2009年08月09日

八月は、追悼の月。

旧暦六月十九日 丙戌(ひのえいぬ)

 梅雨が明けたら、いきなり、立秋も過ぎてしまって、この暑さ。
 これが、もう、残暑! となるのが、どうもピンとこない、今年の夏。

 八月は、追悼の日が多い。
 六日はヒロシマ、九日はナガサキに原爆が落とされ、そして十五日に戦争が終わった。
 また、十二日は、御巣高山に日航ジャンボ機が激突した大事故の日だ。
 こういった日々が続いて、「お盆」がやってくる。

 先祖の霊が、年に一回、こちらの世に帰ってくるのを迎え、盆の間、そばにいてもらって、また、あちらに戻っていくのを送る、という発想は、迎える側、現世に生きている人間の、心を納得させる、癒しのストーリーですね。
 亡くなった人で、会いたい人は、誰しも少なからずいる。

 それにしても、お盆の最中に、敗戦の日があり、その前にヒロシマ、ナガサキ、それぞれの日が続いていることは、結果的に、忘れ得ない十日間となり、日本人が戦争の記憶を受け継いでいくためのシチュエーションとして、プラスに作用したといえる。
 それぞれ、もっと、ばらばらの日であったら、直接的な接点を持たない限り、何事も忘れやすい日本人にとって、追悼の歴史の、記憶の風化は、はるかに進んでいたのではないか。

 今日は、ナガサキ。
 広島もそうだけれど、さらに長崎にまで原爆を落とす必要はなかっただろうし、あとでアメリカが行なった調査などからは、新兵器の人体実験もかねていたことが感じとれる。
 ヒロシマ、ナガサキ、そして、ビキニでの第五福竜丸と、世界で唯一、「ヒバクシャ」を生み出された国でありながら、今さらのように「核武装」を主張する人たちがいる無神経さには、あきれはてるしかない。

 長崎市も、広島市も、その歴史から、首長は、党派に関係なく、核廃絶と平和を主張する。これは当然のことだろう。
 長崎市では、1990年に市長が銃撃されて重傷を負い、2007年には、ふたたび別の市長が銃撃されて、亡くなっている。
 どちらも暴力団員の仕業による。右翼ともいうけれど、そんなに上等なものではないだろう。

 あらためて気になるのは、原爆でひどい目に遭わされた広島や、大空襲でやはり破壊しつくされた神戸で、その後、暴力団が大きな力を持つようになった、という歴史。
 長崎には、あまりそういうイメージがなかったのだけれど、首長が二度も銃撃されて死傷する、なんていうことをみると、やはり同様なのではないか。
 復興利権が、ヤクザを育てたのだろうか。
 必ずしも、それだけでもないような気もするのだけれど。
 それぞれの、そのプロセスがどういうものだったのか、誰か、解明してくれないものか、と期待する。
 取材しづらい世界ですけれどね。

 「お盆」は、ただの休み、かもしれないけれど、なんとなく、非日常を思ってしまう時節だ。
 渋滞にまきこまれていると、とても、そんな静かな気分にはなれないでしょうけれどね(笑)。みなさん、どうぞ、事故のないように。
   
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2009年08月05日

ルポルタージュは元気か。− 悪石島、追記。

旧暦六月十五日 壬午(みずのえうま)

 先日、日食の話から、九州、鹿児島の南、トカラ列島の悪石島にふれた。
 http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/124288655.html
これに、ツッコミコメントをいただいたからということでもないけれど、追記というか、追伸というか。

 そういえば、先週の土曜日だったか、NHKのこどもニュースで、悪石島ではなかったけれど、同じトカラ列島の島の子どもたちの、日食の日の前後を追った取材をしていましたね。
 このあたりは、民放では無理で、NHKならではかもしれない。
 一本の番組にするだけの取材ができなくて、ここで流したのかもしれないような、ちょっと物足りない感じは否めなかったけれど、「悪石島」さんからいただいたコメントのような、子どもたちの気持を、少し、とらえようとしていた。
 たまには、国営テレビも、ほめましょう。(笑)

 悪石島のキャッチフレーズ、「美女とネズミと神々の島」という表現は、かなり古くからあるものかと思っていたら、そうではなくて、1960年(昭和35年)? に刊行されたルポルタージュ『美女とネズミと神々の島』という本のタイトルからきているようだ。

http://heymanbow.exblog.jp/10012706/

http://www.sunmoonfes.net/blog/2009/03/08/%E3%80%8C%E7%BE%8E%E5%A5%B3%E3%81%A8%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F%E3%81%A8%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE%E5%B3%B6%E3%80%8D%E7%A7%8B%E5%90%89-%E8%8C%82-%E8%91%97/

 知りませんでした。勉強不足で、すみません。
 やっぱり、インターネットの世界ですね。こういう、トリビアというか、雑学的というか、興味がなければどうでもいいと思われてしまいそうなことを(笑)、ちゃんと記録しておいてくれる人がいる。

 ここでみると、当時、朝日新聞の記者であった、秋吉茂という人が、現地ルポして紙面に連載し、それをまとめた本が出版されたらしい。
 読んでみたいと思って、京都の公共図書館の蔵書を調べてみたけれど、無かった。国会図書館関西館に行けばあるだろうけれど、遠いし、それに、貸し出してくれない。
 そろそろ著作権が切れそうな古い出版だけれど、「青空文庫」あたりでは、こういう分野のリストアップは無理かなあ。

 この『美女とネズミと神々の島』は、読まずにルポルタージュと呼んでいいかどうか、わからないけれど、おそらく、そういうスタイルで書かれたものだろう。時期的には、日本のルポとして、まだ、先駆けだった時代にあたるのではないだろうか。

 今、ルポルタージュの状況は、どうなのだろう。
 京都のメインストリート、四条通りの、烏丸と河原町の間に、「談」という書店がある。この書店が開店して間もない頃、一階だったか、二階だったか、どっちか覚えていないのだけれど、「ルポルタージュ」というコーナーがあって、書棚の一画を厳然と占めていた。
 高校生だったか、学生だったか、なかなか欲しい本を買えはしなかったけれど、そんなコーナーがあるだけで、この店を全面的に支持したものだ。
 店は今もあるけれど、なつかしのコーナーは、影も形もない。二階、三階は、たしか漫画が占領している。

 ルポは、人の喜びも伝えるが、多くの場合、苦しみを伝える。人はなぜ苦しまなければならないか、そのことを考えることに、伝えることの社会的意味があるからだと思う。
 だけど、人の苦しみについて考える、そこに思いをはせるのは、こちらも苦しい。苦しみをのりこえる過程の、人の力がどのようなものかを知ることも含めて、現実と向き合う時間を持つというのは、気力、精神力のいることだ。

 今、みんな、何かといえば、自分をほめてあげたい人ばかり増えているような気がする。それはそれで、大切なことだとも思うが、みずからの苦痛をともなっても、社会を知り、人の苦しみを知り、理解して、そのことから自分の生き方を考えるということは、じつは、世の中を、ちゃんとしたスタイルにしていくための、基本ではないかと思う。

 かつて、ルポルタージュを書いていたような人たちが、今、多くテレビに出てコメンテーターとして活躍している。
 ちょっと心配するのは、下世話かもしれないが、テレビの、おそらく、原稿料よりもずっと多いギャラに慣れてしまって、地を這うような現場取材の積み重ねを忘れてしまわないだろうか、ということ。

 テレビでも、ドキュメンタリーは不遇だし、出版物でも、ルポルタージュのような地味で手間のかかるものは、出版社の側から企画したり、発注することは、ほとんどないだろう。

 明日は、ヒロシマ、八月六日。
 戦後日本のルポルタージュにとっては、この日も、ひとつの出発点だったかもしれない。
   
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2009年07月30日

もうすぐ、「大正百年」。

旧暦六月九日 丙子(ひのえね)

 7月30日は、大正改元の日。1912年が、大正元年だった。
 2011年は、「 大正百年 」になる。
 プランナーのみなさん、そろそろ、何か、用意を始める頃ですよ(笑)。

 大正時代は、わずか14年半。
 年表もすぐにつくれる(笑)。

 年表だけをみると、短かった大正時代には、あまり明るい出来事はない。
 第一次世界大戦が起こった。
 ロシア革命が始まり、内戦に干渉して、シベリア出兵。
 米騒動。
 そして、関東大震災に襲われた。
 死者・行方不明者が十万人を超えるという、まさに空前絶後の災害となった関東大震災では、そのどさくさにまぎれて、多くの社会主義者や自由主義者が暗殺され、在日朝鮮人が暴動を起こすというデマをもとに、殺されたり、暴行された。
 その時のデマを、新聞が、事実として報道していたことには、驚かされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Osaka-AsahiShinbun_(September3-1923).jpg

 大正デモクラシー、と称される、リベラリズムといっていいだろうか、当時の民主化運動が盛り上がった時代だともいわれる。
 普通選挙法が施行され、一方で、治安維持法が成立している。
 アメとムチ、というより、国民と旧体制との綱引きのようなものですね。

 第一次大戦には、便乗参戦して、「戦勝国」となり、恩恵を得た。
 大戦後の復興需要では大儲け。太平洋戦争後、朝鮮戦争特需で戦後復興をしたのと似ている。どうも、この頃、バブルだったみたいですね。ダンスホールがたくさんできて、賑わっていたなんていう話は、ジュリアナ東京を思い出させるなあ。

 バブルは、はじける。
 『新講日本史』(家永三郎・黒羽清隆共著/三省堂)なんて、フチがもう茶色くなった古い参考書を久しぶりに(というより、ほとんど勉強してはいなかった)開くと、こんなふうにあった。

 (前略)第一次大戦後の1920年(大正9年)におこった戦後恐慌は、とくに激甚なものであった。それは、ヨーロッパ全土が戦場に化するという異常事態に対応して、まるで「牛の真似をする蛙」のように膨張した生産力に原因を有するだけに、格別の深刻さを示していた。
 (中略)ついに全面的な恐慌に入りこんでいった。
 このため、貿易商・生産会社・銀行を中心として企業の倒産が続出し、その危機に直面した多数の企業は、日本銀行の特別融資金と大蔵省預金部の救済資金によって、かろうじて助けられるありさまであった。この場合、日銀融資は国家財政の支出であり、預金部資金のほとんどは郵便貯金だから、ここでは、国民の金で倒産危機にある企業を救うという国家権力の機能がみられるのである。

 なんだか、去年から今年にかけての、欧米や日本の状況と、似ているような…。

 まあまあ、気を取り直して。
 大正、というキーワードで思いつくものは、それにしても、少ない。
 オフクロが通信販売で買ったまま、一度も弾かずに押入で眠っている「大正琴」とか、それから、「大正エビ」って、どんなエビだったっけ。あと、大正、って、うーん。

 「みんな、大将だった、大正時代!」なんて、だめかな。男性雑誌なら、この時代の数寄者たちをとりあげても面白いかもしれない。

 一般的なのは、やっぱり「大正浪漫」というところでしょうか。
 「大正モダン」というほうは、少し、なじみがない気がする。

 世間は、来年の、平城京の1300年や、四年後、2013年の、伊勢神宮式年遷宮で盛り上がって(?)いる。
 華やかだし、ネタも多い。

 でも、ネットで「大正百年」を検索したら、ちゃんと「大正100年事業実行委員会」というところが、すでに「公式サイト」を開設していた。
  http://taisho-100.jp/
 恵那市役所観光交流室、に設置されている。
 そうか、恵那市には、「日本大正村」があるもんね。
 日本大正村のホームページをひらくと、トップにちゃんと「今年は大正98年です」とあった。(頷)

 まあ、再来年のことです。
 ゆっくり考えましょう。(笑) 
   
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2009年07月26日

悪石島、の、日食騒ぎ。

旧暦六月五日 壬申(みずのえさる)

