2010年06月18日

上弦の月は、吉祥文様?!

旧暦五月七日 己亥(つちのとい)

「上弦の月は、これからふくらんでいく月のことや、って言うてたよ」
「誰が?」
「遠藤周作の奥さんが」
「……」

 いや、まあ、もちろん、正しいのです。
 上弦の月は、新月と満月の中間だから、満月に向かって膨らんでいく。しぼんでいったらおかしい。それは下弦の月でしかない。

 上弦の月、の「上弦」という表現は、弓の弦、つまり「つる」が上にある弓の形を意味する、と思ってきた。
 半円形、半分の月のカタチを、ピンとつるを張った弓に見立てるわけですね。
 で、そこで「上弦」といえば、半円の上がピンと張っている側だし、下弦といえば、弦が下側で張っていることになるはずである。
 では、月が東から昇り始めて、西に沈むまで、どの時点で上弦、下弦というかたちを判断するのか、昇り始めに上弦だったとしても、沈む時には下弦になる。弦の位置は、いつ見るの?! というのが、ずっと疑問だった。

 そんなことを、よく言っていたので、親切に教えてくれたのである。
 何かで読んだのでしょう。
 ラジオかテレビかな。
 で、
「いや、それは、あたりまえで…」と言いかけると、ムッ、とされてしまった。
 自信をもって言ったことを否定されるとムッとするのは、たいてい、中途半端に頭がいいか、中途半端に頭が悪い人である(謝)。

 こんなことは、きまりごとがあるはずなので、早くちゃんと確かめておけばよかったなと、あらためて『国語大辞典』(尚学図書編集/小学館)を引いてみた。

【上弦】陰暦で七日頃の月。右半円状に、西半分が輝いてみえる月。新月と次の満月の中間の頃。上(かみ)の弓張り。⇔下弦《季・秋》

 季語としては秋になる。やはり、月は秋。
 だけど、これから膨らんでいく月は、春でもふさわしいような気もする。
 ともあれ、なんとなく、わかったような気にさせる、辞典特有の表現。
 試験問題なら正解かもしれないけれど、実社会では通じない解答ですね。
 で、思いついて、いつもの『現代こよみ読み解き事典』(柏書房)を引いてみる。
 「月名の由来」という項目の中に「上弦・七日月」とあった。

 説明としては、まず、上記と同様のことが記してあって、それに続いて

 上弦の月名だが、月の入りのとき、弓を張ったような形に月が見えるところから、この名がある。また、上弦の月・上の弓張り・玉鉤(ぎょっこう)ともいう。玉鉤は、玉で作ったかぎのこと(古代中国で、儀式のとき革帯をとめた)。また下弦の月と同じように弦月(ゆみはり)・恒月(ゆみはり)とも書く。ほかに、半月・破鏡の異名もある。
日本のような北半球では、上弦の月は必ず右側が明るい半月、下弦は左側が明るい半月となる。したがって、山を射るかたちで沈む月は上弦である。上弦の月は正午頃昇り、日没頃南中し、夜半に沈む。

とある。
 そうか、旧暦は月のこよみですからね。
 さっさと、これを調べてみておけばよかった。
 沈む時に「上弦」のかたちになるのだ。

 もっとも、「上弦」という言葉を、上につるがあるかたち、と思いこんでしまっていたけれど、これも、アタマが固いようである。
 上弦、下弦の「上・下」は、どうも弦の位置の上下ではないらしい。月齢が基準となっていた旧暦では、十五夜で満月、上弦の月は必ずその前だから月の前半、下弦は後半だった。つまり、月の上旬の弦月と、下旬の弦月、あるいは満月より上(かみ)の弦月と下(しも)の弦月というわけである。
 だから「上(かみ)の弓張り」なのだ。

 「遠藤周作の奥さん」は、祝儀物などの意匠に、上弦ではなく下弦の月が描かれているのをよくみかけて困りものだとも言っていたらしい。
 そういわれると、そうだ。みかけますね。
 上弦の月であれば、右側が丸く膨らんでいるはずである。
 上弦の月は、これから満月に向かっていく、つまりこれから満ちて、大きくなっていくから、めでたい。
 それに、月の地形による反射具合で、下弦より上弦の月のほうが明るいのだそうだ。
 下弦の月はしぼんでいく。これから、さらに欠けていくのである。これは、吉祥の文様としては、たしかに、いただけない。

 明日は上弦の月。
 どの時間に、どんなかたちにみえるのか。一度確かめなくては、と思っても、「五月雨」もようの空が続く。月は見えそうにないなあ。

 月の上弦、下弦、なんてあらためて意識させてくれたのは、吉田拓郎さんの「旅の宿」だった。目下、闘病中のようだけれど、どうなんでしょう。あらためて、上弦の月、となって復活してほしいものです。
   
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2010年06月15日

「生きざま」という時代。

旧暦五月四日 丙申(ひのえさる)


 一週間ほど前だったか、確か夕刊の一面、それも左肩の一番目立つところに、「蓮如の生きざま 堂々」という、大きな見出しが踊っていた。
 このごろ、やたらにこの「生きざま」という言葉を目にする。
 隠れた流行り言葉なのかもしれない。

 見出しを立てたのは、若い記者さんでしょうか。
 いえいえ、いいのです。
 記事の内容は、本願寺中興の祖である蓮如さんの五百年遠忌の際に、記念事業として大阪の宗門寺院が企画、京都の絵師に依頼した絵伝制作を、まもなくその絵師さんが完成する、というもの。京都らしく、おめでたい、いい話題です。

 話題はいいのですが、見出しがね。
 十年もかけて絵伝を完成させようとしている絵師さんや、蓮如さんの人生を「生きざま」なんていうのは、失礼ではないか、と思うだけで…。

 じつは、「生きざま」という言葉は、ほんの少し前まで、日本語ではなかった。

 というと、ちょっと過激かな(笑)。
 えー、正しい日本語、ではなかった。

 今でも、正しくない言葉だと思っているけれど、それは「主観」になってしまった。
 それは、『広辞苑』までが、見出し語に載せてしまったからである。
 たしか、第四版から、『広辞苑』に載った
 だから、この記事の見出しを立てた記者さんだか、編集部員さんだかは、間違ってはいないのだ。

 でも、この「生きざま」という言葉は、日本語を扱う職種の者や、言葉に愛着のある者にとっては、なんとも、鍋底を金属でひっかくような、響きの悪い言葉である。

 手もとにある国語辞典には、この言葉は載っていない。おそらく、少し古い国語辞典や、最近のものでも、日本語の正確さを意識している辞典には載っていないと思う。
 つまり、「死にざま(死様)」はあっても、「生きざま」という言葉は、もともとなかったのだ。

