評論家のみなさんのメシのタネとして「なくてはならない」だけの話である。
 アメリカに中国とコトを構えるなんていう気はさらさらない。
 少し前に、ダライ・ラマ14世とオバマ大統領が会って、中国が反撥している、といった報道があった際も、誰だったか、ニュース番組で指摘していたが、もともとアメリカの大統領は、就任後、ダライ・ラマさんと必ず会うし、しかも、オバマのときは、ブッシュより時期が遅らされ、会談の場所も格下だったという。だから、中国の抗議もかたちだけのものだった。アメリカは、じつは中国に思いきり配慮していたのだ。
 そういった、正確な事実は、どこかマイナーなかたちでしか報道されない。

 アメリカに限らず、どこの国でも、人々は人権よりも、はるかに、景気への関心のほうが強いし、中国で「人権」なんぞが回復するよりも、「需要」が回復するほうが、何よりも優先課題なのである。

 もっとも、「人権」の話は、アリバイづくりには重宝される。鳩山さんも、軽い良心で「沖縄のかたがたの気持ち」を言うなら、移設先の場所を語る前に、せめて「地位協定」の見直しを、まず主張するべきだったでしょうね。

 そういうこちらは、沖縄の心配をしている場合ではない。足もとに火がついている。
 井上ひさしさんには、遅筆堂、という「屋号」(笑)があった。あれほど残したものの大きい人は、それでしゃれになるけれど、こちらは、せいぜい謝罪のタネにしかならない。
 酷雨だなあ。
   
タグ:穀雨
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2010年04月16日

旧暦では、ひなまつり?!

旧暦三月三日 丙申(ひのえさる)

 寒い。
 京都はまだましなほうでしょうね。北の国では吹雪いたりなんかしているらしい。
 暑さ寒さは彼岸までのはずだし、荒れじまいの比良八講もとっくの昔にすんでいる。

 旧暦でなら、今日は三月三日、上巳の節供。おひなさまです。
 ずっと前、先輩の結婚式の引き出物で、立ち雛を描いた色紙を色紙立てとともにいただいた。もちろん、向かって右が男雛。
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/115057205.html
 なんともいい雰囲気で、三月が近づくと、狭くて乱雑な玄関は、一応の新春飾りから、このお雛さまに交替するのだけれど、長く飾っていても、別に行き遅れる年頃の女性はいないので、未だ飾りっぱなしだった。でも、気がつくと、まだ、今日が雛祭りなんだ。そうかそうか。
 ついでに旧暦でいえば、今日は、桜田門外の変、百五十年にあたるらしい。

 雛祭りにつきものの白酒というのは、甘酒とも濁り酒とも違うらしい。本来の発酵味醂に米を混ぜてどうとか、何かに書いてあったけれど、一度、ほんものの白酒というのを飲んでみたい。甘いことは間違いなさそうだから、どんなものか日本酒フェチに訊いたら、きっと、げてものだというのだろうな。

 で、思い出した。そういえば、冷蔵庫の野菜室に、いただきものの日本酒を、まだ封を切らずに残していた。
 「備前雄町」。岡山の地名だけれど神戸の蔵元。浜福鶴銘醸、とある。
 ひと息つける、という状況ではないのだけれど、今日、開けずして、何とする。次はもう、端午の節供ですよ。(笑)
 開ける、けれど、全部、空ける、わけではありません。(釈)
 晩酌などといって、ゆっくり飲んでもいられない。

 あっちに謝り、こっちに謝りながら、綱渡りどころか、綱から何度も落ちながらの仕事が続いている。
 仕事に優先順位はつけられないし、つけてはいけないと思うので、結局、どこかでつまづくと、全部つまづくことになって、すべてが遅れることになる。こっちを少しやって、あっちを少しやって、となると、よけいに能率も悪くなる。ずいぶん迷惑をかけている。(嘆)

 余寒、としゃれるにも、寒の戻り、と挨拶を交わすにも、まるで情緒もない寒さで列島が震えているけれど、先週、ちょうど入学式の頃は、ぽかぽか陽気で心地よかった。
 まさに新入生、というおチビさんが、お母さんや、中には、会社を休んだのでしょうか、お父さんも一緒に、親子で学校に向かう姿に出会うと、思わず「おめでとう」と言いたくなったものだ。

 その翌日あたり、始業式くらいだったのでしょうか。やはり、おだやかな昼下がり、町なかの狭い公園を通り抜けると、いつになく子どもばかりであふれていた。
 小学校の低学年くらいか。ベンチをまたいで向かい合わせに座っている男の子、すべり台の下には、溝の中に三人も女の子が溜まって、上の降り口にいる女の子と何かしゃべっている。こっち側では、やっぱり女の子が三、四人、ぶら下がりの遊具かなんかで、両側からひっぱってきた色違いの紐を真ん中で結びながら、それをのぞき込んでいる。まだまだ、あっちにも、こっちにも、何人かずつの小集団。いろんなことをやっている。
 通りすがりのオッサンにとっては、それぞれのしていることが何なのか、わけがわからない(笑)。

 とにかく、なにかしら楽しそうである。
 小学校の横を通ると、今度は、運動場で子どもたちがドッジボールに興じていた。そこを離れて、何か違うことをやっている連中もいる。
 学校というのは、本来、楽しいところなのだ。
 子どもたちが、元気で楽しそうに遊んでいるのをみると、社会の未来を明るく感じる。希望が持てる。

 いじめだとか何だとか、妙な階層社会や属性をつくるのは、みな、大人社会の反映である。子ども手当や教育の無料化も、それはそれで役に立たないとは言わないが、大人社会のほうをしっかり立て直さないと、子どもたちが伸び伸びと育つわけがない。

 あやうく、一ヶ月のブランク。
 それでも、のぞきにきてくれていた読者のみなさんに感謝。
 先月は、月二回刊でした。ビッグコミックだな。
 もっとも、京都観光復活の先導役となった「アンノン族」の、産みの親の一方とされる 『non-no』 が、月二回刊から、一回だけの月刊になるそうだ。
 雑誌も書籍も、もちろん新聞も、大きな曲がり角を迎えている。
   
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2010年03月17日

京都で竹尾の展示会。

旧暦二月二日 丙寅(ひのえとら)

 珍しく、竹尾の展示会が、なんと京都で開かれた。
 二月の終わり頃だったか、三月に入った頃だったか、立て続けに写真展や個展の案内が郵便受けに入っていて、どこかしら春を感じたのだけれど、その中に、竹尾からの案内があり、おやっ、と目がいった。

 去年、恒例のペーパーショウが、大阪はスルーされてしまって、紙媒体縮小の時代、紙の問屋である竹尾さんも収縮を始めたか、と残念がっていたので、思わず大阪でのペーパーショウ復活? と見てみたら、何と、京都での展示会。ほおー。
 主催に大阪支店、とあるから、大きな規模ではなさそう。
会場は「みやこめっせ」。岡崎の、旧・京都市勧業館である。

 会期は3/11〜3/16。すぐそばの京都市美術館で、3/9〜3/14に『山・われらをめぐる世界』という日本山岳写真協会の創立70周年記念展があり、そこで、九日と十日に当番をしている滋賀県の山のオーソリティ、山本武人さんと、どちらかの日に会う約束があったのだけれど、みやこめっせでの展示会は十一日から。
 うーん。ぴったり、はずれている。(笑)

 しかも、前週から始まった取材で、この週もほぼ全日ふさがり、九日の夕方は山本さんとばたばたと会って、懸案と聞いていた件の話をし(武人さん、慌ただしくすみませんでした!)、十日が急な予定変更で空いたものの、その分八日に前倒しになった取材で行けなかった原稿を某所に届け、十一日は午後早い時間に取材が終わる予定だったので、夕方の急な打ち合わせを受けたら、途端に取材開始が押してずれ込み、といったあたふたぶり。
 でも、奇跡的に、そのずれ込んだ取材と、夕方の打ち合わせの間に見に行けた。
 あーあ、長い前ふり。(謝)

 取材で一緒だった、新進気鋭のカメラマンさんのスタジオが岡崎の近く。ラッキー! 送ってくれて、ついでに無理やり誘って一緒に見に行った。

 でも、ようやく見に行けたわりには、不満が残った。(笑)

 『装画の力(カヴァーノチカラ)展』と題された、この展示会。「展示会」と「展覧会」の微妙な折衷の陳列は竹尾らしいところだが、その「微妙」なところが、かなり物足りなかった。そのかわり、15分で見終えた。

 主催が「日本図書設計家協会」と「株式会社竹尾 大阪支店」となっていて、『装画の力展』の副題は「太宰・清張を描く」。

  生誕100年をむかえた
  太宰治・松本清張の名作をテーマに
  20名のイラストレーターが装画を描き
  1つの作品を、3名の装丁家が
  書籍カヴァーに仕立て上げる……
  そんな、画期的デザイン実験を
  お見せいたします。