 そういえば、旧暦での閏五月は明けました。
 先週水曜日の22日から、もう六月(笑)です。
 22日といえば、日食の日でしたが、悪石島へ行った人たちは気の毒でしたね。
 真っ暗になって、貴重な体験ができた、と、テレビの取材に、みなさん、みずからを慰めていたけれど、そりゃ、あそこまで、皆既日食だからこそ見に行ったのに、お天気相手で、しかたないとはいえ、くやしいでしょう。

 それにしても、「悪石島」というのは、すごい名前だ。
 最初に島を見つけた人が、よほど悪い印象を持ったのだろうか。
 黒澤明の映画にでも出てきそうな、まるで、物語の中の想像上の島みたい。

 あ、そうだ、と思い出して、本棚の隙間に入り、分厚い本を引っ張り出してきた。
 『日本の離島ガイド シマダス』(財団法人日本離島センター)。
 これによると、悪石島は、別名「美女とネズミと神々の島」と呼ばれているのだそうだ。

 なになに、美女?
 といっても、この1998年版のデータで、人口が42世帯71人(+4人)とあるから、半分女性としても30人余りでしょ? 世代分布が均等だとすれば、その半分くらいはお年寄りと子ども。せいいっぱい10〜15人が妙齢? の女性。
 うーん、ま、10人の美女と出会えば、おお、美女の島! となるよね…。

 『シマダス』では、言いっぱなしで、なんで美女の島なのか、には、まったく、ふれられていない。
 ネズミ、は、多かったということなのだろうなあ。
 なぜ「悪石島」と呼ぶのか、についても、冒頭の説明で、「その名のとおりの断崖絶壁に囲まれているが、」とあるだけで、断崖絶壁だから悪石? と疑問が残るだけ。
 いちばん、困るパターンですね。

 「神々の島」ということについては、少し詳しい説明が載っていた。島のあちこちに神が祀られていて、亜熱帯性樹林の中にいくつもの聖地があるという。
 旧暦の七月中旬に盆行事を行なうが、その最終日には、「ボゼ」という仮面神があらわれて盆踊りを終わらせ、行事をしめくくるのだそうだ。
 ボゼ、という呼び名の語源は何でしょうね。
 「このボゼは、長い鼻・大きな目・赤い縞模様のいでたちで、手にはボゼマラと呼ばれる長い棒を持っている。」とある。ボゼマラというのは、名前からすると、男根の象徴なのだろうか。「村びとのケガレを取り払う来訪神で、ボゼマラに塗られた赤土を付けてもらうと悪霊払いになる」のだそうだ。

 『シマダス』発行元の、「財団法人日本離島センター」というのは、昨今話題の天下り法人だろうかと思ってホームページをみてみたら、役員さんは、理事長を佐渡市長として、結構ローカルな自治体の首長さんたちで構成されていた。真剣らしい。
 「島づくり人材養成大学」なんていうのもやっていたり、『季刊しま』という広報誌も出している。「日本離島センターしましまネット」とあって、離島振興に、これつとめている、といった感じだけれど、リンクされる項目に「not found」が多く、広報誌も、きれいに組まれた目次は出てくるものの、リンクされているはずの誌面につながらない。
 このあたりが、どうしても、お役所なんですね。(笑)

 手許の『シマダス』は、1998年8月1日に初版発行で、12月10日の2刷版である。
 新刊、即、増し刷りですね。思いがけず、売れたんだ。
 定価は、2800円+税、となっていた。
 バブル崩壊後、延々と続く不景気の中で、われながら、よく、こんな、役に立たない本を(笑)買っていたものだと、あらためて、あきれる。

 でも、基礎データだけは綿密に一覧しているし、個別の地図や写真も入っているから、ヒマがあれば、おおきな日本地図でも壁に貼って、それを見ながら、思いつくままにひろい読みしていくと、面白いだろうな。じつにたくさんの島があって、日本が島で成り立っていることを再認識する。
 なにしろ、この版で、1050頁あまり、厚さが51ミリもある。
 日本離島センターのホームページでは、5年前に刊行した最新版が売り切れたと告知されていた。それが1328頁、3150円税込とあるから、どうやら、さらに厚さを増しているようだ。
 
 離島、という言葉には、とても魅力があるし、旅心を誘う。
 だけど、「離」島であればあるほど、生活の維持はたいへんにちがいない。地域格差の最たるものである。競争社会、などという概念が、最も適合しないことは、目にみえている。
 ならば、離島には人が住まなくなっていいのか、ということなんて、市場主義者は考えないのだろうな。

 悪石島で、日食を見られなかった人たちは、残念ではあったけれど、「美女と神々の島」は、堪能できたのでしょうか。
 『シマダス』に、「島じまん」という項目があって、特産物や、みやげ、郷土料理が紹介してあり、トビウオと、意外なことにタケノコがなにかと出てくる。それから、山羊料理。おお、食べてみたいなあ。
 よくわからないけれど興味津々なのは、「ガッチンゴッチンの豆腐(絶対旨い)」。どんな豆腐なんだろう。絶対旨い、とわざわざ書いてあるのが、まったく、客観的データではありませんね(笑)。

 せっかく、あれだけ、テレビクルーが現地に行きながら、放映で、日食を見る人たち以外の取材をほとんど見ることができなかったのは、少し残念だったし、もったいない。
 せめて「悪石島」の名前が全国に知られただけでも、「離島振興」の手がかりになれば、と思うのだけれど。
   
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2009年07月19日

ジャーナリズムの現況、と「拉致問題」田原総一郎発言。

旧暦閏五月二十七日 乙丑(きのとうし) 土用 土用の丑

 山鉾巡行は終わりましたが、まだまだ、祇園祭はいろいろやっています。ぜひ京都にお越しください(笑)。

 宵山の日には、ジャーナリズムからみの裁判のニュースが、ふたつ続きました。

 ひとつは『週刊現代』が、キャノンと御手洗会長から訴訟を起こされていた名誉毀損? の控訴審で、キャノン側が逆転敗訴した、というもので、もうひとつは、評論家の田原総一郎さんが、拉致被害者の有本恵子さんのご両親から慰謝料請求の訴訟を起こされた、という、ちょっとした驚き。

 キャノンの話は、該当する誌面を見ていないのでよくわからないけれど、どうやら『週刊現代』の広告、つまり、電車内の中吊りや、新聞の記事下に掲載される「今週号」の見出しを一覧した広告の中に、御手洗会長が、戦時中の日本軍「七三一部隊」と関係があったと「誤解されるような表現」があったとして、名誉を傷つけられたと、2億円の賠償を求めたらしい。
 一審では、発行元の講談社と記事を書いた斎藤貴男さんに200万円の支払いを命じたが、東京高裁はこれを取り消し、棄却した、ということである。

 このところ、次々とメディアの失態や敗訴が相次いでいた。
 まあ、どちらかといえば、ちゃんとしたウラをとらず、極端な例では、『週刊新潮』の、赤報隊の実名告白! なんていう(読もうとも思わなかったけれど)、絵に描いたようなガセネタは、いい例だし、大相撲の八百長、というのも、事実かどうかということより、突っ込まれたら証明できないだろう、という話だった。
 そんな、みずから墓穴を掘るような話で、次々とメディア側が敗訴していくのをみていると、全体のレベルが下がり、弱体化したジャーナリズムの隙をついて、権力が一気に巻き返しに出た、というような雰囲気さえ感じられていた。

 キャノンの件は、派遣問題などで、いろいろとマスコミから批判を受けてきた御手洗さんの、いわば脅しのような裁判でしょうね。御手洗さんが何かで2億円請求されたのかと思ってよく見たら、2億円請求していた、という記事で、驚いたものだった。
 この、キャノン側の逆転敗訴では、メディアたたき、ジャーナリズムつぶしに、ちょっと、歯止めがかかったのかもしれない。

 戦時中、生物・化学兵器の研究を行ない、石井部隊とも呼ばれた七三一部隊は、中国人の捕虜に生体実験を行なうなどの残虐行為で知られるが、キャノンの御手洗さんが関係したなどというと、なんとなく、専門違いでもあるだろうし、ちょっと強引? とも思うのだけれど、そんなに過剰反応したのならば、じつは何かあるのかな、と思ってしまう。

 おそらく、まだ、最高裁までいくのでしょう。まあ、こちらは、よくわからないので、これからの進展をみるとして、つねづね思うのは、裁判員制度までやろうというのなら、なぜ、公判記録をネットで公開しないのかな、ということ。

 気になるのは、もうひとつのニュースのほう。
 田原総一郎さんが、拉致被害者の有本恵子さんのご両親から慰謝料請求の訴訟を起こされた、「有本恵子さんと横田めぐみさんが生きていないのは外務省もわかっている」という発言は、そのとき録画をしておいて見た「朝まで生テレビ」で、鮮明に記憶に残っている。

 録画したDVDがまだ残っていたかどうか、探してみようとして、あ、そうそうと思い返し、ユーチューブで「田原総一郎」と検索したら、ちゃんとその時の一場面がアップされていた。
 その動画のURLが、コピペしても、うまくつながらないので、ユーチューブのトップのURLです。↓
 出てくるユーチューブの画面、右上の枠で「田原総一郎」と入れて検索すると、おそらく、いちばん上に出ます。

http://www.youtube.com/

 田原さんは、番組の中で、外務省のナンバー2だかナンバー3に話を聞いたというようなことを言っているが、これが当の発言の根拠となる取材源かどうかは少し不明瞭だ。
 例によって、テレビのニュース番組や、新聞など、それぞれ微妙に事実表現が違うので、これもちょっとわかりにくいのだが、裁判では、取材テープを提出してもいい、というようなことを田原さん側が言ったと、一部で出ていた。
 これは意外で、ちょっと問題ではないか。

 ことは、個人的なやりとりのいきさつではなく、歴史的事実として明確でなければならない、外交上の記録といっていい話である。客観的に証明されなければならない。
 また、一方で、取材源の秘匿、というのは、ジャーナリストにとって生命線といえる原則である。相手が、いかに外務省のくだらない官僚だとしても、簡単に「ネタもとはこいつですよ」と首を差し出すのは、弾圧下の密告と変わらない卑劣な行為である。

 あの田原総一郎、が、そんなことを本当に言ったのだろうか、と、驚いてしまう。
 もし、ニュースの誤報だとしたら、逆に、ジャーナリストにとっては、それ自体が、先のキャノンどころか、まさに「名誉毀損」での提訴となるべきだろう。

 もうひとつ気になるのは、この件で、有本さん夫妻は提訴したが、同様に「死亡」と言われた横田さん夫妻が、一緒に提訴していないようだということ。その意見の違いがあるのだとしたら、知りたい。

 ただ、いずれにしても、田原発言は、不用意だったのではないかと思う。
 ジャーナリストは、真実を探り、伝える必要がある。
 それが、決定的に不正を暴いたり、誤解されている事実を正したりすることで、誰か不利益を被っている人を救うという意義があれば正義であるし、本分である。

 だけど、そのことで、今、不当に虐げられたり、不利益を被っている人が、よりその被害を増すような条件であれば、その伝達は控えるべきだろう。
 たとえば、人々が弾圧されている強権国家で、抵抗して闘っている人の住まいや組織や戦略をあからさまに伝えたとしたら、いかに弾圧する側を利するか、というのは、火を見るより明らかだろう。それは、後に、彼らが安全になってから、正確な事実を残せばいいことである。
 要は、ジャーナリズムは、誰のためにあるものなのか、ということではないか。

 同時に、不用意で、思慮のない発言のしかたをしたとはいえ、事実関係というより感情論で、有本さん夫妻が、ジャーナリストを提訴したことにも、ちょっと、ためらいを感じる。田原発言は、事実以前に、言うべきではないし、今、言う必要もない発言だと思うけれど、ことがことだけに、ジャーナリズムに対してのプレッシャーは、大きいと思う。