 ふだん使っている少々古い『国語大辞典』(小学館)には、


しに−ざま【死様】@死ぬ時の有様。死にのぞんでの様子。また、死んだ様子。しによう。Aまさに死のうとする時。しにぎわ。

とある。

 ここでは淡々としているが、「ざま」という言葉には、かなり否定的な意味がある。
 同じ辞典でみると、


ざ−ま【様・態】@(「さま(様)」の変化)様子、格好をののしっていう語。ていたらく。醜態。ざまあ。『そのざまは何だ』*浄・持統天皇歌軍法−一「ざまよりも胆の太い奴」A《接尾》→さま(様) =は無い だらしなくみっともない。ざまあない。ざまくない。=を見ろ 人の失敗や不運をあざけっていう語。それ見たか。ざまあ見ろ。ざまあ見やがれ。
( ※ 一部の特殊な分類記号などデジタルにないものは代用。)

となっていて、そのまま、よくわかりますね。
 ありさま、なんかの「さま」が、濁って「ざま」になると、客観的な「様子」から、少し主観的というか、感情、評価の入った表現になる。

 この、否定的表現で、
「見てみろ、あいつの死にざまを」と、ののしられる言葉が、
「おれの死にざまを見やがれ!」という、開き直りへと転化する。
 それは、否定される相手の「世間」に対する抵抗としてもあったのだろう。
 一種の、社会に対するアンチテーゼとしての、日陰者や反体制の美学のような使われ方に変わってくるとともに、「ざま」がちょっと格好よくなってしまった。

 でも、その美学は、まさに、死に直面するところの、ぎりぎりの最後の局面での凄絶な開き直りであり、美意識には根拠があった。おそらく、生と死が、もっと厳然と拮抗して存在した時代だからこそ成り立った、それまでの人生の「死にざま」への集約だったのだろう。

 現代の日本人は、この血みどろの表現を、いとも軽やかに、自分たちの日々日常の生きかたに対して形容してしまった。
 任侠映画を見た人が、映画館から出てくるときに、背中に入れ墨と刀傷を背負ったような気分で、肩で風を切って歩き出すような錯覚も、あるのかもしれない。

 いやはや、みなさん毎日、ものすごい生き方をしているんだ。

 『広辞苑』は、そうして「現代用語辞典」になってしまったので、もう使っていないのだけれど、この「生きざま」という表現には、現代日本人の、まさに「生きかた」が結晶していると思う。
 端的に言えば、自分を格好よくみせたい、のだが、それは、見栄え、見てくれで格好をつける単純さではなくて、もう少し、無意識な巧妙さがある。それでいて、軽薄で内向きである。
「自分をほめてあげたい」
「一所懸命な私にごほうびを」
といった自己愛にも近い。
 実際には、いろんなことに見て見ぬふりをしながら、じつは結構、うしろめたいような日々を送っている自分たちへの、ある種のアリバイづくりとしての開き直りの表現が「生きざま」という言葉にあらわれているという気がする。

 よく知られる「鳥肌が立つ」のような言葉の誤用は山ほどあるし、自らも人のことは言っていられないのだけれど(笑)、「生きざま」という言葉の登場と多用には、そういった誤用とは異なる、微妙な、現代日本の、社会的空気がある。

 言葉の持つ意味も、もちろん、時代とともに変化していく。
 だけど、その、時代とともに、言葉がどんな変化のしかたをしつつあるか、というところでは、まさに、その時代を生きる人間の、良さも悪さも体現しているという気がするのだ。
   
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2010年06月08日

竹尾のペーパーショウ「プロト」

旧暦四月二十六日 己丑(つちのとうし)

 先月の末、大阪まで、竹尾のペーパーショーを見に、とんぼ帰りしてきた。
 去年は大阪開催がなかったので、
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/115819575.html
もう、このままなくなるのかと思っていたら、復活。

 会場が変わって、これまでの、大阪商工会議所隣の「マイドーム大阪」から、ビジネスパークの「IMPホール」となった。
 京都から行くには、少しだけ、近くて便利になった。
 とはいえ、これだけ見に行って帰るのは、ちょっともったいないんだけれど。

 業界人でも、案外知らない人も多いけれど、竹尾さんは、まあ、特殊紙の卸屋さんというところである。アート紙やコート紙、書籍用紙といった大量に使われる紙でなく、書籍でも本文ではなくて装丁に用いられたり、ポスターやDM、カレンダーといったデザイン性の強い用途に使われる、質感や色彩のバリエーションが豊富な紙、いわゆるファインペーパーを中心に扱っている。自らは、専門商社と言っている。

 なので、展示会では、当然、そういった特殊紙が主役になる。
 こちらは、直接発注する立場でもないので、紙のランクがよくわからないのだが、ファインペーパーのたぐいは、どうしてもちょっと、お値段がはるものが多いのと、印刷や加工が面倒なものも多いので、ふつう、印刷屋さんは教えたがらない(笑)。
 ペーパーショウでは、そういった、手間ひまのかかる素材や、それを利用した制作物が、いろいろと見られるので、面白いのだ。

 今年のペーパーショウのテーマというか、コンセプトというのか、は、「proto−」となっていた。プロトタイプ、やなんかの「プロト」ですね。
 案内には、

「原始」「原型」などの「原」を意味する「proto−」をキーワードに、紙のあり方、そこに秘められた可能性と紙が持つ真の力を実感する、体験型のペーパーショウを展開します。

とあった。
 いや、コンセプトはいつも、それなりに関心を惹くのです。
 ただ、ね、見ていて予算の無さが露骨に…。
 と思ってしまうのは、つい、贅沢な期待があるからでしょうね。

 順路に沿っていくと、まずは企画スペース。「proto−」である。
 紙でつくったトンネルを抜けていく。
 どっちだったっけ、和紙から洋紙へ、だったかな、トンネルの両サイドと天井に貼ってある紙の質感が少しずつ変わっていく。あとから聞くと、床の感触もそれに合わせて変えてあるらしいので、もう一度通り直してみる。なるほど。ま、そう言われてみれば。

 トンネルを出ると、天井から染め物を乾かしているみたいにいろいろな紙が下がっている。これも、あとから聞くと(笑)、海苔でできていたり、えーっと、それからなんだっけ。いろいろな、意外な素材でつくられている、というので、あらためてまた、もう一度確かめに行く。最初に素材がわかっていたのは「へぎ皮」のつなぎ合わせくらいだった。

 一応、テーマ展示については、どういう意味、どういうモノなのか、具体的に説明を書いておいてくれるとわかりやすいのですが…。

 その向こうには、溶けている紙のかたまりが置いてあって、わざわざつくったという、自動紙漉き機とでもいうのか、水に溶けた紙の素材がもろもろと流れて、すくいとられて薄く紙様になっていく、実験装置のようなものがあって、「紙のできる原理」を見せている。
 自然素材、とか、エコ、も意識しているのでしょうね。

 横では、紙の「テント」の中でワークショップをやっている。
 さらに隣のスペースには、トイレットペーパーだか、ティッシュペーパーだか、山盛りに積み上げてあって…、あ、そうそう、その前に新聞用紙かなんかが積んであったな。

 うーん。
 ま、ささやかなアンデパンダン展でものぞいたみたいで、
「いつも美術展みたいですね」とお世辞を言ったら、
「よく、そう言われます」と返事が返ってきた(笑)。

 以前のように、テーマをもとに、著名デザイナーや、すぐれた企業デザイン室にアイデアを競わせたり、凝りに凝った印刷と紙の技術コラボをやったり、というのは、昨今の景気では、やはり苦しいのでしょうね。
 いかんせん、かつての威勢のいい時の展示に較べて、費用をかけていないのは、一目瞭然。