と、案内にはあった。これだけ読むと、壮大な展覧会のようだ。

 竹尾でテーマを決めたのか、テーマ設定は日本図書設計家協会にまかせているのか、いずれにせよ、おそらく、竹尾が費用を負担して、イラストレーターに二人の作家の作品『人間失格』『走れメロス』『ゼロの焦点』『砂の器』を指定して絵を依頼し、その絵を、自由選択か指定かで、装丁家がカバーデザインに仕上げた、というスタイルらしい。
 一点の装画に三人の装丁、という感じで、基本、四六だかB6かのハードバック、ただし横長での仕様も自由のようだった。紙質は自由に選んだのでしょうね。

 紙屋さんのアピールだから、当然、贅沢な紙づかい。本の手ざわりが好きな者にとって、心地よい陳列ではある。
 ただ、イラストが同じということもあって、どうしても似通ったカバーデザインになり、今ひとつ、目を引く変化に乏しかった。

 何より気になったのは、展示の方法。
 紙の問屋さんだから、紙をアピールするのが最大目的のはず。
 ペーパーショウと違って、自由にさわってみてください、とあったのは、じつに正当なことで好ましかった。
 ペーパーショウでは見張りが立っていて、展示品に触れないで、とうるさい。紙の展示会でさわらない、などということは愚の骨頂だから、横でおそるおそるのぞき込んでいる見知らぬデザイン学校の学生たちに、「かまへん、さわれ、さわれ」と、いつも、そそのかしていたものだ。
 
 だけど、ここでは、たったひと間の展示会場なれど、荷物を持っていると、いちいち置いたり脇に抱え直したりしては作品を手に取る、というのもなかなか面倒である。受付で、クロークのように、先に荷物を預かるようにしてくれるとありがたかった。

 それに、紙のアピールなのに、紙の名称が、わざわざ見えないようにしているのじゃないか、と思うほど、小さな文字で小さなパネルに記してあるだけ。
 紙質の効果を見せるのであれば、もう少し用紙の名称を、ひと目でわかりやすく見せて、原紙の見本を、生地のままのものと、できればインク種別やかけ合わせのチャートと一緒に並べてみせてくれるとわかりやすい。

 せっかく、費用をかけて凝った展示会をしているのにね。
 ひょっとしたら、日本図書設計家協会のほうが主導権をにぎっているのかな。

 装丁家に依頼して用紙をきちんと指定する書籍であったり、あるいは校正を繰り返し出しながら多色刷りするポスターなんかは別として、ファインペーパーはどうしても価格が高いのと、印刷に手間がかかることが多いため、印刷所ではあまり使いたがらないようだ。何も言わなければ、手持ちの用紙を勧められることが一般的である。

 装幀家の菊池信義さんの本なんかを読んでいると、紙によっては、印刷機を何度も途中で止めて掃除しながら刷っていく、なんていう話が出てくる。
 そりゃ、印刷所のかたがたは、そういう紙は、この世に無いことにしたがるでしょう。(笑)

 だから、そういった、印刷適性や価格なんかも、ちゃんと知らせてくれるといいのですけれどね。これは、いつもペーパーショウでお願いしているけれど、まあ、これも、紙屋さんとしては、お高い紙ですよ、と、最初からは言いにくいし…。(笑)

 ま、人と同じで、紙の個性というのも、実際につき合って自分の肌で感じないと、誰も教えてはくれない、ということなのでしょう。

 大阪支店さんではあるが、京都での、この展示会、これからも続ける予定とのこと。
 それは、たいへんいいことです(讃)。
 もうちょっと開催をアピールしたほうがいいですね。もっとも、ブックデザインだから、出版協会あたりには広報しているのかな。

 で、朗報をひとつ。会場で聞いたところ、大阪でのペーパーショウが復活するらしい。
 場所が京橋のIMPホールに変わるとのことで、これまでのマイドーム大阪より、京都からは少しだけ近くなる。
帰って竹尾さんのHPをみると、すでに、大阪展は5/27〜5/29とあった。

    http://www.takeopapershow.com/outline.html

 電子書籍が本格化しそうな時代。紙の復権はあるのか、その存在意義はどこに見いだせるのか。
 ファインペーパーも、現在あたりまえに触れている書籍も、いつか伝統工芸になるのかもしれない。
 紙も文字も大好きな人間にとっては、なんとか現役で長く頑張ってほしいと思うのだ。
   
タグ:装丁 装幀
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2010年03月07日

春を告げる行事。

旧暦一月二十二日 丙辰(ひのえたつ)

 昨日は「啓蟄」だった。いつも、いよいよ本格的に春だ、春だ、と、マスコミが好んでとりあげる日だけれど、今年、あまり聞かなかったような…。
 録音の聞き取りをしているようなときでさえ、テレビは点けっぱなしにしていることが多いのだけれど、追われていると、結局は目がいっていないからかな。

 最近、テレビの天気予報でも、二十四節気を紹介する予報士さんが増えてきた。
 啓蟄は、いろいろな虫たちが、冬ごもりを終えて、もそもそと地上に這い出してくる頃、というわけで、次の節気は、もう春分。お彼岸である。それでも、昨日の啓蟄が、旧暦では、まだ一月二十一日。京都では、もともと初弘法の日です。
 そうか、江戸時代あたりまで、初弘法は、これくらいの季節感だったのか。

 このところ、また少し寒さが戻ってきたけれど、こよみの上では立春を過ぎているから、これは「余寒」になる。立秋を過ぎての「残暑」と同じ。
 余寒、なんていうのも、いい言葉ですね。暑さは「残」って、寒さは「余」る。

 余寒の中で雪が降ることだってある。だけど、これは余りものの寒さだよ、なんて言われると、いかにも、もう春ですね、という気分で、寒くても、気持ちが空に向く。
 そんな余寒の中で、雨の日が断続的に続いているが、これが、もう少しあと、菜の花の咲く頃であれば、「菜種梅雨」と呼ばれる。
 つくづく、日本語はしゃれているな、と思う。

 春を告げる行事は、たくさんあるが、関西のニュースでよくとりあげられるのは、奈良、東大寺二月堂の「お水取り」。
 正式には「修二会」という。もともと旧暦二月に行なわれた法会なのでそう呼び、だから、建物も二月堂。さらに正式には「十一面悔過法要」というらしい。
 ご本尊が十一面観音だからなのか、十一人の、練行衆というお坊さんが苦行にあたり、世の罪を一身に背負って国家安康を祈るのだそうだ。いや、それは、それは、ご苦労様です。
 
 こんな時代の、世の人々の罪をまともに背負ったら、とても持たないだろうな、と思ってしまうのは、凡庸のなせるところか。でも、国会や霞ヶ関なんか見ているとねえ。あんなのまで背負うのは、なんとも気の毒だな。

 お水取りの本番は十二日。春を呼ぶ行事として、翌日にはマスコミが一斉に報じる。これに先がけて二日、福井県小浜市の神宮寺というところで「お水送り」の神事が行なわれ、東大寺に向けて聖水が送られたことになるらしいが、十日かかって届く水を、十二日の深夜だか、十三日の未明だかに、二月堂の下の井戸から汲み上げるのだそうだ。
 このあたり、いいシチュエーションですね。
 若狭の小浜から奈良まで、運びもせずに水が届くわけないだろう、なんて思ってはいけません。この神秘を理解せずして、日本の美の伝統はないのです。

 で、まだ一度も見に行ったことがなくて残念なのですが、 この修二会の期間中、毎日、松明が振り回され、ことに、この十二日には、ひとまわり大きな籠松明が登場する。
 70キロもあるという火のかたまりを抱えて、二月堂の舞台だか、回廊だかを走る坊さんの姿を、毎年テレビで見ることになるけれど、あれは、きつそうですね。

 その坊さんの着ている衣装を「紙子」「紙衣」(かみこ、かみきぬ、かみころも)と呼ぶそうだ。呼び名のように、なんと紙でできている。
 もちろん、洋紙ではない。伝統製法でつくられた和紙である。
 あの、降り注ぐ火の粉の中で燃えずに耐える和紙というものは、さすがである。しかも、美しい。

 で、あの和紙を使って、帯をつくろうと考えた人がいた。
 よくまあ、思いつくものですね、と感心したけれど、今も、折りにふれお仕事をいただく大先輩、その、西陣の天才企画人がおっしゃるには、お水取りの衣装「紙子」の和紙産地を調べ、探して、ようやく仙台のはずれだかどこかにたどりついた。そうすると、なんと、すでに、そこには三宅一生さんが訪ねてきていたそうである。
 もちろん、何十年も前のこと。
 みなさん天才は、好奇心と執念を持って、とことん努力しているのだ。

 東大寺の修二会は二週間続き、十四日に結願するそうだが、明けて十五日には、京都の清涼寺で「お松明」がある。個人的には、こちらの行事のほうが、春を呼ぶ、という気持ちが強い。ほとんど毎年、見てきたものね。
 見なかった年の記憶がほとんどないが、去年、行けなかった。
 うーん。おおといはホルモンで一杯、昨日はようやくの新年会、のお誘いを、どちらもスルーしている。(泣)
 今年も、あぶないけれど、なんとか、トンボ帰りででも行きたい。

 清涼寺でのお松明が終わると、やがて、暑さ寒さも彼岸まで、となり、そして、京滋では「比良の八講、荒れ終い」となる。
 もう、お花見の季節も、すぐそこまで来ていますね。
   