 拉致問題は、日本人にとってだけでなく、人間として、何より許せない。
 個人的には、義勇軍をつくって、奪還に動くべきだと考えている。
 空想的かもしれないが、今、定年を迎えつつある団塊の世代などは、人口も多いし、かつては北朝鮮賛美をしていた中心世代でもあるのだから、みんな、捨て駒として、北朝鮮に上陸して、人海戦術であの理不尽なヤクザ政権を滅ぼせばいいのだ。
 だいたい、日本をおかしくした責任世代だし、金ちゃんと差し違えて滅びたら、あとの世代の年金もラクになるしね。
 すみません。(笑)

 それでも、やっぱり、有本夫妻が、おそらく提訴せざるを得なかったのだろうと想像する経緯は、違うかたちで、お互いの気持を通じ合える話ができなかったのかな、と、思ってしまって、気にかかる。
   
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2009年07月14日

舞妓さんの「無言参り」と、ネット情報の危うさ。

旧暦閏五月二十二日 庚申(かのえさる)

 インターネットという世界が出現して、便利になった。
 以前なら、企画書を書こうとするときに、手許にないデータを探すとか、あるいは、コピーをつくるためのきっかけを求めて、よく書店か図書館に出かけていった。
 今では、まず、ネット上で検索をしてみる、という作業が、最初になる。

 データ類では、公的機関のものや、PDF資料などは、基本的に、書店で探す出版物と同じ程度の信頼性があると考えていいだろう。もちろん、100%と思いこんではいけない。
 さまざまな「ちょっと知りたい」情報も、ネット上で、かなり得ることができる。
 え? こんなことまで! と思うくらいマイナーな知識が得られるのは、ネットならではの恩恵でしょうね。むしろ、マニアックなことほど、詳しく掲出されていたり(笑)。

 ただし、ネット上で、個人や団体が提供しているデータを、全面的に信頼すると、とんでもない落とし穴にはまることがある。
 ひと目でわかるような誤字脱字なんて、日常茶飯事だし、みるからにアブナイな、と思える、テキトーなネタは山ほどみかける。
 基本的には、個人や、愛好会のような団体の提供している、ホームページやブログなどで得られる情報は、必ず、ウラをとらなければコワイ。
 前々回、七夕の記事でご紹介した、宮中では今でも冷泉家同様に儀式が継承されている、というウェブ上の記事の間違いなども、そうである。

 ちょっと強烈な一例。すみません、話が長くなります(笑)。

 今、京都では、いよいよ祇園祭が佳境。もうすぐ、クライマックスの「山鉾巡行」を迎えようとしている。
 以前、ちいさなPR誌で、祇園祭をとりあげる際に、月並みな話ばかりでもなんだしな、と思って、「無言参り」を、小ネタとして入れることにした。
 無言参りというのは、祇園の花街に伝わる風習で、舞妓さんが、大切な願い事をかなえてもらうために、祇園祭の神輿が御旅所に鎮座されている間に、八坂神社と御旅所の間を七度往復して、お参りをするというもの。

 そのとき、ほかにも何か関連することで知らないことがあったら、と、インターネットであちこちみていたら、この「七度」( 八坂神社から始まって、最後に八坂神社に参って終わるので、厳密には七度半 )という、お参りの方法が、わけがわからなくなってしまった。

 今でも、「無言参り」を検索してみていただくと一目瞭然だが、検索結果の上位に出てくるサイトが、すべてといっていいほど、毎日、七日間、続けて参る、というようなことを言っている。当時よりすごい。ウィキペディアまで、そうなっている。
 これだけ、みんなが同じことを表記していると、つい、それが、ほんとうかな、と思ってしまう。

 最初、ええっ? と思ったものの、こういった、風習、慣習に関することで、正確なことを記録したサイトというのは、なかなか望むべくもない。
 で、その時、思い出したのが、ずいぶん前に買って置いていた、もと芸妓さんの、早崎春勇さんという人による『祇園よいばなし』(京都書院)という本だった。
 あとがきから察すると、神内一郎さんという人が聞き書きをしているようだ。

 ここに、「無言参り」という項目があった。

 あたしら小さいころから、「無言参り」というのがありましたえ。だれにも人にはいえへん願いごとがありますと、それをどうぞかなえてくれはりますようにと、最初祇園さんにお参りして、その足でお旅所に参ります。これが一回。それを七回半繰り返えすのどす。お参りの途中でだれにお目にかかっても、声をかけたり、人さんから声かけられてしゃべってしまうと、あかんのどす。
 四条の寺町にお旅所がありますやろ、祇園さんのお祭りに、おみこしさんが並んでおさまらはります。巡行の日から二十四日の還幸祭まで、あそこに居つづけしやはるのどす。その一週間ほどの間に、「無言参り」をするのどす。

 こまかなシチュエーションが記されていて、雰囲気もよくわかる。

 「無言参り」は、たいがい夜さり遅うから始めます。(中略)
 舞妓さんは、お座敷が終わったあと、屋形へ帰って着物脱いで、浴衣に着替えて、それからよさり一時、二時ごろになってから「無言参り」に行かはりました。
 その途中で、芸妓さんや舞妓さん同士が顔合わしても、「ああ無言参りしてはるのやなあ」とわかりますさかい、お互いに声かけたりはしやしまへん。ところが、お客さんに出会いますと、やっかいなことになるのどす。知らん顔してだまってすれ違うわけにもいかしまへんさかい、お客さんがあっちゃから歩いて来やはりましたら、こっちが先にしゅっと隠れて、道それましたり、電信柱の陰に隠れるように立ってます。

 ここでも、厳密には、ひと晩で七度参る、ということまで記してないが、決定的な一節が、あとに続く。

 お客さんの方が先にみつけて、「ああ、あいつ無言参りしてよるな」わかって、知らん顔して通ってくれはることもあります。ま、中には「しゃべらしてみたろか」というて、悪いてんごしゃはることがあるのどす。一ぺんでも人さんと口きいたら、また最初からやり直さんなりまへん。五、六回目にそんな目にあいますと、またやり直しているうち、かれこれ夜が明けてしまいます。

 これで、一晩で参る、ということが確実にわかりますね。 

 発行元の京都書院は、ずっと前になくなって、完璧な絶版書なので、ちょっと長くなりましたが、引用しておきました。
 この著者の、春勇ねえさんは、お元気ならすでに百歳を越えておられるはず。
 この本は、よく残しておいていただいた、と思える、いい資料です。

 ついでにいえば、これも、なくなってしまった版元、駸々堂が出していた『舞妓の四季』(依田義賢/ユニコンカラー双書)という本にも、こうある。

 さて、お神輿さんは、西のもと祇園というお社まで行かはって、東へ帰ってきやはって、そして、四条寺町のお旅所の屋形のうちにならんでおさまらはるのである。それから、七日、二十四日の還幸祭まで、逗留(いつづけ)しやはるわけになるのやが、祇園の無言詣(むごんもうで)といわれてるのは、この間にあるのである。

 「この間にある」。とある。
 具体性に欠けるけれど、毎日通うというニュアンスでないのは、前書と共通している。
 「もと祇園」と出てくるのは、四条坊城にある「椰神社(なぎじんじゃ)」のことですね。

 最近、また、ちょくちょく、芸妓さんや、もと芸妓さんが書いた本が出ているようだが、資料になるような記録や語りではなく、世代もかわって、妙に野心的というか、個性の強そうなものが多そうで、あまり手が伸びない。書き手のかたがたも、おそらく、舞妓さんのころに、思いをこめて無言参りをしたようなことなどは、ないのではないか。

 かくして、誰もやらなくなったからこそ、一晩で七度参る「無言参り」は、いつしか、七日七晩参り続けるという話として、どんどん子引き、孫引きされていき、おそらくは、これが、そのまま後世に伝わるのでしょうねえ(嘆)。

 せめて印刷物の場合、チェック機能が多少ともはたらくけれど、ネットは奔放至極。その危うさを、常に知るべきだと、つくづく思う。
 どこだったか、大学の学長さんが、「原典にあたれ」とおっしゃっていたけれど、そのことには、学生の論文などにも、同様の危機があるからかもしれない。
   
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2009年07月10日

静岡県知事選での、テストマーケティング。

旧暦閏五月十八日 丙辰(ひのえたつ)

 もう、三日にして忘れ去られたような感もあるけれど、この前の日曜日に行なわれた静岡県知事選挙で、民主党、社会民主党、国民新党が推薦していた、川勝平太さんが、自民党、公明党の推薦する坂本由紀子さんを破って当選した。

 その差は、1万5千票あまり。
 麻生太郎さんは「わずかの差ですが…」と言っていたけれど、同時に参戦していた海野徹さんという人が、もと民主党の参議院議員で、33万票以上を得ていたことを考えれば、負け惜しみ以前の、現状認識も何もない発言だろう。

 しかも、投票率が61%をわずかに超えたという、都市型に近い選挙としては相当の高率だったことは、いかに、有権者の「堪忍袋の緒」が切れたかを示している。
 前回より15ポイントくらい上がったという、この投票率の、年代別の内訳がわかると、もう少し、状況がつかめるのではないか。

 川勝平太さんという人は、京都の出身者らしい。
 略歴をみると、選挙用プロフィールでは京都生まれとあったり、ウィキペディアでは大阪生まれとあったりして、よくわからないが、まあ、関西人でしょう(笑)。
 京都の白梅町近くにある洛星高等学校から早稲田大学に行っている。京都でこの世代のかたがたの洛星高校は、神戸の灘高みたいなものですから、秀才なんですね。
 ちなみに、神戸の灘高出身を看板にして、今いちばん目立っているかたは(笑)、勝谷誠彦さんです。

 静岡大学の学長を辞めて、と思っていたら、静岡大学ではなくて、静岡文化芸術大学の学長だった。
 静岡文化芸術大学というのは、10年くらい前に開校し、初代の学長には、高坂正堯さんを予定していたが、亡くなったので、木村尚三郎さんを初代学長として迎えたそうだ。結果、よかったのではないか。そして、また、木村尚三郎さんが亡くなってしまったので、二代目に川勝平太さんを迎えたらしい。そういった流れからして、民主党候補として学長を辞める手続きも、なかなかたいへんだったでしょうね。

 もともと、「富国有徳」論をもって、小渕恵三元首相のブレーンであったとか、川勝さんご本人の理想とする内閣が、櫻井よしこさんの首相に、曽野綾子さんの外務大臣? だとかいうから、よく民主党が候補にかついだものだとも思うけれど、まあ、柔軟なかたでしょう(笑)。

 この時期、静岡県知事選で、自民党・公明党が敗北したという結果には、大型地方選で四連敗したという以上に、大きな意味があるのではないかと思う。

 じつは、メディアがよくテストマーケットとしてとりあげるのが、静岡県らしい。

 最近の詳しい話を聞いていないので申し訳ないのですが、十年くらい前まで、たとえば、よくある週刊百科的なビジュアル分冊本であるとか、新しい雑誌などの立ち上げの際に、まず、静岡県域でテスト版を発行し、出版社は、その結果によって、全国版としての発行部数や、場合によってはゴーサインそのものを決定する、ということをよく耳にした。
 今でも、人口比率や職業構成といった地域データは、そんなに変わっていないと思う。
 つまり、テスト版としての静岡県知事選挙は、このあと、一ヶ月、二ヶ月先の、衆議院選挙の結果、いってみれば、民主党にとっての創刊号発売にゴーサインを出したわけである。

 小沢一郎さんの西松建設献金問題では、霞ヶ関( 検察も既得権益側である )が、異常ともいわれる、なりふりかまわない逮捕劇に踏み切ったり、今では、自民党が、鳩山由紀夫さんの「故人献金」追求に執念をみせたりしているけれど、もう、そういったことでは流れは変わらないだろう。むしろ、民主党への攻撃が、逆効果にさえなりかねない。

 小沢さんも、鳩山さんも、もともと自民党。たいして違わない、とも思うし、表面化してたたかれている問題は、程度はどうあれ、くだらなくて悪いことである。国民はみんなそう思っている。
 それでも、政権にしがみついている自民・公明より、ちょっとはましだろう、ここまでひどい環境をつくってきた、政権政党と霞ヶ関の利権官僚を、まずドブに捨ててからでないと始まらない、という感情が渦巻いていることが、静岡の「テストマーケット」で、はっきりと示されたのではないか。

 ここまでくると、解散を先延ばしにすればするほど、政権延命の党略ということがよけいに敵意をまねいて、現政権与党にとって、さらに状況は悪化するだろう。自民党さんの一部で希望の星となっている、暴行・淫行の政治家、そのまんま東さんも、おそらく、期待ほどの票は得られないだろう。

 小泉郵政選挙では、広報戦略で国民を手玉にとったけれど、広報の成否以前に、マーケットを読み間違えていては、根本的に戦略をあやまる。
 せっかくのテストマーケティングから、学習することができない政治屋さんたちは、さて、そのまま総選挙で敗北したとすれば、「いったん下野して」といった甘い道で、すむのかどうか。
   
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2009年07月07日

七夕? 棚機? 二星? 乞巧奠!