 今年は学ぶようなこと、刺激的なことがほとんどなかった企画コーナーではあったが、いつもおきまりの印刷物の展示のほうは、それなりに面白かった。
 カレンダー、ポスター、DM、書籍、それぞれに、コンクールで選抜された「作品」なのでしょうね。ここでは、それなりに、洗練された制作物を見ることができる。
 だけど、さすがに、ここにも景気の悪さがあらわれていた。
 全体に、さびしい。

 カレンダーなんかは、景気のいいときには、印刷に詳しくない者が見ても、カネをドブに捨てているのかと思うほど、何色も使ったり、箔を押したり、フィルムや特殊素材と組み合わせたり、といった贅沢なものがみられるのだけれど、今年は、二色であったり、小さなサイズであったり、といった、いかにも予算をしぼった中でつくっているな、と思えるものがほとんど。
 だけど、その制約の中での、精一杯の工夫には、学ぶところも多かった。
 やっぱり、「クリエイター」は、アイデアだよね。

 カレンダーやDMは、ちょっとしたギミックがあるかないかで、効果が違う。
 なぜか。
 平面なのだけれど、空間の中ではたらきかけるから、その存在感は「立体」的なのだ。
 二色刷であっても、単色刷だって、その意味で、立体感覚は出せる。
 カレンダーなんか、単色でも、いくらでも面白いものがつくれる。
 予算がなくても、いいものはできる。
 もちろん、予算があったら、もっと、いいものができる(笑)。

 まあ、そういう意味では「proto−」に帰れたというか(笑)。

 今年は、案内の中に「入場券」が入っていた。
 そのせいか、いつものように、デザイン学校の学生さんたちで、異常人気の展覧会なんかのように混雑している、ということはなかった。入場制限に傾いたのだろうか。
 それに、まあ、コストがかかっていないこともあるのか「ふれることが自由」だった。
 いつも、さわってみては注意されていましたからね(笑)。
 見るものも少なかったけれど、ゆっくり見られた。

 振り返ってみると、竹尾さんのペーパーショウには、世間の景気動向が、そのまま、あらわれている。
その変化を見るだけでも、意味があるのかもしれない。

 今年は少々さびしかったけれど、ファインペーパーの付加価値を訴え続けようとする、その心意気は買いたい。
 電子書籍、電子看板の時代になって、これから、コミュニケーション用の印刷物でファインペーパーの需要が伸びることは難しいだろう。
 和紙のように、伝統工芸品の世界に近づいていくのか。
 まだまだ、斬新なアイデアで用途や需要を切りひらくことのできる可能性は、かなりあると思うのだけれど。
   
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2010年06月04日

疲れ果てている日本。

旧暦四月二十二日 乙酉(きのととり)

 六四天安門事件から21年目。
 民主党さんの代表選挙で、報道番組のはしっこにも出ないだろうな。

 樽床さんという珍しい名前のかたは、テレビで見る限り、どうも好意のもてない表情である。森田健作さんをずる賢くしたみたいな顔にみえる。ほんとうにそうだったら、最悪だけれど(笑)。

 それに、松下政経塾出身、という人たちは、どうも、こころざしがよくわからない。何か、社会をよくしたいから政治家をめざした、というより、「ハイクラスの政治家」をめざして、ビジネス・ライセンスでも取りにいくようなイメージがある。

 会って話してもいない人を、顔だけで判断してはいけないが、話したり、考えたり、受け答えしたり、といったとき、人はどうしても、本音がふと表情に出る。
 何十年も使い込んだ表情筋は、トレーニングしている腹筋みたいなもので、日頃、反応して発達するところは発達して、使わないところは衰える。
 現代の政治家は、常に全方位からの視線にさらされているのだから、それを意識しなければならない。菅さんあたりは、ふだんから、かなり意識的に表情をつくり込んできた感じがする。イラ菅などと呼ばれながら、テレビのこちら側でそれが感じられないのは、そのあたりの本人のコントロールだろう。
 もっとも、総理大臣になったら、露出度は圧倒的に増えるし、好意的な言葉よりもはるかに多い洪水のような量の、悪意の質問にさらされる。そのときに、眠らせていた表情筋がどう出るかですね。

 まあ、国全体の雰囲気として、支持していた人も、それほど支持していなかった人も含めて、政権交代にはそれなりの期待があったのに、「誠実」で能の無い幼稚な坊ちゃんが、ちょっとヒーローになろうとして、さんざん一人相撲をとって、おかげで、みんな無力感というか、脱力感というか、みているのにくたびれてしまっているところだから、もう、ラストチャンスに近いような「政治へのかすかなのぞみ」をつないでほしいという思いがあるだろう。

 小沢さんを、検察が起訴しようとしたとき、彼を「平成の竜馬」とまで持ち上げる田原総一郎さんをはじめ、多くの知識人が擁護し、検察批判を強めた。
 それは、まさに、権力闘争だったからである。
 だから、マスコミでも、最初は、かつての自民党議員たちのときのように、検察の尻馬に乗って「小沢たたき」とはならなかった。
 小沢さんの容疑は、たしかにこじつけに近いもののようで、起訴にまで持ち込めるものではなかったけれど、検察審査会は素人の集まりだし、心情的には、微罪でもなんでも怪しいヤツはやっぱり起訴するのがあたりまえだろう、とみんな思って、不起訴不当、となった。
 検察はよろこんだのか、あわてたのか。どっちみち、法的に起訴しようがない。そこで、早めに、ふたたび不起訴、を出したのではないか。
 アマチュア機関である検察審査会が、もう一度、不起訴不当を出す可能性は高い。それが、うまくいって参院選前に出れば、今度は、強制起訴となる。たとえ検察が勝てなくて無罪になっても、裁判は長く続く。もし、告示前に、二度目の不起訴不当でも出れば、民主党には大打撃だろう。審議会は、今、どのように進んでいるのだろう。

 知識人のみなさんが、反検察の論陣を張って小沢さんを守ろうとしたのは、検察という機構が、正義の味方でもなんでもない旧勢力であり、既存の利権を守ろうとする官僚機構に手を突っ込んで本気で毀そうとする小沢さんを、潰そうとしたからである。
 権力を知る者は、権力のどこを潰せば簡単に解体できるかを知っている。まあ、関節のしくみを知る医者がバラバラ殺人をやるみたいなものですね。
 だもので、検察は、権力の裏を熟知する小沢さんを最も恐れた。だから、逆に、小沢をつぶせば、民主党なんて、たわいもなくひねりつぶせる、という常識がまかりとおってきたらしい。

 だけど、もう、そういう時代でもないのではないか。
 京都でも、昔は、小沢さんや野中さんみたいな、清濁あわせ飲む共産党議員までいて、そういう人が大物扱いされたらしいが、今や、根回しや駆け引きの効力はだんだん薄れてきている。
 有権者のモチベーションを上げることが大切なのである。