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2010年02月28日

間違いファクスから、みえること。

旧暦一月十五日 己酉(つちのととり)

 少し前のこと、朝早くファクスが入ったので見てみたら、社名も宛先の人名も、弊社(笑)とは、まったく似ても似つかぬものだった。
 宛先に類似性はないけれど、そこに記されていた、おそらく送り先の市外局番が、ひと文字だけ違う数字だった。押し間違えたんだな。

 内容は、見積書。
 うーん。
 こちらに間違って届いているということは、本来、届くべき相手には届いていない、ということである。そのことを知らない、ということが、ビジネスとしては、いちばん「やばい」のですね。
 
 よけいなお世話かもしれないけれど、つい、気になってしまう。
 しゃーないな。
 こちらの送り状を添えて、発信元の当事者と思われる部署、人物あてに、ファクスを送り返してあげる。

    失礼いたします。

    当方に同送の書類が来ておりました。
    局番の間違いで届いたものと思います。
    直接ご転送申し上げておいたほうがよいのかもしれませんが、
    問題があってもいけませんので、
    とりあえず、お知らせ申し上げておきます。

    こちらに届きました書類は、
    シュレッドさせていただいておきます。

    よろしくお願いいたします。

 ね、丁寧でしょ。
 「直接ご転送申し上げておいたほうがよいのかもしれませんが」というあたりは、ちょっとした嫌味です。性格悪いな。(笑)

 で、ふつうの礼儀としては、わざわざ、自分のミスを知らせてもらったのだから、お詫びとか、お礼を言うのが、本来。日本人のマナーですね。

 ま、たいてい、そうだけれど、案の定、ナシのつぶてだった。
 単価265円、ロット1000本という見積りだから、別に間違って届いていたって、どーっちゅうことないよ、というものなのでしょう。

 やっぱりね、と思いながら、むふふ、と楽しむ。
 二流だな。
 つまり、こういったところで、その企業の社風、さらにはCSRやコンプライアンスといったところが、透けてみえるからだ。
 ちゃんとした会社であれば、みずしらずのところであれ、必ず、お礼やお詫びの電話かファクスが入ってくる。
 メールアドレスの間違い、なんかでも、そうだ。

 「直接ご転送申し上げておいたほうがよいのかもしれませんが」というのは、じつは、過去の経験による一文である。

 ずいぶん前になる。
 今では統廃合で無くなってしまったから、名前を出してもいいだろう。
 かの第一勧業銀行から、突如ファクスが送られてきたことがあった。
 え? なんだか、宛名が違うよ。
 送り先は、京都の、よく知られた老舗料亭である。
 しかも、その書面はなんと「預金残高証明」。おいおい。

 すぐに支店に電話をしてあげた。
 「もしもし、おたくから、よそへいくはずの大事な書類が、間違って届いているのですが」
 窓口に出た女子行員は、なんだか、うさんくさそうな声で、
 「ええ? ああ、それなら、捨てておいてください」
 あのね、捨てるのはそれでいいけれど、何が間違って届いているか、内容を確認しなくていいんですか?
 「えええ? ちょっと待ってくださいね」
 まるで、クレーマーか何かみたいに、厄介そうな口ぶりで、人を待たせて、上司らしい男性が電話を替わった。
 また説明する。「うちにきている、ということは、相手に行っていない、ということでしょう? だから、連絡してあげたの。それに、預金残高証明書ですよ。処分してもいいけれど、回収しなくていいの?」
 「ああ、じゃ、また、ごついでがあるときにでも、窓口に渡しておいてください」
 「……」

 さすがに、プチプチッ、と切れたのが自分でわかった。(笑)
 信じられないかもしれないが、バブル期の銀行は、ここまで横柄だったのである。

 そうですか、わかりました、と、あとは何も言わずに、そのまま電話を切った。
 で、その「預金残高証明書」は、その老舗料亭にあてて、こちらに間違って届きましたが、銀行にお知らせしたところ、適当に処理をしておいてくれということでしたので、そちらにご転送申し上げます、と、事務的に送ってあげた。

 四、五日して、事務所のポストに、たいへん失礼をいたしました、とひとこと記した支店長の名刺が入っていた。
 電話をして、はいはい、もう、わざわざお詫びにこなくていいよ、と言ってあげた。(笑)
 その間の、だいたいのドラマが想像できる。
 だから、最初に、ちゃんと知らせてあげたのに。

 最近では、ちょっとしたデータや書類も、PDFファイルにしてメール添付で送ることが増え、メールアドレスには、電話番号ほどの間違いやすさはないけれど、いつだって、パーフェクトというわけではない。

 こんな、アナログ的なミスは、アナログ的にリカバーしやすいのだから、常識でとりもどせるのだ。
 ちょっとしたヒューマンなミスを、社員ひとりひとりが、ちゃんと処理できて、同じミスを繰り返さないようにする、そんな、ていねいな日常の反省や工夫ができているかどうかが、おそらく企業のほんとうの強さをはかる、バロメーターになる。

 企業はどうあるべき、こうあるべき、と、次々に新しい用語や理論が出てくるけれど、ふだん、なんでもないちょっとしたことへの対応が、きちんとできないとしたら、そういう社風から「顧客満足」を生みだすなどということは、まず無理だろうと思うのだ。
   
 
タグ:社風
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2010年02月22日

アサヒビールの新社長は、京都出身。

旧暦一月九日 癸卯(みずのとう)

 先週三度目の徹夜が完徹となったら、とうとう日曜日に14時間も寝てしまった。これは記録だな。(嘆)
 徹夜の前日も3時間くらいしか眠っていなかったけれど、ここだけでトータルすれば、1日あたり6時間弱、ということになる。毎日ちゃんと、6時間眠っているほうが、絶対に健康的なのだけれど、そうはいかないのが、フリーランスのライフスタイル(笑)、ですね。

 高校生の頃、「寝貯めができないのだから、起き貯めもできない」という、先輩の名言を聞いて、確かにそうだ、と、妙に納得したことがある。
 だから、少々夜更かししたって、夜明かししたって、大丈夫!
 というのは、イケイケの十代、二十代。
 そりゃ、若さにまかせて、三日間くらい続けて徹夜しても、なんだかちょっとハイになるくらいで、平気な頃だもの。

 こんなことをやっているわりには、実入りは乏しい(泣)。
 三年がかり、五年越し、といった仕事をずるずるとひきずっていたり、負けたらノーギャラ、といったコンペに入れ込んだり、いや、まあ、ついつい仕事を面白がってばかりいてもいけないのだけれど…。

 くたびれたあとに長時間寝ると、ちょっと腰にきそうだ。
 そういえば、いただきもののヱビスビールが二、三本残っていたはず、あれでも飲んで、元気づけだな。

 ビールといえば、二週間ほど前、業界が少し泡だった。
 キリンとサントリーの統合話が破談、のニュースが流れた。

 去年の夏に、キリンとサントリーとが「経営統合」の話を進めている、というニュースを見たとき、最初、目を疑った。
 サントリーといえば、非上場、株式を公開しないからこそ、社長の好き勝手にやれている同族会社。面白いことをやるのも、ろくでもないことをしでかすのも、ワンマンのオーナー企業だからこそである。
 一方、キリンは、名門財閥の流れをくむ、三菱グループの一員。当然だけれど、東証一部上場の、株式公開企業である。ビールだけでなく、御殿場のキリンディステラリーでウイスキーもつくっている。かつてのキリンシーグラムだ。
 どう考えても、水と油。だけど、グローバル化という時代はそこまできたのか、と、妙な感慨がわいたものだった。

 結局、統合断念、で、やっぱりそうだよね、とヘンに常識人にさせられてしまった。
 その直後、ニュースステーションで佐山展生さんが「あれはリークによって表に出た話で」と言っていたので、お、やっぱり、なるほど、と思ってネットをのぞいたら、あちこちで、みんな、サントリー側がリークしたのだろう、と疑っていた。なるほど、それは、よくわかる。(笑)

 統合比率というのは、お互いの株の交換価値としての割合だろうけれど、キリン側は1に対して、サントリーを0.5くらいに評価、サントリー側は0.8とか0.9を主張したというから、そりゃ、キリンさんは、サントリーのザ・プレミアムを飲めないでしょうね。
 だいたい、「ザ・プレミアム・モルツ」は、「ヱビスビール」を意識してつくったのだろうけれど、ヱビスに較べると、なんだかずっと、水っぽい。(笑)

 サントリーは、というより、佐治信忠社長は、今の、オーナー企業としての自由な采配を捨てたくはないから、統合後の新会社の経営判断の権限を握れるだけの統合比率を維持したかっただろう。
 だけどまあ、それでは、キリンの株主さんたちが納得しない、というのは、もっともだ。
 ステークホルダーの中でも、株主さんの利益は、どうなろうと、株と無縁の人間にとってはどうでもいい(笑)のだけれど、今の株式会社は、何よりも株主利益を最優先する。

 サントリーは、それに対して、企業価値として、さまざまな文化資本を主張したようだが、なんとなく、子どもが人のブランドものをみせびらかしているようで、文化についてのサスティナビリティーを考えているようにもみえないのが、つらいところだろう。