七夕 旧暦閏五月十五日 癸丑(みずのとうし) 小暑

 京都に冷泉(れいぜい)家という名家がある。
 王朝貴族の流れをくみ、「お公家さん」として、八百年の歴史を連綿と伝えてきた同家では、七夕の行事をふたつ行なうそうだ。
 ひとつは「乞巧奠(きっこうてん)」で、もうひとつは「二星(たなばた)」。(『冷泉布美子が語る京の雅冷泉家の年中行事』集英社)

 冷泉家の行事の内容は別として、もともと「乞巧奠」は、女性が機織りや裁縫(手仕事の巧み)の上達を願い(乞う)、神仏に供物をそなえて祭る(奠)というものであり、「二星」のほうは、ご存じ「織姫」「彦星」の伝説を思い出させます。

 かつて京都文化博物館で「冷泉家の至宝展」という展覧会があったとき、この、冷泉家の七夕で庭に飾られる「星の座」というのが再現されていた。
 供物や楽器が灯明の載る台に捧げられ、五色の幡(?)や糸、織物が鮮やかだった。
 粋なのは、正面に置かれた角盥(つのだらい)に水を張り、これに星を映す、という演出。池の水面に映る名月を愛でる、といった趣向と同じような風雅の趣味でしょうか。

 この角盥の水には、梶の葉が浮かせてあるが、それだけではなくて、梶の葉は、星の座のあちこちに飾られている。
 梶の木そのものについている葉を、まだ見たことがないのだけれど、これ、誰かがデザインして切り紙細工でつくったのかと思うくらい、造形的な葉っぱですねえ。
 おそらく、魔よけとか、霊力があるといったことで祭祀に用いるようになったのでしょうけれど、あの複雑でいてシンプル、何か人の力を超えたような、ほかにないかたちに、昔の人は、神の力を感じたのでしょう。

 冷泉家について、前出の『〜年中行事』より、もうちょっと前にまとめられた『冷泉家の歳時記』(荒尾須賀子・小寺比出子/京都新聞社)によると、七夕に、「夏百首(げひゃくしゅ)」として歌を詠み、さらに「七夕(しゅっせき)の題」として七題で七首の歌を詠むのだそうだ。
 『〜年中行事』では、乞巧奠は当家の歌の門下生の人たちが中心で、二星は家族だけで行なうとあるので、きっと、夏百首は乞巧奠で、七首の歌は二星で詠まれるのでしょうね。

 この冷泉家の本の場合、どちらも聞き書きであって、ライターが別にいるのがわかる本だけれど、こういった、こまかなところが、これに限らず、多くの本で、あいまいなまま記されていることに、いつも不満を感じる。聞き手や編集者が、もっと疑問や興味を持ってくれていればと思ってしまう。もったいない。

 この冷泉家の「七夕」の行事は、旧暦で行なわれるようだ。
 ちなみに、今年の旧暦での七夕は、8月26日になります。

 ウェブ上でみていたら、こういった古来の七夕行事が、冷泉家と、宮中、つまり皇室で伝承されている、というようなことが記されていたが、昭和天皇の侍従長だった入江相政さんによると(『宮中歳時記』小学館文庫)、今ではもう行なわれていない、ということである。
 貴重な無形文化財といえる。
 冷泉家は「和歌の家」であり、そのため、最も重要なのが、正月の歌会始めであり、次いでこの、七夕の行事だという。(『〜冷泉家の年中行事』)
 だからこそ、残されてきたのでしょうね。

 それにしても、天の川を隔てて、年に一回出会う男女の物語なんて、バレンタインデーよりずっとロマンチックではないかしら。
 梶の葉のデザインなんかも、待ち受け画面にしたい!?
 天の川には、鵲(カササギ)が橋をかけるのだとか、そのカササギの鳴き声は吉兆だとか、七夕は棚機であって、日本では『古事記』の棚機津女(タナバタツヒメ)に由来するとか、伝来のもと中国にたどれば、菎崙山(こんろんさん)に住む神女、西王母(せいおうぼ)にゆきつくとか、いっぱい小ネタもある。牽牛星と織女星の伝説だって、いくつものバリエーションがある。
 「ミルキーウェイ」のほうから攻めたっていいよね。

 環境問題だって、「あの美しい天の川を、都会でもう一度見よう! キャンペーン」としたっていいのではないかな。

 どうして、みんな、もっと販促に活用しないのでしょうねえ(嘆)。
 おととい、百貨店の一階を通り抜けてきたけれど、あの、笹の七夕飾りも見かけなかったなあ。
 みかけるのは、せいぜい、スーパーか商店街のチラシに入る「七夕セール」の文字くらい。これは、べつに七夕だってなんだっていいでしょう(笑)。

 旧暦なら七夕は上弦の月くらいだそうですが、新暦七夕の今夜は、たしか満月。
 月が細かったり、闇夜でも、今や天の川はまず見えませんが、ちょっと見上げて、織姫さんと彦星さんのランデブーに、思いをはせてみるのも、たまにはいいかもしれません。
   
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2009年07月02日

まだ、夏はこれからだけれど「半夏」

旧暦閏五月十日 戊申(つちのえさる) 半夏生

 一週間くらい前だったか、たしか、京都府立植物園でハンゲショウの花が咲いた、というトピックが、テレビのニュース番組で流れていた。
 テレビ映像か写真でしかみたことがないけれど、上品な印象の植物ですね。

 房状の穂のようなものが花なのだろうと思って、よく見たいと画像検索して探してみたら、アップの写真が提供されていた。

http://motos.fc2web.com/hana/6kihangeshou.html

 子どもの頃、住んでいた家の窓の外に、よく、ヤモリがはりついていた。天井は、ガラスのようには吸い付きにくかったのか、ときどき落ちてきて、手のひらの上で、あおむけになってジタバタしていた。この花は、あのヤモリくんの両手両足に、なんとなく似ていて、美しい、というほどではないけれど、妙に可愛らしい。

 花は目立たないけれど、花穂に近い葉っぱが白く変色して、花びらのようにみえる。
 アジサイなんかでも、やはり花が目立たなくて、花のように見えているのは、ガクの部分なのだそうだけれど、この季節には、そういう植物が多いのかな。

 今日は、こよみの上で「半夏生」。旧暦でいう「七十二候」のひとつ。
 もともと、冬至から始めて、太陽が一巡する一年を(これは太陽暦ですね)約十五日ごとに二十四分したのが「二十四節気」で、これをさらに三等分して、五日ごとに分けたのが「七十二候」だそうだ。今は春分から計算しているらしい。ああ、ややこしい。

 ハンゲショウの名前の由来は、この、半夏生の頃に花が咲くから、あるいは、葉っぱが、お化粧をしたように半分白く変わるから、などといわれている。カタシログサ(片白草)とも呼ぶそうだ。
 『現代こよみ読み解き辞典』(柏書房)には、次のようにある。


 半夏生は梅雨の終期にあたり、農家の人たちは、この日までには田植えを済ませ、どんな気候不順な年でも、このあとは田植えをしないという習慣があった。八十八夜とともに、江戸時代の農民にとって重要な雑節の一つであった。「半夏生前なら半作(はんさく)とれる」という言い伝えは、田植えが遅れても、半夏生の前であったら平年作の半分までは収穫できるという教えである。

 旧暦はだいたい、農事暦として便利な目安になっていたのですね。
 同書には、さらに、こんなふうにある。

 半夏生の頃には、天から毒気が降るとか、地が陰毒を含んで毒草を生じるなどという言い伝えがあり、竹の子・わらび・野菜を食べること、竹林に入ること、種をまくことを忌む風習があった。

 あとおしするように、『故事俗信ことわざ大辞典』(小学館)には、

「半夏生筍梅雨蕨」
 (半夏生のころの筍と、つゆ時の蕨〈ワラビ〉には虫がいたり毒があったりするので食べられないという俗説)
「半夏生の日にとった生き物を食うな」
 (半夏生の日には毒気が降るから、野菜を食べてはならないという)
 
 さらには、

「半夏生に葱畑へ入ると死ぬ」
「半夏生に畑に行くとはげる」

なんていうものまで載っている。

 あ、ドキッとしたかた、ご安心ください。
 「はげる」というほうは、十津川の俗信という出典で、「はげる=日焼けする」という方言だそうですから(ホントかなあ)。
 葱畑に入っただけで死んだのではたまらないけれど、それほど、この時期の食べものの採取には気をつけろということなのでしょうね。

 そういえば、昨夜、ヨーグルトに混ぜようとしたら、自家製のリンゴジャムに、青カビが生えかけていました。畑じゃなくて冷蔵庫なのに(泣)。

 「半夏」と呼ばれる植物は、じつは別にあって、「カラスビシャク」という、こちらは半夏湯(はんげとう)なんていう、漢方薬になるらしい。
 この、半夏が鞘(さや)をつけるのが、この時期ということで「半夏生」の候名がついたという。

 でまた、「半夏」という言葉そのものの由来は、仏教でこの時期に行なう九十日間の修行「夏安居(げあんご)」の中間の日のことだそうである。
 お坊さんは、ふだん、各地を歩いて修行や教化を行なう(遊行=ゆぎょう)のだけれど、この時期には、雨も多いし、虫や小動物が動き回りはじめるのを踏みつぶしたりして殺生になる、ということで、夏行(げぎょう)として、お堂かどこかにこもって修行をする。それが、夏安居。「安居」というのは、もともと、梵語の「雨期」の訳語らしい。

 たどりたどれば、どうやらこれも、よくある仏教由来のことば。梅雨の長雨でウチにこもって修行するお坊さんの、折り返し地点の頃にサヤをつける植物があって、それがこよみの時候の名称になって、その頃に咲く花に、その名前がついた?