 長時間、眠らせずに尋問されてきたり、空腹のまま行軍させられてきたりした囚人のように、日本人の多くはもう、疲れ果てて、ききわけがよくなっている(笑)。
 だから、がまんせよ、といわれれば、がまんして、財政再建もしなければならない、と思うだろう。高速無料化や子ども手当なんていうバラマキをしなくても、民主党は票をとれたのである。普天間基地の問題といい、いわなくてもいいことをわざわざ言うのは、国民を馬鹿だと思っているのと、自らに自信がないからだ。

 総理大臣がころころ変わっていては、諸外国から信用されないだろう、といわれているが、先日の日経産業新聞には、IT担当大臣が10年間に14人代わった、とあった。
 中川秀直−堺屋太一−額賀福志郎−麻生太郎−竹中平蔵−細田博之−茂木敏充−棚橋泰文−松田岩夫−高市早苗−岸田文雄−野田聖子−菅直人−川端達夫。
 錚々たる名前が並んでいるけれど、実質的に何がどう進んでいるのか。

 IT戦略について、経済産業省は「IT」という表現を主張し、総務省は「ICT」を主張して「対立」して政策がまとまらなかったが、戦略名を「情報通信技術戦略」と漢字にすることで歩み寄ったのだそうだ(笑)。
 ICTは、Information and Communication Technologyの略で「情報通信技術」と訳すのだそうだ。これまでもよく使われてきたITは、Information Technology (情報技術) ですね。

 まあ、一事が万事で、こういう風通しも含めて「役人発想のムダ」を、いかになくしていけるのか。
 ムダをなくす作業は、働かないで高給をかすめとっている天下りさんの整理だけではない。時もまた金なりで、日本には、そろそろ、のんびりしている時間がなくなってきている。

 さて、94代目となるらしい次の内閣総理大臣は、今日が終わると、誰に決まっているのでしょう。
   
タグ:政治 日本
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2010年05月27日

口蹄疫を広げたのはマスコミ?

旧暦四月十四日 丁丑(ひのとうし)

 日の干支でいけば、今日は丑の日となっているけれど、牛さんたちは受難続きである。
 新しい発生は伝えられなくなったようだが、口蹄疫は、このままなんとか沈静化できるのだろうか。

 この前の、鳥インフルエンザ騒ぎは、振り返ってみると2004年となっているから6年前。初期の感染を隠蔽した、京都丹波の浅田農産で、自殺者まで出すこととなった。
 今度の口蹄疫でも、最初の感染を役人だか獣医師だかが見逃したらしいけれど、基本的に、危機管理のためのマニュアルが、何も用意されていないようにみえますね。

 こういう事態が起きた場合、感染が確定しない段階でどうするか、そして確定した段階でどうするかという、初期対応が明確に決めてあり、殺処分した場合の補償なども基準がちゃんと定まっていたら、躊躇することなく行動に移れたはずである。

 これは、企業のリスクマネジメントにとっても、大きな教訓でしょう。
 リスクマネジメントでは、判断の是非を問うことより、判断した結論をただちに行動に移せるかどうかという条件整備が重要になる。そのタイムラグが、その後の事業継続や生産回復に、大きく影響してくる。

 宮崎の口蹄疫は、まさにその教訓になった。
 事態が収まれば、おそらく、最初にどんなミスが続いたのか、行政や政治にいかに緊張感が欠けているのか、すでに週刊誌の見出しになり始めているけれど、そういった追求が次々と出てくるのでしょう。補償額が半端じゃないしね。予備費といっても、まあ、全部赤字国債である。

 とはいっても、こういったことの補償は、即座に全面的に行なうべきである。
 広がるのを防げなかった点では人災といえるけれど、畜産家の人たちに責任はない、いわば天災に近い被害である。
 経営をあやまって失敗した、というような場合や、乱暴な運転でけがをした、といったような場合は本人の責任も大きいが、いきなり地震がきたり、洪水で流されたり、一所懸命に働いて病気になったりするのは、当人に何の罪もない。そういったことで生活基盤を失わないようにすることが「平等」ではないかと思う。

 口蹄疫で戦々兢々としているのは各地の動物園だけれど、奈良で鹿を世話している人たちも気が気ではないらしい。それはわかる。もし、奈良の鹿に感染でもしたら、これはもう、収拾がつかなくなるだろう。野生でありながら、人との接触は家畜なみ、感染する確率が高く、広げる確率も高い。

 なんだかんだといって、感染を媒介するのは人間である。
 家畜から家畜へ、家畜自身を通じて広がる可能性はごくまれなはずで、隣といってもはるか離れた、よその牧場の牛や豚どうしがお友だちであることはない。黒ヤギさんから白ヤギさんへ、お手紙が届くこともない。

 マスコミは当然ふれないが、今回の口蹄疫を最初に広げたのは、取材におしかけたマスコミのクルーではないかという気がする。
 鳥インフルエンザの時がそうだった。
 現地を取材した友人も言っていたが、発生当初の防疫は、すこぶるずさんだった。
 テレビのニュースで見ても、それは感じられたし、やっぱりなあ、という感じだった。
 靴の底なんて、土や草と一緒に、簡単にウイルスがお供する。
 だんだんひろがってから、あわてて消毒や防疫体制を強化しても、あとのまつりなのだ。
 口蹄疫も、拡大させたのは、野次馬「ジャーナリスト」のみなさんだとみて、間違いないのではないか。
 マスコミ自身は、みずからの首を絞めるような報道はしない。

 奈良の鹿も心配だが、ちょっと気になるのが、御料牧場。
 御料牧場とは、天皇さんの食べ物を確保している、いわば、天皇家専用の食材供給センターだ。野菜もつくっている。
 もともと、成田の三里塚あたりにあったらしいが、ご存じ成田空港のために移転。成田闘争をさけたわけではないでしょうが、当然、牛の乳の出は悪くなりますからね(笑)。
 今は、栃木県の高根沢町というところにあるらしい。

この、御料牧場の中を通り抜けている道路は、一般人も入れるそうだ。
 口蹄疫が接近すれば、当然、通行止めになるだろうけれど、思うのは、もし、御料牧場が半径何キロかの処分地域に入ったらどうするのか、ということ。
 ひょっとしたら、その距離には他の牧場はないのかな。

 御料牧場では、もちろん、鶏も飼われていて、鳥インフルエンザの時には茨城県と埼玉県で600万羽が処分されたが、御料牧場は無事だったらしい。栃木県での処分はなかったのだろうか。
 『天皇の牧場を守れ 鳥インフルエンザとの攻防』という本が出ているのを見つけた。06年10月発行、定価1470円が、中古とはいえアマゾンで1円だったので、ネットでものを買ったことのない者としては、逆に躊躇してしまった(笑)のだけれど、これは、興味がある。

 高級和牛など食ったこともないし、宮崎牛が途絶えることを危惧するわけではないが、乳牛も、豚も、それでなくても苦労している日本の畜産家の人たちに、平穏な労働の日々を早く取り戻してほしいと思う。
 東国原さんの、あの、さめた自己陶酔ふうの演技も、政府のだらしない対応も、もういいかげん見たくないしね。
   