   〈天保山「サントリーミュージアム」の閉鎖。〉(過去記事)
   http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/126733764.html

 まあ、破談は、自然ななりゆきでしょう。

 キリンとサントリーの決裂が発表された8日、アサヒビールでは新しい社長人事を発表していた。
 泉谷直木さん。おっ! 京都出身である。
 ずいぶん前になるけれど、一度、取材させていただいたことがある。ご本人は当然、覚えてはいらっしゃらないでしょう。(笑)

 京都から入社して、最初の赴任地は博多だったそうである。五年ほどして、労働組合の専従、六年ばかりして現場に戻って広報へ。ここで、あの伝説的なアサヒビールのCIを担当している。
 「スーパードライ」の大ヒットで、アサヒビールが大躍進した時期である。泉谷さんは、CI事務局と広報課、広報企画課の三つの課長を兼任していた。
 ふつうのサラリーマンは、たいてい、休日の前になるとほっと一息つくけれど、この人はちょっと違っていた。
 「夕方になると、風呂からあがって、机にビールを置いて、手帳を見ながら、さあ、来週どうしようか、と考えるんです。その、気合いが入ってくる緊張感が何ともいえない」
 スタート前の、ゲートに入る競走馬みたいなものだ、とたとえて笑っていた。

 泉谷さんは、京都産業大学の出身である。
 たしか、3期生か4期生だから、大学が設立されてまもない、学生定員が満杯になるかならないかの頃の卒業生。今では「京産大」として、就職率も高いが、だいたい、できたての学校は、その時期、あまり良くいわれない。しかし、草創期の卒業生というのは、突出して面白い人物が出たりする。

 スーパードライでシェア二位に躍進し、やがてキリンを抜いてトップの座を奪う原動力となって、アサヒビール中興の祖と呼ばれた、当時の社長、樋口廣太郎さんも、滋賀県出身で京都大学卒である。

 統合話が破談となってまもなく、キリンビールも社長の交代を発表した。そのすぐあと、サッポロビールも新社長を発表した。
 キリンの加藤壹康社長も、サッポロの寺坂史明社長も、慶應義塾大学の出身。
 むむ、みなさん名門経営者の伝統?
 やっぱり、京都の非名門を(謝)、応援したくなりますねえ。

 攻めにまわった仕事が面白い、と言っていた泉谷さん、さて、どんな攻めの経営がみられるのか。
 うーん、とりあえず、「第三」では「麦とホップ」がいちばんうまいと思うけれど、「クリアアサヒ」を飲まなくっちゃ。(笑)
   
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2010年02月14日

今年、三度目の新年です。

旧暦一月一日 乙未(きのとひつじ)

 今日は旧暦の元旦。旧正月。
 中国では春節ですね。

 「春節」は、国語辞典の語彙にない。
 漢和辞典には、もちろん、ある。
 暦は、やはり中国から伝わったのだろうと思うのだけれど、暦にとって最も肝心かなめの「元日」が、「春節」として伝わっていない、というのは、不思議な気がする。
 うーん。なぜだろう。「立春」は、どちらにもあるのにね。

 で、今年三度目の新年を迎えた。(笑)
 新暦元旦、立春、そして旧暦元旦の春節。
 めでたい日は、何度あってもいいのです。(福)
 三度目の年越し蕎麦も食べたかったけれど、忘れていた。

 正月というのは、あたりまえに一月だと思っていたけれど、じつは、本来、必ずしもそうではなかった。
 食料を得て、新しい生命を実感する、ということが、ふたたび来る一年の始まりだったらしい。
 だからこそ、新年を迎えてお祭りを行なう。

 『正月の来た道』(大林太良/小学館)によると、採集狩猟文化では、新年には「原古において食料獲得が始まった神話をいわば再現することが行われ、しかもしばしば悪い季節を追い出し、良い季節を迎え入れる儀式も伴っている。」
 そして、原始的な農耕文化では「死者が住む場所としての大地」があり、「新年には、死霊たちがいっしょになって生者のところに戻り、作物のお初を食料として受け取る」そして「新たなる生命を獲得する手段として性的な乱痴気騒ぎが行われる。」ふむふむ、集団「ひめはじめ」だな。
 農耕文化がもう少し発達すると、新年の祭りでは「社会的統一を維持すること」が必要になり「神聖な王が存在」するようになって「収穫物の初物を供える対象は王の祖先とか、多神教の場合は神々」となってくる。
 さらに高度な農耕文化になると、「土地や太陽が穀物の豊穣に対してもつ関係というテーマが新年の祭りの中心」と考えられる。ちょっと科学的精神が芽生えるのですね。
 
 さらに牧畜文化だと、「新年は春にあたり、これは冬を克服し、家畜が仔を産む季節である。」
 これも実感がある。

 つまり、新しい命を育む、生命循環の新サイクルが始まる、というのが「新年」だった。
 「若水」を汲んで雑煮を炊く、なんていうのも、まさにそんなイメージを受け継いでいる。
 「新年」は、あくまで季節感の中での位置付けだから、まだ、暦の確立していない時には、種まきや生命誕生の春だったり、収穫の秋だったり、いろいろ違っていた。
 極北で祝う「冬至祭」なんかも、もともと、最も昼間の短いこの日が、太陽の再生する「元旦」だったのでしょうね。

 そうか、考えてみれば、新年はいつだっていいのかもしれない。
 自分自身にとっての、新しいいのちの循環が芽生える元旦、ですね。

 そういえば、春節の今日は、バレンタインデーでもある。
 おお、なんだか縁起がいいじゃないですか。
 思わぬ人から、本命チョコをもらったあなたがいれば、今日が元旦、「新年」ですよ。(祝)
   
タグ:新年 元旦 正月
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2010年02月05日

治外法権? が続く大相撲。

旧暦十二月二十二日 丙戌(ひのえいぬ)

 節分の夜、豆まきならぬ打ち合わせで帰りが遅くなったので、日付が替わる頃になって、まさに年越しのそばを食べ、食品業界の陰謀にのっかって「恵方巻」をまるかじりした。
 さすがに夜中なので、厄除けの鰯までは食べられなかったけれど、少し消化する時間くらい起きていようと思ったら、翌日、立春なのに、寝過ごしてしまった。

 ばたばたと一日を過ごして、夕方ようやくテレビをみると、朝青龍引退のニュースでもちきりだった。
 引退?
 それはないでしょう。
 引退なんて、させてはいけない!
 逮捕に至るかどうかは別としても、懲戒解雇、これがふつうの処分。不祥事が、初めてではないのだ。

 相手がどんな素性であろうと、あるいは、示談でいくら払おうと、プロの格闘家が素人をぶん殴った、という事実は重大である。
 正確なのかどうかわからないが、鼻骨骨折、などとも言われている。
 被害届が出れば、確実に逮捕であり、まがいのない犯罪である。

 最初「酒のせいで」なんて謝罪していたようだけれど、酒のせい? 殴ったのはおまえだろう。
 場所中に一般人にけがをさせて、そのまま相撲をとり続けることができていた、ということも信じられないし、それでまた、優勝してしまったことで、惜しむ声をあげる人たちがいるのもなさけない。
 引退会見で朝青龍は「こんなことにまきこまれてしまって」といったようなことを、ちらりと言っていた。
 反省のできる性格ではない。

 最大の責任者は、大ちゃん、高砂親方でしょう。
 最初にきちんとした、あたりまえのモラルを教えることさえできていない。
 過去のたび重なる不祥事で、何度も記者会見で追及されていたが、あの池田小学校事件で死刑になった、宅間守の父親が、自分も被害者だみたいなことを言っていたのと、さほど変わりがなかった。
 朝青龍の犯罪を不問にして「引退」を許し、高砂親方の責任も問わないまま幕を引く相撲協会というのは、じつにふざけた存在だとしかいいようがない。

 相撲が「日本の国技」である、と、なんとなく世間の了解が成り立っているけれど、これは、明治の末、両国に最初の常設興行施設がてきたときに、相撲業界が、勝手に「国技館」と名付けた、というだけのことらしい。
 そうか、もともと国技でもなんでもないのだ。

 だけど、相撲が「国技」ときかされて、なんとなく納得してしまうだけの様式美が、相撲にはある。
 柔道や剣道よりも、むしろ、能や歌舞伎に近いのだ。

 『季刊銀花』の古いナンバーをたどると、あの『銀花』に、なんと「大相撲の美−心技体の工藝」(第六十二号)という特集がある。
 北出清五郎さんというかたが、この特集でも書いておられるけれど、もともと日本の相撲の起源は「神事」である。
 「神事相撲」が、やがて宮中で「節会相撲」となり( 天覧相撲もその名残でしょうか )、「武家相撲」になり、やがて「勧進相撲」となってきたあたりから興行的要素が強くなった。今も各地に残る「奉納相撲」や「子供相撲」「泣き相撲」なんかは、もともとの神事相撲の系譜でしょうね。