 と、ようやく流れがみえてきた? ものの、夏本番は「半夏」とはいかず、これから。
 あー、まだ三ヶ月は暑い日が続きますね(嘆)。
 畑に行って、はげすぎないようにしましょう。
   
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2009年06月26日

東国原英夫(初代そのまんま東)という人品。

旧暦閏五月四日 壬寅(みずのえとら)

 「オレを総裁にでもする覚悟があるなら、呼びに来い」
と言ったようなものですね。
 カッコいいね。

 そのまんま東(東国原英夫)というタレント知事は、要領のいい人物である。
 天才でも秀才でもないけれど、中途半端な政治家のように馬鹿ではない。まず、第一に、マスコミが何に反応するかをよく知っている。テレビ画面への映り方をちゃんと考えている。ムッ、とした顔なども、ほとんど見せない。
 これまでの政治家のみなさんにとって、学ぶところは、多いですねえ。

 でも、90%だかの支持を与える宮崎県の人たちをコケにするわけではないが、かつての大阪府知事、横山ノックさんと、どれほどの違いがあるのだろうか。

 そのまんま東、という芸名は、タレントのゾマホンさんに譲ったのだそうで、正確にいえば「初代そのまんま東」? 
 その、初代そのまんま東である、東国原英夫さんには、みなさんもう、すっかり忘れているけれど、犯罪歴がいくつかある。人の犯罪歴など、あげつらうべきではないし、更生をさまたげてはいけないのだけれど、あの人の場合は、ちょっと、こすっからく、すり抜けてきた印象があるのと、じつは、最もやってはいけないことをやってきたのではないか、そして、それを反省しているのだろうか、という疑問がある。

 ほかにも、何かやっているのかどうかは知らないけれど(笑)、ひとつは、雑誌編集部の襲撃、傷害事件と、もうひとつは、少女買春、淫行行為。さらに、後輩タレントへの殴打事件というのもあった。
 もう、たいていの人が、忘れていますね。

 人のことはいえなくて、こちらもなかば忘れかけているので、正確を期するために、多少、確かめてみようとした。
 ウィキペディアに「フライデー襲撃事件」という項目が、ちゃんとある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%BC%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%9B%BD%E5%8E%9F%E8%8B%B1%E5%A4%AB

 なんでもあるんだなあ(笑)。
 たけし軍団に好意的に書かれている印象だけれど、その中に、東国原英夫さん=そのまんま東、の話もある。

「師匠が行くなら俺たちも」と愚直に、たけしと共にフライデースタッフに飛びかかる軍団を尻目に、そのまんま東は入り口付近でタバコを吸いながら傍観を決め込んでいたという。また東は、「“酔っていて記憶がない”という言い訳を作るため、あらかじめ缶ビールを飲んでいった」とか「しぶしぶ後ろをついて歩いて最後にエレベーターに乗ったら、出る際には一番前になってしまった」、「推理小説を書いていて、江戸川乱歩賞をねらっているので、賞の後援である講談社はやめて、文藝春秋社なんかにしてくれないか」など襲撃に対して消極的だったと思えるコメントを事件後に語っている。

 ところどころ、ほかでも聞いたような気がする。おそらく、ほぼ正確にひろっているのでしょう。実際にどうだったのか、「ネタ」としてつくった話かは別として、こういうコメントを考えるところが、ずる賢い。

 そのとき、襲撃の話を聞いた、今は亡き、横山のやっさんが、(ビートたけしの行為に)「ひとりで行け、アホ!」と言ったというのは、もう伝説になっているが、そのやっさんも、「フライデーを襲った」ということについては同情的だったという。
 それは、社会全体の雰囲気だったかもしれないし、こちらも、当時のフライデーを擁護する気など、さらさらないけれど、コトの本質をみることは大切だ。

 フライデーの取材姿勢がどうであったにせよ、まがりなりにも、「報道」をしていた機関の編集部。そこに殴り込んだという行為は、見た目のレベルは違っても、結果として、あの、朝日新聞阪神支局で若い記者を射殺した、「赤報隊」と同じことだといえる。
 これは、じつは、重要なことである。
 お笑いだから、みたいなことで、結構、甘い見方がされてきたと思うけれど、ほんとうのところは、「しゃれにならない」話である。

 さらに、16歳の少女との「淫行」も、当時はかなり批判され(まだ、かとうかずこさんとも結婚していた頃である)、芸能活動をしばらく自粛したらしいけれど、先の襲撃事件とともに、これまでに、本当に反省したという印象はない。

 地方自治体の首長に、任期途中で辞めてウチの選挙を助けてよ、という自民党さんも地に落ちたものだが、マスコミを暴力で襲撃して反省のない人物を、別人のようにヨイショしているテレビも、無定見というほかない。

 劇場型選挙、などといわれて久しい。小泉さんの「郵政選挙」では、世耕弘成さんという、もとNTTの広報マンが「メディア対策のプロ」として、国民を手玉に取るプロモーションを手伝った。
 いまや、選挙は、エリアが大きくなるほど、CM(コマーシャルメッセージ)的手法が有効になってきた。つまり、「商業的な伝達手法」が成果をあげる。
 当然、商品コマーシャルと同様に、「知名度」や「好感度」の高いタレント(候補者)を起用することが注目を集め、好印象を刷り込み、商品(政党)への支持を高める。
 こういったフィールドの質を変えることは、難しいだろうなあ。

 それにしても、民主党がなにか大失敗でもしたら、初代の東さんが、そのまんま、総理にでもなりかねない、というのが、今の日本の政治状況ではないかと思うと、ほんと、しゃれにならない。
   
タグ:選挙 報道 CM
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2009年06月23日

閏月が、はじまる。

旧暦閏五月一日 己亥(つちのとい)

 旧暦でいえば、昨日、五月が終わったけれど、今日はふたたび、五月一日。
 閏五月が、今日からはじまる。

 閏月は、現代のこよみでいえば、閏年の二月二十九日のようなもの。
 そこに、いち日ではなくて、ひと月入る。

 旧暦は、お月さまの動きで組み立てられているから、大雑把にいえば、月の見えない闇夜にあたる、朔(さく)の日(=ついたち)から満月を経て、ふたたび月が見えなくなるまでが一ヶ月。
 地球から見える月の満ち欠けの周期は29日と30日の間なので(公転周期はもうちょっと短い!)旧暦の一ヶ月は29日だったり30日だったりするけれど、いずれにしても、太陽暦に較べて一年が十日あまり短くなるので、どこかで調整することになる。それが閏月。
 太陽暦では、閏年に、二月を一日増やすだけで、おおむね成り立っているけれど、旧暦つまり太陰暦では、毎年の余りが多いので、たまに一ヶ月分入れて調整することになる。
 昔、旧暦が正式に使われていた頃だと、ずいぶんトクした気分になっただろうなあ。

 せっかく、「閏月」なんてあるのだから、「 ひと月、トクした! 」キャンペーン。なんて、やったらどうだろう。
 ちかごろ、旧暦に関心を持つ人も、案外、多くなったような気がする。
 一応、旧暦って何だ? みたいなところも、なんとなく、理解されているような(笑)。
 だから、「 旧暦の 」と話を始めても、そんなに違和感はない。むしろ興味を惹くことができるかもしれない。

 「6月23日から7月21日までは閏5月です!」といえば、え? 何、それ。となるでしょう。
 閏月、閏年、の「 閏 」には「うるおう」という意味もあるそうだ。「門」の中に「王」と書くのだけれど、「王」は「玉」であり、財貨を意味するという。門の内に財があふれて家がうるおう、つまり、閏月には、月日のほうもあふれて潤っているわけで、毎日が大安吉日のようなもの?(笑)。

 閏五月は、うるおう一ヶ月! 「うるおいポイント」かなんか加算するのもいいなあ。
 そのまま、語呂合わせで、「うるおいプラス」サービスなんて、化粧品でもエステでも、健康食品だって、できますね。

 お月さまを基準にした太陰暦、すなわち旧暦には、バリエーションがいくつかあるらしいものの、もともと世界で使われてきた。
 で、みんな、似たようなものだと思っていたら、イスラム暦では、閏月を入れないのだそうだ。うーん、昔から、頑固な人たちなんですね(笑)。
 だから、あの、有名なラマダンの断食月も、旧暦できちんと行なう行事だから、毎年そのままずれていって、真夏にやることもあれば、真冬のこともあるらしい。
 そういう年中行事感覚も面白いですね。日本の固定観念でとらえていたら、きっと、まったく違う世界がある。

 そのイスラムの世界、イランがゆれている。
 このまま体制がひっくり返るところまで行くとは、まだ想像できないが、今年は奇しくも、ホメイニさんによる、かつてのイラン革命から30年。
 かりに、アフマディなんとかさんが、この危機を切り抜けたとしても、そう長くはもたないだろう。
 少なくとも、ジャーナリストの動きを封殺し、追い出したり、理不尽な拘束をしたりした国家体制というのは、これまでの歴史をみても、早かれ遅かれ、崩壊している。
 なぜか。
 日本国内の記者クラブあたりで、オダをあげている連中とはちがって、ああいう状況で現場の取材に出るということは、ときに命がけである。だから、少なくとも、多少の使命感のようなものがなければ踏みとどまれない。それは、元来のジャーナリストの本能だ。腹をくくった探究者は、権力にとって恐い。世界への眼となり、耳となろうと、身を賭して迫ろうとする。
 事実、真実を、隠そうとすればするほど、正義は消えて、すべてを敵にまわすことになっていく。

 それにしても、イランでも、あの状況から、日本人ジャーナリストが報道の役割を果たすとしたら、また、たいていがフリーランサーということになるでしょうね。アフガニスタンでも、ミャンマーでも、亡くなったのは大手新聞やテレビの記者ではなかった。

 日本では、長い間、今イランでおきているようなデモや騒乱もなく、平和を謳歌してきたけれど、今日、六月二十三日は、あの太平洋戦争で、日本で唯一の、民間人を巻き込んでの地上戦が行なわれた、沖縄戦の集結の日であり、慰霊の日でもあるそうだ。
 それから六十年以上も経つというのに、辛酸を嘗めてきた沖縄に対して、未だに、集団自決が自主的なものだったと言ってはばからない人たちがいることも、思えば、なんとも、やりきれない気持になる。
   
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2009年06月17日

雨が降らない日の、かたつむり?

旧暦五月二十五日 癸巳(みずのとみ)

 ふだん、新聞の投稿欄や文芸欄といった紙面は、まず見ることがないのだけれど、このあいだ、ページをめくっているときに、珍しく、ふと、一行が、目についた。

    かたつむり雨の日以外何してる

 あらためて見てみると、小学生に俳句の投稿を求めるコーナーになっている。この「一句」は、小学校4年生の女の子らしい。このほかにも「二句」掲載されていて、みんな、俳句というには、ちょっとね、と、素人としては思ってしまうけれど、それが大人のいけないところですね。小学生だもんね。

 かたつむりそのものを、あまりみかけなくなってしまったけれど、ほんと、雨の降っていない日には、何をしているんでしょうね。

 この、ちょっとした疑問、これは、コピー的発想でもあります。
 そうなんだ。晴れていたら、みかけない。雨が降っていないときには、かたつむりは、どこにいて、何をしているのだろう。

 陽射しを避けて、土の中にもぐっているかもしれない。殻の中に、まるまっているのかな。
 でも、それでは、かたつむりさんも、退屈だろう。
 きっと、雨が降っているときが忙しいのだろうから、晴れたらヒマ? じゃ、そのときに我が家を片づけているかもしれない。人間と反対だ。
 それもちょっと、ロマンがないな。雨がやんだら、どこかの日陰をさがして、デートしてるかもね。
 かたつむりさんにとっては、雨の日のほうが幸せなんだろうなあ。でも、案外、晴れた日に、今日はいい天気だぞ、なんて、遠出をしていたりして。

 ストレートにいけば、いちばん似合うのは、雨具の広告?
 いやいや、雨上がりの爽やかさ。アジサイの葉陰にかたつむりさんがいたりして、あの薄紫の「花」にたまった水滴に陽射しが反射して、空気清浄機なんか似合いそうだな。
 まわりの、すっきり、つやつや感で、カーワックスだっていけるぞ。

 つい、ビジュアルで考えてしまうけれど、立ち戻れば、雨の降っていないときに、何をしているのかな、ということが、切り口としての面白さでしたね。
 水を求めて、というセンでいくと、うーん、お風呂に悠々と入っていたり、シャワーを浴びていたり、お、意外と、プールで泳いでいたり。
 泳ぐなら、背泳ぎだろうか、クロールだろうか。結構、絵になりそうだな。
 オーソドックスに、読書していたり、音楽を聴いていたり、なんていう、知性派かもしれない。晴れた午後には、モーツアルト?