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2010年05月21日

グーグルの中国本土撤退から二ヶ月。

旧暦四月八日 辛未(かのとひつじ)小満

 本日、二十四節気の「小満(しょうまん)」。
 「立夏後の一五日目にあたり、新暦五月二十一日頃である」(『現代こよみ読み解き事典』柏書房)
 おお! ぴったり。

 ところで、よく引用させてもらっているのだけれど、今、気がついた。この本は、十の表記の統一が、わかりにくい。一五日目、というのは、おそらく数値としての扱いで数字の並列、二十一日、というのは名詞扱いで十を生かす、というものでしょう。
 編集者の間では納得するのだけれど、読者にはわかりにくいんですよね。表記統一で、最初に悩む要素のひとつです。

 「万物しだいに長じて天地に満ち始めるという意味から小満といわれる。麦の穂が成長し、山野の植物は花を散らして実を結び、田に苗を植える準備をなどを始め、蚕が眠りからさめて桑を食べ始め、紅花が咲きほこる季節である」(同)。
 どのあたりでしょう、いい風景だなあ。
 要するに、初夏なんですね。
 ひとつ前の節気は、立夏でした。

 小満、はあるけれど、大満、は、ない。
 小暑には大暑があり、小雪に大雪、小寒に大寒と、それぞれ続いているけれど、小満の次は芒種。ここだけ、大がやってこない。うーむ。
 このあたりが、日本の季節感の微妙な美意識(笑)。デリケートなのです。

 「旧暦四月、巳の月の中気である」(同)とある。
 中気、というのは、旧暦でのそれぞれの月の後半のこと。前半が、節、なのだそうだ。この、一ヶ月を二分して節と中気に分け、十二ヶ月分を数えるから二十四節気と呼ぶ。
 どうして、前半が節で、後半が中気なのでしょうね。それに、節はただの節なのに、中気はなぜ、ただの気でなくて「中」気なのだろう。
 「気象的には、この頃から梅雨となる年が多い」(同)。なるほど、たしかに、ちょっと雨が続くようになってきました。

 沖縄では、もう梅雨入りも近いのでしょうか。
 誰も訊いていないのに、普天間の基地問題を持ち出して、ひとりで期限を切って、こんな理不尽なことは私が解決します、と、いきなり見栄をきった鳩山さん。きっと、オバマさんの向こうを張って、平和主義のヒーローをめざしたのでしょうね。
 よく勉強したらわかった、って、今さら勉強してもらってもねえ。
 インテリ志向特有のおせっかいだったかもしれないけれど、問題が顕在化したのは、結果的によかったのかもしれない。

 当分は、各政党や、それぞれの政治家に、この問題をどうとらえるかという姿勢が問われるでしょう。なんとなくあいまいにしてごまかすことや、先に延ばすことが、もうできなくなってきている。
 社民党さんは、自衛隊合憲論以来、ふたたび存亡の分岐点を迎えるかもしれない。

 誰かが、尖閣諸島と竹島に基地をおけばいい、と言っていたけれど、いいアイデアかもしれませんね(笑)。
 狭すぎるから、フロート式の滑走路でもつくるしかない。そうなると、優秀な土木技術を持った日本のゼネコンの出番で、経済も活性化する?

 日本国内の米軍戦力配置の、仮想敵は、今では、基本的には中国なのでしょう。中国がいなければ、北朝鮮はとっくに潰されて、拉致被害者も奪還されていただろうし、インドやパキスタンの核保有もなかったかもしれない。
 闇の人口を入れると、おそらく十四億人くらいはいそうな、あの常識はずれの肥大国家を治めるのはたいへんだろうから、チベットもウイグルも台湾も香港も、みんな手放して仲良く連合すればいいと思うけれど、「資源」という宝物を、国民のため、というナショナリズムをあおって独占したくなるのは、太平洋戦争前の日本と、たいして変わらないところだ。

 だけど、いずれ、あんな人権無視の国家体制は、国民が目覚めてくれば、ときに反日感情や反米感情をあおって、目を外に向けてごまかしても、必ずもたなくなる。共産党独裁がこれから百年続くわけではない。
 「国民感情」の多くを占める、欲得の価値観が政権を支えているだけだから、みんなが豊かになれる前に経済成長が止まれば、黄巾の乱が起こるだろう。

 十月末まで、まるまる半年続く上海万博の、開幕ネタも、テレビでは影が薄くなってきた。
 次の盛り上がりは、閉幕まで、ないのかな。
 一方、グーグルが中国本土から撤退して、まもなく二ヶ月。こちらは、もうすっかり忘れられた「事件」だ。
 中国の言論統制は目に余るものがあるが、一週間ほど前のニュースでは、中国政府側がなんと、「日本の報道は偏向しているから指導監督せよ」と日本政府に繰り返し求めている、とあった。
 問題が、東シナ海のガス田問題だとはいえ、日本政府もなめられたものである。
 岡田外相が、日中外相会談で、中国に、軍事費の透明化と核兵器削減への努力を求めたら、「冒涜している」と言われたそうだが、何をかいわんや。日本の間の抜けたお人好し外交に対して、あたりかまわない恫喝外交は、北朝鮮の原点なのかもしれない。

 とはいえ、その大中華の恫喝に対して、グーグルは正面から挑んだ。
 ひとむかし前なら、いかに世界的企業といっても、一国家相手に、しかも、民主主義のない国を相手に真っ向勝負するというのは、考えられないことだった。
 グーグルは、あれで株をあげて、株価は下げたが(笑)、ナナメ人間としては、あれでグーグルが正義の味方になったと単純には思えない。
 レーニンの『帝国主義論』はちゃんと読んでいませんが(笑)、多国籍企業として、それだけのチカラを持ってきたということでしょうね。
 グーグルの覇権と大中華の覇権が激突を回避した?
 ひょっとしたら、グーグルがその気になれば、中国政府の情報操作以上のことができるかもしれない。

 うーん、だんだん、『マトリックス』の世界だな(笑)。
   
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2010年05月15日

小原喜代子さんと『源氏物語』

旧暦四月二日 乙丑(きのとうし)

 今日は、葵祭。
 昨日は、恩師、小原喜代子先生の命日だった。

 小原喜代子さんは、京都府立の洛北高等学校、嵯峨野高等学校で教え、そして退職してからは、京都女子大学と平安女学院短期大学で講座を持った。
 教鞭をとる、という言い方を嫌った。
 そして、多くの教師が使う、あの、指示棒だか指し棒だかという「教鞭」を、絶対に使わなかった。
 そこには、教え子は「鞭」などによって育てる対象ではない、という理想と、「教鞭」の美名のもと、多くの学生を戦場に送った戦時中の教育者たちに対する、戦後、教職についた者としての強い反撥、信念があったと思う。

 退職は、たしか定年より少し早かったのではなかったか。
 教頭や校長といった「管理職」に就くのを固辞し続けることが、かなりたいへんだということは、薄々察しられていた。

 国語の教師だった「オハラハン」は、葵祭が好きだった。
 葵祭は、『源氏物語』にも出てくる。古い祭りだ。
 もともと賀茂祭と呼ばれたらしい。
 ただ「まつり」とだけいえば、この祭りのことである、というくらい、王朝時代の日本を代表する祭りだった。京都三大祭とされているけれど、じつは、時代祭や祇園祭より、ずっと古く、由緒ある祭りだ。