 だいたい、土俵の上の「屋形」なんか、あれも神明造と呼んでいいのかどうか、様式は神社そのものだし、四隅の、青房とか白房といった房は、あのキトラ古墳の壁画と同じく、白虎・玄武・青龍・朱雀といった四神をあらわしている。横綱が締める綱は、そのまま正月飾りにできそうな注連縄だし、土俵も稽古場も、そこいらじゅう御幣だらけだ。
 いまどき、ちょんまげを結ったまま裸で格闘する、などというスポーツは、ほかにはない。

 だから、横綱が人をぶん殴った、ということは、伊勢神宮の大宮司さんが傷害事件を起こした、といったようなものである。

 朝青龍が引退を決める前まで、引退勧告か懲戒処分か、などと追及を続けていたマスメディア、とくにテレビは、引退が発表されると、手のひらを返したように、やんちゃだけれど強かった、とか、憎めない人柄だった、などと、無定見なフォローにまわっていた。

「えっ、あれくらいのことでやめるの?」といった、そのへんの馬鹿な通行人のコメントを、どうして、わざわざテレビニュースで流す必要があるのか。
 ニュースキャスターたちは、何が「残念」なのか。

 公式の、実況中継されている試合で、悪質な反則を意図的にやっていながら、とうとうタイトル戦までみとめられてベルトを得た亀田一家みたいに、カネにさえなれば、犯罪を許してでも視聴率をかせぎたいという、テレビ局の節操の無さが、世の中の劣化に及ぼしてきた影響は、はかりしれず大きい。

 朝青龍は、モンゴルに山ほど財産を築いているらしいから、今さら、曙やチェホンマンとリングで乱闘する気はないだろうけれど、テレビ局は、そのあたりまで期待して、急にちやほや、し始めたのか。

 それにしても、立春の日、「小沢不起訴」、「横浜事件実質無罪」、など、やたら重要ニュースの多い「新春」だった。
 ほんとうは、そっちのほうが、はるかに歴史的に重大な出来事なのに、つい格闘家の犯罪、のほうに感情が流れた、ミーハーでした。
   
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2010年01月31日

歌い手、の話。

旧暦十二月十七日 辛巳(かのとみ)

 ああ、一月がもう、終わる。
 ついきのう、年を越したばかりだと思っていたら、もう、カレンダーを一枚、めくることになってしまいました。あと五日もすれば、今年も一割引きです。

 一月往(い)ぬる、二月逃げる、三月去る。
 うまく言ったものですね。四月も五月も、どの月だって、あっという間に過ぎてしまうのは同じなのだけれど、年が明けて、みるまに春になってしまう、みたいな感じが、しみじみ出ている。

 いちがついぬる、にがつ……、と、ふつうに読むのだと思っていたら、このフレーズを確認してみた『故事俗信大辞典』(小学館)には、「いちげつ」「にげつ」「さんげつ」と読みが指定してあった。
 国語辞典なんかには、一月(いちがつ)を「いちげつ」とも入れてある。だけど、簡単な古語辞典でみて「いちげつ」の見出しはないから、特段、古語的な言いまわし、というわけでもなさそうだ。
 今、ちょっと、ゆっくり調べている余裕がないので(焦)、この読み方は、あらためて調べてみたい。いや、気になるなあ(笑)。

 往ぬる一月に、逝った人の中に、浅川マキさんがいた。
 一枚だけ、CDを持っている。『浅川マキ/浅川マキの世界』という、1970年にリリースされたレコードアルバムを、収録したものらしい。
 「十三日の金曜日のブルース」なんて歌もある。いいなあ(笑)。
 歌の、ストレートでベタベタの暗さと、独特のけだるさがなんとなく好きで、京都であったライブに二度行った。

 初めて聴いたのは、、未だ健在らしい京都大学の西部講堂。音響なんか最悪で、ハウリングでスピーカーがうなりをあげているような中で、平然と歌っていた。ベースが後藤次利 さんだった。
 二度目は、もう無くなってしまったけれど、烏丸五条を少し上がった(北に行った)あたりのビルの地下にあった、ジャズ喫茶だかライブハウスだか。店の名前は忘れてしまったけれど、ここではなんと、カラオケをバックに歌った。
 肚のすわった歌い手、でしたね。

 CDも、あらためてみてみると、ほとんどが寺山修司さんの作詞。
 浅川マキさんとは関係ないけれど、寺山修司脚本、吉永小百合出演、という『わが心のかもめ』というNHKアーカイブを録画したまま、まだみていない。原作曽野綾子、音楽山本直純、というのが、いささか違和感を感じるけれど、あらためて、その気でみてみよう。
 文学的な時間というのは、つくりにくい時代だ。

 CDには、語りやインタビューみたいな、これもベタな科白がたくさん入っているが、その中に「 いちばん好きな死に方、ってどんなの? 」という質問に「 寝たまま死にたいね 」という科白がある。
 公演先のホテルで倒れた、とあるけれど、どうだったのだろうか。

 新聞に、加藤登紀子さんが追悼の文章を寄せていたのは意外だった。
 でも、あらためてみると、通底するものがあるとは思う。
 「 昼と夜 」にたとえられた、と書いていた。

 「 お登紀さん 」と呼ばれるのを、登紀子さんは嫌うらしい、と聞いたことがある。おそらく、今はそうではないと思うけれど。
 一度、上賀茂あたりを半日一緒に歩きながら取材させてもらったことがある。素敵な人である。やはり肚がすわっている。話しながらきれいに食べる、よく飲む(笑)。
 浅川マキさんと、おそらく確実に共通しているのは、酒を飲む、ということなのではないでしょうか(笑)。

 「 お登紀さん 」と、最も親しく呼ばれそうなステージは、京都では年末頃にある「ほろ酔いコンサート」でしょう。
 今では手に入りにくい、このコンサートチケットも、かつては売るのに苦労していた。興行元の、アクティブKEIは、今は京都御苑のそばにオフィスを構えているが、当時は、出町柳をずっと上がった、へんぴなところにあるお寺の一画を借りていた。今、重鎮になっているメインスタッフの女性も、清楚でじつに初々しかった。
 個性的な、この興行元の親玉、山本恵さんは、今、民主党の京都市会議員である。みんな、初心、忘れないでくださいね。

 CD『浅川マキ/浅川マキの世界』に、「赤い橋」という曲があり、これも意外なことに、なんと北山修さんの作詞である。

 不思議な橋が この町にある/渡った人は 帰らない/みんな何処へ行った/橋を 渡ってから/いつか きっと 私も渡るのさ/いろんな人が この橋を渡る/渡った人は 帰らない

 「浅川マキ」も、不思議な橋、を渡っていったのかな。
   
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2010年01月25日

すっかり消えた? 小正月。

旧暦十二月十一日 乙亥(きのとい)

 すみません、また、しばらくの空白。
 記録的な雪、のあとに、記録的な暖かさ、の大寒が過ぎて、松の内もとっくに明けてしまいました。

 それにしても、いつも、大学のセンター試験の頃になると雪が降って、受験生たちが振り回されているという気がする。インフルエンザや風邪の流行期でもあるし、無意味なハンディを生じないように、もっと早く、気候のいい時期にすませてしまうとか、柔軟に対策が考えられないものだろうか。
 ちょっとしたツキがなかったばっかりに、浪人したり、あきらめたり、という受験生が、もし、いるとしたら理不尽だ。

 だいたい、大学なんて、もう少子化で定員割れの時代なのだから、入りたい者はみんな入れて、そのかわり中学や高校と違って、勉強しなければ卒業資格をとれないようにしたほうが、理にかなっている。分数計算さえできないというような学生は、当然、進級させなくていいだろうし、少子化で実入りの減る大学は、留年して長くいる学生で授業料を稼げばいい。

 正月から、だらだらと追われているうちに、いつも出かけていく年中行事を、今年はいくつもスルーしてしまった。

 正月飾りや書き初めを焼いてもらうという左義長は、子どもの頃なんか、結構あちこちでやっていたような気がするのだけれど、今は、ほとんどみられない。
 東山七条を少し下がった(南に行った)ところにある、新熊野(いまくまの)神社では、今も、きちんと左義長行事が行なわれているので、毎年、お飾りを持っていって、獅子舞を楽しんで、甘酒のご接待をいただいて、もちろんちゃんと本殿にもお参りして、巨木の楠さんにも挨拶して帰ってくるのが恒例となっている。この寒い季節、左義長の火にあたるとほのぼのとする。

 左義長は、農村儀礼のようなものかと思っていたら、もともとは、打毬(だきゅう)という、まあ、蹴鞠(けまり)をサッカーとすれば、打毬はポロかラクロスかホッケーか…、みたいな競技が宮中なんかで行なわれていて、それに用いる毬杖(ぎっちょう)という、毬(球)を打つスティックの役割をする棒の、使い傷んだものを焼いたという行事が起源らしい。打毬というのは正月のめでたい遊戯で、毬杖も、祝儀物として贈られたのだそうだ。( 『有職故実大辞典』鈴木敬三編/吉川弘文館 )

 成人の日には、毎年、三十三間堂で「通し矢」がある。実際には、本来の通し矢をするわけではなくて、和弓の大的全国大会。
 この日には、三十三間堂が無料公開され、「楊枝(やなぎ)のお加持」が行なわれる。