 ハッピーなことだけとは限りませんね。
 大きな鳥さんが来て、危機一髪、なんてこともある。
 首を縮めて、あの殻の中にまるまって、枝から落ちて、ころころところがって、さて、どこに行くのかな。冒険物語が始まる。

 とりあえず、想像するのは、コピーの基本。
 きっかけをつくってくれた、小4のお嬢さんの「俳句」。まだ、そこまで求めるのは早いかもしれないけれど、ことばの扱いかたとしては、「雨の日以外」の「以外」という、一語が、ちょっともったいないのですね。
 なんというのでしょう。平文? 常文? 要するに、「以外」と入ることで、事務的な文章になってしまう。ストレートな説明には、含みがない。

    かたつむり 晴れてる日には なにしてる
    かたつむり 雨がやんだら どこにいく

 うーん、いまいち、かな。
 添削にはなりませんね。
 でも、「以外」を取り替えるだけで、やわらかくなるわけです。

 ま、コピー作法は別として、ふだんから疑問を持つことが仕事のような、子どもたちからは、いろいろと教えられる。
 ちょっとしたことを気づかされるのは、楽しい。
 なんでもないことに、ふと、立ち止まってみることが、大人になるほどに減っていく。

 あ、まてよ?
 え? それって、なに?
 そんな、「?」が、コピーも、デザインも、そしてコンセプトそのものにも、最初のタネなんですよね。
   
タグ:発想 コピー
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2009年06月13日

マスコミは、郵政問題を伝えているか。

旧暦五月二十一日 己丑(つちのとうし)

 驚いたことに、麻生内閣は、いよいよ、西川善文さんと心中を決めたみたいですねえ。

 とにかく、一日でも長く首相の座に居座りたい、という執念だけで続けている人としては、そちらの応援団のほうが力があり、そっちに組みするほうが、長くやっていられる、と、相変わらずシンプルに判断したのでしょうけれど、それは、内輪での力関係をみているだけのことで、選挙となると、国民との力関係ですからね。

 べつに、鳩山さんが正義の人だなんて思う、お人好しは、いないのでしょうけれど、今回のことで、鳩山邦夫さんと西川善文さんとのどちらが悪いか正しいか、というより、どちらが国民から、より敵視されているか、をみると、やっぱり、最悪の選択でしょう。

 一応、民間企業の人事に政府が口をだすべきではない、というのは筋が通っているようですが、でも、もともと、政府、というか、小泉さんと竹中さんが送り込んだ取締役会のようなものではないのかな。

 マスコミ、とくにテレビは、暗黙の了解のうちに善悪を単純に分けて、スキャンダラスに取り上げれば、面白おかしく映像をつないでいけるから、対立点ばかりを強調するけれど、それはまさに、郵政選挙と同じ、白か黒かで選びなさい、という、小泉さんと同じ、国民を複雑な判断力のない低能にみたてた、馬鹿にした手法だと思う。
 現場に、取材力も、分析力もないから、とりあえず、風向きでどっちが勝ち馬かをみて、各社すべてが、どっ、と「善玉」側の支持に流れる。

 「かんぽの宿」一括売却の見直しで、この責任問題が脚光を浴び始めたころ、朝のニュースワイドだったか、どこかのテレビ番組で、「コメンテーター」のみなさんが、竹中平蔵さんとやりとりをしていた。
 さんざん、竹中さんを責め立てはするのだが、西川人事については、「指名委員会で、もう承認されているのですよ」と言われたら、その指名委員会がどういうものかも追求しない。ひょっとしたら存在も、メンバーも知らないのではないかと思うくらいのリアクション。そして、一括売却について、「安くみえるというのは感情論で、これは、市場としては常識的に妥当な価格ですよ」と言われたら、これまた、具体的な追求ができない。要するに、近所のおっちゃんどうしで、あれはひどいやんけ、と怒りをぶちまけているのと同じレベルだから、竹中平蔵さんのように頭が良くて狡猾な人には対抗できないのだ。

 だいたい、日本郵政株式会社なんて、人事をみたら、本質はすぐみえる。
 指名委員会で「西川善文社長」が承認された、といっても、指名委員会とは、次のようなメンバーである。なんで、社長自身が、自分を指名するメンバーに入っているのでしょうね。高木祥吉さんというのも、日本郵政の副社長で、ゆうちょ銀行の社長。もと金融庁長官です。

   指名委員会
     委員長  牛尾治朗(うしお じろう)
     委員   西川善文(にしかわ よしふみ)
     委員   高木祥吉(たかぎ しょうきち)
     委員   奥田碩(おくだ ひろし)
     委員   丹羽宇一郎(にわ ういちろう)

 で、さらに

   社外取締役
     牛尾治朗(うしお じろう)ウシオ電機椛纒\取締役会長
     奥田碩(おくだ ひろし) トヨタ自動車且謦役相談役
     西岡喬(にしおか たかし)三菱重工業椛樺k役
     丹羽宇一郎(にわ ういちろう)伊藤忠商事且謦役会長
     奥谷禮子(おくたに れいこ)潟U・アール代表取締役社長
     高橋瞳(たかはし ひとみ)青南監査法人代表社員
     下河邉和彦(しもこうべ かずひこ)弁護士

とある。これは、日本郵政株式会社のホームページをみれば、ぜんぶ載っています。

 ここにはいないけれど、「かんぽの宿」にからんだオリックス(入札はオリックス不動産)の、宮内義彦会長は、小泉内閣で、たしかいろいろ規制緩和に関する諮問会議なんかに参加してきたはずだし、さらに、ひっかかるのは、あの村上ファンドに深い関係があったといわれていること。
 村上ファンドについては、ここに名を連ねる社外取締役の奥谷禮子さんも、深いかかわりと指摘されている。
 奥谷禮子さんというのは、ザ・アールという人材派遣会社の社長であり、発言になにかと物議をかもしている人でもあるが、その会社の決算などは非公開だそうである。決算非公開という会社の社長が、民営化された国民の財産を預かる「日本郵政」にかかわる、というのは、素人から見ると、ちょっと気になるし、また、ザ・アールという会社の、社長本人以外の筆頭株主はオリックスだそうである。
 前の日銀総裁の福井俊彦さんも、村上ファンドとかかわりがありましたね。

 まあ、客観的事実をみていくだけで、なんだか、いろいろと、あやしいなあ、という感じがよくわかる。マスコミのみなさんには、こういう人事が、どういうふうに決まったかを、ちゃんと取材してもらえれば、鳩山−西川問題も、もう少し幅をもって、国民が楽しめる(笑)と思うのですけれどね。

 こういうところに登場してくるような人たちについての基本情報は、今やインターネットで名前を検索すれば、すぐにわかる。
 感情的な批判や、ふざけたものもあるにせよ、プロフィールなど、客観的なデータはおおよそつかめる。
 そういった客観的事実は、媒体広告やパンフレットでいえば、商品の「スペック」のようなもの。きちんとしたスペックを正確に示すことが、商品のよしあし、あるいは用途への適合性を見極めるための基本条件だ。
 本来、新聞やテレビが果たすべき、その事実確認と積み重ねが、むしろ、ネットでしかできないところに、メディアの現状がある。

 スペックがおかしかったら、誰も、その商品を買わない。
 そういう点では、客観的におかしなスペックを伝えずに、誤解を招くようなイメージ広告だけで表現しているのが、今のメディアの方法論であり、それは、虚偽広告にだまされているか、手を貸しているかになる。

 それにしても、あとに禍根を残す空手形をばらまきながら、かけひきだけで保身する日本のトップというのは、みていてもう、いいかげん脱力感さえ覚える。
 展望も信念もなく、ただ、名誉職に居座り続けたいという人は、どこにでもいて、どこででも迷惑である。
   
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2009年06月11日

入梅。で、なぜ「梅の雨」?

旧暦五月十九日 丁亥(ひのとい) 入梅

 こよみの上では、今日が「 入梅 」。
 実際のお天気も、気象庁では、たしか二日前に、近畿地方も梅雨入りしたとみられる、と発表していたはずだ。
 おお、今年は素早いな。
 天気予報では、「 梅雨入りしたから雨が降るとは限りません 」と言っていた(笑)。

 でも、それは、ほんとうにそうなんですね。
 『京都お天気歳時記』(岡林一夫・中島肇 編/かもがわ出版)という本をみていたら、小見出しに「 非常にむつかしい梅雨入り発表 」とあった。

 ここ数年、マスコミなどから梅雨入り発表にたいする要望が強くなり、気象庁でもそれまで消極的に対応していたものを、昭和六十一年度から気象情報の一部として積極的に対応するというようになってきました。( ※ この本が昭和六十二年=1987年初版です。 )しかし「きょうから梅雨入りです」という発表をすることは実は非常にむつかしく、いろんな問題をかかえています。梅雨の期間というのは、本来季節現象の一期間ですから、最終的にはそれが終わってから、日照時間、気温の変動状態、雨量などを総合的に判断してきまるものなのです。

 なるほど、よく、何日も経ってから、「 ○○日に梅雨入りしたとみられる 」とか、「 ○○日頃に梅雨が明けていたと発表しました 」なんて、天気予報で言っているものね。

 さらに、このあとに、こう続いている。

 また、気象台が梅雨入りを発表した次の日から毎日雨が降り続くものと考えておられる人の多いことにもびっくりさせられます。

 そうでしょう、そうでしょう(笑)。

 「 入梅 」は、節分や彼岸、八十八夜などと同じ「 雑節 」のひとつ。二十四節気や五節供などは「 暦日 」と呼ぶ。
 ふんふん、こよみは面白い。
 それにしても、どうして、梅の雨? なんだろう。

 なぜ「 梅の雨 」なのか、たいていの書物には、「 梅の実の熟するころに降る長雨 」だから、だとか「 黴(かび)の生えやすいころに降る雨で、黴(バイ)と梅(バイ)の音が通じている 」ことから「 黴雨→梅雨 」となった、などと説明されている。
 もともと、「 五月雨(さみだれ・さつきあめ) 」とも呼んでいたわけで、おそらく、呼び方は、こちらのほうが古いでしょうね。
 一度、図書館で、大きな古典文学全集の索引でも引き較べてみると、少しは移り変わりが、わかるかもしれない。

 みんな、梅雨は鬱陶しいな、と、思ってはいるのだけれど、意外と、梅雨がないほうがいい、と思う人はいないのですね。
 季節は移り変わるほうがいい、変化が多いほうがいい、と、どこかで納得している。

 日本は雨の国でもある。だから、雨を表現する言葉が多い。一方で、月を表現する言葉なんかも多いですね。四季それぞれに花鳥風月。そして、水、の国なんだな、と思う。
 北極圏に暮らす、イヌイットの人たちの言語では、雪を表現する言葉が多いのだそうだ。「さらさら降る雪」とか、「湿った雪」、「強く吹雪いてくる雪」といったような意味を、それぞれ、日本語でいえば「粉雪」とか「新雪」みたいな、ひとことで表現しているわけですね。やっぱり、雪と氷の世界なんだ。

 先日、仕事で、大学の先生に取材する機会があった。
 トルコ文化を専門とする先生に、インタビューを終えたあとで、トルコだと、どんな言葉がそういうものにあたるかをお訊きしたら、「 太陽 」でしょうね、と教えていただいた。
 ああー、なるほど、いいなあ。想像できますね、抜けるような青い空。

 今年の梅雨は、ときどき、トルコの太陽に思いをはせてみながら、じめじめ湿気を吹き飛ばすことにしよう。
   
タグ:梅雨 言葉
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2009年06月08日

『日経広告手帖』ついに廃刊。

旧暦五月十六日 甲申(きのえさる)

 6月に入ってまもなく、『日経広告手帖』の6月号が届き、その封筒に、2枚のペーパーと、返信用の切手を貼った封筒が同封されていた。
 ペーパーの1枚は「日経広告手帖休刊のお知らせ」、もう1枚は「日経広告手帖購読料の返金について」というものだった。

 以前、年間の発行回数が半分になったことを報告したばかりだったけれど( 1/15日本経済新聞社の「縮小」宣言?
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/112624929.html)、それから半年もたたないうちに、ついに廃刊となった。
 「休刊」とあるけれど、「廃刊」と自ら言う編集部は希である。今どきの広辞苑あたりなら、「実質的な廃刊」という説明で「休刊」という語彙が載っていてもおかしくない。
 そう思えば、『広告批評』の場合の、「最終号」は、たいへんわかりやすい表現だった。