 先生は、その前日に亡くなった。
 訃報を聞いて病院へ行き、もう、逝くのを止めることも、引き戻すこともできないのに、腕をつかんだ。
 考えてみれば、先生にふれること自体初めてだったから、比較のしようもないけれど、その腕はすっかり細くなっていた、のだと思う。

 勤めていた会社を辞め、フリーランサーとして仕事を始めて、しばらく経た頃だっただろうか。先生が、どこかの集まりで『源氏物語』を講じている、と聞いた。
 日本語にかかわる仕事をしていて、『源氏物語』は、読んでおかなければいけないだろう、と思いながら、現代語訳さえ読めずにいたので、その集まりのテキストを流用させてもらうつもりで、先生に頼み込んで、「小原きよ子さんと読む『源氏物語』」という講座を、月一回で始めてもらった。

 こちらは安易な気持ちでいたのに、先生は、ちゃんと別のテキストを準備して、毎回、翌月の分を用意してきてくれた。流用どころではない、まったく別の講座として進んでいき、100回続けてもらった。そのあと、さらに、テーマ別に10回の特別講座もひらいてもらった。これは、準備する先生もいっそうたいへんだったと思う。
 月1回で八月は夏休み、何期かに分けながら、都合110回。「小原源氏」は足かけ十年余り続いた。

 始めるとき、せっかくなのだから、ぜひ社会人の男性に学んでほしいと思って、日曜日の午後、当日自由参加で設定したが、参加者の9割以上は女性になった。
 社会的な制約もあるのだろうけれど、やっぱり、学ぶ意欲は男性より女性のほうが旺盛だということが、よくわかった。身のまわりに、社会人入学で再び大学に行った人が(中には大学の先生にまでなった人まで含めて)三人いるけれど、みな女性である。
 その十年の半ばで急逝したりした人たちも含めて、多くの人と知り合うことができた。向学心を持つ人たちと話すことは楽しく、学ぶことも多い。

 十年の講義のエッセンスは、二冊の本になった。
 その「小原源氏」二冊目の本をまとめている途中での発病。脳膿瘍、という診断だった。
 最初は、原稿の文字がなぜか一部読めない、といった妙な現実へのためらいだったらしい。認知症の始まりかと思ったそうだ。
 しばらくの入院と検査ののち、医師から治癒のないことを正確に訊き、意識が健全なうちにと、先生はみずからホスピスを選んだ。

 高校生のとき、クラブ顧問をしてもらっていたが、その頃には、ほとんど話したことはなく、ひょっとしたら卒業してからだったかもしれない、「あそびにいらっしゃい」と声をかけてもらって、あつかましく家まで訪ねて行ったような記憶がある。
 記憶が漠然としているのは、そのあと、数え切れないほど自宅に押しかけては、話し相手になってもらったからだ。
 ときに夜中の12時、1時にもなっていたと思う。今から思えば頭が下がる。嫌な顔ひとつせず、よくぞ相手をしていただいたものだった。

「学校というところは、何かを教えてくれるところではなくて、何がわからないのかを学ぶところです」

 もう、あんな先生は出てこないのかもしれない。
 亡くなって十年。
 不肖の教え子は、未だ、自分自身が、何がわかっていないのかさえ、わからずにいる。

       小原喜代子著作
        『源氏物語をもっと愉しむために』(かもがわ出版)
        『源氏物語はこんなに面白い』(かもがわ出版)
        『小原きよ子詩集』(草莽社)
        『女子学徒たちの敗戦 東京女高師文科生の記録』(共著/草莽社)
        『大空へはばたけ「しらけ時代」に挑戦する教育』(共著/草莽社)
   
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2010年04月20日

タネヲマク

旧暦三月七日 庚子(かのえね) 穀雨

 真冬なみ、なんていう気候がしばらく続いたけれど、かなり暖かくなった。
 今日は「穀雨」だった。二十四節気で、春の季節の最後の節目にあたる。

 こよみのとおり、前夜から雨模様になった。
 穀雨とは「百穀を潤す春雨」をいうそうだ(『現代こよみ読み解き事典』柏書房)。「春雨のけむるがごとく降る日が多くなり、田畑を潤して穀物などの種子の成長を助けるので、種まきの好期をもたらす。」とある。

 種をまく、の「まく」は、かの、くだらない「常用漢字」では、漢字を使わないことになっていて、公用ではひらかなになるのだけれど、本来は「播く」。近いところで「撒く」、あるいは「蒔く」もある。
 たね、ということばの語源はどこにあるのだろう。

 「種」という漢字は、「禾(のぎ)」ヘンに、ツクリが「重」い。禾は、だいたい、とげのついた稲や小麦のような穀物を基本とするけれど、ここでは稲。その実った穂の「重」くなって垂れているところが、すなわち「種」、という成り立ちだそうだ。
 漢字は、もともと借りてきたものだから、日本語はそれ以前にあったことになる。
 「た」と「ね」で意味を組み立てた? それは「田」の「根」かな。
 「た」も、今は発声が「TA」だけれど、「TWA」だったり「TIA」だったりしたかもしれない。「ね」もそうだ。「NUE」や「NUWE」あるいは「NIE」だったか。
 文字もなかったいにしえのことは、なかなかわからない。

 ことばといえば、同時代の日本語をあやつる天才は、井上ひさしさんと中島みゆきさんだと思っていたが、井上ひさしさんが亡くなった。
 先週だったかのニュースステーションで、今年に入って亡くなった三人、を振り返るという小特集のようなコーナーがあり、最初に浅川マキさんが紹介されたので、ほお、やるやん、と思って見ていたら、次に、読売ジャイアンツのもと寮長? なんて月並みなワイドショー好みになって、井上ひさしさんは登場しなかった。
 最初に、マニアックなディレクターだなと、思ったけれど、単に、浅川マキさんを素人扱いしていただけなのか。(笑)

 井上ひさしさんが亡くなった途端、本当かどうかわからないが、長女と三女が遺産争い、などと週刊誌に書かれているのも悲しい話だ。
 かつて西館好子さんへの暴力も言われたりした。天才作家というのは、たたき上げで会社を急成長させたワンマン社長のようなもので、後に人を残すわけではない。人を残せないのにカネを残したら、ややこしくなる。それでなくとも、著作権なんていう、当人の手を離れて死後長くカネを産む「知的財産」まであるのに。
 だけど、井上さん本人は確実に、日本中に、文学のタネを播いた。

 一方、文学者と手を組む、という試みは悪くなかったものの、未だに、ろくなタネも播けずにいる、というのが、鳩山由起夫さん。
 最初の、所信表明だか、施政方針だかのときには、「いのちを守りたい」というフレーズを繰り返して、じつに抽象的で観念的な演説だった。しかしまあ、観念的な人間としては、案外好感が持てた(笑)ものだった。