 三十三間堂は、正式には蓮華王院と呼ぶ。東山七条の東側にある妙法院に属する仏堂で、ご本尊は坐像で三メートルを超える千手観音さん。その両側に、等身大で千体の千手観音が並ぶさまは壮観である。こちらはみんな立像。立ち姿。それも、今どきのように、型を使って一斉につくった、なんていうものではない。一体一体、顔立ちもつくりもちがう。
 最初、金箔が貼りたて、ピッカピカの時なんて、すごかったでしょうね。中国、始皇帝陵の兵馬俑もなかなかのものだけれど、次元が違う気がするなあ。
 堂内回廊には、千体の千手観音さんだけでなく、風神・雷神や、二十八部衆といった守護神も並び、仏像の立体辞典のようになっている。

 ガイジンさんを案内する時は、ここをみせてちょっと威圧して(笑)、少し歩いて清水寺の舞台から平安京を眺め、あの雑然とした三年坂を抜けて八坂神社へ行って、ここには地下に龍が棲む底なしの穴がある、と脅し、ご機嫌直しに花見小路の裏通りあたりのお茶屋さん風情を歩いて(花見小路そのものは、もうどこにでもあるコンビニ観光地です)、このあたりだとお高いので、木屋町あたりで安酒をふるまえば、きっと、国に帰ってジパングの偉大さを吹聴してくれるでしょう。

 楊枝のお加持は、本尊さんの前に、格の高そうな坊さんが座して、その前に参拝する善男善女の頭上に、七日間加持祈祷した香水をふりかけてくれる、という、ちょっとした法要。無病息災、特に頭痛にご利益があるそうな。

 三十三間堂の東向かいにある法住寺では、「通し矢」の日にあわせて「大根焚き」があり、こちらも賑わう。

 で、じつは、毎年、言いたくなるのが、こういった行事が本来、小正月に行なわれてきたこと。
   http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/112649329.html?1264365678
 国民休日の「成人の日」が、小正月である15日に固定されていた時には、いつも、新熊野神社の左義長で正月飾りを焼いてもらい、三十三間堂の楊枝のお加持で無病息災を願い、法住寺の大根焚きで温まって帰った。
 別段、信仰心があるわけではないけれど、それぞれの社寺で、正月行事にちなんで、由来、物語のある神さんや仏さんと一年ぶりに出会うのは、なにか、楽しいものがある。

 「小正月」の一月十五日は、旧暦では満月。十五夜ですね。なので、この日が、もともとは正月であるという説もある。この日に「餅花」や「削り花」を飾ったので「花正月」と呼んだともいう。( 『現代こよみ読み解き事典』岡田芳朗・阿久根末忠/柏書房 )
 花正月、なんて、今どき聞かないけれど、なんだか、いい言葉ですねえ。

 今年の、楊枝のお加持と通し矢は十七日だった。成人の日でもない。
 一方、左義長は、十一日にあった。こちらは「ハッピーマンデー」の成人の日。
 左義長は、やっぱり小正月だろうなあ、とは思うけれど、氏子さんたちが平日に出仕するたいへんさを思うと、宮司さんも総代さんも、無理は言えないだろう。

 今年は、結局、どの行事にも、行くことができなかった(泣)。
 全部、同じ小正月にあったとしても、どっちみち行けなかったといえば、それまでなのだけれど、いや、それと、これとは、別問題!

 新しい政府も、まあ、頼りないこと、はなはだしいが、せめて、目先主義の「ハッピーマンデー」制度を作った人たちと、文化に対する姿勢の違いを、もし多少とも持っているのなら、今さらハッピーマンデーはやめられないとしても、元旦「大正月」と同じく、「小正月」を国民休日にするか、あるいは、天皇誕生日をハッピーマンデーにはしないように、この日を、以前のように成人の日としてでもいいから、固定した休日としてくれないかな、と思う。
 まあ、安息日を正しく、なんていうわけではないけれど、国民にたくさん消費させるために休日をいじくりまわす、というのは、長い目で見て、根本的な消費促進にはならない、という気がするのだけれど。
   
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2010年01月11日

謹賀新年、初ゑびす。

旧暦十一月二十七日 辛酉(かのととり)

 おそまきながら、明けましておめでとうございます。
 ずるずると、仕事を抱えたまま年を越し、年賀状をようやく投函したのが六日。
 このところ、毎年、三が日に、年賀状の宛名を書き続けるのが恒例となってしまっていましたが、今年はちょっとした失敗(恥) があって ( それについては、また、あらためてご報告 )、なおさら、遅くなってしまいました。
 四百枚余りの宛名を書くのは、いささかホネで、急いで書くのでなおさら下手くそな字、プリントソフトの誘惑にかられるのですが、せめて年に一度くらい、みずからの手で、と、妙なところでの、こだわり。結局、いつも、このていたらくです。
 七草粥も終わって、賀状を見ていただいたかたには、あらためまして陳謝、です。

昨日は、十日戎に行ってきました。
 未だ、遅い仕事は尾を曳いていて、なんだかんだしている場合ではないものの、毎年御札を求めて帰るので、それを納めて、あらたにお参りしてこなければならない。
 なんといっても、ビジネスの神さんですからね。

 歩いて十分そこそこの場所なので、すぐに行って帰るつもりで出かけたけれど、大間違いだった。
 大和大路を南から行くと、松原通を越えたあたりまで、なんと行列ができていて、ここがお参りの最後尾、という。北へ向いても行列が分かれていて、そちらも団栗通を越えて並んでいた。あちこちに立っているのは、ガードマンではなくて、京都府警じきじきの入場整理である。
 その年ごとに、出かけていく時間帯や、曜日によって、すごい混雑であったり、意外と空いていたり、ということがあったが、こんなに長い行列を見たのは、なんとも初めて。

 八日の招福祭に始まり、九日の宵ゑびす、さらに十一日の残り福、十二日の撒福祭と続くけれど、まん真ん中の、「本ゑびす」である、この十日が日曜日であり、日暮れ時の、いちばん混む時間帯ということもあったのだろう。
 それに、考えられるのは、不景気の時の、ゑべっさん頼み、でしょうね。
 納札所に御札や笹を返している人は少なかったから、一見さん?! が多かったかも。

 たいへんなのは、門前の大和大路に連なる縁日の屋台である。それでなくとも、お参りの行きがけに、飲み食いしたり、ものを買う人はあまりいない。しかも、いったん行列となってしまうと、その途中で、出店のものを買うことなど、まずない。
 屋台の兄ちゃんたちは「こらアカン」と、もう、あきらめ顔だった。
 しかも、この混雑で、参拝者は、表門から入っても戻れず、裏門から出るように誘導されているのだから、どうしようもない。

 本来なら立地のあまりよくない、出店の並びのはじっこのほうの店のほうが、行列からはずれるので、いくらか、お客が入っていた。
 目についたのが、インド人が三人ほどいて、タンドリーチキンやカレーを売っている店。結構、売れていた。縁日も国際的になってきたものだ。どうやって、テキ屋さんに、わたりをつけたのでしょうね。テキ屋さんも、これから、相撲協会みたいになっていくのだろうなあ。

 個人的なおすすめは、ほとんど四条通に近いあたりで売っている「焼」( そのまま、まるまるやき、と読むらしい )。たこ焼やお好み焼のような生地を、たいこ焼をひとまわり大きくしたようなかたちに焼いてある「コナもん」である。卵一個と、キャベツと豚肉か何かが少しだけ入ったような、一個150円と、かなり利益率の高そうな「縁日商品」だけれど、この、ジャンクな感じが何とも好くて、必ず、買って帰るか、道ばたで食べる。

 八坂神社の末社に「蛭子社」があって、ゑべっさんのことだといわれる「事代主(ことしろぬし)」という神さんが祀られている。社が北に向いて建っているので、北向蛭子と呼ぶらしいけれど、八坂さんでは、近年、この「ゑべっさん」を売り出し中である。
 すぐ近くなのだから、まぎらわしい競合は避けたほうがいいと思うのだけれど。
 八坂さんは日常的に参拝者が多いのだから、本家のゑべっさんの所場を荒らすより、やるなら、連携して祇園全体を盛り上げることでしょうね。
 ふだんの空いているときに、えびす巡り、みたいにして両社にお参りしましょう、とか。ほかにも、ゑべっさんはないのかな。ゑびす・大黒巡り、でもいいし。

 昨年秋、大阪のINAXギャラリーで、「ゑびす大黒 −笑顔の神さま−」という展覧会があった。期間中に、神崎宣武さんの講演もあったので、その日に合わせて、大阪での用事をまとめて組み、ちょうど大阪市立美術館でやっていた「道教の美術」も一時間の駆け足で観てきた。大阪市立美術館は、閉館の15分前にはもう、館内の売店を閉めてしまうので驚いた。あれは民営化するしかないでしょうね。

 神崎さんの講演は、面白かった。大黒さんは、いろいろと、なぜ大黒さんか、といった出所由来や変遷の話があるけれど、ゑべっさんは、もうひとつ、はっきりしないことが多いらしい。大黒さんと、ゑべっさんが、ごちゃまぜになってしまっているようなこともある。
 恵比寿神は、もともと海からやってきた神、としての性格が強く、漁民の信仰が都市に伝わって、漁業の守護神から都市の招福神へと転化、広まった。

 INAXギャラリーの展覧会で陳列されていた「ゑびす大黒」は、ほとんどすべてが、滋賀県八日市市の市神神社に奉納された、もとは民家で祀られていたものだった。
 この市神神社も、事代主さんが祭神として祀られているそうだ。
 八日市は面白そうなところですね。招福楼なんていう老舗の料亭があって、京都の名だたる料理人が、意外なことに、京都ではなくここで修行をしていたりするし、やっぱり、近江には、歴史の不思議な底力がある。

 ひとつだけずっと、気になっていたこと。
 ゑべっさんは、耳が遠いの?