 さすがに、日本経済新聞社という大会社なので、後始末がしっかりしている。
 すでに申し込んでいた1年分の購読料を、発行回数が半分になるときに、2年分とする、という変更で、了解をちゃんと求めていたが、いよいよ「休刊」となったので、残りの購読料を回数分で割って、残額の返金方法をどうするか訊いてきている。千円ほどの金額だけれど、指定口座に振り込むか、現金書留か、あるいは、相当額の切手代替か、と、じつにていねいだ。
 さらに、このために記入した個人情報は、手続き終了後、廃棄すると注記がある。
 このあたりは、見習うところがありますね。

 『日経広告手帖』が月1回、ちゃんと発行されていたときには、別冊として、たしか、「日経産業新聞特集」と「日経MJ特集」さらに「日経金融新聞特集」だったか、が、それぞれ年に2回ずつ? くらい、送られてきていた。日経産業新聞特集号は、多いときには、年4回くらいだったかもしれない。
 毎年、たしか2月号では、「広報・宣伝部長アンケート」という特集を組み、12月号では、ふだんより少し分厚くて「日経広告賞」の特集を組んでいた。こちらの広告作品の特集は、アイデアソースにもなるし、みていて面白いので、今でもバックナンバーを残してある。

 今年の、たしか、3月だったかには、朝日新聞広告局の『広告月報』が廃刊になっている。毎年、10月号では、各社広告局のこういったPR誌を横断して、新聞広告についての「6紙共同企画」というのを組んでいたのだが、さて、今年はどうなるのだろう。

 『広告月報』は、廃刊後、すでに、メールマガジン化しているようで、日経さんも、7月からサイトを開設するようである。

 でもねえ、やっぱり、ペーパーマガジンがいいんですよねえ。
 紙の冊子は、電車の中ででも、どこかの待ち時間でも、ぱっ、とひらいて読むことができるけれど、ネット上のマガジンは、なかなか、そうはいかない。
 スクラップするのだってそうだ、紙のほうが、てっとり早いし、あとからも見やすい。

 しかしながら、それどころではなくて、新聞社が、新聞そのものをウェブ上に完全移行する、という事態も、将来、あり得ないことではない。部数は減る一方だし、購読料なんて、もう、上げられないだろうから、採算性との分岐点にまでくれば、背に腹はかえられなくなる。
 一気に購読者数が減ることを覚悟で、宅配コストをチャラにしてしまう、という「大英断」に打って出ることも、まんざら空想的なことではないのだ。

 少なくとも、新聞より上質の用紙を必要として、印刷コストもかかる媒体、それもサービス的要素の強い刊行物について、まず、ソフトの費用だけで済ませる方向に舵がきられた、ということは間違いない。

 『日経広告手帖』6月号の誌面は、特に「休刊」のメッセージもなく、なんらそういった気配さえ感じられないものだった。同封の「お知らせ」がなければ、まだ、このまま続いて発刊されていく、としか思わない内容。「休刊」は、急遽決まったのだろうか。
 結構、面白い情報源でもあったので、ちょっと残念。

 最後となる、この号の特集は、「記念日広告に見る 企業の現在、過去、未来」だった。
 その冒頭の「総論」タイトルが、「企業変革にともなう情報発信」。
 なんだか、皮肉に思えてしまう。
   
タグ:媒体 日経
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2009年06月04日

天安門6・4事件から20年。

旧暦五月十二日 庚辰(かのえたつ)

 今日は、天安門6・4事件から、20年。
 少し前、3月10日は、チベット蜂起50年だった。
 今年は、中国と周辺の人たちにとっては、なにかと節目の年だ。

 「天安門事件」は1989年の「六四事件」と、さらにさかのぼって1976年の「四五事件」がある。古い事件は、「文化大革命」への反発が高まる中で、新しい事件は、隣の社会主義国ソ連で「ペレストロイカ」が進む影響下で、どちらも、「民主化」を求めてわきあがった、大衆の抵抗行動が、激しく弾圧された出来事だ。
 いずれの「天安門事件」も、未だ死者の数さえ不明である。

 天安門広場、というのは、日本でいえば、皇居前広場、というところなのでしょうか。
 京都だと……、円山公園? ちがうなあ、市役所前? ……うーん。むしろ、京都御苑くらいでしょうか……。
 どっちにしても、京都の人口では、ああいう事件はおきないでしょうねえ。
 まして、チベット蜂起で、ダライラマさんが亡命したようなことは、どうだろう。清水寺の貫主さんが舞鶴あたりまで山越えをして、日本海を渡る? 行き先が難しいな……。

 「六四」天安門事件の年に生まれた人が、今年、二十歳になる。
 当然、事件のことは知らない。
 こういう、まだ「現代史」としての歴史的な日を迎えると、マスコミは必ずなんらかの小さな特集を組むか、特別記事を発信するのだけれど、中途半端な良心のアリバイづくりをしているよりも、たとえばテレビであれば、むしろ、そのときのニュース報道を、半日とか、一日くらい、そっくり再現したらいいのではないだろうか。
 今どきの、バラエティのようなニュースショー番組で、当時の断片的なフィルムを交えて、なんだか懐かしがっているような評論を聞かされるよりは、そのときの、リアルタイムの感覚を、そのまま編集せずに流したほうが、ずっと意味がありそうな気がする。
 そうすると、今年、二十歳の人たちも、自分が生まれた年に何があったかを、実感として知ることができる。

 歴史は、通ってきた道の記録だ。
 つけられた道が歴史となって、正当化される。
 失われた道は、検証のしようがない。たら・ればの世界でしかなくなる。
 だけど、名前も、あるいは人生の痕跡さえ残すことができず、戦車に押し潰されて死んでいった若者たちが、そこにいたことは、まぎれもない事実だ。
 誰ひとりとして、抹殺されていい存在なんて、あるわけがない。

 日本だって、似たようなことを繰り返しながら、ここまで来た。
 権力の本質は、どこでも、あまり変わらないのかもしれない。

 検索から、たまたま、あの、アルピニストの野口健さんのブログをみることになったら、「 中国、ネパール国境のナンパ・ラ峠でネパールに向けて歩いているチベット人に対して中国警備兵が発砲。近くにいたヨーロッパ人登山家(ルーマニア人)によってその一部始終が撮影されその映像がネットによって世界中に配信された。 」という映像リンクがあった。
 3年前の出来事らしい。知らなかった。
 インターネットの利点は、こういうところにある。

↓ 映像のあるサイト
http://kokoniizuru.blog.so-net.ne.jp/2006-10-21

↓ 野口健さんのサイト
http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51052593.html

 明日は、二十四節気のひとつ、「芒種(ぼうしゅ)」。
 稲とか麦は、実の粒の先に、細い針のようにトゲがのびている。あれを「芒(のぎ)」と呼ぶのだそうで、「芒種」は、そういった、ノギのある穀物の種を播くこと。そこから、稲を植え付ける時期にあたる、とされる。

 天安門も、ポタラ宮も、世界中、同じ空の下で、つながっている。
 稲よりも、麦よりも、うんとトゲのある、強い種がたくさん播かれて、早く、チベットに独立の日がくることを願わずにいられない。
   
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2009年06月02日

「月読橋」と「麦秋」。

旧暦五月十日 戊寅(つちのえとら)

 もう、十日ほど前のことになるけれど、友人夫婦が自宅でひらいた陶芸と木工の展覧会を楽しみに、亀岡市の郊外へ出かけて行ったら、あたりは、まさに「麦秋」だった。

 鉄道の駅から、「月読橋」という長い橋を渡っていく。
 月読、という名前がついているけれど、どうも、この近くに「月読神社」があるわけでもなさそうだ。
 よく知られる月読神社は、観光名所の嵐山から、桂離宮のある桂へと向かう途中、「松尾大社」の近くにある。もともと、九州と朝鮮の間、壱岐島から勧請されたツクヨミノミコトを祀るというから、なんだか、邪馬台国なんかとも、どこかでつながりそうだなあ。

 月読橋が架かる大堰川は、月読神社の前を流れる桂川の上流だから、縁がなくはない。ただ、こんな田舎で、しかも長い長い橋が、川に架けられるようになるのは、きっと、せいぜい江戸時代以降だろうから、名前は当然、そのとき、つけられたもの。
 誰が、どう、つけたのかな。

 橋の歩道路面には、橋の名前にちなんでいるのか、月の満ち欠けをたどる模様があらわされている。
 橋からのぞむ、広々とした河川敷には、いくつも球技場や運動場がある。
 せっかく「月読」なんて、素敵な名前を持った橋があるのだから、季候のいいときに、月にちなんだイベントくらい、やっているのだろうか。
 仲秋の名月に、「月読橋から昇る名月を観る」くらいのことだっていい。
 役場に、ひとりでも物好きがいると、こういう、ただの橋でも、地域興しの資源になるのだけれど。

 2キロほどの道中には、道路沿いにパラパラと、民家と学校、小さな工場があるくらいで、あとは農地。その、かなりの部分が、金茶色に染まっていた。
 ん? 稲が色づく季節ではないぞ。雑草にしたら整っているし、と思って近づいてみたら、お、このかたちは麦だ。
 稲のように頭は垂れないで、ピンと強く立っている。それでいて、頭が少しずつ、あっちに向いたり、こっちを向いたり。なんだか、群衆がひしめきあっているみたい。

 友人によると、ビールにする麦なのだそうだ。
 ならば、「昼下がりの麦畑で飲むビール」なんていうイベントもできるな。
 初めて見る風景で、いつもと季節が違うから? とも思っていたが、ごく最近、農協主導で麦の作付けが増えたらしい。米の減反対策だろうか。
 麦でも、稲でも、つい、五、六本切り取って、持って帰って飾りたくなるのだけれど、ぐっと、がまんした。
 穀物、って、かたちがきれいなんですよね。確か、神輿なんかでも、頭に稲束を飾っていたりする。

 麦秋、ことばとしても、きれいだ。
 初夏、田植えをしようかという頃、いってみれば稲の春が、麦の秋。

 「麦秋」が、秋と呼びながら、夏の季語であるように、「小春」も、春と呼びつつ、冬の季語。こちらは、初冬の穏やかな暖かい日。小春日、小春日和。
 こういう、しゃれた逆説的言辞に、何か、くくりとしての呼称があってもよさそうだけれど、みつからない。
 「五月晴れ」なんかも、似たようなところがありますね。季語には載っていませんが、五月のメーデー晴れではなくて、梅雨の合間のからっとした天気、が、本来の意味。梅雨はもともと「五月雨」。さみだれ、とか、さつきあめ、と呼んでいたそうです。

 「麦秋」というと、つい、小津安二郎監督と、笠智衆さんを思い出してしまいますが、景色としての麦秋を見たのは初めて。不思議な風景でした。

 そういえば、その後、もう、刈り取りも済んでいるかもしれない。
 麦も、今は稲のように、コンバインで刈り取るのだろうか。
 刈ったあと、ミレーの絵みたいな「落穂拾い」は、やらないでしょうね。

 展覧会は、いつもながら、心やすらぎました。
 麦秋が終わると、これからは、田んぼの美しい季節です。
   
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2009年05月30日

広告コミュニケーションの「間合い」。

旧暦五月七日 乙亥(きのとい)

 混雑していた人の流れが、すーっと退いた交差点で、これからチラシを配るのか、一所懸命、手渡す練習をしている青年がいる。 
 上から手首を返して、サッ。
 下からこう回して、サッ。
 うーん、こうかな、なんて、頭をひねっている。