 あれが、平田オリザさんのテキストだったとは知らなかったけれど、あとからみると、文学的良心、が織り込まれた内容でしたね。
 で、文学的良心が現実にぶち当たると無力だ、ということを、あらためて感じさせられている、という印象がある。
 文学的良心が、完全に無力、であっては困るのだが、政治家は調子よく言葉だけを弄ぶから、結局、小泉純一郎さんや麻生太郎さんと変わらない言葉の軽さ、になってしまう。

 普天間米軍基地の問題では、いずれ辞めざるを得なくなるのでしょうね。
 なんだか、既成概念の狭い判断材料の中で、うろうろしている。
 米軍基地が有事の際に重要で、台湾海峡がどうのというなら、基地は台湾において、まともに中国と向かい合えばいいし、韓国の基地で不足なら、新潟や北海道のほうが補完できるでしょう。
 だいたい、日本に米軍基地をおいてメリットがあるという現実的な証明はない。事業仕分けをするなら、次は「思いやり予算」だな。

 「日米関係」は、評論家のみなさんのメシのタネとして「なくてはならない」だけの話である。
 アメリカに中国とコトを構えるなんていう気はさらさらない。
 少し前に、ダライ・ラマ14世とオバマ大統領が会って、中国が反撥している、といった報道があった際も、誰だったか、ニュース番組で指摘していたが、もともとアメリカの大統領は、就任後、ダライ・ラマさんと必ず会うし、しかも、オバマのときは、ブッシュより時期が遅らされ、会談の場所も格下だったという。だから、中国の抗議もかたちだけのものだった。アメリカは、じつは中国に思いきり配慮していたのだ。
 そういった、正確な事実は、どこかマイナーなかたちでしか報道されない。

 アメリカに限らず、どこの国でも、人々は人権よりも、はるかに、景気への関心のほうが強いし、中国で「人権」なんぞが回復するよりも、「需要」が回復するほうが、何よりも優先課題なのである。

 もっとも、「人権」の話は、アリバイづくりには重宝される。鳩山さんも、軽い良心で「沖縄のかたがたの気持ち」を言うなら、移設先の場所を語る前に、せめて「地位協定」の見直しを、まず主張するべきだったでしょうね。

 そういうこちらは、沖縄の心配をしている場合ではない。足もとに火がついている。
 井上ひさしさんには、遅筆堂、という「屋号」(笑)があった。あれほど残したものの大きい人は、それでしゃれになるけれど、こちらは、せいぜい謝罪のタネにしかならない。
 酷雨だなあ。
   
タグ:穀雨
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2010年04月16日

旧暦では、ひなまつり?!

旧暦三月三日 丙申(ひのえさる)

 寒い。
 京都はまだましなほうでしょうね。北の国では吹雪いたりなんかしているらしい。
 暑さ寒さは彼岸までのはずだし、荒れじまいの比良八講もとっくの昔にすんでいる。

 旧暦でなら、今日は三月三日、上巳の節供。おひなさまです。
 ずっと前、先輩の結婚式の引き出物で、立ち雛を描いた色紙を色紙立てとともにいただいた。もちろん、向かって右が男雛。
http://kyotohansokutsushin.seesaa.net/article/115057205.html
 なんともいい雰囲気で、三月が近づくと、狭くて乱雑な玄関は、一応の新春飾りから、このお雛さまに交替するのだけれど、長く飾っていても、別に行き遅れる年頃の女性はいないので、未だ飾りっぱなしだった。でも、気がつくと、まだ、今日が雛祭りなんだ。そうかそうか。
 ついでに旧暦でいえば、今日は、桜田門外の変、百五十年にあたるらしい。

 雛祭りにつきものの白酒というのは、甘酒とも濁り酒とも違うらしい。本来の発酵味醂に米を混ぜてどうとか、何かに書いてあったけれど、一度、ほんものの白酒というのを飲んでみたい。甘いことは間違いなさそうだから、どんなものか日本酒フェチに訊いたら、きっと、げてものだというのだろうな。

 で、思い出した。そういえば、冷蔵庫の野菜室に、いただきものの日本酒を、まだ封を切らずに残していた。
 「備前雄町」。岡山の地名だけれど神戸の蔵元。浜福鶴銘醸、とある。
 ひと息つける、という状況ではないのだけれど、今日、開けずして、何とする。次はもう、端午の節供ですよ。(笑)
 開ける、けれど、全部、空ける、わけではありません。(釈)
 晩酌などといって、ゆっくり飲んでもいられない。

 あっちに謝り、こっちに謝りながら、綱渡りどころか、綱から何度も落ちながらの仕事が続いている。
 仕事に優先順位はつけられないし、つけてはいけないと思うので、結局、どこかでつまづくと、全部つまづくことになって、すべてが遅れることになる。こっちを少しやって、あっちを少しやって、となると、よけいに能率も悪くなる。ずいぶん迷惑をかけている。(嘆)

 余寒、としゃれるにも、寒の戻り、と挨拶を交わすにも、まるで情緒もない寒さで列島が震えているけれど、先週、ちょうど入学式の頃は、ぽかぽか陽気で心地よかった。
 まさに新入生、というおチビさんが、お母さんや、中には、会社を休んだのでしょうか、お父さんも一緒に、親子で学校に向かう姿に出会うと、思わず「おめでとう」と言いたくなったものだ。

 その翌日あたり、始業式くらいだったのでしょうか。やはり、おだやかな昼下がり、町なかの狭い公園を通り抜けると、いつになく子どもばかりであふれていた。
 小学校の低学年くらいか。ベンチをまたいで向かい合わせに座っている男の子、すべり台の下には、溝の中に三人も女の子が溜まって、上の降り口にいる女の子と何かしゃべっている。こっち側では、やっぱり女の子が三、四人、ぶら下がりの遊具かなんかで、両側からひっぱってきた色違いの紐を真ん中で結びながら、それをのぞき込んでいる。まだまだ、あっちにも、こっちにも、何人かずつの小集団。いろんなことをやっている。
 通りすがりのオッサンにとっては、それぞれのしていることが何なのか、わけがわからない(笑)。

 とにかく、なにかしら楽しそうである。
 小学校の横を通ると、今度は、運動場で子どもたちがドッジボールに興じていた。そこを離れて、何か違うことをやっている連中もいる。
 学校というのは、本来、楽しいところなのだ。
 子どもたちが、元気で楽しそうに遊んでいるのをみると、社会の未来を明るく感じる。希望が持てる。

 いじめだとか何だとか、妙な階層社会や属性をつくるのは、みな、大人社会の反映である。子ども手当や教育の無料化も、それはそれで役に立たないとは言わないが、大人社会のほうをしっかり立て直さないと、子どもたちが伸び伸びと育つわけがない。

 あやうく、一ヶ月のブランク。
 それでも、のぞきにきてくれていた読者のみなさんに感謝。
 先月は、月二回刊でした。ビッグコミックだな。
 もっとも、京都観光復活の先導役となった「アンノン族」の、産みの親の一方とされる 『non-no』 が、月二回刊から、一回だけの月刊になるそうだ。
 雑誌も書籍も、もちろん新聞も、大きな曲がり角を迎えている。
   
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2010年03月17日

京都で竹尾の展示会。

旧暦二月二日 丙寅(ひのえとら)