 大和大路の恵比須神社では、正面からお参りしたあと、社殿の横にまわって、壁板を思いきり、ドン、ドンとたたきながらお願い事をする。それは、ゑべっさんが耳が悪いので、大きな音で呼び出して大声で頼まないと聞こえないからだという。
 これは、どうも、大黒さんの由来でもある、大国主命の子どもたちの中に、からだの悪い子がいたことから、話がまぎれた可能性が高いらしい。

 じつは、耳の遠いゑべっさんは、京都だけなのだそうだ。
 大声で、景気回復! 初ゑびす。
   
タグ:福神 京都
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2009年12月31日

明日は、部分月食から明ける新年。

旧暦十一月十六日 庚戌(かのえいぬ)大晦日

 ついにやってきました、今年も大晦日。
 「晦日(みそか)」とは、もともと、旧暦での、毎月の最終日であり、「つごもり」だった。
 「晦(かい」という漢字には、闇であるとか、夜、暗い、あるいは隠れる、という意味があるそうで、旧暦では月の終わりの日は新月を迎える闇夜。月が隠れて光が無い、というところから、月隠り(つきごもり)→ つごもり、となったらしい。

 月々の終わりが晦日なら。その総まとめの、年の終わりだから、大晦日。
 つごもりも、年の最後の月隠りとなって、大つごもり、というのが本来なのだけれど、今は新暦なので、大晦日が闇夜ではなくて、明日、2010年の元旦は、いきなり満月です(笑)。
 しかも、明け方には、部分月食が見られるとか。
 明け方に残っているのは大晦日の月だけれど、それも、31日の正午で「月齢14.6」というから、ほとんど満月。
 満月だけれど、欠ける。なんだか、複雑な年明けですが(笑)、朝、かすかに欠けてみせた月が、その夜には、正式に満月として昇ってくることになるので、年の始めとしては縁起がよいでしょうね。

 今年は、近場の日食で、ブームがわき起こったけれど、2010年にも、明けて、ほどなく雲南省などで金環食が見られるとか。
 近畿日本ツーリストが、青島テレビタワーの展望レストランを、ツアーで借り切るそうだから、また、何か言われそうだな。
 1月15日の、この金環食は、今世紀最長だそうだ。日本でも、西日本で少し部分日食を見ることができるらしい。
 7月にも、ポリネシアや南米で皆既日食が見られる。月食も、6月と12月に再びあって、お月さんも、お日さんも、欠けまくる年のようである。

 そしてまた、来年は、「スキー百年」なのだそうだ。
 なんでも、オーストリアのレルヒ少佐? という人が新潟の上越に初めてスキーを伝えた人物だとして、新潟県は、その「レルヒさん」をキャラクターに、盛り上げをはかっている。
 スノボとちがって、オールドファンを意識したほうがいいでしょうね。

 2010年に没後百年を迎える人物、として、以前どこかに出ていたのを、メモしていた。
 安重根(3/26)、マーク・トウェイン(4/21)、ロベルト・コッホ(5/27)、ジュール・ルナール(5/22)、フローレンス・ナイチンゲール(8/13)、レフ・トルストイ(11/20)…。
 探せば、まだまだいそうだけれど、ここでは、作家、思想家と、医療関係者、という感じ。さて、何らかの仕掛けの役に立つでしょうか。まず、本屋さんにとってのコーナーづくりは、常道ですね。

 堀川五条の東北角に、「大とら」という食堂がある。
 ずっと前に、一度だけ入ったことがあって、店のオヤジがタイガースファンなのかなと思って訊いたら、単に、寅年生まれだった(笑)。来年は、年男ですね。

 今年も一年、ありがとうございました。
 このブログサイトを訪れて、読んでいただいたみなさんに、感謝。

 じつは、始めてしばらくした頃に、一年で108本の原稿をアップして、煩悩を祓おうと(笑)思ったのですが、かなわず、かろうじて、今日が100本目、で終わります。
 嗚呼、今年も、とうとう煩悩は祓えず?!
 ま、なんとか一年、続いただけでもよしとしなければいけないところでしょうか。

 さて、2010年、どんな年がやってくるのでしょうか。
 こんな「反則コラム」ですが、また、来年も、どうぞよろしくおつきあいください。
 みなさんに、よい一年が訪れますように。


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2009年12月28日

頑張れ、交通広告。

旧暦十一月十三日 丁未(ひのとひつじ)

 クリスマス前に、久しぶりに、三宮まで出かけた。
 京阪神の路線では、乗客がいちばんおしゃれといわれる、阪急神戸線に乗ったけれど、クリスマス、そしてお正月を前にしながら、なんとなくパッとしない。車内広告もさえなかった。

 とにかく、全体的に、盛り上がりがない。
 この時期、季節感ならぬ、年越しに向かっての高揚感が欲しい、と願うのは、販促精神としては、自然だと思うのだけれど。

 車内の広告で、ちょっとだけ、頑張っていたのは、ビールでも、発泡酒でもなくて、第三のビール、だった。
交通広告には、あまり詳しくないけれど、中吊りでなくて、横枠ポスターというのか、ステッカーというのか、それが、近接した位置で競合。

    年末年始も いつものNo.1
    のどごし〈生〉

    一歩、一歩、よいお年を。
    金麦

 ここには、メーカーなりコピーライターなりのスタンスがよくあらわれていて、コピーを読むかぎり、主観的には、金麦のほうが好感は持てるものの、色づかいを含めて、ビジュアルのインパクトでは、のどごし生のほうが圧倒。
 といっても、どちらも、もうひとつねえ、みたいな物足りなさではあるけれど。

 商品自体は、どっちも、たいして美味しくはないし、第三のビールに限っていえば、麦とホップ、がいちばんましかな。コストパフォーマンスでいえば、ダイエーのPB、ノイヴェルトが圧倒しているのじゃないでしょうか。
 第三のビールじゃないけれど、本来のビールでいえば、むかし、確かサッポロが出していた、「エーデルピルス」というのがあった。あれは、エビスに負けず、美味かったなあ。

 車内広告の面白さは、退屈を紛らわせてくれるところにあるのではないかと思う。速報性は、他の媒体に遅れをとる場合が多いだろうし、その点でいえば、むしろ、予告、告知による期待感や、対象に関心を呼び起こす、情報の切り口でしょうね。
 今どき、「惹句(じゃっく)」などとは呼ばないかもしれないけれど、まさに、気持ちを「惹」きつける、ショートフレーズが肝要になる。キャッチ、ですね。

    ドアに
    もたれてるアナタ
    胃がもたれてない?

 これは、少し前にみかけた、京都市営地下鉄のドア脇の小さなステッカー広告だったと思う。胃薬の「ソルマック」。
 とても、ストレートなのだけれど、その調子から、どこか、ひねってあるような錯覚と親近感を感じてしまって、なんとなく、うん、と頷いてしまう人がいそうなコピー。

    車内での大声の会話とかけて
    9回ウラのピンチととく
    そのこころは
    とにかく抑えてほしい。

 こっちは、京阪電車だったか阪急電鉄だったかの、自社広告。
 公共広告は、商品訴求という、実体としての到達目標がないから、自己完結せざるを得ない。だから、こういった遊びを入れて、しゃれたり、オチをつけたりというコピーが多い。

 ずっと前に、阪急電鉄だっただろうか、ドアの上の横枠に、うどんすきの「平八」だったと思う、文字ばかりの広告が長い間掲載されていて、詳しい内容はもう、忘れてしまったけれど、どこか笑えて、面白かった。

 あんたはんが、これを読んでくれている、ちゅうことは、座れへんかった、いうことでっしゃろなあ……、といったふうな書き出しで、横長の広告枠だから、短い縦書きでずっと続く太い筆文字。なんだか、ちょっとおちょくられているような、慰められているような、妙な「和み」があった。
 ドアの近くの、最もぎゅうぎゅう詰めとなる混雑の中で、おそらく身動きもできず、なすすべなく見上げると、このコピーが目について、思わず読んでしまう、という、なかなか、よくできた仕掛けだった。

 先日、ビデオリサーチという、たしか視聴率や広告効果などを調査する会社のデータとして、屋外広告や交通広告の媒体力の調査結果、というのが、新聞で一部紹介されていた(日経産業12/15)。
 それによると、「屋外広告の媒体力」として、関西の1位は大阪・梅田駅周辺がダントツで17.3%、2位が難波9%、3位が天王寺、阿部野橋駅7.2%で、5位は京橋駅、大阪ビジネスパーク地区4.6%と、圧倒的に大阪が占める中で、京都駅が4位、4.7%と健闘。