 そっちへ向かって歩きながら、見ていて思わず笑ってしまったら、向こうもこっちを向いて、あ、見られていたか、と気づいて、照れ笑い。
 そんな呼吸で、おそらく、彼が手渡す最初の通行人になって、チケットらしきものを受け取った。「 (受け取ってもらって)ありがとうございまっス 」と、彼も口をついて出た感じ。
 さわやか青年で、カラオケの割引券か何かだと思ったら、キャバクラ? の優待券だった(笑)。

 あまり経験はないけれど、街頭でチラシを配布するときのコツ、つまり、受け取ってもらう確率を上げるためには、「間」と「声」が大切でしょうね。
 目が合ったら、たいてい、受け取ってもらえる。
 目と目を合わせるところまでいかなくても、差し出したチラシに目を合わせてもらえれば、手を出してくれる確率は高い。
 そのために、声をかけて気を惹く。
 「こんにちは」「おはようございます」「おつかれさまです」
 時間帯によって、あいさつを選ぶ。
せっかくの言葉も、ただ、のべつまくなし、だらだらと言いっぱなしでは、ラジカセで流しているみたいなものだから、メリハリをつける。
 あなたに、あいさつしてますよ!
 という、フォーカスが、相手に感じられることが必要だ。
 そして、タイミングよく、受け取りやすい位置に差し出す。
 声の間合いと、距離感の間合いが絶妙であること。これは、配る人によって違う。

 いやいや、奥が深い。

 街頭チラシも立派な販促だけれど、媒体を通じての広告と違うのは、そこに人が直接介在していること。だから、チラシそのものに、見てもらえるための工夫が必要であることと同時に、配る人の姿勢、印象、つまり、感じの良し悪しですね、そこも見られている。
 街角の飲み屋さんが、チラシで勧誘していても、配っている店員さんが感じ悪かったら、行かないよね。

 紙の上の広告との、共通点。
 やっぱり「間合い」と「コミュニケーション」。

 紙面、あるいは誌面を、ぱっ、と開いて、目にしてもらったときの、呼びかけ、距離感、親近感、あるいは意外性、などなど、最初に、どう、その接点を確立するか。
 街頭のように、一瞬で、すれ違ってしまうことは少ないけれど、そのかわり、相手の姿は見えない。
 見えないけれど、見えているかのごとく、相手との間合いをはかる。
 そんな呼吸が、新聞や雑誌のような紙媒体の広告だと思う。

 インターネットという媒体の場合も、原理は同じことだと思うのだけれど、送り手の側に、まだ、そういう、受け手の息づかいの想定ができていない。そんな印象がある。
 ものすごく、はかりにくい難しさがある。
 ウェブ画面を通じての広告コミュニケーションは、まだ、紙媒体や電波、あるいはスクリーンの経験をそのまま移入しようとしている、という感じで、じつは、もう少し違う方法論が必要なのではないか、という気がする。
 この新しい媒体を通しての、「間合い」が、まだ、みんな、つかみとれていないのだ。
 もう少し、時間がかかるのでしょうね。

 ところで、その、5枚も束で手渡されたフーゾクのチラシは、そのまま捨ててしまいました。結局は、そこのところが、販促の難しさですね(笑)。
   
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2009年05月27日

新型インフル騒動から、チラリとみえた教育現場。

旧暦五月四日 壬申(みずのえさる)

 新型インフルエンザの感染者が出たことで休校になっていた、京都市中心部の小学校、中学校が、予定より2日早く再開された。
 当初は、木曜日の28日から再開の予定だったけれど、火曜日、26日に再開となった。

 現場の話では、この再開は、前日の25日、午後3時に決まって連絡があったという。
 急遽、再開が決まった理由は、このままあと2日休んで、「 大阪に学力で負けたらあかん 」から、なのだそうだ。
 なるほど、大阪では、25日にすでに再開されている。

 ま、ちょっと、なさけなくなる。

 もちろん、「 大阪に負けては! 」 というのは、正式な休校解除理由に、あるわけがない。それに、大阪では、休校に入るのが京都より早かったし、確か一週間休んで、日数も長いのではないか。
 でも、本音としては、確実にありそうだ。
 「 負けたらあかん 」という理由は、行政としては、子どもたちの学力、というよりも、早めに休校を解く、という、行政の状況判断や、そこでの迅速な対応、といったことについて、「他府県に遅れをとりたくない」、という、メンツと、保護者やマスコミへのアリバイづくりがあるのだろう。
 それが、教育現場では、ふだんの発想から、そのまま、「学力で」、という「読み替え」がされたのではないか。

 どっちでも、似たようなものだけれど。

 それにしても、何か、ことあるたびに、テレビの画面で見る「校長先生」には、いつも、げんなりしてしまう。
 ご本人たちには申し訳ないが、こんなかたがたが、子どもたちが尊敬するべき校長先生なの? と思ってしまう。

 今回のインフルエンザ騒動でも、感染者を出した学校の会見で、突然、誰がみても泣くところではないのに、泣き出す校長先生がいた。まあ、こういうことが起こると、必ず学校に(それが企業であったり、個人であったり、きっと、どこでもいいのだ)嫌がらせのような責任追求の電話をかけてきたりする、わけのわからない保護者や、ときには、それをかたる、無関係な愉快犯のような奴もいるだろうから、心労が重なっていたのかもしれない。
 だけど、校長先生が泣いて、妙な後悔をしたら、生徒たちが、かわいそうでしょう。自信をを持って、生徒を海外にやったのなら、結果にいちいち、ふらふらしていたのでは、生徒は誰が守ってくれるのか。
 泣くときは、生徒たちのために、心から泣いてほしい。

 これまでにも、いじめが原因で事件の起きた学校の会見など、知らぬ存ぜぬを貫き通す、事なかれ主義で無責任な校長先生たちを、いやというほど見てきた。
 テレビ局の編集を、全面的に信用してはいけないかもしれないが、言い分や、表情、心の動きは、やはり、ある程度みえてくる。
 ことほどさように、なさけない姿ばかりを教育現場のトップがさらけだすのなら、学校にも、企業と同じように、ちゃんと広報と危機管理の担当を置き、ふだんからトレーニングをして、何かあったときには、たよりない校長先生のかわりに対応にあたる、というシステムをつくるべきではないのか。
 もっとも、それで、教育現場そのものが良くなるわけではないから、かえって、本質を見えなくしてしまって、結果的にはだめなのかもしれないけれど。

 教育現場の荒廃は、言われはじめて久しい。
 ああいう「教育管理職」ばかりになったのは、個人的な感想としては、「日の丸、君が代」強要の影響が大きいと思っている。

 べつに、君が代に賛成でも反対でも、意見はいろいろあっていいのだが、歌え、とか、敬礼せよ、みたいなことを強要したってしかたがない。
 敬意、というものは、強要されてはらうものではない。自然に生まれるものだ。
 生徒が歌う君が代を、くだらないからやめろ、と止める教師がいれば、それは問題かもしれないが、歌いたくない、という教師がいても、それを処分するのはおかしい。その教師自身の行動規範を、尊敬したり、軽蔑したりするのは、生徒たちの側であって、役人ではない。

 国旗、国歌の強要、なんていう、旧ソ連や中国のようなことをやってきた結果、上の、といえば教育委員会ということになるのだろうか、顔色をうかがう人物ばかり、教育管理職になってきた。
 そういう人たちがすべてではないかもしれないが、少なくとも、そういうところに物申す教師では校長先生にはなれないし、なったとしても、あつれきだらけで保たないだろうから、結局のところ、顔は一応、子どもたちのほうを向いているように見えても、心は、上の顔色と風向きを見ている、ということになるのだろう。

 日本は、中国や北朝鮮ではない。国旗や国家への敬意を強要しなくても、敬意をはらえるような政治を行なえば、人々は、「国」に対しても、自然に敬意をはらう。
 自国の「国民」であれ、他国の「国民」であれ、見たくない、という人がいれば、その前で無理矢理、国旗を広げる必要はないし、教育の現場は、喧嘩のタネをつくって子どもにみせる場所ではない。みんなが仲良くするには、どうすればいいのかを教え、考えるのが教育の場だ。

 保身のために、自分自身の考える力を捨て去った人たちは勝手だが、子どもたちの考える力が伸びていくことまで封印されては困る。
 教育の荒廃は、何十年か先に、国を滅ぼす。
 何か、ちょっとした危機が起きるたびに、その進み具合が、かいま見えてしまう。
   
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2009年05月23日

『広告批評』の最終号。

旧暦四月二十九日 戊辰(つちのえたつ)

 なくならないうちに、と買っておいた『広告批評』の最終号。
 もう、ずっと長いあいだ、読むことがなかった。たまに、毎年11月号で特集していた、「世界のコマーシャル」のDVDを観るために、何年かに一度、買ってきたくらいだったけれど、なくなる、となると、やっぱり気になった。
 書店で手に取ると、ふだん並んでいる号の、倍以上の厚さだった。

 あらためて、ひらいてみた。
 表紙には、誌名ロゴと「 30年間 ありがとうございました。 」の文字だけ。
 およそ350ページの大半が三段組、一部は四段組(!)で、びっしり読み物となっているのは、相変わらず(汗)。

 「誌上再録 クリエイティブ・シンポシオン 2009」とあるように、全頁、討論、対論、座談、といった会話が延々と続いているから、これはもう、時折、えいやっ、とひらいては、そのあたりを気が向くだけ読むしかないな。

 「広告批評30周年記念広告」として、50頁近い協賛広告が、目次付きで掲載されていた。
 これをみていると、KYな企業がよくわかりますね(笑)。

 ソフトバンクのふだんの広告はどうも好きになれないものが多いのだが、ここでは、いいノリをみせていた。あの白戸家のおとうさん犬が、振り返りながら涙を流している( これ、実写だったらすごいけれど… )。

    広告批評はもう
    叱ってくれないぞ!
    (ソフトバンクはさみしいぞ!)

(ソフトバンクはさみしいぞ!) は、ポイントを下げて目立たなくしてあるのだけれど、余計なフレーズですね。このごろ、こういう、余分にひとこと言い過ぎる、というか、説明しすぎる、というか、そういう過剰なキャッチコピーが多いような気がする。
 最初の二行だけで、「さみしいぞ」という感傷は伝わっているのだけれど、読み手を信頼できなくて、つい、具体的につけ加えてしまう。不安なのだ。
 説明しすぎると、ただの説明文になって、キャッチコピーではなくなってしまうんですね。
 まあ、それはそれとして。

 たいていの広告は、『広告批評』が30年やってきたという歳月や、これで終わることを意識して、コピーやビジュアルに、なんらかの、そこでの結びつきや、ひとひねりを盛り込んでいる。
 だけど、全然、そういうことを気にもかけていない( ようにみえる )広告が結構ある。
 フツーに、自社の広告をしているだけ。
 ウチ、いい仕事しますよ!(笑)
 ま、ビジュアルのいい名刺広告というか、よくある、おつきあい広告を出しているわけですね。

 それが、電通さんだったり、博報堂さんだったりしたもので、意外でした。
 ハズしているところは、どうも、エージェンシーっぽいところが多い。
 うーん。空気を読むには最先端のはずの感性は、どこへいったの?

 表4(裏表紙)に入っている、サントリーの缶コーヒー「BOSS」の広告も、ちゃんと、この流れを受けていて、あの、キャラクター「宇宙人ジョーンズ」のトミー・リー・ジョーンズに、「この惑星の広告批評に、もっと批評されたかった・・・。」と語らせているのに。

 この一連の「記念広告」の末尾に、『広告批評』自身の広告、というか、メッセージが、一頁くっついている。
 モノクロームのビジュアルに、

    「広告批評」は、
    いままでに12回、
    戦争と広告の問題を
    特集してきました。

    こんな特集を
    必要としない世の中に、
    早くなりたい、したい。

という、短いコピー。

 これが、『広告批評』のスタンスだったと思う。

 広告も、ベースにあるのは思想。
 つくり手に理念がなければ、とどかない。

 30年間、そんなことを伝えたかったのかな。
   
posted by Office KONDO at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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