 珍しく、竹尾の展示会が、なんと京都で開かれた。
 二月の終わり頃だったか、三月に入った頃だったか、立て続けに写真展や個展の案内が郵便受けに入っていて、どこかしら春を感じたのだけれど、その中に、竹尾からの案内があり、おやっ、と目がいった。

 去年、恒例のペーパーショウが、大阪はスルーされてしまって、紙媒体縮小の時代、紙の問屋である竹尾さんも収縮を始めたか、と残念がっていたので、思わず大阪でのペーパーショウ復活? と見てみたら、何と、京都での展示会。ほおー。
 主催に大阪支店、とあるから、大きな規模ではなさそう。
会場は「みやこめっせ」。岡崎の、旧・京都市勧業館である。

 会期は3/11〜3/16。すぐそばの京都市美術館で、3/9〜3/14に『山・われらをめぐる世界』という日本山岳写真協会の創立70周年記念展があり、そこで、九日と十日に当番をしている滋賀県の山のオーソリティ、山本武人さんと、どちらかの日に会う約束があったのだけれど、みやこめっせでの展示会は十一日から。
 うーん。ぴったり、はずれている。(笑)

 しかも、前週から始まった取材で、この週もほぼ全日ふさがり、九日の夕方は山本さんとばたばたと会って、懸案と聞いていた件の話をし(武人さん、慌ただしくすみませんでした!)、十日が急な予定変更で空いたものの、その分八日に前倒しになった取材で行けなかった原稿を某所に届け、十一日は午後早い時間に取材が終わる予定だったので、夕方の急な打ち合わせを受けたら、途端に取材開始が押してずれ込み、といったあたふたぶり。
 でも、奇跡的に、そのずれ込んだ取材と、夕方の打ち合わせの間に見に行けた。
 あーあ、長い前ふり。(謝)

 取材で一緒だった、新進気鋭のカメラマンさんのスタジオが岡崎の近く。ラッキー! 送ってくれて、ついでに無理やり誘って一緒に見に行った。

 でも、ようやく見に行けたわりには、不満が残った。(笑)

 『装画の力(カヴァーノチカラ)展』と題された、この展示会。「展示会」と「展覧会」の微妙な折衷の陳列は竹尾らしいところだが、その「微妙」なところが、かなり物足りなかった。そのかわり、15分で見終えた。

 主催が「日本図書設計家協会」と「株式会社竹尾 大阪支店」となっていて、『装画の力展』の副題は「太宰・清張を描く」。

  生誕100年をむかえた
  太宰治・松本清張の名作をテーマに
  20名のイラストレーターが装画を描き
  1つの作品を、3名の装丁家が
  書籍カヴァーに仕立て上げる……
  そんな、画期的デザイン実験を
  お見せいたします。

と、案内にはあった。これだけ読むと、壮大な展覧会のようだ。

 竹尾でテーマを決めたのか、テーマ設定は日本図書設計家協会にまかせているのか、いずれにせよ、おそらく、竹尾が費用を負担して、イラストレーターに二人の作家の作品『人間失格』『走れメロス』『ゼロの焦点』『砂の器』を指定して絵を依頼し、その絵を、自由選択か指定かで、装丁家がカバーデザインに仕上げた、というスタイルらしい。
 一点の装画に三人の装丁、という感じで、基本、四六だかB6かのハードバック、ただし横長での仕様も自由のようだった。紙質は自由に選んだのでしょうね。

 紙屋さんのアピールだから、当然、贅沢な紙づかい。本の手ざわりが好きな者にとって、心地よい陳列ではある。
 ただ、イラストが同じということもあって、どうしても似通ったカバーデザインになり、今ひとつ、目を引く変化に乏しかった。

 何より気になったのは、展示の方法。
 紙の問屋さんだから、紙をアピールするのが最大目的のはず。
 ペーパーショウと違って、自由にさわってみてください、とあったのは、じつに正当なことで好ましかった。
 ペーパーショウでは見張りが立っていて、展示品に触れないで、とうるさい。紙の展示会でさわらない、などということは愚の骨頂だから、横でおそるおそるのぞき込んでいる見知らぬデザイン学校の学生たちに、「かまへん、さわれ、さわれ」と、いつも、そそのかしていたものだ。
 
 だけど、ここでは、たったひと間の展示会場なれど、荷物を持っていると、いちいち置いたり脇に抱え直したりしては作品を手に取る、というのもなかなか面倒である。受付で、クロークのように、先に荷物を預かるようにしてくれるとありがたかった。

 それに、紙のアピールなのに、紙の名称が、わざわざ見えないようにしているのじゃないか、と思うほど、小さな文字で小さなパネルに記してあるだけ。
 紙質の効果を見せるのであれば、もう少し用紙の名称を、ひと目でわかりやすく見せて、原紙の見本を、生地のままのものと、できればインク種別やかけ合わせのチャートと一緒に並べてみせてくれるとわかりやすい。

 せっかく、費用をかけて凝った展示会をしているのにね。
 ひょっとしたら、日本図書設計家協会のほうが主導権をにぎっているのかな。

 装丁家に依頼して用紙をきちんと指定する書籍であったり、あるいは校正を繰り返し出しながら多色刷りするポスターなんかは別として、ファインペーパーはどうしても価格が高いのと、印刷に手間がかかることが多いため、印刷所ではあまり使いたがらないようだ。何も言わなければ、手持ちの用紙を勧められることが一般的である。

 装幀家の菊池信義さんの本なんかを読んでいると、紙によっては、印刷機を何度も途中で止めて掃除しながら刷っていく、なんていう話が出てくる。
 そりゃ、印刷所のかたがたは、そういう紙は、この世に無いことにしたがるでしょう。(笑)

 だから、そういった、印刷適性や価格なんかも、ちゃんと知らせてくれるといいのですけれどね。これは、いつもペーパーショウでお願いしているけれど、まあ、これも、紙屋さんとしては、お高い紙ですよ、と、最初からは言いにくいし…。(笑)

 ま、人と同じで、紙の個性というのも、実際につき合って自分の肌で感じないと、誰も教えてはくれない、ということなのでしょう。

 大阪支店さんではあるが、京都での、この展示会、これからも続ける予定とのこと。
 それは、たいへんいいことです(讃)。
 もうちょっと開催をアピールしたほうがいいですね。もっとも、ブックデザインだから、出版協会あたりには広報しているのかな。

 で、朗報をひとつ。会場で聞いたところ、大阪でのペーパーショウが復活するらしい。
 場所が京橋のIMPホールに変わるとのことで、これまでのマイドーム大阪より、京都からは少しだけ近くなる。
帰って竹尾さんのHPをみると、すでに、大阪展は5/27〜5/29とあった。

    http://www.takeopapershow.com/outline.html

 電子書籍が本格化しそうな時代。紙の復権はあるのか、その存在意義はどこに見いだせるのか。
 ファインペーパーも、現在あたりまえに触れている書籍も、いつか伝統工芸になるのかもしれない。
 紙も文字も大好きな人間にとっては、なんとか現役で長く頑張ってほしいと思うのだ。
   
タグ:装丁 装幀
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