 ただし、これは、「関西の2府4県に住む3000人に1週間のうちにどの街を訪れたのかを聞い」て、「訪問した人が多い地区ほど屋外広告が人の目に触れる機会が多いとして推計した」のだそうだ。
 まあ、「媒体力」だから、新聞や雑誌の実売部数のようなものとして、ある程度の目安にはなるかもしれない。

 この調査では、「電車や駅での広告の閲覧習慣」も聞いていて、中吊り広告を見る人の割合が67.8%で1位、駅構内の大型ポスターが58.1%、ドア横にあるポスター広告(多くは小さなステッカーだと思うけれど)が55.2%と続いた。
 しかし、これは、通勤ラッシュ時の満員状態と、比較的空いている昼間とで、かなり異なると思う。通勤だけに利用する人は、おそらく、駅構内のポスターや、ドア横の広告を、目にすることはできないし、注目率や広告効果という点では、それぞれの媒体特性と訴求対象をきちんと位置づけないといけない。

 先の、京都駅の訪問率も、大阪の各地区とは訪問目的に違いがあるはずだし、近隣6府県に限らなければ、全国区だけに、ひょっとしたら訪問者数は4位にとどまらないだろう。
 おそらく、そういった、年齢や階層など、細部にわたった調査データをとっているのだろうけれど、それでも、広告代理店や調査会社のデータは、あくまで汎用である、ということを意識しておくべきである。
 何を、誰に、どう伝えたいのか、は、自分の頭で考えなければならない。データはあくまで、参考にしかならないものだ。

 さて、意外とさえない、阪急神戸線の、全体に地味な中吊りの中で、せめて気を吐いていたのが、若い女性向けの雑誌だった。

    キレイ景気は女が変える!!       ( 『MAQIA』 )

    春は「可愛い」だけじゃイヤッ!    ( 『JJ』 )

 いやいや、なるほど。
 せめて、女性消費者に頑張ってもらいましょう。(笑)
 やっぱり、広告は元気でなくっちゃ、ね。
   
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2009年12月22日

民主党の、あやうい天皇利用。

旧暦十一月七日 辛丑(かのとうし) 冬至

 冬至。
 一年で最も太陽が南にあって、日照時間が最短になる。
 夜がいちばん長い日だから、明日からは、だんだん日が長くなり、春に向かう (嬉)。

 とはいっても、実感は、これからがいちばん寒い季節 (凍)。
 冬至南瓜を食べたら中風にならない、とか、柚子湯に入ると風邪をひかない、といった風習には、これからの季節を乗り切ろう、という期待がこもっている。
 冬至粥と呼んで小豆粥を食べるところもあるらしい。
 中国の古い年中行事を記した『荊楚歳時記』にもある。

冬至の日、日の影を量り、赤豆粥(しゅく)を作りて以て疫を禳(はら)う。

 疫病をもたらす邪鬼が、赤豆を畏(おそ)れたので、赤豆粥をつくって、これを祓った、とある。
 小豆による邪気祓いは、日本でも、スタンダードになっていますね。

 冬至は太陽の誕生日と考えた民族が多いという。だから、旧暦では、もともと冬至が暦の起点になっているらしい。新暦では、春分を基準とするそうだ。
 暦(こよみ)は、時の流れ、すなわち人の運命や寿命をつかさどり、また、権力者にとっては、天命を受けて頂点に立つことの象徴。だから、暦を支配したがった。それに、地方ごとにばらばらの暦では、天下を治めるのに不都合である。かの織田信長も、暦の統一をめざした。

 日本に暦が伝わってきたのは、中国から。この、古代の超大国でも、皇帝は暦を支配し、暦の起点である冬至に天を祀り、属国に冊封して暦を与えたという。(『現代こよみ読み解き事典』柏書房)
 日本も、「日出処の天子」の、あの書簡から、暦も押しつけを断って、独自に定めるようになった? という話があるけれど、基本的には、明治に太陽暦を採用するまでは、似たりよったりの暦で、やってきているようだ。

 明日23日は、その、日出処の天子の末裔、天皇さんの誕生日。
 さすがに、この「国民の祝日」は、ハッピーマンデーにはしないらしい 。

 京都では、「天皇はん」。
 天皇はんは、ちょっとしばらく東京へ行ったはる、という人は、ほとんどいなくなったようだけれど、東京へ遷都、遷座が決まったことで、京都は奮起、ひと頑張りして、その結果、同じ古都でも奈良とは違う今日がある、といわれている。

 その、天皇はん、を、政治利用したとして、中国の習近平国家副主席との会見が、問題になった。

 もう、さんざん、テレビや新聞のニュースで報じられているから、経過については多くの人がご存じだろう。
 小沢一郎さんが、記者会見で、
「 私が天皇陛下を習副主席と会わせるべきだとかどうとか言った事実はありません! 」
と、怒りの表情を見せながら断言していたが、誰も、そのとおりだとは思わないだろう。
 仮に、百歩譲って、万が一言っていないとしても、タイミングとして、そう受けとられるしかない、というセッティングであり、圧力だったのだから、輿論の反応を想定しなかった鈍感さが問われる。

「 それは手違いで遅れたかもしれないけれど会いましょうと、必ずおっしゃると思うよ 」
とも言っていた。
 実際に、天皇はんは、そう言うだろうと思う。だけど、ご本人は別として、小沢さんにそんなことを言われたくはないだろうね、と、誰もが感じるでしょうね。

 民主党政権の迷走を横目に、小沢さんや、はたまた亀井さんの、あの横柄さをみていると、いかにも、このあいだまでの政治家たちというか、古典的自民党のものである。
 獅子身中の虫、とまでは言わないけれど、このままいくと、民主党さんは、小沢で勝ったけれど、小沢で負けた、という結果もあり得るのではないか。
 主張に正しい部分があっても、国民の支持は、なかば、マスコミへの露出とイメージで決まる。
 国民新党さんのほうは、次の選挙で、きっと、もう有権者から相手にされないでしょう。下地さんなんかも、論理的な印象がまったくないしね。

 小沢問題もあるけれど、天皇はんに関して、じつは、あれより、もっと気になったのが、岡田発言である。
 まじめ一方のフランケンシュタイン(笑)、に対しては好意的にみていたのだけれど、あんなに愚かだとは思ってもみなかった。
 スクラップを残していなかったので、ネット上からの引用で申し訳ありませんが、

 岡田克也外相は23日午前の閣議後の閣僚懇談会で、国会開会式での天皇陛下のお言葉について「陛下の思いが少しは入った言葉がいただけるような工夫を考えてほしい」と述べ、宮内庁に対しお言葉の見直しを検討するよう求めた。
 同時に「大きな災害があった直後を除き、同じあいさつをいただいている。わざわざ国会に来ていただいているのだから、よく考えてもらいたい」と強調した。

といったニュースが、十月の終わり頃だったか、国会の開会を間近に控えた時期に流れた。

 閣僚が天皇陛下の発言について意見を述べるのは異例だとか言っていたが、そんなことは別にかまわない。有職故実ではあるまいし、何事も改良をめざすのは、いいことのはず。

 しかし、あの主張は、論外である。

 今の天皇、皇后は、国内最大の平和勢力、とまで言われている。
 だから、いい、と言いたいのかもしれないが、この先、のちのちの天皇はんが、同じような視点を持つとは限らない。
 国会の開会にあたって、私見を述べて欲しい、などという「別の道づくり」は、ものすごい危険をはらんでいるのである。
 岡田克也さんという人は、ここまで脳天気なのかと、愕然とした。

 今の天皇はんの、常々の言動からは、国民の「象徴」としての役割に徹して、その責務をはたそうとしている姿勢が、いたいほど読み取れる。
 阪神大震災のときも、首相だった村山富市さんと、天皇はんや美智子さんとでは、被災者に言葉をかける印象が、天と地ほども違った。村山さんの、あの軽い、空々しさは、テレビで見ていて不愉快きわまりなかった。

 だからといって、おおやけの場で、それこそ「国事」で、政治家が、天皇に私見を、「 請う 」ことも、「 強いる 」ことも、あり得べきことではない。
 
 そして、今度の、「一ヶ月ルール」を無視して、中国共産党の後継者である、習近平さんの党内権力確立への一歩に手を貸した、小沢さんの会見強要。
 チベットやウイグルの人たちは、どうみているでしょうね。

 宮内庁長官の抵抗発言に、何らかの思惑があったかどうかは、わからない。
 しかし、小沢さんから「ただの一介のの役人が」とあざけられ、辞表を出してから言え、と罵倒されたことで、少なくとも、世間を味方につけた。
 病み上がりの天皇はん、を護ろうとする、頑固で忠実な執事長、という印象を植え付けたわけである。
 あれは、宮内庁側に、座布団一枚! でしょう。
 小沢さんの憲法論には、説得力がない。

 自民党さんが、あんまりひどいので、国民がせめて支持した民主党、という政権に、結局、たいして期待できない、と思い始めそうな状況の中、みなさん、勝手な「理念」で、ばらばらに動いていて、さあ、天子の代わりに、暦の支配はできるのだろうか。
   
タグ:天皇 冬至
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